じんせい、おもったようにいかないもんだ。
カテゴリ [ 僕 ] LOG - 0001

■カテゴリ [ 僕 ] - 20040719
街に出て行けばあれだけ大勢の人がいるのに自分と関わりを持つ人は殆どいない。みんな生きててそれぞれがそれぞれの生き方をしている。同じ人間同士だけれど殆どの人同士には関わり合いが無くて言葉も交わさない。群集の中の孤独とは上手いこと言ったものだね。街には人があんなにいっぱいいるのに、同種の生き物であるってだけで、仲間でもなんでもない。何だか人間って変な生き物のような気がしてきたよ。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040719
選択の余地が残されているのに現状の自分の選択肢に疑問を抱かずに、今よりも理想的な選択肢を選ぶこと自体を忘れている人々は、幸せなのか不幸せなのか僕にはわからないけれど、少なくとも僕は今の生き方やいる場所には納得が出来ない。本当の意味での理想なんてものにたどり着くのは不可能なのかもしれないけれど。

それでも少しでもそれに近づけるように挑戦し続けていきたいとは思う。けど、挑戦が増えればそれだけ失敗も増えていくから、理想を追い求めるのはとても苦しい。自分にとっての幸せというヤツに近づくために理想を追えば追うほど失望や苦痛は確実に増していく。全体を見れば苦痛や失望を感じている時間のほうがずっと長いかもしれない。

しかもその先に失望や苦痛が癒されるモノが待っていてくれるとは限らない。10の苦痛の先に10の理想が待ってるなんてのは滅多になくて、10の苦痛を味わった先に1の理想でも手に入れられれば儲けものなのかもしれない。1の理想にたどり着くまでに100や200の苦痛や失望が必要なのだとしても僕は1の理想にすがりつこうと日々あがいていたいと思う。

それをやめてしまうと僕が生きる意味がなくなってしまう気がするから。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040719
自分の置かれた状況を非常に辛く感じる時は誰しもあるだろうけれど、世界中の不幸をひとりで背負っているつもりになっている内は、きっとまだ何処かに逃げ道が用意されている時。不幸な自分に酔う暇がまだ残っている時。心に刻め。テメエよりもずっと強く歯を食いしばっている人たちがごまんといるということを。

愚痴を言うコトだけで目の前を不満を乗り切ろうとしても道を切り開くことは出来ない。外から入り込んでくる不快な要素は確かにそこに存在していて、自分の力でそれ自体を取り除くのは不可能であるのが現実というもの。それならば自分が動かなくてはいけない。自分が一歩前に踏み出さなくてはいけない。その要素から身を守らなくてはいけない。

悲劇のヒロイン、ヒーローを演じている暇があるのならそれはまだテメエがまだ甘えている証拠なんだよ。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040719
自分の人生を心から愛せる人はどれくらいいるのかな。まだ突拍子も無い夢を抱いていた子供の頃の自分が今の自分に会った時、心から喜んでくれると胸を張って言える人はどれくらいいるのかな。僕は子供の頃の自分がとても怖い。もし目の前に現れたら、僕はきっと逃げ出してしまうだろう。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040720
こんな時、他の人はどうしてるんだろう。

僕はよくそんなことを考えます。僕が僕なりに悩んでしまうコトを他の誰かは特に悩む様子も無くサラリとこなしているのを見ると、どうやってそれに対処しているのか無性に訊きたくなるのです。実際には訊かないことが殆どだけれどね。

誰もがしているコトだけれど、具体的なところまでは人に言わないようなコト。バカみたいな話だけれど、わかりやすく例を挙げてみるとセックスの仕方とか、女性へのアプローチの仕方とかは当然人それぞれ違うのだろうけれど、自分がするときに何だか上手くいかなかったりしたら、他の人はどうしてるんだろうって凄く凄く知りたくなったりする。

こんな場合どうするの? どうやってやってるの? 多くの人が『そんなコトまで人に話したくない』って思うコトだからこそ訊きたくなる。自分らしく自分なりにすればそれで良いんだろうけれど、僕は自分に自信が無くて、自分らしさを大事にしたいと考えている割にはどんなコトが自分らしいのかも今でもよくわかっていないから何をするにも確信を持って対処出来ない。

自分に自信を持つコトってのは、自分を知るコトと密接に関係してるんだろうと思うよ。自分を知り、自分らしさを理解し、そしてそれを磨くコト。それがきっと自信に繋がっていく。何かに対処するときに確信を持って行動できることに繋がっていく。僕はいつも自分が嫌いな自分を変えていきたいと願っているけれど、僕には自分を根底から変えてしまうのは不可能だと思うから、せめて自分らしさを磨きたいと思う。その為には自分らしさを知らなければならない。

だけれど、僕は僕の『僕らしさ』を未だにわからないでいる。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040720
川に捨てられた空き缶の山に人々の身勝手さを感じていたら、炎天下の仕事で汗びっしょりになっている僕に近所のおばさんが『お仕事ご苦労様』と言いながらジュースを差し入れしてくれて、人の優しさに触れた。優しくしたところで何の見返りも無い相手に向けられたその本当の優しさはとても救われる気分になる。

自分のことで手一杯で、人のコトなんかお構いなしで、自分が一番大事で、自分が世界で一番辛いって思い込んで、人に優しさを分けることを忘れて心が灰色になっている。そんな時、本当にちょっとしたことでいいから、ひとつでも誰かに何か優しさを分けてみると灰色の世界が少しだけカラーになって見えるかも。

誰かへの優しさは自分の心をカラフルにするキーになる。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040722
泣き言を言おう。不満を言おう。

そうすることで僕の気持ちは煽られてどんどんネガティヴになっていくよ。溜め込むことで爆発寸前になるくらいなら吐き出す方が良いけれど、言葉の魔力は予想以上に僕を煽るんだよ。忘れちまえばいいじゃんか。黙ってりゃどっかに忘れてきちまうことも結構多いんだよ。

今日、道端で自転車に乗っていた小さな女の子のサンダルが脱げて素足をアスファルトに擦ってしまったのを見た僕は、彼女の元へ走って行って脱げたサンダルを揃えて置いて『大丈夫? 気をつけてね』と声をかけてあげられた。

今日、仕事でイライラしたコトよりもそっちの方が僕には大事で、そっちの方がステキな話題。イライラした気持ちを言葉にしてぶちまけたらその女の子へ優しさを分けられた自分のコトがかき消されてしまうよ。それほどマイナスな言葉には威力があるんだよ。

だから、泣き言なんか忘れちゃえ。不満なんか忘れちゃえ。

そう思うんだ。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040722
小さな子供たちがたくさん楽しそうに遊んでた。まだ生まれて数年しか経ってない、『まだまだこれから』の彼ら。僕とは違う。僕はもうとっくに人生を走り慣れていても良い頃なのに、まだ先の道がハッキリと見えない。

笑いながら元気に走っているあの小さな男の子たちは一体将来どんな男性になるんだろう。中学校では悪い友達に出会って悪事を働くかもしれない。一生懸命勉強して良い大学、良い会社に入ってバリバリ働くかもしれない。色々な困難も待ち受けているだろうけれど、彼らにとってそれら全ては『これから先』に起こる事。

楽しそうに歌を歌いながら歩いているあの小さな女の子たちは一体将来はどんな女性になるんだろう。大恋愛の末、ステキな男性と結婚するかもしれない。何か事情を抱えて風俗で働くかもしれない。色々な人生を送るのだろうけれど、彼女たちにとってそれら全ては『これから先』に起こる事。

彼ら、彼女たちに残された可能性はまだまだ100%に近い。

僕に残された可能性は何パーセントなんだろう。

人生、おもったようにいかないもんだ。


■カテゴリ [ 僕 ] - 200407223
僕は何をやるにもホンキになりきれないところがある。人間ってのは必死こいて一生懸命のときというのは意外なまでに無様だったりする。みっともないと人に笑われることだってあるくらいだ。僕は常にそれを恐れていて『うわー。必死だコイツ』って失笑されるのが何よりも怖かったりする。

必死で人を愛せない。必死で努力できない。必死で生きられない。

僕は外見も良くないし、人柄だって特別優れてない。全てにおいてデキる男じゃない。そんなのはずっと昔から知ってるよ。言われなくたって知ってる。だけれど、何故か無様晒して必死になれない。無様だと思われるのが怖いから必死になれない。僕はいつもどこか逃げ腰だ。

クールでありたいと願う人々は無様な姿で必死に足掻いている人々を上から下に眺めながら嘲笑う。そう。必死になればなるほど見苦しく滑稽で無様だから。だけれど、本質的な部分でカッコイイのはどっちだろうか。

今の僕はクールを気取ったフヌケだ。実際クールなわけじゃない。全然クールな男じゃない。なのに上っ面だけクールを気取って取り繕ってる。実際取り繕えてるわけでもなくクールになれているわけでもない。そんなの誰が見たって明らかだ。無様な姿を晒して必死こくわけでもなく、クールな男であるわけでもなく、全てが中途半端で何もない。

必死で人を愛そう。必死で努力しよう。必死で生きよう。

僕はもっと無様な男になりたい。クールでありたいと願う人々から嘲笑われても必死で足掻き続けられる勇気が僕にはまだ足りていない。


■カテゴリ [ 僕 ] - 200407225
僕は最近自分のどんなところがマズいのだろうって考える。思考の持っていき方や人との接し方のマズいところはなんだろうって考える。それが何かモヤモヤとしてハッキリ見えなくて、でも何かもう少しで分厚い殻を破けるような気もしてて。

人と接するときに自分らしさを尊重しながら、相手にも居心地のよさを与えられて自分に興味を持って貰えるようにも仕向けられるにはどうしたら良いのだろうって考えた。つまりそれは『自分ならでは』の良さを活かして相手に自分の持っている魅力を最大限にアピールできる方法。何だか僕にはそういった能力があまりないような気がしている。

人を惹きつける魅力ってなんだろう。僕にははじめからそれが存在しないんだっていう、単純で絶望的な結論しかないんだろうか。それとも今頭の中でモヤモヤしているこの気分の先にある分厚い殻を破くことが出来れば『僕ならでは』の魅力を発揮できるのだろうか。それがまだ僕にはわからない。僕は自分にとっても、他人にとっても魅力ある人間になりたいと思ってる。でも、今の僕はそれには程遠いヤツだ。

正直言って僕は自分のコトが大嫌いだ。ルックスから立ち振る舞い方、思考の持っていき方、それらを全てひっくるめた『生き方』まで全て嫌いだ。他の誰かの人生の方がずっとずっと素晴らしいモノに見えてしまう。僕は間違いなく『自分嫌い』だ。

でも、その一方で誰かが自分に興味を示してくれるのを強く望んでいる。自分は自分自身を嫌っているくせに、他人にはそれを好きになって欲しいと望んでいる。虫が良いにも程がある。

面と向かって人と話をする場合、相手に質問するよりも先にまず自分のコトを自己開示してしまうという僕のクセはその現われに他ならなくて、自分で自分を嫌いなままで自己開示して、何故か相手にはそれを愛してくれと望み、自分に興味を持ってくれとアピールしてしまう。

自分嫌いのままで自己開示したってらちがあかないのかな。まずは自分のコトをもう少し好きにならなくてはいけないのかな。もっと自分が好きになれるように何かを変えていかなくちゃいけないのかな。僕は『自分が嫌いな自分』も嫌いだ。

自分の力じゃ変えようもない部分もある。例えばルックスとかね。でもそういうところは『これはこれでアリなんじゃね?』って笑い飛ばせば何とかなるのかな。落ち込んだってどうしようもないのは誰よりも自分がわかってるところは笑い飛ばして自分で認めてしまえば良いのかな。そして結果的に自分の個性として好きになってしまえば良いのかな。

僕は相手に嫌われないように立ち振る舞うクセがある。常にどこかビクビクしてる。相手の様子を伺いながら生きている。相手からするとそれが優しさのように見えるときもあるみたいだけど、実際はそんな綺麗なモノではない。相手のことを思いやっているわけじゃない。何よりも自分が嫌われるのが怖いから相手の出方を見ているだけだ。相手を傷つけないように気を配っているのとは根本的に違ってる。僕はそんな自分も嫌いだ。

自分で自分が嫌いな内はきっと、『自分の持ってる自分ならではの魅力』ってヤツを誰かに伝えることは出来ないんじゃないかな。自分が嫌いなモノを人に薦めるなんておかしな話だからね。でも、今までの僕は『自分が嫌っている自分自身』を誰かに受け入れて欲しいと望んでいた。それはまさに自分が嫌いなモノを他人に薦めているに他ならないじゃないか。

もしかしたら頭の中のモヤモヤしたモノや自分を覆っている分厚い殻の正体はここにあるんじゃないのかな。僕は今そんな気がしてきている。僕の場合、まずは自分を愛さないと何もはじまらないのかもしれない。自分を愛せない人は、きっと他人も愛せないし信じられない。だってそうだろう。自分が嫌っているモノを他人の前に差し出したって自信が持てるわけがないじゃないか。仮に相手がそれに笑顔を返してくれても、その笑顔に疑いを向けてしまうじゃないか。

何だか僕は今まで根本的な部分を履き違えていたような気がしてきた。僕は今まで自分自身の『自分が嫌いなところ』を消去したり、変えていくことで自分を愛するコトが出来るようになるって思ってた。けど、僕の場合はそうじゃないような気がしてきた。まずは自分を愛するコトからはじめないとダメなのかもしれない。そこから結果的に自分が変わっていくのかもしれない。自分を愛するコトを忘れていた。

そうだ。僕は自分を愛せない自分が何よりも嫌いなんだ。そして、自分を愛せないくせに他人からはそれを愛してもらいたいって望んでる自分も嫌いなんだ。その根本的な部分の矛盾がモヤモヤしたモノの正体なんだ。あともうちょっと。あともうちょっとで僕を覆っている分厚い殻まで手が届く気がする。あともうちょっとだ。

自分を好きになろう。

自分の歩んでいる人生を好きになろう。

自分の生き方を肯定しよう。

まずはそこからだ。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040729
自分がどんな人間か相手にわかってもらおうって自己主張するキミ。でもそこにはキミ自身の願望がこめられてはいないかい。こういう風に自分を見て欲しいっていう願望が。キミの言うキミは本当に生身のキミの姿かい。本当にキミはそう思っているのかい。

必死でやってるときのキミはきっと心に暇がないはずだ。とにかく目の前のことで精一杯で、それをこなすだけでグッタリで、出てくるのはため息ばかりで言葉にならない。だけれどそんなときって意外とみんなは必死のキミを感じ取ってる。キミが何かを語らなくてもキミの一生懸命さは伝わっている。主張なんかしなくてもキミの気持ちは伝わっている。

必死でやってると自称するキミはきっと心に暇があるはずだ。目の前のことに精一杯になりきれず、それをこなし切れずにゲンナリで、出てくるのは苦労自慢ばかりで話にならない。だけどそんなときって意外とみんな半端なキミを感じ取ってる。キミが苦労を語れば語るほどキミの中途半端さは伝わっている。主張すればするほどキミの願望は満たされない。

人はキミが思っているほどキミには興味がなくて。
だけれど見てるところは意外と見ているもんで。
だけれどキミが見て欲しいと望むところは見てくれなくて。
願望はあくまでも願望で。
キミの願望どおりに都合よく見てくれる人なんかいなくて。
だけれどキミが頭で考えなくても背中が何かを語ってくれて。
そういうところは意外とみんな見ているもんで。

人はキミという人間を、キミが望むような姿では見ていない。こんな風に見て欲しい、こんな風に評価して欲しい、っていくらキミが望んでもそれは叶わない。それを決めるのはキミじゃない。だったらせめて必死に生きてみよう。だったらせめて自分らしく頑張ってみよう。せめてキミ自身が納得できるよう自分らしく。あとは勝手に背中が語ってくれるに違いない。

他人から自分がどう見られるかなんて意識したってコントロールできないんだからさ。せめて自分らしく、せめて自分が納得出来るように必死でやってみりゃあ良いじゃんか。キミという人間の魅力はきっとそこにある。キミという人間の本当の姿は言葉じゃなくて背中がいつの間にか語ってるから余計な心配しないで自分らしく必死で生きてりゃそれで良い。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040730
僕は最近、人と出会う機会が以前よりも少しずつ増えてきています。以前からの友人と会うことも出来る限り増やそうとしています。そうなったのは自分自身が動いているからに他ならないわけだけれども、長い間、人との交流から逃げていた僕にとってはそのことがとても有難く、そして大切なことなのです。

常に多くの人と出会い、行動的に生きてきた人にはちょっとわからないかもしれないけれど、僕に会うために誰かが時間を割いてくれるという事実だけでも今の僕には猛烈に有難いことなのです。

週末の貴重な時間を僕に会うためにわざわざ割いてくれる。なんてあり難くて凄いことなんだろう。相手が男であろうと女であろうと関係ない。僕との約束を果たすために時間を割いてくれる人がひとりでもいるなんて嬉しいじゃないか。それだけで感謝すべきことじゃないか。

だってそうだろう? 僕という人間を明確に認識し、僕に会うためにわざわざ時間を作り、そして電車なり車なりに乗って約束の場所まで来てくれる人がいる。なんて凄いことなんだろう。誰かが僕を認識して、思い出して、僕と時間を共有してくれる。なんて凄いことなんだろう。なんて有難いことなんだろう。僕はホンキでそう思うんです。

大げさだって笑うならそれでいいよ。けど、長いこと人との交流を等閑にしていた僕にとっては涙が出るほど嬉しくてあり難くて大切なことなんです。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040731
僕はバイタリティーに溢れる人に出会うと、自分のナマっちょろさを改めて目の前に突きつけられるような気分になる。正直それはそれで辛かったりするのだけれど、その反面、とても刺激になりとても素晴らしいとも感じる。人は人との出会いによって必ず何かを得ているのだと思う。自覚があるかどうかは別にして相手から何かしらの刺激を受けたり影響を受けている。

それが失敗であったとしても。
それが屈辱であったとしても。
それが自分と正反対の生き方だとしても。
必ず何かしらの糧になっている。

僕は今日、僕とは全く違う生き方をしている女性に出会った。僕は男で彼女は女であるのだから、異性であるというだけで生き方も大きな違いがあるのはわかっているけれど、それを差し引いて考えても人として僕と彼女は全く違っていた。正反対と思える部分も沢山あった。

それほど僕と彼女は何から何まで違うのに、何故か僕は話していてとても楽しかった。僕は彼女との会話の中で何度彼女ことを『凄い』って言っただろう。本当に凄いって思ったからつい何度も口に出てしまった。

彼女から聞いた彼女の生き方は僕には絶対に出来ない生き方で、彼女は僕には絶対にないバイタリティーを持っていたからだ。僕がくだらないことで頭を抱えて立ち止まっている間も彼女はその溢れんばかりのバイタリティーで様々なコトを経験をしていたのだと思うと焦りのような感情が沸いて来た。僕は今まで何をモタモタしていたんだろうって。

でも、その焦りの中で少し考えてみた。

僕は彼女のようには生きられない。
僕は彼女にはなれない。
僕は僕でしかない。

そう僕は僕でしかない。

彼女のような生き方に強い憧れの気持ちを持ってしまう僕だけれど、背伸びしてみてもきっと僕は彼女のようには生きられない。だけれど、彼女から受けた刺激は確実に僕の糧になっている。だから、僕は僕でしかないということを忘れずに、僕でしかない僕は、僕に無いのもを沢山持っている彼女に対して抱いた憧れの感情を、あくまでも僕として糧にしていければそれで良いって思った。

僕が僕のままで成長するために必要なことは、誰かから受けた刺激によって慌てて背伸びをすることじゃない。別人になろうって慌てることでもない。誰かから受けた刺激を僕が僕なりに糧としてどう活かしていくかってのが一番大事なんだろうって思った。

慌てて背伸びをしてみても、別人になろうって思っても、それはただ自分を見失ってしまうだけ。誰かから受けた刺激を自分なりにどう糧として吸収するか。それが一番大事なんだって思った。

忘れちゃいけない。
僕が僕でしかないということを。
僕が僕であるために。


■カテゴリ [ 僕 ] - 20040801
今年は僕にとって本当に転機の年となってる気がします。状況の変化だけでなく、気持ちの上での変化もかなり大きい。正確には今年と言うより今年の4月以降なので今年度って言った方が良いか。とにかくとにかくここ数年間は全てが止まっていたからね。

大学を卒業してからというもの、ダラダラとバイトして、就きたい職業の為に必要な勉強も怠って、挙句の果てにバイトしながらだと時間が足りなくて勉強が出来ないからって働くのも止めてしまって最悪な数年間でした。

専念するってカッコイイこと言ったって、そういう考え方してる時点でいくら時間があったって勉強に身が入るわけも無く。その上、友人との関わりも殆ど無くなってしまいました。何から何まで逃げっぱなし。

その間にも色々頭の中で考えることだけはしていたけれど、実際に行動に移せたことなどはひとつもなくて、外からの刺激も無くて、同じリングの中をグルグル回っているだけでした。

けど、今は状況がかなり違う。今の僕は人との関わりってヤツに妙に拘っていて、とにかく色々な人に触れたいと思ってる。それは何故かというとここ数年間、全く人との交流が断絶してしまっていたからってのもあるし、実際に新しい環境に自分を投じてみて人との関わりこそが人生そのものであるというのを改めて突きつけられたからです。

今年の4月から仕事を始めて、以前からの友人との交流も再開して、さらに新しい交流にも少しだけ触れてみて、前に進むためには様々な人々と関わっていくコトが不可欠だって痛感してます。

それは実際かなり億劫なことでもあるんだけれど面白いことでもある。自分とは正反対だと感じる人と出会って話をすると無いものねだりで妙にその人が魅力的に思えたりします。当然僕と似たタイプの人もいる。大学時代から仲の良いヤツなんかはそんなタイプ。そういう人もそれはそれで安心感が得られて心の支えになってくれたりするから大事だと思うよ。

僕はね。今まで自分にそういった安心感を与えてくれるような人としか付き合わない、そういう相手じゃないと疲れるだけだ、なんて思ってるところがあって、自分から心を閉ざしてた部分が多大にあったと思う。だけど、今はちょっと逆の方向に気持ちがいってます。

当然、大学時代の仲の良い友人がとても大切な存在であることには何も変わりがないけれど、今の僕には安心感を与えてくれる人よりも刺激を与えてくれるような、僕とは全く違うタイプの人が必要なんです。そうしなければここ数年間に回っているだけだったリングの輪からは出られない。確実に出られないです。もうこんなのはゴメンです。

同性でも異性でも僕とは大きく違う人がいっぱいる。本当に驚くほど違う人たちがいっぱいいる。特に異性は大きな刺激になる。僕は今まで相手が異性ってだけでかなり構えてしまうところがありました。『男と女』という関係が頭をよぎってしまって、別の生き物として身構えて接して、何か壁のようなものを自分から作った上で接してたような気がします。

男と女は別の生き物だ、なんていうコトを言う人もいる。確かに僕もそういう部分はあると思うよ。けど、自分から壁を作って自分から理解することを拒んで、男であり女である前にお互い人間であるってのを忘れてしまっては何も話が進まないよね。

僕に異性の友達が少ないのは出会いが無いからっていうよりも、自分から心を閉ざしてたからに他ならないんだなって今になってやっと気が付いたよ。というか同性の友達も少ないけどさ。性別は無関係でとにかく友達が少ないのは確実に自分が心を閉ざしていたからだよ。だから正確に言うと、友達自体が少なくて、その中で同性よりも強い違いを感じる女性の友達がさらに輪をかけて少ないって話だねこの場合。

今までは僕と似たモノを持った人を探し出すことだけしかしなかったけれど、逆に僕とは違うって強く感じる人々ともっと交流したい。僕が今まで目を逸らしていたそういうところにきっと何かがあるって確信してるから。女性からも色々な刺激を得たい。同性からも同じ男なのにこんなに違うのかってのを色々感じ取りたい。

仕事をはじめたことによって以前と比べて極端に自由な時間が減ったのにも関わらず、僕が目指していた試験の手ごたえが過去に受けたどの試験よりも良かったんです。それは何故なのかって考えてみたんだけれどね。

きっと時間の無さに危機感を感じたからこそ勉強に集中できて、仕事で今までふれたことの無いようなタイプの人たちに接して刺激を受けて、さらに仕事以外のところでも人との関わりを増やす努力をした結果、僕がいる場所が出口の無いリングから前に進むことの出来る一本の線に置き換わったからだと感じています。

僕が今までグルグル回ってたリングの一部をハサミで切ってグイっと先の方に向けて引っ張ってくれたのは、仕事で関わっている僕とは違う色々なタイプの人たちであり、新しく出会った僕とは全く生活の環境を異にする人たちだと思います。

その人たちに出会う為には自分自身が腰を上げて違和感や苦痛を感じるところに飛び込んでいかなくちゃいけない。色々な人たちから受ける刺激がリングの輪を断ち切ってくれるとは言っても『人任せ』って意味じゃなくて、その人たちのいるところに行く為にはやはり自分自身の行動が必要なんだよね。違和感や苦痛や失望を伴う場所に飛び込む勇気が必要なんだよね。

ムカつくヤツでも良いよ。
おかしなヤツでも良いよ。
僕と正反対のヤツでも良いよ。
僕を傷つけるヤツでも良いよ。
僕を陥れようとするヤツでも良いよ。
僕と敵対するヤツでも良いよ。

これからの僕に必要なのは『共感』だけじゃない。
『共感』の枠を超えたところにあるモノに目を向け飛び込む勇気だよ。


■カテゴリ[ 僕 ] - 20040804
人は必ず死ぬ。だけど僕は死を感じながら生きていない。死は全ての人に訪れるモノだと頭ではわかってる。けど実感が持てない。今日一日僕は何をしてただろう。僕は今日を過ごして確実に死に一日近づいたのに、どうして平然としていられるのだろう。

僕はいつか死んで、ただの肉の塊になり、そして燃やされて灰になる。僕は宗教などは全然信じないから、とりあえずは死というものが生き物の終着点だと思っている。死んだらおしまいだ。

もう少し焦っても良いんじゃないか?
もう少し慌てても良いんじゃないか?

僕は一瞬そう思った。つまらなくてやりたくも無い仕事で怒られたりしながら不本意な日々を過ごしている僕はそう思った。だから慌ててここから抜け出してしまおうかって思った。僕は今日も一日ぶんだけ死に近づいているのだから、時間は限られているのだから、もっともっと好き勝手に生きたいって思った。

だけれどちょっと待ってよ。何かのドラマのヒロインが言ってたじゃない。どんな道を選んだのかが重要なのではなくて、選んだ道でどう生きるかが大事だって。そうなんだよね。慌ててここから逃げ出してもきっと何か待っているわけじゃない。きっとそこにも不本意な気持ちは待ってる。ただ漠然と人生は短いからって行き急いでもきっと何も待ってない。

少年のころの自分を思い出してみようじゃないか。僕は何か特別な日々を歩んでたわけじゃない。僕は気弱だけど普通のガキだった。遠い昔の話で、しかも特殊な環境にいたわけでもないのに今でも思い出せる楽しい思い出が沢山あるじゃないか。それは何故か考えてみようよ。

ガキの頃の僕は目の前のモノを素直に受け入れて楽しんでた。
ガキの頃の僕は目の前のモノに何か面白い要素が無いか探してた。
ガキの頃の僕は目の前のモノに目を輝かせて興味を持っていた。

ガキの頃の僕は自分自身で道を選んで進んでたわけじゃなく、目の前に差し出されたモノを吸収するのに手一杯だったけど、その代わりそこから逃げ出そうなんて考えてなかった。自分が置かれた環境で楽しみを見つけて、好奇心を色んなものに向けていた。一日がとても長かった。

僕が通っていた小学校では二時間目の後に20分しかない中休みというのがあったのだけれど、その短い時間にも精一杯外に出てあそんでた。たった20分の休みなんか今の僕には少し一息ついただけで終わってしまうような嬉しくも何とも無い時間だけれど、ガキの頃の僕にとっては待ち遠しい楽しみの時間だった。

要はそういうコトなんだよ。

同じ20分という時間をどう考える?
その20分を精一杯楽しみ、そこに自ら何かを見つけようとするか。
それとも20分しかないって諦めて、最初から全てを放棄するか。

目の前の状況から安易に逃げ出して他のところに何かあるって信じてみても面白いことなんか待ってない。逃げ出す前に目を凝らすことだよ。慌てて急いでみてもきっと色々なモノを見落としてしまうだけだよ。20分しかないって慌ててみてもきっと良い事なんか何もない。20分で何が出来るか目を凝らして、そしてそれをどう楽しむかって考えてみようよ。

ガキの頃の一日が長かったのはきっとそういうコトなんだ。


■カテゴリ[ 僕 ] - 20040810
テレビから流れてくる芸能人のスキャンダルなんかどうでもいい。僕はあなたのことの方がずっと知りたい。その辺の人であるあなたのことがね。仕事で関わった年配の交通整理のおじさん。僕はあなたのこれまでの人生を見てみたいと思った。今日僕に遊園地への道を尋ねたマダム。僕はあなたのこれまでの人生を見てみたいと思った。

僕もあなたと同じその辺の人。だからこそ僕は僕と同じようなその辺の人であるあなたに興味がある。芸能人の面白おかしいスキャンダルなんかより、身近な人にしか注目されないあなたの人生の方がずっと僕には興味があるんだ。僕は僕にしか演じられない僕のドラマを生きている。僕の視点から語られる物語しか知らない。

僕が語る僕は所詮僕自身の都合の良いように語られた僕でしかない。僕から見たあなたは僕のドラマの脇役でしかない。僕のドラマで主人公を演じている僕はとても身勝手で、僕の気分を害する人を悪者扱いにする。都合の良いように解釈する。自分を正当化する為に損な役柄に仕立て上げる。

だから僕はあなたが主人公のドラマを見てみたい。自分以外のその辺の人が主人公のドラマを見る術なんかあるわけないのだけれど、だからこそ見てみたい。あなたが生まれたとき。あなたが苦難にぶつかったとき。あなたが幸せを感じたとき。あなたが後悔したとき。平凡で地味だけど本人にしかわからない深い部分を垣間見てみたい。

あなたの人生は僕とどう違うのだろう。あなたの心は僕とどう違うのだろう。僕はあなたのドラマではどんな役柄なんだろう。僕のドラマに悪役で登場したあなたはあなたのドラマではどんな役を演じているのだろう。僕のドラマに脇役で登場したあなたにもきっと長い長い人生があって、悲しかったり楽しかったり辛かったりした思い出がいっぱいあるのだろう。

それぞれがそれぞれのドラマの主人公。そしてその数え切れないその辺の人々のそれぞれのドラマの断片が僕のドラマを構成してる。いくら僕のドラマでは僕が主人公だと言ったって、他に役者がいなければ物語りは動かない。無人島に僕がひとりでポツンといるだけなんて物語としての意味が無い。だから僕はその辺の人であるあなたのドラマに興味があるんだ。

どんなに一瞬であったとしても僕と一度でも出会ったあなたは僕のドラマの立派な出演者。あなたたちが残していった人生の欠片を僕は拾い集めて僕のドラマを作るんだ。僕一人では僕の物語は作れない。だから、僕はその辺の人であるあなたにとても興味があるんだよ。


■カテゴリ[ 僕 ] - 20040812
僕は音楽が大好きで、中学生の時に音楽を聴くようになって以来ずっと今でもCDショップに行くと何枚もCDを買い込んだりしています。僕にとっての音楽の入り口はいわゆるハードロック・ヘヴィーメタルというジャンルの音楽で、中学生の僕にとっては非常にわかり易くて程よくやかましくて最高にカッコイイ音楽だったのです。

それから高校生くらいの頃までは激しい音楽であるハードロック・ヘヴィーメタルを聴いている自分はとてもカッコイイなんて思ってました。それ以外は認めない、ましてやアイドルの曲なんて聴くヤツはクソだくらいの勢いがありました。だけれど、長い年月を経て徐々に色々な音楽に触れて、それぞれにそれぞれのよさがあることを理解していきました。

僕はよくこんなことをします。お金を出して買ったCDが予想と全然違う内容でちっとも良さがわからなくて、それが今まであまり聴いてこなかったタイプのものだった場合、それこそ一年や二年かけてコンスタントに聴き続けるのです。その音楽の質が高いか否か以前に、自分が慣れ親しんでいなかったタイプの音楽の場合は特にそういうことをします。

だってそれは今まで聴いてこなかったスタイルの音楽だから、僕はそのスタイルの音楽の中で質が高いのか低いのかすら判断できない状態なのです。要はそのスタイルの音楽が一体どんなモノなのか、そのスタイルの音楽のどんなところに魅力があるのかを探るんです。そのスタイルの音楽そのものに慣れようとするのです。

音楽には確実に質の高い低いは存在すると思います。誰もが退屈だと感じるものも確かにありますし、多くの人が絶賛する音楽もあります。だけれど、聴きなれないタイプの音楽を聴く場合は『慣れ』によってその魅力を理解できるようになる可能性があるんです。全ての人が全ての音楽に対してその可能性を持っていると僕は考えています。

未知のモノに触れるとき、誰もが違和感を感じるのは至極当然のことで、その違和感を『すぐに自分には合わないもの』として判断し排除してしまうのは自分の感性を広げる可能性を最初から排除してしまっているような気がしてなんだか勿体無い気がするのです。だから、『こういうの今までちゃんと聴いてこなかったなあ。ちょっとピンとこないなあ。』なんて思ったらとにかくしつこく我慢して一年でも二年でも少しずつ聴き続けるのです。

さて。ちょっと前フリとしては長すぎましたが、僕がここで何を言いたいかというとですね。以上で書いたことは音楽だけに限定された話でもないと思うということです。僕は未知なるモノ全てにおいて、それに接する姿勢次第で何かしらの魅力を発見できる可能性が全ての人に平等にあるって思うんです。それは人間同士でも同じことだと思うのです。

自分とはかけ離れた感性の持ち主、全く違った生き方を選んでいる人たち、自分と衝突してばかりの人たち・・・・・・。そんな人たちにももしかしたら何か見習うべき部分、好きになれる部分、尊敬出来る部分が存在するかもしれない。自分とは合わないとすぐ切り捨てるのは、可能性を最初から拒絶してしまうコトになりはしないか。そんな風に思うのです。

また音楽の話に戻るけども、ピンと来ない音楽に慣れるまで、好きになれるまで聴き続けるという行為は実は結構苦痛で、すぐに魅力のわかった聴きなれた音楽が詰まったCDに手を伸ばしそうになりながらも我慢して聴き続けたりするんですね僕は。それって一見バカみたいだけど、その先にあるものがとても嬉しいんです。『あ!』っていう瞬間が来るんです。ハッキリわかるんです。魅力を掴んだ瞬間ってのが。それが凄く嬉しいんです。

人間に対しても、自分と違いすぎる人と接するときはきっと最初は苦痛を感じるし、我慢しなくちゃいけないことがいっぱいある。けど、その先には何かがある可能性は結構多いように思うんです。僕の場合、音楽で好きになるまで時間がかかったアーティストの音楽は、第一印象が良かった音楽よりも思い入れが深くなります。

人間でも同じ。第一印象が良すぎる人はむしろ付き合ううちにマイナスの要素が徐々に見えてきてしまうことが多く、気持ちが離れ易いんです。けど、第一印象があまりよくなくて色々あった上で徐々に理解しあっていった人はかけがえの無い間柄になったりするんです。どんなモノでも乗り越えるべきモノが多い方が良いのかもしれませんね。

最初に嫌いと思ったモノほど何かあるかもってあえて食らいついてみる。
最初に違和感を感じたモノほど慣れると離れられないモノになる。
最初に壁を感じたモノほどかけがえの無いモノになる。
全てのモノ、全ての人との出会いにはきっと何かしらの可能性がある。

自分自身の世界ってのは自分次第で広げていける。
なーんてことを思ったりしている夏の日の僕なのです。


■カテゴリ[ 僕 ] - 20040815
まずいな。見事に自分を見失ってる。

どこに焦点をあわせりゃいいのかよくわからなくなってる。

ある人が言ってたよ。考えるのがイヤだから自分にその暇を与えないんだって。そしてふと考える時間が生まれるとそれまでの反動でとてつもなく考え込んでしまうからまた慌ててやることを詰め込んで考える時間を消し去ろうとするんだって。余計なことを考えたら負けだって。

僕の場合はやることを詰め込むとそれこそ何が何だかわからなくなる。何かが一度に迫ってくると、『ちょっとまって!』って言いながら頭の中を整理する時間を無理にでもとる。僕はずっとそうしてきた。だけれどそれが良いのか悪いのかもわからなくなってる。頭の中を整理するつもりで考えても、何故か逆に焦点がぼやけていく。どこに目を向ければ良いのかわからなくなってる。自分がどうしたいのかも見失いかけてる。

誰よりも僕自身が納得できるところって何処だろう?
納得できるためには何処に焦点をあわせればいいんだろう?
今僕に必要なのはなんだろう?
少し考えるのを止めてみるのはどうだろう?

そういえば僕は考えるのを止めてみるってコトを忘れてた。余計なことを考えないってどういうことだろう。僕は自分にとって余計なことってのがどんなモノなのかよくわからなくなってる。今の僕は何から何まで頭で考えた上で結論を出そうとしてる。そもそもそれがいけないのかな。

無理に明確な結論を出そうとする。

そこへ思考が進むのが何よりもいけないのかな。何か明確な答えがないと不安なんだよな。もともとそんなモノは存在しないのに、それを探すからどんどん焦点がぼやけていくのかもな。まるでそれが何処かに用意されているように思ってるからどんどん迷い道にはまり込むのかもな。無いものを探すコトほど不毛なことは無いよな。

少し考えるのをやめてみよう。そうすれば結論なんか見つからなくても、その先の道くらいは見えてくるかもしれない。僕は自分で勝手に余計な糸を引っ張り出して絡ませて複雑にしてるだけなのかもしれないな。少し考えるのをやめてみよう。絡んだ糸が解けるまで放っておこう。


■カテゴリ[ 僕 ] - 20040817
嫌われるのを恐れるあまりに相手に気を使ってみる。相手もそれに共鳴するように気を使ってくれる。それで満足ですか? それは優しさや配慮なんですか? 違うよ。それは臆病者の証だよ。そうやって臆病者は相手と同じ極性を持とうとするんだ。上っ面で作り出そうとするんだ。見た目が同じだからって安易に同じ極性を求めるんだ。同じ極性は同じ仲間なんだってね。だからきっと上手くいくはずなんだってね。だけど何故かくっつくことが出来ない。そう。磁石だよ。臆病者が相手に合わせて慌てて作った相手と同じ極性は相手に少し近づけると相手も少し離れてく。それは永遠にくっつくことはないんだよ。一生懸命相手に近づけても同じだけ相手は離れていくんだよ。安易な気持ちで同じ極性を用意したって、磁石のように反発し合うだけなんだ。上っ面だけを同じにしたって反発しちゃうんだ。くっつきたいからこそ同じモノを作り出したのに、皮肉なことにそれが理由でくっつけない。同じに見えるからって安易に同じ極性を用意したってそれは磁石のように反発し合うだけなんだ。同じ極性なんか用意しなくて良いから、その奥にある本当のあなたの姿が僕は見たいんだよ。僕と違ってもいいから。同じになろうなんてしないでよ。違っていい。そのままでいい。僕に合わせようなんて思わないで。違うからこそ引き合うんだ。磁石のように。

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