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■2004/03/01 [ Mon ] - コレといって書くこと無いんだけど
■就職日記以外の文章を書く気があまりしないんだけど、レイアウトなんかは弄る気がしたので色々全体を直したですよ。殆どのファイルの頭のトコにあるタイトル画像を総とっかえ。旧サイトの過去ログの日記の分は『ホーム』って書いてあるところにまだリンクが貼られてないけどその内やります。画像の色使いがケバケバしてて騒がしいから昔のマダファカくらいの薄っすらした感じにほぼ統一。一回気になると直さずにはいられないのだ。

■アクセスカウンターって、少しでも多くの人に見てもらいたい場合はつけたほうが良い場合もあるのかなとか思った。長いことサイトやってて感じたんだけど、アクセスカウンターってその数字の増加に変に拘わる場合じゃなくても、はじめて訪問したときにパっとみて『ああ、このくらいの人が見てるならそれなりに面白いのかな。ちょっと見てみようかな』って、『見るキッカケの最初の参考程度』にはなるよね。過剰に意識するのは変だと思うけど、無意識に限りなく近い感じでそういう風にカウンターの数字をチラっと確認するくらいのことはするかもなってコト。つまり、アクセスカウンターがある程度の数の場合、その数字がさらに人の興味を引き、見るキッカケを与え、そしてまた・・・という風にある程度は初訪問の人を煽る装置にもなるんじゃなかろーか。まー俺はつける気無いけど。

■人間の学習能力ってその人の根本のトコロに近ければ近いほど低いと思う。

■最近音楽聴いてないなあ。

■何に関しても自称すればするほど、外側から見た自分から遠ざかっていく気がする。俺は自分のことを語らずにはいられないし、文章以外の会話でもまず自分のことを話して自己開示してから相手との距離を縮めようとするクセがある。それはあくまでも『自称』なので、自己開示しようとすればするほど頭に『自称』の二文字がついてしまいウソ臭いモノになってしまう。だから外側から見たときの自分から遠ざかっていくような気がするんだけど、結局黙ってられなくて色々自分のことを話し続けてしまい、そしてまたウソ臭くなる。その結果かえって相手との距離が離れてしまったりする。そんな風に自ら悪循環に陥っているような気がするコトが少なからずある。もっと自然に生きられたら良いのになあ。



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■2004/03/02 [ Tue ] - ながーい雑記
【 I 】
泣ける。『僕と彼女と彼女の生きる道』はやはり泣ける。今日の話も非常によかったです。『なんでこんなくだらない仕事してんだろ』みたいに思いながら洋食屋で皿洗いして、しょうもない失敗して『この仕事なめてる?』って見抜かれて、でもリンちゃんにとっては皿洗いでも一生懸命働いているお父さんが大好きで、それに救われて、草薙君のお父さんがやっと大事なことに気づき始めて・・・・って問題がじょじょに解決に向かってきていて後半はかなり泣けた。

今日は、少し微笑みながら目からは大量の涙、という端から見たらとてつもなく不気味な表情で見てました。たまんねーなーおい。『お父さんの洗ったお皿はピッカピカ!』って言ったよこの娘は。そこで涙腺大爆発だよ。一番の大問題の裁判をどういう風にまとめるのか、今から気が気じゃないぜ。RYOはマジムカツクけども、リンちゃんにとっては優しいお母さんなわけだからなかなか難しいのう。今後の予想として、草薙君は料理の道にホンキで進もうとするんじゃなかろーかと踏んだ。

でもこのドラマって高校生くらいの子が見たらあんまり面白くないかもね。逆に色々躓いたり迷ったりすることが多かった大人にはガツーンってくること間違いなし。DVDが出たら買うぞー。でも絶対人と見ないぞー。だって泣くもん。恥ずかしいもん。

【 II 】
今日は歯医者に行っただけで一日が終わった。仕事探しは依然待ちの体勢でござる(今の俺の状況は就職日記みりゃわかるよ)。歯医者はやはり何度行っても慣れる事は無いね。ホントイヤなもんです。三月に入ると予定がわからないから出来る限りまとめて治療してくれって頼んであるので今日は小さい虫歯を一気に4本治療してもらいました。明日はこの前型を取った歯を被せて貰って全て終わります。これからは歯を大事にしよう。出来る限り歯医者は行きたくねえよぅ。

で、今日治療した内の一本は削るとき痛いからということで麻酔を打たれた。歯医者の麻酔の注射って液体が入ってるところがカートリッジみたいになってて、本体は結構ゴツイ金属でできてるじゃんか。あれ良くないよなー。怖さ倍増だよ。打つ前にちょっとピュっと麻酔の液体を針の先から出して、顔にじょじょに注射器が近づいてくるときの恐ろしさと言ったらもう!



ジョジョフォント愛用してます


注射器が近づいてくる時の効果音はマジこんなだよ。

【 III 】
たまに『アイバさんの文章大好きです』っていうメールをくれる人がいます。そういうのって大概匿名だったりメールアドレス書いてなかったりするんだけども、すげえ照れると同時に『こんなダメ人間が書いた駄文のどこがどう良いのかなあ』と純粋に不思議だったりします。むしろダメだから良いのかな。

でもそういうのって考えても自分じゃどこが良いのかわかんないんだよね結局。そういう意見を貰えるのは素直に嬉しいです。だからといって『じゃあもっと良い文章を書こう』って考え出すときっとそういうメールは来なくなる気がします。狙うとうそ臭くなるだけだから。そういう文章は自分でも違和感を感じるしね。

俺が書いているのは文学という範疇に入るようなモンじゃないから、文学として優れた文章の技術なんかいらないし、人を喜ばせようとする必要も無い。もっと良い文章を書こうって頭で考える必要も無い。そんな姿勢で書かれた文章だから、具体的にそこにどんな魅力があるのかなんてわかりません。でも、そういう姿勢で書かれた文章をスキだと言ってくれる人がいるのは何よりも嬉しいんです。メールアドレス未記入の人や匿名の人にはメールで返信してないけど、とてもありがとう。

【 IV 】
上のほうでジョジョの奇妙な冒険のフォントを使ったけども(『OUT OF BASE / ジョジョひみつ基地』さんで配布されているモノです)、最近未読だった4部から6部までを一気に読んでちょっと頭の中がジョジョな感じなんです。リアルタイムでは4部の途中で読まなくなったんだよね。けどその4部が実はスゴイ名作なのな。もっと早く読むべきだったよ。

4部はアクションコメディーであり、ファンタジーだと思いました。もしかしたらジョジョの中で一番面白いんじゃなかろーか。何よりも作者が楽しんで描いてるのが死ぬほど伝わってくるのがいいね。5部も結構面白かった。けど、6部は途中からちょっとついていけなくなってしまいました。6部は作者も描いてて結構苦しかったんじゃないかなあ。6部で一番好きなキャラはアナスイです。

荒木飛呂彦氏の漫画に出会ったのは魔少年ビーティーがリアルタイムで連載されているときでした。生まれてはじめて買った少年ジャンプにビーティーの最終回が載ってたんだよね。妙にハッキリ覚えてるよ。そのときの表紙は確か悪魔将軍と戦ってる頃のキン肉マンでした。そのとき読んだビーティーのあまりにも独特な感触に魅せられてコミックスもすぐ買ったよ。

一番好きなエピソードはビーティーが夜のデパートに化石を盗みに入るお話です。消火器の液とヘアスプレーを混ぜると化学変化がおきて肌がドロドロに溶けるというハッタリをかまして『ケロイドだ!!』って叫ぶビーティーが印象的。夜のデパートというシチュエーションが子供心に凄くドキドキだったね。

今考えると、ジョジョでのスタンドバトルのテイストがあの頃からあったんだと思います。ジョジョでのバトルは基本的に相手との知恵比べ、騙し合い、というのが主軸になってるけど、ビーティーもそんな感じだし、ゴージャスアイリンのコミックスに収録されている読み切りの西部劇のトランプの話や宇宙船でのミステリーなんかも近いもんがあるよね。荒木氏の漫画は初期の頃から絵は変わったけど作風は変わってないと思います。トリックの種明かしがこじ付け臭くて力技なのも昔から。それが良いんだよね。

あと荒木氏の漫画はとても洋画的だと思う。そのテイストは初期の方が色濃いよね。さっき書いた宇宙船でのミステリーの読み切りなんかとてもとても洋画的。ジョジョの中でも『激突』っていうスピルバーグの劇場映画デビュー作のネタがそのまま出てくるし、荒木氏って洋画がホントに好きな人なんだなってのが作品に反映されてますね。今連載されてるスティールボールランも洋画的なところあるしね。

【 V 】
今日みたいな書き方いいな。これからは話題がまとまってない場合はこうやってハッキリ区切って書くことにしよう。それで書きたいこと全部書いちゃうってのが一番楽しい。



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■2004/03/03 [ Wed ] - お知らせみたいなもの
リンクを更新しました。なんか最近昔のことを走馬灯のように思い出すことが多くて(俺、死期が近いのか!?)、ずううううっと昔にリンクしてたのに閉鎖復活移転リニュを繰り返しているうちにウヤムヤになってリンクが消えてしまっていたサイトのことも色々思い出しました。

で、インターネット図書館にて、俺の昔のサイトのリンク集を発掘し、そこからまだ存続しているサイトは無いか探しました。そしたらかなり多くのサイトが閉鎖、もしくは移転か何かで行方不明になってしまっていたんですが、生きているサイトも沢山ありました。そこで、そういったサイトをリンク集に出来るだけ復活させました。一度でも俺と関わってくれた人たちなのでやっぱ大切にしたいじゃんか。もちろん相手方は俺のことなんかすっかり忘れてるかもしれないけど、それでも良いのです。

というわけでリンクスに『なつかしリンクス』というスペースを設けました。やー、なつかしいサイトがいっぱい。残念ながら放置状態になっているサイトもあるんだけどそういうところも載せました。NOT FOUNDになってない限りはね。あと、純粋に見つけ損ねてるところもあるかもしれません。意図的に外してるわけじゃないので『俺のところだけ載ってない!』って怒らずに、ご本人がまだ俺のサイトを見てたなら気楽に連絡くださればすぐ追加します。また交流したいです。

なんつうか、ネット上だけでの交流だと相手方のサイトが行方不明になると存在そのものが無くなっちゃった様ですげえ寂しいんですよね。で、昔交流してたのになんとなく疎遠になっちゃった人たちのことを急に思い出して、急になつかしく感じて、そしてまた交流できないかなと思って、こういうことをしてみました。



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■2004/03/04 [ Thu ] - 雑記雑記
【 I 】
再び気が重くなってきました。

【 II 】
元仮面ライダーか何かの賀集利樹って人が大鶴義丹にしか見えません。

【 III 】
今日、テレビをつけっぱなしにしてたらサラリーマン金太郎がはじまって、そのまま何となく見てたら90年代初期に出てきたハードロックバンドであるところのSTEELHEARTの名曲『SHE'S GONE』が劇中のBGMとして使われてた。何で今更STEELHEART? 音楽担当の人に俺と同じ世代の人がいると見た。思わずCD引っ張り出してきて聴いちゃったよ。でも実はSTEELHEARTあんまりスキじゃないんだよね。一曲目のラーベンイゼー! ラーベンイゼー! は結構好き。ディスクユニオンか何かに行けば数百円でアルバムが売ってると思うのでこの機会にぜひ(えー?)。

【 IV 】
松下由樹っておっぱいデケーなー。でも何故かあまり色気が無いんだよなー。

【 V 】
世界、滅びねーかなぁ。



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■2004/03/05 [ Fri ] - 雑記雑記雑記
【 I 】
風俗に行きたいです。巨乳専門がいいです。最近夜中になると風俗情報サイトをすごい勢いで見て回って、就職決まって給料貰ったら絶対行こうって思うんだけど、その後自慰行為をすると物凄くどうでもよくなる・・・というのを繰り返す毎日です。AVビデオを3本くらい借りてきて1本目のビデオでイッてしまったときに『エロは1本にしてあとは映画にすればよかった!!』って言いようも無い後悔と虚無感に襲われるのと似ています。風俗って行ったこと無いけど、きっと行ったら帰りに『こんなことに金使うならCDでも買うべきだった!』って虚無感に襲われること間違いなし。でも行くなら絶対巨乳専門店です。

【 II 】
AV女優のいとうしいなって今何してんだろう。いいおっぱいだったなあ。

【 III 】
今日、ディスクシステムのゼルダの伝説をやってました。はじめからレベル5の迷宮まで進みました。小学生の時にクリアしたはずなんだけど、微塵も覚えてなかったので初めてやるのと変わらなくて凄く楽しい。やはりゼルダは攻略サイトなどを見ないでも『程よく迷いながら進める』という絶妙なバランスのゲームですね。死ぬほど面白い。あとフィールドのBGMの素晴らしさはゲームの歴史に残る名曲ですね。ゼルダは良いなあ。スーファミのゼルダも面白かったし64のも面白かったし。けどリンクの冒険はあまり好きじゃなかったな。当時買ったけどクリアしませんでした。

【 IV 】
あー。今日は金曜日か。マトモな社会生活を送っている人々は会社帰りに楽しく飲んだりカラオケ行ったりしてんだろうな。あーあー。



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■2004/03/07 [ Sun ] - 無題
【 I 】
ディスクシステムのゼルダの伝説、レベル7までクリア。あとは8と9のみ。レベル6がエライ難しくて何回も死んだよ。レベル7の方が簡単だね。わざと難しいのを先に持ってきてそこで一回躓かせるという作戦なのかしら。というか小学生の時にホントにこれクリアしたのかな。根気の無い子供だった俺がクリアしたとは信じられん。

【 II 】
最近は姪のリノさん(1歳半)が完全に俺を遊び相手だと思っていて沢山大人がいるなかで何故か俺だけを指名して手を引っ張ります。他の人(実の親も含む)が俺のかわりに相手をしようとしても拒否をします。彼女から見て俺は世話をしてくれる人ではなくて完全に友達扱い。今日も寒い中、外で遊びたくなったらしく、俺の手を引っ張って玄関まで連れて行き靴を履かせろと命令されました。まだしゃべれないんだけど靴を俺に差し出すのよね。で、寒いから止めようよーというと目を三角にしてぐずるので要望に答える他ないのです。

1歳から3歳前くらいまでは子供はマジで全く言うことを聞きません。ホント何を言っても自分の思うがままにしか動きません。それはもう仕方が無いんだよね。でも可愛いから我慢で来ちゃう。けどさ。幼児虐待とかあるでしょ。言うことを聞かなくて蹴りをいれたら死んじゃったとかそういうの。それって親が極悪非道なヤツだからって言う人もいるけども、実際その親が前からそういうことを平気でするようなクズだったかというと必ずしもそうじゃないと思うよ。

ホント3歳前くらいまでは子供って言うことを全然聞かない(というか言ってもあまり理解してない)。で、もしその母親が結婚してから引越しなんかをしてて身近に友達も親もいなくて、旦那は仕事で毎晩帰りが遅かったりした場合は、たった一人でそんな大変な子供を見なくちゃいけないわけでしょ。奥さんも働いていれば保育園なんかに子供を預けたりして、仕事に出ている間は子供から離れるからまだいいと思うんだけど、専業主婦だったら相当なストレスになるのは間違いない。毎日毎日子供とだけ接してひとりでそれを抱え込むってかなり大変なことだよ。

リノさんは俺の子供じゃないけど、風邪なんかをひいて一日中家にいて俺や俺の親父がリノの面倒を見ることになったりすることがよくあるんだけど、たった一日でもすんげえグッタリするのよ。昼寝以外の時間は一時たりともじってしてない上に、油断して目を放すと消しゴムを食おうとしてたり、テーブルの上に上がってフラフラ落っこちそうになってたりするからマジ全く目を離せないの。

子育てが原因でイライラして子供を殴ったり、親がノイローゼになって自殺したりすることをただ一方的に親の人間性に問題があるって決め付けるのは確実に間違ってると思う。その母親が置かれた環境なんかにも大きく左右されるから、旦那や周囲がもっともっと『母親』という役目の大変さを理解していかないと解決しないコトだよね。

だから、子育てによるストレスが原因で起こる虐待や親の自殺などをただ一方的に『全くダメな親だ』って言い放つ行為はそれこそ人の気持ちを理解できないダメなヤツのすることです。もちろん子供への暴力自体は肯定すべきものじゃないのは間違いないけど、そこまで追い込まれてしまう親を救うことも考えていかないと解決しない問題だってコト。根は深いんだよね。そりゃマジで人としてクズな親もいるだろうけど、そゆのは別としてさ。

その辺のコトは身近に子供がいるから凄くよくわかるんだよ。結婚する予定も彼女もいない俺だけれども、今実家でリノさんと接していることは将来自分に子供が出来たときに凄く役に立つと思うよ。子育てというのは未経験の人が思うよりもずっとずっと大変で尊敬しなくちゃいけない仕事だと思います。というか一生結婚できないかもしれないので結局役に立たない可能性もあるけどな。嗚呼。

【 III 】
マイルドセブンのタール1ミリグラムのヤツを買ったんだけど、ダメだこれ。1ミリのタバコって吸っても吸っても吸い足りないから本数が増える上に何本吸っても結局満足感が得られません。いくらなんでもこんだけ軽いと深呼吸と変わらない。煙が通る喉越しの感覚も全く無いよ。やっぱし俺はウィンストン。

【 IV 】
明日辺り結果待ちの会社から電話来るのかな。断りの電話はヤダー。ヤダー。



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■2004/03/08 [ Mon ] (1) - 時にはクヨクヨしちゃおうって思った
深夜、アフガニスタンで地雷の被害にあった子供たちに義足を提供するNGOのドキュメンタリーがテレビでやってました。アフガニスタンは豊かな日本に比べて本当にトンでもない状況。ボールで遊んでいて地雷を踏んで足が吹き飛ぶ。日本にいる俺からするとなんとも現実味が無くて非日常的なコトに思えるけれど、アフガニスタンではそれが日常なんですね。

俺は今、平和なこの日本において色々と頭を悩ませています。正直気が重いし色々とこの先のコトを考えると不安になるような状況に置かれています。気持ちがかなり滅入っているというのが正直なところです。そこで深夜やっていたそのアフガンのドキュメンタリーを見て、『俺はこんな平和な日本にいて、安全に生きているだけで幸せなんだ』って考えようとしました。それで何とか気持ちが軽くなるときもあるのだけれど、どうにもそういう風に簡単にいかないこともあるんです。今は後者。

俺の置かれた状況は、そりゃ確かにアフガンの子供たちと比べれば充分すぎるほど幸せなのだけれど、比較の問題ではなく、それぞれの人が置かれた状況によってそれぞれ違った悩みや苦しみ、恐怖、不安などがあるわけです。

例えば中学生が高校受験に挑むときの不安や苦労を大人に熱く語ったとします。それを聞いた大人が『ガキがいっちょ前のコト言うな。社会に出たら不安や苦労はそんなもんじゃない。今にわかる。』なんて言ったとします。確かにそうかもしれないけれど、その中学生にとって目の前にある受験というモノはとてつもなく大きな問題で、大人にとっての仕事での悩みや苦労にも匹敵するモノかもしれない。

例えばある小学生が遊びの中で何か見栄を張ってウソをついたとします。友人たちはそれを証明して見せろと言いました。その小学生は明日それを証明してやるなんてさらに見栄を張ってしまったとします。しかし、それを証明する術は全く無く、明日みんなになんて言おうって頭を抱えてしまいます。大人からすれば何ともくだない話ですがその小学生にとってはそれが目の前にあるとてつもなく大きな問題で、それこそ大人が仕事の失敗を悔やむのと同じくらいの気持ちかもしれない。

そんな風に、それぞれの立場や状況が違えば、それぞれの目の前にある問題を比較してもあまり意味を成さない場合が結構あるんですよね。それぞれが違う立場や状況にいるのにも関わらず、小学生にとっての大問題と、大人にとっての大問題とを直接比較し、『大人のほうが大変なんだ。ガキの悩みなんか下らないものだ』と言ってしまうのはなんか違う気がするんです。

それと同じで、今、『俺が置かれている状況での俺にとっての不安、悩み、恐怖、苦しみ』と『アフガンの子供たちのそれ』を比べるということはナンとも愚かなことのように思ってしまったんです。だから、それらを比べて『俺はずっと幸せなんだ』って単純に思えなくなってしまったんですよね。ちょっと前までは気持ちを前向きにって自分に言い聞かせていたのだけれど、なんというかそういう風に自分を奮い立たせようとしている自分が自分で鬱陶しくなってきたっつうのかな。

アフガンの子供たちに比べれば俺は幸せだ?
だからそんなに気に病む必要なんか無いんだ?

そうじゃない。日本という平和な国にいる俺の目の前にある大きな問題は、少なくとも俺にとっては実際に大問題であり、状況が全く違う国の人々と比較して何の意味があるっていうんだよ。実際に俺がいるのは日本という国であり、地雷を踏む心配の無い国であり、世界的に見れば恵まれた国。でも、そこにいる俺にだって大問題は存在するし、頭を悩ませもするし、ツライと思うことだってある。

そう考えて、この日本という平和で恵まれた国にいたって人それぞれの『大問題』ってのはあるんだから悩んだって良いし気が重くたって良いし憂鬱だって良いって『自分の気が重いという事実』をそのまま認めて、『自分よりもツライ状況に置かれている人と比べて自分はずっと幸せなんだから悩んでんじゃないよ』なんていう風に変に励ますのをあえて止めてみたら逆に気が楽になりました。

『辛いときこそ笑おう』っていうのは良い言葉だと思うし、『幸せは意外と身近に転がっていてそれを見逃しているだけだ』っていうのも良い言葉だと思う。それによって気持ちが良い方向に行く場合も少なくないですからね。でも、そういう風に自分を励まして、自分は生きているだけで充分幸せなんだからこんな小さなことで悩むこと無いじゃないかって自分に言い聞かせて奮い立たせるコトが逆に自分の気持ちを圧迫してしまうこともあるんだなあって気づきました。

上手くまとめられてないから伝わってるかわかんないけどさ。悩んだり憂鬱になったりクヨクヨしたりしている原因が、広い視野で見た場合(例えばさっきのアフガンの子供たちのコトや、もっと大げさに言えば宇宙全体のコトなんかと比較してみた場合ね)、とてつもなくちっぽけでくだらないコトでも、自分にとってはそれが本当に大問題でちょっとやそっとじゃ気持ちを奮い立たせられないって思ったときは、気張って笑顔を作ろうとしたり、自分を励ましたりするよりも、逆にクヨクヨしている自分を自分で思いっきり見詰めて、認めてしまうことの方がかえって気持ちを楽にすることもあるかもしれないな、って思ったんです。

なんつうのかなあ。前向きな気持ちに持っていこうって笑顔を作ったり、自分を励まそうとしたりして、それが良い感じに働くコトもあるんだけど、時にはその行為自体が自分をかえってイラつかせてムカつかせることもあるってコト。だから、そういう時は『クヨクヨしても良いんじゃない? 気が重くったって良いんじゃない? 憂鬱だって良いんじゃない?』って思っちゃって、『他から見れば小さなコトでも自分にとっては大問題なんじゃい。文句あるかコノヤロウ』って感じで、思いっきりそれにクヨクヨしてしまう方がかえって気が楽になったりするんです。

ウーン。伝わってるのかなコレ。上手く表現できてない気がする。。。。



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■2004/03/08 [ Mon ] (2) - 前回の補足みたいの
ああ。前回の文章をもうちょっと簡潔にするにはこう表現すりゃいいのかってちょっと思いついたんで補足を書いてみます。

要は基盤の違うモノとあえて比較して『自分はまだマシだ』って考えるのは時として良い具合に気持ちを立て直す効果があるけれども、場合によってはそう考えると『ちっぽけなコトに悩んでいる自分』に悩んで悔いてしまうという結果になってしまうコトもあって、変なところで悩みをひとつ増やしてしまう結果になり、かえって気が重くなるから、悩んでも良いんだって思った方が気が楽になることもある。

世界全体、宇宙全体の問題なんていうバカデカイものに比べりゃ自分の悩みなんかちっぽけなモノさって思うと、逆に『ちっぽけなコトで悩んでいる自分』が物凄く情けない存在のように思えてきて、それ自体にクヨクヨしちゃったり『こんな小さなことで悩んじゃいけないんだ』って自分を圧迫し、プレッシャーになり、『ちっぽけなコトに悩んでいる自分』に悩むわけ。それで悩みがひとつ増えてしまうわけ。

そんな状態になるくらいなら『そのちっぽけなコト』で素直に悩んじまった方が悩みが一個少なくて済むからかえって気が楽なんじゃねーの?という話なのね。



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■2004/03/10 [ Wed ] - 最悪
勘弁してくださいよー。

っていう書き出しで一回長々と泣き言を書いたんだけど、アップせずに全部消しました。実は今日は就職の面接で、明日も面接があります。今俺は自分のコトでいっぱいいっぱいなんだけど、そんな中、母親の痴呆症が爆発しました。まあ言葉は悪いけど発狂に近い状態っつうのかな。

発狂には波があるので落ち着いているときもあるんだけど、一回発狂しちゃうとかなり手が付けられない状態になるんですよ。で、今日はそれの継続時間が今までに無いくらい長くて、一日の殆どの時間が発狂状態でした。面接に出かけた後もそれが心配で面接を終えたら足早に家に帰った感じでした。

夜中の二時近くまで土足で家の中をウロウロして、家にいるのに家に帰るなどと意味不明のことを言って家の中から鍵がかかっているのにもかかわらずその鍵すら自分で開けられないから『何で閉じ込めるの!』と怒り出し、『首つって死んでやる』と言い出し、全体的にも支離滅裂なコトを言い出します。痴呆の代表的な症状である徘徊ってヤツを阻止すると、どんどんそういった状態になります。徘徊しようとするのを家族が止めたり説得したりしても全く話が通じない・・・・とまあそんな調子なんです。

ひとりで外に出すと100パーセント迷子になるし、そもそも発狂していないときも既に文字もテレビ番組の内容も時計もカレンダーも理解できない状態なので、信号や車に注意することなんかも出来るわけが無いからひとりで外に出すコトなんか出来るわけが無いのです。そんな感じで、仕事探しだけでも胃が痛いのに、それに加えて母親までこんな状況で・・・・ということについて泣き言を書きなぐって特に結論などは無く投げっぱなしで終わらせる文章を一回ここに書いたんです。

発狂した母親はこちらが声をかけると落ち着くどころかどんどん被害妄想状態になったり、怒り出したりで状況が悪化する一方なんで、黙って放っておくしかないのね。土足で、しかも左右は違うクツを履いて家中をウロウロ歩き回って窓やドアから何とか出ようとするんだけど、自分で鍵が開けられない。だからまたウロウロする。そして家族に当り散らす。それの繰り返し。

そうなるともうやらせておくしかないんですよ。落ち着くまで余計なことを言わずに我慢して待つしかないの。文字通り手も足も出ない。今日はそれが夜中の二時まで続いたわけなんだけど、それを放っておいている間に一度部屋に戻ってここに泣き言を書いた後アップはせずに居間に行ってそこで親父と色々話をしました。

母親の痴呆にどう対処していくか、というところから話が始まって、俺のこと、アニキ夫婦のこと、これからのこと、そして今までのこと、家族全員の関係についてのことなど、もうそれこそ人生全体の話題に話が広がっていきました。そこで話したことはあまりにも多くて、複雑な話なので具体的にここで書くのは無理なんだけど、とにかくそういう大きな話をして色々見えてきたこと、気づいたことなんかがありました。

無理に前向きに考えようなんていう安っぽい話の流れじゃなく、自然と頭の中の霧が少し晴れる感触があったのは確か。昨日アップした就職日記にはモロに出てたけど、昨日の気分はここ最近で最悪でした。けど、今日のトラブルと今現在俺が置かれている状況が混ざり合ったコトで、昨日よりもさらに最悪になりかけた気分や考え方が、ふとしたことで逆にいい方向に動いた感触を得たんですよね。

書いていることが抽象的で中途半端なんで何言ってんだかよくわかんないと思うけどさ。なんつうのかなあ。今日はね。『最悪』と感じる状況や気分には自分にとってプラスになるかもしれないヒントが隠されているのかもしれないな、って強く思った日なんです。『最悪』はなにかのヒントをくれる。『最高』よりも多くのヒントを与えてくれる。そんな気がしました。『最悪』ってモノは確かに最悪なんだけど、生きる上で結構重要なモノなのかもしれないなあ。そんな風に思った後、一度ここに書いたただの泣き言を消してこれを書きました。

うん。『最悪』には何かしらのヒントがあるんだ。



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■2004/03/12 [ Fri ] - 今日の出来事
■うんこドーン! 最近ココアをやたら飲んでるので、ココア食物繊維パワーでうんこがドッカンドッカンでます。でも俺が飲んでいるのはミルクココアなので純なココアじゃないです。かなり甘いから飲みすぎはまずいね。本当は純ココアの方を飲みたいのだけれど、純ココアって値段が高いんだよね。

■北野武の座頭市をDVDで借りてきてみました。既に見た映画なんだけどもう一回見たかったので。やっぱり殺陣シーンなどは死ぬほどカッコイイ。あの容赦の無さが心地よい。でも、北野映画特有の『間』がこの映画にも残ってるのでそういう部分は何度も見るとちょっと間延びした感じがするのも事実だなあと思った。総合的には面白いし好きだけどね。

■今テレビで『耳をすませば』がやってます。この映画はビデオが家にあるので何度も見てるけどやはり良い。ホント中学生くらいの子供の生態をよーく理解している人が物語を作ってるって思う。雫が友達に恋の相談をする場面で、自分で相談を持ちかけておいていきなり自己完結して勝手に納得して帰っちゃうトコとかすげえ可愛い。ラストのいきなり『結婚しよう』って発想も子供ならではの飛躍した思考を見事に描いていて顔がほころんじゃう。

あの後二人がどうなったかなんか問題じゃないんだよね。青春の一ページの映画なんだから。だから続きを描いたら絶対ダメな映画だと思う。大好きな映画だけど続編は絶対に作っちゃダメ。あとこの映画が苦手な人の中にはきっと心から嫌いなんじゃなくて、見てて『こそばゆい感じがする』のに絶えられないからって人も多そう。俺はその『こそばゆい感じ』が大好きなんです。他に色々好きなところを書き出すときりが無いくらい好きなんで語るのはそろそろやめておくけど最後にひとつ。このアニメはヘタな実写映画よりもリアリティーがあるって思う。リアリティーがあるから『こそばゆい』んだよ。

■今日は姪のリノ(1歳半)が熱を出して早めに保育園から帰ってきました。リノのママである俺の義姉は仕事をしてて早く帰ってこれないので俺の親父が迎えに行ったようです。で、帰ってきたら結構グッタリしちゃってて義姉が帰ってくるまで俺が抱いてたんだけど、そのままリノは俺の腕の中で寝ちゃいました。いつもは帰ってくると元気いっぱいで走り回ってるのにあんなにグッタリしちゃってて可哀想だった。

で、リノのおねえちゃんであるマホ(4歳半)を連れて義姉が帰ってきたのだけれど、マホは帰ってくるといつもはすぐに義姉と二階に引き上げていくのに今日に限って『おじいちゃんのところにいる!』って言い出しました。じゃあ後で迎えに来るからって義姉がリノを抱いて二階に行こうとするとマホは泣き出す始末。ママもここにいないとダメっていうワガママを言い出しました。

何故マホはリノが風邪をひいた時に限ってこんなことをしたのか。マホのその行動の意図が丸見えなのでなんかすげえ可愛かったです。つまりこういうこと。リノが風邪をひいた→ママをリノが独り占め→すごいヤキモチ→何かワガママを言ってママを自分のところに引きつけよう。間違いなくマホの思考はこんな流れだったと思います。マホはおじいちゃんのところに居たかったわけじゃないんです。ママをリノに独り占めされてしまうのにヤキモチを妬いただけなんです。リノからママを奪い返すための手段として『おじいちゃんのところにいる』と言ったんです。

この行動を見てて思ったけどさ。子供の頃に親に対して何かを誤魔化そうとしたり、今日のマホのように裏に何か思惑がある行動をとった場合、当時の自分としては上手いことやったと思ってたけど、多分全部見透かされてたんだろうね。子供のそういう行動の意図って大人が見ると大体わかっちゃうのね。でも、親は大人だからそれを子供に指摘したりしないでその意図をわかりながらも子供のその作戦にあえて引っかかってくれたりするんですよね。もちろんそういうのを全く読み取ろうとしないバカな親もいると思うけど。



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■2004/03/13 [ Sat ] (1) - ひとつ前の文章の続き
ひとつ前の文章の最後の項の姪の話を書いていて、俺自身の子供の頃の『子供ならでは』の心の動きに関するエピソードを思い出したんでここに書いてみます。姪のパターンとはちょっと違うけど『大人に対する子供ならではの作戦』っていう部分では共通するものがあるかと。これって一回サイトに書いたっけなあ。書いたような気もするんだけどまーいいや。書いたとしても相当昔だし。

閑話休題。

具体的に何歳くらいのときか忘れたけど、とにかくかなり幼いころのことです。小学校に上がるか上がらないかくらいだったかなあ。親と一緒に買い物に行ったときに、俺の目に止まったおもちゃがあったんです。人形が二体向かい合っていてボタンを操作するとその二体がお互いにパンチ繰り出すというおもちゃってあるじゃんか。二人で遊ぶボクシングゲームみたいなヤツね。負けた方がひっくり返るようになってるヤツ。

そういうおもちゃを見た事がある人も多いと思うけど、俺が目をつけたおもちゃはそれのミニュチュア版みたいなものでした。多分1000円もしないような粗末なおもちゃだったと思う。それが発作的に欲しくなって俺は駄々をこねました。親に『こんなの買ってもどうせ遊ばないから。面白くないから。』ってかなり強く拒否をされたんだけど、こっちも引き下がらずに駄々をこね続けていたら何とか買ってもらうことに成功したんです。でもそれを買うときの親は猛烈にイヤそうでした。

そして家に帰って実際にそのおもちゃを弄ったら、親の言うとおり全然面白くなく、『どうしてこんなモノを買ってもらったんだろう』と強く後悔しました。すると、親が凄くイヤな顔をしていたのにワガママを言って無理に買ってもらっちゃったという事実が急に後ろめたくなり、そのおもちゃを持っているという事実も自分にとってナンとも耐え難いコトのように思えました。

親があんなにダメって言ってイヤな顔をされてまで買ってもらった。でもやっぱり親の言うとおり買うべきじゃなかったんだって子供心に凄く悪いことをしたような気分になったんです。そこで俺は考えました。自分の中で沸き起こっている『後ろめたさ』を消し去る方法と、親がイヤな顔をしたことへのフォローの方法を。

しばらく考えた後、俺はそのおもちゃを乱暴に扱ってわざと壊そうとしました。遊んでいるフリをして壊れるような扱い方を何度も何度も繰り返しました。その結果おもちゃの腕の部分が外れて壊れてしまいました。壊れたのを確認した後、そのおもちゃを持って親の元へ行き『壊れちゃった・・・。やっぱり買わなきゃ良かった・・・。』と落ち込んだ風に言いました。

さて、一見不可解なこの行動。そのとき俺は何を考えていたのか。まず、そのおもちゃを持っていることで生まれる嫌悪感を解消するためそのおもちゃを目の前から排除したかったんです。壊れてしまえば捨てても問題が無いからアクシデントを装ってわざと壊したんです。

で、何故わざと壊したのにも関わらず『壊れちゃった・・・。やっぱり買わなきゃ良かった・・・。』なんていう言い方で親に報告しに行ったのか。それは『全て親の言うとおりだった。僕が間違っていたんだ。ごめんなさい。』ってハッキリ言う勇気は無いけどなんとかその意思を伝えたかったからです。微妙に遠まわしにしてそれを伝えようとしたんです。そうすることで自分の中にある後ろめたさを解消しようとしたんです。ごめんなさいってハッキリ言う勇気が無いからそういう言い方をしたんです。

自分の心に引っかかりを作った厄介なおもちゃを葬ると同時に親に対して遠まわしに謝ることが出来るから一石二鳥。そのときの俺の思考はそんな感じだったんです。今思えばそんな面倒なことをしないで素直にただ謝れば多分全てスッキリしたと思うんだけど、わざわざいくつかの作戦を練って遠まわしに自分の意思を主張し、その上自分の中の後ろめたさも消そうとする全くバカげた行動です。でもそのときの俺にはそうすることしか思いつかなかったんですよね。

このエピソードは今でもコトあるごとに思い出すかなり印象的な出来事です。別に大した事件でもないんだけど何故かやたら印象に残ってるの。子供の頃のこういう一見するとワケがわからない行動でも、子供は子供なりに色々作戦を練ってやってるんだよね。しかし何でこのエピソードを今になるまでずっと覚えてるんだろ。自分でもよくわかりません。



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■2004/03/13 (2) [ Sat ] - 本日の出来事
■現在車の運転練習中。コエー。コエー。コエー。オートマ車がいかに楽か痛感しております。マニュアル車コエー。この前の練習は家の前の100メートルも無い直線で真っ直ぐ前に進んで止まり、そしてそのままバックでスタート地点に戻る、という端から見たら怪しすぎる練習をしてたのだけど(だってクラッチの使い具合とか練習したかったんだもん)、今日は家の周り(すっげー狭い範囲だけど)をグルグル回りまくり。

直線ではギアを三速まで入れて曲がるときギア落として・・・っていう練習をしました。少し慣れてきましたが実用までは程遠い。家の周りは車が滅多に来ないかわりにすげーせまくて、クネクネしてるところがあるのでハンドルさばきの練習にもなるので割りといい感じ。エンストしたりギアチェンジの時にガクン!となったりは一回もしなかったのでかなりの進歩ではないかしら。けど一回すげー狭いところで対向車とすれ違うという俺としては超修羅場があったのだけど意外とすんなりクリア。でも変な汗かいたよ。変な汗かいている時点で『すんなり』じゃないんだけど。

■座頭市は前回の文章を書いた後にさらに1回半見てから返しました。『半』っていうのは殺陣シーンだけをかいつまんで一回見た分。面白い映画は何度みても面白いなあ。前回の文章で『繰り返し見ると間延びしてる部分が気なりだした』みたいなことを書いたけどそうでもないや。今日見たときはそんな風には感じませんでした。今日は細かい演出などを見落とさないように注意深く見てたからかな。

映画って一回みたらそれで終わりって昔は思ってたんだけどDVDが普及して、繰り返し見る機会が増えた結果、何度も見ると一回目では気が付かなかった細かい演出に気づいたりして色々発見があることに気づきました。それからは好きな映画は何度でも見たいって思うようになりましたね。座頭市も最初見たときには気づかなかった部分が結構あった。細かいところまでかなり考えて作ってる映画だと思ったよ。今日はこれアップした後にDVDで持ってる椿三十郎でもみようかな。時代劇ってテレビモノは好きなのひとつもないけど映画だと好きなの多いです。

■週末は就職活動もストップしてしまうのでわりと重たい気分にならずに過ごせます。今日は母親の痴呆が酷くなったことを知った母親のお姉さんが家に来てくれた。でもまあ、母親も落ち着いているときは結構普通っぽく話をするので特に問題なく平和でした。お姉さんは俺の母親よりも10歳近く歳が上なのに俺の母親よりも遥かに若く見えます。俺の母親は逆に実際の年齢よりも10歳は老けて見える。

俺の母親は若いときは結構気が強くて頭の回転も速くて、そしてちょっと極端なものの考え方する傾向がある人だった。そういう風にちょっと気迫みたいなものがある人は逆にボケやすいのかなあ。ある程度和やかな性格の人の方がボケにくく、末永く元気だったりするのかなあ。なんて思ったけど人によるんだろーな。

けど、ピリピリしすぎている人は早死にする傾向があるのは確かのように思う。昔住んでいた家のとなりのおばさんがすげー極端な性格の人で怒るととてつもなく怒鳴ったりする人でした。その人が、ある日、朝からスッゴイ機嫌が悪くて怒ってばっかりいたらその日の夜に脳みそがプチーンってなって死んじゃったってことがあった。突然ぶっ倒れて死んじゃったのよね。

そのとき、そのおばさんの娘さんがうろたえて家に来て救急車で運ばれていくおばさんをみたので凄くよく覚えてるよ。その娘さんが『今日の母は朝から怒ってばっかりで、そしたら突然倒れた』って言ってたのよね。やっぱしアグレッシヴもほどほどにしないとプチーンっといってしまうことがあるのかもねー。心に余裕を持つって精神的なモノだけじゃなく健康面でも必要なことかもしれないなあ。あんまりピリピリしてると死んじゃうかもしれないよ。怒りを自分のエネルギーの源にしてる人は気をつけよう。死んじゃうよ。

■最近のサイトの文章は大したことは書いてないけど、やたらスラスラ書けます。もう無意味に何か書きたくて、ワラワラ言葉が沸いて来る。こういうのって波があるんだけど、今はその波がすげえ押し寄せてきているとき。こういうの結構久々かもしれないな。VGAの時はこんなこと殆ど無かったような気がするよ。サイト名をマダファカ!!!に直して、今の形に凄く納得が出来ているから文章を書くことを楽しめるんだと思います。サイトの全体の形に疑問があるとそっちに気が行って文章を書く気がしなくなるんだよね。

■仕事がみつかって、色々落ち着いたら友人とかと会ったりしたいなあって思った。就職試験の勉強に専念だ!って言ってバイトを止めてからホント全くといっていいほど人と遊んでません。ひとりだけ大学の同じ学科だったヤツと連絡を取ってるけど、それ以外は全く連絡すらもしてない。今の俺はマジで友人はゼロに近い状態です。この状態から早く脱したいよなあ。けど仕事が決まらないと身動きが取れないんですよね。ホント、色々落ち着いたらオフ会とかもやってみたいなあ。

■生活がまともな状態になったら、サイトで漫画を描いてみたいです。4コマとかそーいうのじゃなくてちゃんとした連載漫画みたいなのを。随分前にもそういうようなことを書いたけど今でもやってみたいと思ってます。絵には自信が無いし物語も面白いモノに出来る自信は無いけど、絵が下手だから恥かしいってビビってたらいつまでも出来ないからいつかチャレンジしたい。どうせ趣味なんだから下手でもなんでも良いしさ。金とって見せるわけじゃないんだし。大雑把なストーリやキャラクターの案は結構あるんだけどなあ。形に出来る技術が無いんだよなあ。子供の頃の夢は漫画家になることでした。小学生の時に初めて描いた漫画は自分が主人公の『のりちゃんマン』っていうヒーローモノでした。ははははは。



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