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■2004/08/20 [ Fri ] (1) - 恥ずかしいなあもう。
やあ。俺アイバ。

鬱だ。もうだめだ。なんで俺ばっかり上手くいかないんだ。

って考えてる自分が急にムカついてさ。アホかと。別に死ぬわけじゃあるまいし。普通に生きてるじゃん俺。普通に生活できるレベルのお金は貰ってるじゃん。遅くたって21時、平均したら19時くらいには上がってるじゃん。自由な時間も充分あるじゃん。とりあえずそれで良いんじゃね? 目の前にある問題をひとつずつ消化しながら自分のペースで生きてきゃ良いんじゃね? と、ムカついた後にそう考えてたら落ち着いてきたよ。

鬱だ。もうだめだ。なんで俺ばっかり上手くいかないんだ。

っていうのを態度に出したり、誰かに同情を求める意図で言ってみたり、それって相当格好悪いことだという自覚を持てよって言ってた。自分にムカついてるときに出てきたもうひとりの俺が。ホント、気楽に憂鬱だとか言うのは格好悪いよ。人として猛烈にセコイ。もっとそれを恥ずかしいことだと自覚すべきだ。うわ、俺恥ずかしい!って赤面モノだよホント。いい年ぶっこいて恥ずかしいよ。

しんどい時にしんどいと言うのは良いけどさ。それを必要以上に演出するような態度を取ってみたって上っ面の同情しか得られらやしない。それに何の意味があるのよ。そんなんで誤魔化してみたってなんもはじまらないよ。しんどいと言ってる自分を過剰な演出で盛り上げて、自分に酔って、誰かに構ってもらおうなんて、本当に恥ずかしいよな。キモいっつうの。

確かに俺は先日のコトで凹んでるし、ガッカリだし、まいったと思ったよ。それは事実だよ。だけどさー。別に俺は悲劇の主人公でもなんでもねーその辺の人だぜ。ブサイクなハゲがナニ気取ってんだよっつう話。俺は、その辺のハゲなの。わかる? 憂鬱な自分を自分で演出したって絵にも何にもなりゃしねーの。落ち込んでる自分を過剰な演出によって盛り上げてそんな鬱な自分に酔ったって恥ずかしいだけだっつうの。キモイっつうの。

年を食うとさ。色々学んで若僧にはわからないコトをいっぱい経験して、すげー成長して・・・・なんて人もいるんだろーけど、俺の場合、年を重ねれば重ねるほど自分の身の程を思い知らされてる感じだな。それ自体がある意味『学んでいるコト』なのかもしれないけどさ。ホント、俺みたいなヤツが絵になる憂鬱な男を演じられるわけもないのよね。鬱な自分に過剰に酔うってのは身の程をしらないから、とも言えるんじゃねーかな。

今回のことは確かにな。まいったけどさ。まー良いや。死ぬわけじゃあるまいし。
余計な演出を取り払ってみりゃ俺の凹み具合なんてそんなモンだよ実際。



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■2004/08/20 [ Fri ] (2) - わー。
旧URLに復活告知出したとたんにアクセス数が閉鎖前と同じに回復しちゃった・・・。2ヶ月も放っておいたのに驚くなこれは。嬉しいっつうよりちょっとビビるな正直。



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■2004/08/21 [ Sat ] - 違うかもな
なんか違うな。違う。

昨日書いたことなんか違う。後で考えたら、つらいってグチグチ言ってそれがカッコ悪かったとしても、同情を買う為だけにそういうことをしてるんじゃなければそれはそれでいいんじゃないかなって思えた。昨日の文章では落ち込むコトを外に出しすぎるのは格好悪いからやめろって自分に言い聞かせてた感じになってたけど、なんか違うなソレ。そりゃ極端だな。

実はある人が俺にメールをくれたんだよね。そのメールにはつらいときにつらい顔したり弱音を吐いたりするのは確かにカッコ悪いかもしれないし、相手との距離によってはウザがられるかもしれないけど、自然体でいればいいんじゃないか、つらいって言っても、そんな顔を外に出しても良いんじゃないかなっていう感じのことが書いてあって泣きそうになったよ。

俺は昨日書いた文章では凄く強がってた。それは自覚してた。自分に言い聞かせる感じで書いてた。全部『あえて』ああ書いたんだよね。だけれど、改めて『自然体でいいんじゃね?つらいならつらいで良いんじゃね?』って人に言われてハっとした。なんというか、その人に言われたことは、元々知ってるコトだし、ちっとも忘れてないし、いつも考えてる。だけど、改めて人から言葉として言われて、急に鮮度が増した感じがしたんだよね。この場合、忘れてたのを思い出させてくれた、というのとはちょっとニュアンスが違う。

しっかり覚えていて、いつもそのことについて考えていて、わかってるつもりでいても、自分の中だけでそれをずっと保持しているとホコリを被ってしまうんだよな。そこにそれがあるのは知ってるんだけど輝いて見えない。重みが感じられなくなる。だけれど、今回のように誰かにハッキリ改めて言われると、急に被ってたホコリが吹き飛ぶ感じがする。鮮度が増してそして重みが増す。そんな感じがした。

自分を曝け出すコトが大事なんて言ってた人がいた。いいところも悪いところも全部素直に出しちまえばいいって言ってた人がいた。それによって格好悪いとか嫌いだとかって言われても、いいトコも悪いトコも全部ひっくるめて好きだと言ってくれる人も必ずいるって。格好悪いからって、嫌われるかもしれないからって、背伸びして無理して取り繕った結果、上手いこと誤魔化せたとしてもさ。きっと格好いいとか好きとかって言ってくれる人もいなくなる。誰にとっても好きでも嫌いでもないって存在になる。

自分らしさを捨てて、自然体を捨てて、人から嫌われたり笑われたりしなくなっても、それと同時に好かれたり、格好いいって言ってくれる人もいなくなる気がする。誰かに嫌われない人は、きっと誰からも好かれないし尊敬もされない。だって当たり障りの無い存在で、いてもいなくても一緒なんだから。そこにいるのは誰だって良いんだから。

時には自分に何かを言い聞かせて奮い立つ必要がある時もあるだろうけれど、必ずしも全てがそうじゃないよな。俺は落ち込んでたし、つらい顔をしたかったし、泣き言も言いたかった。別にそれはそれで良いんじゃねーかって思えた。それを嘲笑われても、つらいもんはつらいって素直に言っちゃえば良いんじゃねーかって思えた。なんか、肩の力が抜けたよ。

そーいえばこんなこと言ってた人もいたな。俺は俺のサイトの閲覧者に対して『こんな人間が出来てないヤツがやってるサイトの何処がいいの?』って訊く事があるのよね。いや、だってホント、すげー好きだとか言ってくれるのは嬉しいんだけど、同時に何がそんなに良いのかなって不思議に思うことがあるからさ。

そしたらね。『一度書いたことを後で色々考えたら違ってた気がするって認めちゃったり、見てる人からツッコミが入ったときに自分の間違いを認めちゃったりするトコロが正直で好き。そゆとこってあんまりないよ。』って言われたことがあるのね。そゆのが『俺らしさを好きになってくれる人もいる』ってコトなのかもなーって今思ったよ。

そゆ風に、言うことがコロコロ変わって迷いまくって、一度でスパっといかない様子を見てて腹立たしく思う人もいるのは知ってる。けどそれが良いって言ってくれる人もいる。っていうかこの文章自体がまたその系統の文章だよな。迷いまくり、振り回されまくりの部分ってのは人としてあんまり格好よくないけど、そこを含めて好きだと言ってくれる人もいるんだよね。要はそういうことだよね。

あと、人って自分が期待してるほど自分には興味が無い。見て欲しいところは見てない。基本的に自意識過剰気味な生き物だと思うよ人間て。そういう風に基本的には他人にあまり興味が無いのにも関わらず、取り繕ったり、誤魔化したり、背伸びしたりしてるのは意外と見抜いてるんだよね。目立つんだよそういうのは悪い意味で。人って他人に無関心なくせにそゆとこは結構鋭いししっかり見てんだよな。自分だけが人を見てると思ったら大間違いだ。強がってみても、取り繕ってみても、誤魔化そうとしてみても、背伸びしてみても、バレてんだよその多くは。

だから人から良く見られたいと思って人の顔色伺って、そんな行動とってみても結局は好かれるコトには繋がらない。バレてんだから。で、表面上は当たり障りの無い言動しかしないから特別嫌われるわけでもない。なんとも悲しい状況だろうなそれって。だったら嫌われる可能性が増すリスクを背負ってもせめて自分らしく、自分に素直に生きてきゃ良いじゃん。そんな風に思いました。

因みに今はもう強がりでもなんでもなく気分は回復してます。色々話し聞いてもらったから。相手をしてくれる人がいたから。素直に思ったこと話せたから。冒頭で書いたメールをくれた『ある人』、そして長々とお話してくれた人、ホントありがとう。



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■2004/08/22 [ Sun ] (1) - CD買いました。
昨日は何も予定が入らずとても淋しい感じがしたので仕事が終わってから池袋のHMVにCDを買いに行きました。俺が一番好きで、自分にとって特別な存在のENUFF'Z NUFF(以下ズナフ)の新作が出たのでまずそれを手にとってから色々物色。

白装束を来た23人組(だっけ?)の変なバンド、ポリフォニック・スプリーのアルバム二枚と、メガデスのお腹からガイコツ出てきちゃってるジャケのヤツと、ドリームシアターの白黒写真の目玉のヤツなどを購入。メガデスは輸入盤が1280円と妙に安かったので買ったんだけどあんまよくねーなコレ。すげー冴えない。ポリフォニック・スプリーのアルバムは想像してたのと違ってちょっとガックリ。試聴した曲がビートルズっぽい!と思って買ったんだけど、全体としてはそういう曲ばっかりってわけじゃないのね。ガックし。まだ聴き込む価値はありそうだけど。勢いで二枚も買っちゃったよもう。一枚にしとけばよかった。

あと、そのバンドの国内盤ってファーストはワーナーミュージックから出てて普通のCDだけど、セカンドからはエイベックスなのな。CCCDっすよ。殺すよ。なので3曲少ない洋盤を買いました。CCCDはぜっっっったい買わない。特にエイベックスのCDは目の敵にするよ。クズ会社だからね。死んじゃえよ。なんかちょっと前にごたごたしてよねエイベックス。そのまま死ねよ。ヘイブンのアルバムも買おうと思ったんだけどそれもCCCDで、しかも輸入盤までCCCDのしか置いてなかったので買いませんでした。しつこいようだけどCCCDは絶対買わないんだっつうの。

で、俺的メインディッシュのズナフ新譜なんだけど、録音場所や時期がバラバラで音質に統一感の無い内容でした。結構前から彼らのアルバムはそんな感じだから慣れっこだけどさ。前作は音質の統一感はあったんだけど、いかんせん曲がイマイチで全然良くなかった。過去のアルバムで一番ダメな内容だった。でも今度のアルバムは音質はバラバラな代わりに曲はとても良いです。彼らの楽曲としては平均的なモノばかりが並んでる感じだけどいい曲ばっかりなのは確か。前作の数千倍は良いね。ビートルズライクなポップなロックが好きな人はぜひ。

で、今作では旧メンバーのデレクが戻ってきて彼のギタープレイがまた聴けたのが嬉しかった。イントロをちょこっと聴いただけで彼のプレイだってすぐ分かるのは凄い。モナコじゃだめだよ。やっぱデレクだよ。ギターが良いとこんなに印象変わるんだなあ。でも残念なことにデレクは先日死んじゃったんだよね。ドラッグで。しかも倒れてるのを彼女が発見して、彼の手には救急車を呼ぶ番号への履歴が沢山残ってる携帯が握られてた・・・というとてもつもなく後味の悪いエピソードつき。あー。折角オリジナルメンバーに戻るのか!って期待してたのに。

ともかく今回のズナフ新譜『?(←これがタイトルです)』は地味だけどとても良い曲ぞろいなのでみんな買うといいよ。まだ日本でしか出てないよ。というか日本でしか発売できないんだけど。日本のレコード会社しか出させてくれないほど彼らの状況は厳しいんだよね実際。ファンとしてとても悲しい。だからみんな買うと良いよ。



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■2004/08/22 [ Sun ] (2) - 雑記
こんばんわ。アイバですけど。

引越ししました。サイトじゃなくて俺が。母親が元気なときにやってた洋裁店が空き家だったんでそこで一人暮らし開始です。数年前にもそこにひとりで住んでたんだけど、色々あって実家に戻ったんだよね。で、タイミングを見計らってまた戻ってきたよこのボロ屋に。店っつっても今の前の前に家族で住んでた家なので普通の家です。ネットで知り合った人でもここに来た事ある人何人かいるよ。因みにそこはアイバ家の所有物なので家賃はなし。光熱費は当然払うけど。

ボロボロの家だけど一軒家に一人暮らしとは贅沢な感じもするね。まーマジボロボロだけどさ。夏はゴキブリ大王国だよココ。朝方ねずみが屋根裏を走るよ。けど、数年前もここにひとりでいたので非常になつかしい感じ。当時はフリーターでフラフラしてたんで仕事とかそーいうのをもっとちゃんとしようってコトで一回実家に戻り体制を整えるはずだったんだけど、結局あまり自分の状況を好転させることが出来ないままでまたここに戻ってきちゃったなあってちょっと複雑な心境だけどさ。まあ一応仕事は見つけたけどさあ。まーいいや。でもそれは置いといてとにかく落ち着くんだよねココ、ボロいけど。しかも実家からチャリなら10分くらいのとこだし色々良い事が多い。

ビックリマークが一個の時の最初のマダファカの時は殆どこの家から更新してたんだよなあ。だから一人暮らしならではの話題が多かったねあのころは。カレー作り過ぎた!って騒いでたり、千切りマシーンで指の肉削ぎ落として悲鳴を上げてたり、ゴキブリと戦ってたり。やー。なつかしいなあ。あとでその頃のログ読み返してみようかな。あの頃が一番何も考えず日常的なことをネタっぽく書いて更新してた気がするよ。実家にいると楽だけど、一人暮らしも色々やることがあって楽しいんだよね。家事とか嫌いじゃないし。やることは雑だけどさ。

けど、実家での姪二人の騒がしさに慣れてしまったから妙に淋しいなあ。



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■2004/08/22 [ Sun ] (3) - 雑記
引越し作業してたら、おちんちんが折れました。










おちんちん


オーストラリアのお土産のチンコ灰皿。
落としたら真ん中に立ってたチンコが折れて使いやすくなりました。
雨降って地固まる。とはこのことだ。



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■2004/08/23 [ Mon ] (1) - 雑記
んー。なんかやりたいです。ネット上で、ではなく生で。いや、『やりたい』ってそういう意味じゃなくて。あ、誰もそんなコト言ってないか。そんなわけでこんばんわアイバですけど?(何故か疑問形)

なんかやりたいんです。自分が行動するような何か。仕事して、帰ってきて、ネットして、ほげーっと一週間が過ぎちゃうんだもんなー。だからなんかやりたいんだよね。仕事が好きで好きでたまらない人ならそれでもいいけど俺仕事嫌いだし。だからなんかやらないと腐っちゃうよマジ。もう腐ってるじゃないかとか言うな。

で、バンドでもいいなー、とか思ったり。ブランクありすぎだけど完全アマ志向で気楽に出来るバンドなら楽しめそうだしさ。そんでライブなんかやれば色々交流増えたりしそうな気もしたりして。で、洋楽ロックのコピーを普通にやるのも良いけど、もっと間口の広いモノをやった方が楽しいかなとか思って、さっきモーニング娘のコピーがやりたいってメンバーを募集してる人にメール出してみた。けど本人は歌の女性で他は全部募集って形だったからどーなんだろ。果たして人は集まってんのかな。返信くるかな。

けど、モーニング娘のコピーなんて超絶テクがないと出来ない気がするんだけどどうなんだろー。超すげーコトやってたりするんだよなああいうアイドルとかの曲の演奏って。各演奏陣が趣味に走ってたりするから。そんな凝らんでも!ってことやってんのよね良く聴くと。だから第二期タンポポあたりが良いんだよな。かるいポップロック調なんであんまり複雑なアレンジじゃないからさ。ダブルユーの恋のバカンスなんかもロック調のアレンジだから勢いでゴリ押しすればある程度誤魔化せそうだよね。

んー。バンドはとりあえず置いておいてオフ会なんかどーだろ。俺主催でやったことって一回も無いんだよな。けど誰でもコイ!ってのはキツイ。俺の脳みその容量は非常に小さいので大人数と一度に絡めない自信がある。まじ無理。ここんとこネットの人と結構会ったりしてるんだけど、大人数の時はテンパっちゃってダメね。わけがわからんうちに終わっちゃうんだよな。それじゃあ意味ないしなー。だから俺を入れて5人を限度にしたオフをしょっちゅうやるってのも面白いかも。リンク先の人に端から声をかけていくってのやってみようかしら。ドキドキだなードキドキ。

タイトルは『アイバのハゲを撫でようオフ』な。
けど、ハゲはうつるから気をつけろ。

何だかんだ言っても結局独り言チックに書くだけでハッキリ告知出来ないあたりが俺っぽいだろ? ぁあ!?



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■2004/08/23 [ Mon ] (2) - 自己紹介
今更ながら自己紹介します。

■俺はシーマン似のハゲです。

■恐縮キャラって言われたことがあります。

■いっぱいいっぱいキャラって言われたことがあります。

■俺の恐縮いっぱいいぱい具合を『可愛い』って言う女性が結構います。

■多分それが恋愛対象から外された瞬間です。

■いつもそんなです。

■会社でも緊張慌てキャラとして名が通ってきました。

■なんかこう自分に自信が持てません。

■よく考えすぎだって言われます。でもそれは多分ただ単に逃げ腰なだけです。行動できないからとりあえず考えることくらいはしようっていう自分の消極性を正当化をしているに過ぎません。それじゃあいけないって思います。

■けど、すぐいっぱいいっぱいになって恐縮してしまうコトを最近は自分の個性であると受容することにしました。

■『堂々としていようって頭で考えても心が勝手にいっぱいいっぱいになる』 → 『それを気に病む』 → 『それが原因でまたいっぱいいっぱいになる』 → 『はじめに戻る』。と、言った具合に、いくら無理して堂々としようとしても無限ループの悪循環になるだけのような気がしたからです。だからいっぱいいっぱいになってしまう自分を気に病むのを止めようと思います。

■むしろ愛そうと思っています。

■人の心理は意外と見抜けることがあるけど、相手の『自分に向けた感情』になると全然わからなくなります。最近仲良くしてもらってる人に『言わないとわからない人だから言うけど、好きでも何でもない人とまた会おうなんて言わないから』、って言われました。せっかく相手が誘ってくれてるのに、この期に及んで相手がどう思ってるかまだ不安で仕方無くて腰が引けてる俺の心理を相手に見抜かれた瞬間でした。

■以前の俺だったらそれを『ダメなヤツだなあって思われたかな!?』って思って非常に恥ずかしく感じ、自己嫌悪し、『どうしてもっと自信持てないんだろ』って落ち込んだに違いないのですけれども、今は気に病むどころか『俺って結構面白いヤツだな』くらいに思ってます。

■むしろ『俺らしいなあ』と妙に納得してます。いや、だってそれが俺だから。計算なんか全く無しで普通に自然に振舞った結果、そういう風にツッコまれてしまうのが俺だから。それも含めて俺の自然体だから。しゃーねーのよね。背伸びしても無理無理。その辺はどうしようもないのです。だから受容するのです。

■意識しても直せない、コントロール出来ない、どうしようもない部分が誰しも少しくらいはあるかと思うけれども、直そうって意識すればするほど悪循環になってしまうならば、あえて、無理にそれを変えようするのを一度止めてみて、逆転の発想で、それを自分の中で受容してみちゃうのも良いかと思います。その結果、心に余裕が出来て、結果的に良い方向に『いつの間にか』変わっていて、自然体でいられるかもしれないって思うからです。

■無理して直そうとするから心に余裕がなくなってかえって直せない。そうやって無理してるのがまさに不自然体そのもの。そゆときは、一度あえてそれを受容してみると、心に余裕が出来て良い感じになることもあるような気がしています。

■前に『自分にとっての自分らしさが未だに分からない』って書いたことがあるけれども、なんか少し見えてきました。

■こんなコトを公の場で書いちゃうのは自分でもキモイと思います。

■でもキモイのも俺らしさなんだから致し方あるまい。

■恐縮の至り。



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■2004/08/24 [ Tue ] - サイト考?
ああ。こんばんわ。先ほどまでメッセしててその後ウンコしたは良いけど何十回拭いてもウンコが拭き取れなくて意地になって拭き続けていたアイバですけど?(何故か疑問形)

寝そびれた。メッセ終わってウンコして寝ようと思ったんだけど、洗濯物が洗濯機の中に入ったままなのを思い出して干してたら寝そびれた。現在深夜1時38分。やべえ。寝なきゃ。明日ツライ。

ところで最近は『自分らしさとは?』、『人との距離感って?』、『人間関係って?』、みたいな文章ばっかり書いててキモいことこの上ないわけですけど、俺は文章を書くのを目的にしてサイトをやっているのではなく、考えたこと、あったこと、感じたことを『結果的に』文章にして載せているサイトをやってるだけなので、そのときに考えていることに偏った文章ばかりになります。

気分が良い時はそんな感じの文になるし、テンションが落ちてるときはそんな感じになるし、考え込んでるときはやっぱりそんな感じの面倒くさい文章になる。文章を書くために題材を考えるのではなく、題材があるときに文章を書く。ただそれだけです。書きたいことを書くだけです。書くことがなけりゃ書かないだけです。

さっきメッセで話してたコトなんだけど、このサイトに載ってる音楽レビューなんかも同じで、俺はレビューを書くために音楽を聴いてるんじゃない。音楽が好きだから聴いてる。そして音楽を聴いて感じたことを表現したい時に文章にしてるだけです。このサイトにおいて『文章を書くこと』を一番の目的にするときっと息が詰まると思う。すぐ行き詰っちゃうと思う。何故俺のサイトがこんなに長く続いているかっつうと、題材が生まれたときにそれを表現する手段のひとつとして文章というモノを使っているだけだから。そういう意識ならすっごく楽しく文章が書けるんですね俺は。

前に何回か書いたけど、更新が止まったことを見てる人に向けて謝るのって変じゃね?って思うのはそういう意識があるからです。もちろん人を楽しませるのが何よりも楽しいって人もいるでしょう。そういう気質の人は見てる人が楽しんでくれないと自分も楽しめないわけだから、見てる人のニーズを考えながらサイトを作る。それ自体が楽しい。それらならそれでとっても理解できる。

けど、書きたいコトがあるのに、見ている人の評判や意見を気にするあまりに書けなくなるってのはやっぱ違うと思うし、更新が止まったりすることを気にする必要は無いし、ましてや謝る必要も無い。そういうのは自分勝手で良いと思う。

自分がサイトで何を表現したいのかを自分で理解する。
楽しくやるにはそれって結構大事よね。
趣味だからこそ楽しくやんなきゃ意味ないしさ。



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■2004/08/25 [ Wed ] - 振り回される人
振り回されそうになっちゃうんだよなー。

こういう場でウジウジウジウジウジと何かを語ってる俺とは対極に位置する人を見てるとすっげー振り回されそうになるよ。豪快で、割り切ってて、自信が漲ってて、勢いがあって、相手のペースとか関係なくて、自分と合うヤツにさえ分かってもらえりゃ良いよ、答えはそりゃひとつじゃねーけど俺の答えはこれだっつうの、と言わんばかりに振舞える人。そゆ人と話してるとなんかすげー自分がこじんまりしたヤツのように思えてくるんだよな。

バシバシ肩を叩きながら『なにウジウジしてんだっつうの! アホかー! ゲラゲラゲラゲラ』って感じのノリで常に話すから、その人のツッコミに対してすぐ切り返せないで『う〜む〜』と考えている自分がすげートロいような気がしちゃう。気がつくといつも完全にその人のペースになっちゃってるのな。

とても勢いがあって話の持って行き方が力強いから『おまえもさー!自分を変えていかなきゃダメっしょー。』みたいなコト言われて、『そうかな?』と、同意しそうになるんだな。その人は様々なコトに対して自分なりの答えを既に持ってて迷いが無い感じがするから、その人に何か言われると『そういうものなのかな』と納得しかけてしまうんだな。女性に対しては古典的な『黙って俺について来い』タイプかな。

嫌われる人には徹底的に嫌われるだろーけど、多分女性にはすっげーモテるよあの人。あの勢いとか割り切り方とかを見てると俺みたいにウジウジ考え込んだりなんか絶対しないんだろーなって思う。安直な言い方になるけど、モノスゲ男っぽいのよね。因みにその人は職場の人なんで、当然接触している時間もそれなりにあるから、考え方とかがその人に取り込まれそうになるんだよね。

『俺もこの人みたいになれるかなぁ』。

って一瞬頭をよぎってる自分がたまんなくイヤです。マジでイヤだ。この場合、俺がその人のことを嫌いか好きかってのは問題じゃなくて、とにかく取り込まれそうになってる自分がすげーイヤだ。自分とその人を比べてその人と同じ目の高さからものを見ようって一瞬自分の自然な姿勢を崩しそうになる。まあ、完全に取り込まれてしまうことは無いし、本当に自分の姿勢を崩してしまうわけじゃないから、俺が根本から変わってしまうようなことはないけど、振り回されそうになるのは確か。

人を振り回す勢いとか、相手を取り込んでしまいそうになるくらいの自信ってのが良いか悪いかわからないけど、俺は基本的に振り回されそうになる側の人間だから、あの人みたいに常に自分のペースに持っていっちゃう感覚ってどんな感じなのかすげー興味があるんだよね。

自分を変えてそうなろうってホンキで思ったりはしないし、そもそもそんなの無理だってわかってるけど、ああいう人が一体どんな感覚で物事を捉えて人と接してるのか、一度体験してみたい気はするなあ。俺とはビックリするくらい共通点が無いからさ。あの人の目を通してみたらいままで赤だと思ってたモノが青に見えたりするんじゃねーかな。多分俺がこのサイトに書いている文章をあの人が読んだらひとつも共感を覚えないんじゃねーのかな。

けど違うからこそ面白いこともあり、
共感ばっかりでも逆に気持ち悪いだけのこともあるのよねぇ。



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■2004/08/26 [ Thu ] - 鎧を脱いだ後に
鎧を脱ごうって思った。そして装飾品も外そうと思った。そうするコトで生の自分自身を相手に見てもらえると思った。まずは自分のいいところも悪いところも曝け出して、飾ったり背伸びしたりせずに『自分らしく』いこうって思った。曝け出してしまうことでガッカリされたり嫌ったりする人もいるだろうケド、曝け出したからこそ自分を気に入ってくれる人もいるに違いないって思った。嫌われないように人の顔色を伺って過ごしても、それが不自然さを生み、結局人は遠ざかっていく。だったらありのままの自分を拒絶されるのを恐れていないでせめて自分らしく・・・・。


ここ最近の俺の文章は大体上記のようなことを繰り返し書いてた気がするんだけれども、何か欠けてる感じがしてたんだなこれが。なんつうか、まだ何か続きがあるような気がしてたのよね。で、今日『あ!』ってちょっと気が付いたことがあるのよ。もちろんそんなに簡単に完璧な答えなんか見つかるわけがないけれど(というか答えなんかあるのかも怪しいけど)、今日気が付いたことは少しその先を補うことくらいは出来るような気はする。

俺は確かに今、鎧を脱いでると思う。変なところで気張ってないし、以前より増して取り繕うことを止めたと自負してる。鎧を着たままではやっぱり自分に対して誰もが鎧を着たまま接してくるのはもう実感としてわかってるから、とにかくダメなところもいい所も『そのまんま』いこうって思ってる。けど、それだけだとダメな気がしてきたんだよね。そこが今日気づいたこと。

鎧を脱いでも、まだ自分の立ってる位置があまり変わってないのよ。前に踏み出してはいるけど人との位置関係が変わってない。それに気が付いたのよ。鎧を脱いでもまだ相手の真正面に立ってない。斜め横とかにいるんだ俺。それじゃあダメな気がしてきたんだな。距離は結構近くに歩み寄ってるし、鎧も脱いでるけど、真正面から人を見てない。

いくら鎧を脱いだところで、相手から見えにくい位置に立ってたんじゃ、そりゃ相手のレスポンスが分かりにくいに決まってる。自分の相手に対するレスポンスも伝わりにくいに決まってる。その位置から相手をよく見るという行為そのものは出来るけど、その位置からじゃ限界がある。真正面に立って見るよりも制限が多い。そして相手から自分に対してもそれは同じだ。

それじゃあ相手の顔は見難いし、自分の顔だって見せきれない。いくら鎧を脱いでても結局見えにくいところにいるままだ。けど、その代わり、その位置は安心感があるんだよな。相手の真正面にいないぶん身をかわしやすいからね。自分を突き飛ばそうとしてきた相手の攻撃をかわしやすいからね。逆に言えば真正面に立てば相手の顔は見やすいし、自分の顔も相手によく見てもらえる代わりに相手から突き飛ばされる可能性がずっと上がるんだよね。

それをまだ恐れてるんだ俺。鎧を脱いだその後は、人を真正面から見詰め、そして自分も真正面から見せなくちゃダメな気がしてる。鎧を脱いで、ありのままの自分を曝け出して、自分らしくしていても、相手の真正面に出て行けない内はまだまだ変わりきれてないし、根本的な問題が解決しないままだ。要するにまだビビってんだよ。鎧を脱ぐ勇気はあっても、その状態で相手の真正面に立てない。それじゃあ意味無いじゃん。結局はまだ嫌われるのを恐れまくってる。突き飛ばされたくないって逃げ腰でいるまま。

突き飛ばされて、すっころんで、傷ついて、泣きべそをかく覚悟が足りてない。

俺にいま必要なのはそんな部分のような気がするよ。



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■2004/08/27 [ Fri ] - 悶絶。
悶絶っっ!


あぁあぁああぁぁあアああああああぁぁぁぁっぁっぁぁぁぁぁ。か・・・肝心なこと見えてなかったんだ俺。自分のコト語ってるようでいて、実は一番肝心なことを伝え忘れてるんだ。それじゃあ相手の真正面に立てないのはあたりまえだ。

今日、ある人に言われてはじめて気が付いた。こんな当たり前のことなのに。凄く基本的なことなのに。これだけ考え込んでも完全に全く無自覚だったよ。それを指摘されたとき『あああー!!』ってホントに声に出して言っちゃったよ。

俺は人が何を考えているか、自分と比べてどうなのか、相手が自分をどう思ってるのかを一番最初に考えて、それによって相手の接し方を決めてる。いわゆる『顔色を伺う』ってヤツ。それに関しては自覚してたんだけどまだそっから先がある。俺は自分が相手をどう思っているかを素直に伝えることを忘れてるんだ。いきなり相手の気持ちを知ろうとしてる。自分の気持ちを隠したまま相手の気持ちを探ろうとしてる。

自然に振舞っていはいるし、鎧は脱いでいるし、歩み寄ってもいるんだけれど、肝心な部分だけは悟られないようにしてるんだ。相手のことを好きであること。とても気になっていること。もっと仲良くなりたいということ。そんな部分を押し殺して、冷静ぶった顔して、そのままの状態を保ったまま相手が自分をどう思ってるのかをいきなり探ろうとしてる。それによって、そのままその気持ちを完全に押し殺してしまうか、相手に伝えるかを決めてる。それでは相手も俺に気持ちを伝えようなんて気になれないのは当たり前だ。

これは過去に書いてきたコトと同じコトを言っているように見えるかもしれないけど、俺の中では全然違うと捉えてる。俺は相手の気持ちを知ろうとするのが一番に来て、自分の気持ちを伝えるコトが二番目にきてるんだ。単に顔色を伺ってるんじゃなくて、自分のホントの気持ちを悟られるとなんだか相手が自分よりも優位に立ってしまうような気がして、まずは相手が自分を好きだと言うまで冷静なフリをしているんだ。

ホントは俺の方こそ相手を大好きで、信頼していて、もっと頼りたいって望んでるくせに、相手にそれを悟られるコトが悔しいというか恥ずかしいというかそんな風に思ってるんだ。無意識のうちにね。それって確実に間違ってるってハッキリ思った。一番最初に自分の気持ちを相手に伝えたうえでそれから相手の気持ちを知る。それが正しいんじゃないかって思った。

名前を名乗るとき、まず自分の名前を名乗ってから相手の名前を聞く。これって割と常識的なマナーだとおもうけれど、気持ちの部分でもおんなじだ。相手を好きだという自分の気持ちを押し殺したまま相手に好きだと言ってもらおうなんて完全にマナー違反じゃないか。

大きな意味での『自分らしさ』を見てもらうために鎧を脱いで、近くに歩みよって、『ほらこれがありのままの俺だよ』、と言ったって、相手を大事に思っている気持ちや、好きだという気持ち、もっと知りたいって気持ちを最大限に伝えようとするコトを忘れてた。俺はそれを最小限にした状態で相手に好きだと言って欲しいと望んでた。相手が男であろうと女であろうと、俺が相手を慕っている気持ちを伝える努力を忘れてたんだな。

好きだと言って欲しい、じゃなくて。
好きだと伝えること。

まずはそれがスタートなんだよな。



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■2004/08/29 [ Sun ] (1) - 一度整理しよう。
ココ最近書いていた『自分とは? 自分らしさとは? 人との関係とは?』という一連の文章、そしてその間に俺が実際に行動したりしたうえで色々見えてきたことを一度整理してみよう。

■俺は今まで与えられることばかり考えてた。ひとに何を与えてあげられるか。それも忘れちゃいけない。自分が話すことを聞いてもらうのもいいけど、誰かの話を聞きそれを真剣に悩む。そこに明確な答えがみつからなくてもそれはきっと何かしらの糧になる。人の話を聞くというのは必ずしも受身ではない。自分もその話に真剣に向かい合う気持ちがあれば能動的なモノになるんだ。

■背伸びする。今まで俺はそれを漠然と自分らしさを失わせる要素として捕らえてた。ソレ違う。ぜんぜん違う。誰かに好かれるために背伸びするのは自分を見失う大きな要素となるけれど、自分に好かれるために背伸びするのなら大いに結構なんじゃないか? そこから変えていくなら大いに結構なんじゃないか? それが成長するってことなんじゃないか?

■前回の文章で出てきた『ある人』には他にも色々言われた。あまり気に留めてなかったけど、少し経ってからジンワリときたモノもある。それのひとつに『おまえさー。自分に自信がもてないとか言ってたじゃん? だったら立派な人になればいいんだよ』。

この場合の立派な人とは、自分が思う立派な人。誰かにあこがれるのではなく、自分として立派な人。自分として立派な自分。自分が納得できる自分。誰かに立派な人だといわれるのが目的ではなく、誰よりも自分自身に立派だと言ってもらえるような立派な自分。きっとあの人はそういう意味で言ったんだと思う。自分が納得できる自分になるために気張ってもそれは自分を見失うことにはならないし、悪い意味での背伸びではないし、自分らしさの放棄でもない。そう強く思った。

俺はその辺を今までは履き違えてたのかもしれないな。

誰かに好かれるために。評価してもらうために。・・・・・そうじゃなくてさ。自分が納得できる立派な自分になるために一生懸命背伸びしてそこに行こうって足掻くコト。それを忘れずに生きていければ、納得できる自分に少しでも近づけたとき、それが何よりも自分の自信につながるし、結果的に、あくまでも結果的に誰かに評価してもらえるかもしれない。他人からの評価は後からついてくるもの。自分自身からの評価をまず高めていかないと、結局人からも評価されない。好かれない。
その上で誰かに突き飛ばされて、すっころんでも、頭を軽くかきながらすぐに笑って立ち上がれるに違いない。

■頭の中の霧がかなり晴れた。あとはすでに始めている『行動』をさらに押し進めるだけだ。そうして自分が成長していければ良いって強く願いつつね。

■そして思った。俺はひとりで生きていくほど強い人間じゃない。誰かに必ず支えられている。俺を支えている人が俺を支えようと意識なんかしていなくても、俺のことなんか気に留めていなくても、何かしらの関わりの中で、俺を支える要素となる何かを落としていってくれていることだってある。それを俺自身が見つけて拾っていけばイイ。そうやっていつの間にか、誰かの言葉、誰かの笑顔、誰かの悩み、誰かとの触れ合いが俺を支えている。

■相手の目を見詰めよう。そこにはきっと必ず綺麗な輝きがある。好きじゃない人だっているし、噛み合わない人だっている。本当に色んな人がいる。好きな人にも色々な形がある。けど、真剣に人と向き合えば思っている以上にステキな人が沢山いる。人のステキな部分が見えてくる。いやな部分は放っておいても見えてしまうモノだけれど、そこに埋もれているステキな部分を発見しようじゃないか。イイ人に出会えないだって? そうじゃない。自分で見つけるんだよ。自分自身で飛び込んでこう。そこにはきっと。

■理想論だと思った? 青臭いと思った? 現実はそんな簡単なもんじゃないって思った? じゃあ、現実ってなんだろう。自分にとっての理想を持ち、それを少しでも現実に近づけていこうって思わなければ、現実にだって立ち向かっていけないんじゃないか?

『それが現実だよ。現実なんてそんなもんだよ。』なんていうとちょっとカッコイイかもしれない。けどさ。現実を知り、それにぶつかり、挫折して理想を持つことを止めてしまうということと、挫折しながらも自分なりの理想を持ちながら現実に体当たりしていくのとじゃ全然違うんじゃないか? そうするとこで前に進んじゃないか? 俺は理想なんていらない、とは絶対に思わない。

■俺は理想を持ち続ける。



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■2004/08/29 [ Sun ] (2) - 更新情報1
ああ。細かいトコ直してます。トップにじんおもでやってたナウプレイングを載せたり、キュウテキやテキストにじんおもへのリンク追加したり。あと一番の目玉は俺のツラをついに公開したということでしょうか。インフォに載せました。結構モロ載ってます。もういいよ。ブサイクでもハゲでもなんでもいいよ。事前にここを見てる人に勝手なイメージを持たれてオフとかにいくのイヤなんだよね。それだったらもう載せちゃえと。どーせ、何処にいったってこのツラで出て行かなきゃならんのだ。あとリンクも今直してるところです。今日中に直し終わりたい。



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■2004/08/29 [ Sun ] (3)- 更新情報2
で、リンク更新。メチャクチャになってたの直したりした。根本的にリンクの考え方が変わりました。リンク集の頭のところを読めば今のスタンスが分かるかとおもいます。もう全然違う。前とは。『サイト』じゃなくて『人』なんだよな、大事なのは。で、作業しててわけが分からなくなり気味になってさ。同じサイトへのリンクが二個以上あったり、間違えて消えちゃったのとかあったりするかもしれないので気づいたら教えて。コピペコピペで直してたからさー。



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■2004/08/30 [ Mon ] - 雑記
■今日は何回怒られたんだろ? 朝起きて10分後には携帯越しに怒られてたぞ。結構散々な一日のような気が。や、まー、こんなもんっしょ。あっはっは。

■コレを書いている時点(20時40分)で起きてから何も食ってません。何もかもがいっぱいいっぱいで飯を食う余裕がなかったぜぃ。仕事自体が凄く大変って意味じゃなくて、俺が勝手にいっぱいいっぱいになってただけなんだけれど。なんとかなりませんかね、このいっぱいいっぱいキャラ。

■たまにふと全部が面倒くさくなるときがあります。仕事はもちろんのコト、プライベートな部分でのコトもぜーんぶめんどくさー、みたいな。今日は朝からそんな感じになりかけたけれどもギリギリ持ち直したぜぃ。

■怖くてやめちゃえば失敗はしない。けど成功も絶対しない。

■開き直りたいもんだなホント。

■やることなすこと裏目に出てる気がすんだけど?

■まーいいか。

■よくねーよ。

■あっはっは。

■あとでまた書くことあったらこの下に書いてくっということで飯食おう。
さすがに腹減りすぎ。

■食い終わったよ。

■テキスト以外でも更新したいところがあるんだけど時間が微妙。昨日寝るのが遅くて今日起きるのが早かったので早く寝たいんだよなー。なんだか最近時間が足りないって感じがする。基本的には暇人である俺としてはかなり珍しい傾向。俺程度のスケジュールで時間の不自由さを感じるんだからもっと頑張ってる人はホント時間がないんだろーな。最近思うのは、平日の夜をどう活用するかって大事だなと。そうしないと一週間があっという間。休みの日にまとめてやろうとか思うから平日の面倒な仕事の部分が意識の中で『なかったこと』になっちゃうのかも。だから気が付くと一週間過ぎてるのかも。もっと時間を有効につかわないとなー。

■そーいや、子供たちの夏休みもそろそろ終わりなんだね。今頃泣きながら宿題やってる子供たちがいっぱいいるのかな。親に半分やらせちゃったりしてね。絵とかの宿題がある場合にそれを親に任せたら出来上がったのがやたら上手かったりしてバレバレ、とか結構ありがち。

■あ。洗濯物干さないと。まだ書くかも。

■あ。やっぱもういいや。



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■2004/08/31 [ Tue ] - 日常の中で
今日はこんなことがありました。

今俺は役所からの仕事で河川維持工事というのをやってるのです。そう言うとちょっと凄そうだけどその中には清掃とか除草とかも入っていて、俺が持ってる現場はそれなのですよ。結局のところただの河川の掃除や除草なんだけど現場監督は必要なの。

つーかいつの間にか担当になってたんだけどさ。え? 俺なの? 俺の現場なの? いつから? みたいな。で、上流から下流に向かってひたすら移動しながら作業員のおじさん達が掃除をして、俺が上から写真撮ったり指示したりとかそんなんやってます。

それでね。都内の臭い川のくせしてザリガニが結構いるのよ。作業員のおじさんたちが冗談で『ザリガニのてんぷら食うか?』とか言いながらたくさんつかまえてたら、近所の小学校一年生くらいの男の子がおじいちゃんとそれを見にきてね。作業員の人たちがそのザリガニをその子にあげてたの。イヤな顔なんか全くせずにわざわざ作業を中断してロープにバケツつけて上に引き上げたりして。

もうその男の子はザリガニごときでおおはしゃぎですよ。『すっげー!! でっけー!! ありがとーーー!!』って。俺は写真撮るときに必要な黒板(そこに『施工中』とか書いて写真撮るのね)とデジカメを持って川の周辺を歩き回ってたんで、遠くで見てただけなんだけど、『おいおい。作業しろよー』とか考える前にその和やか過ぎる光景になんだか嬉しくなりました。

東京でも青森弁を貫き通している作業員のおじさんたちの言ってることは7割くらいわかんないので仕事の話するときにすげー困るし(え?え?ってコッチが何度言っても同じ調子でしか話さないのでマジ困ること多々)、一斉に勝手なことを言い出して『俺にはまとめきれねー!』っていっぱいいっぱいにさせられたりするんだけど、その光景を見てて『いいとこあるじゃーん』なんて思っちゃった。なんかこっちまでいい気分になったよ。物凄く平凡で地味で大したことの無い光景かもしれないけれど、とってもステキな名場面だと思いました。平凡な日常の中の名場面。

それ見ててさ。優しさとか配慮っていうのはそれが向けられた本人だけに価値があるんじゃないんだなって思ったよ。遠くで見てた俺にもその優しさが届いたもん。俺はとても利己的な人間なので、『自分に優しくして欲しい』とか思ってるところがあるのは否定できないのだけど、誰かの優しさが自分じゃなく他の誰かに向けられていても、それを見ていたり、感じたりするとこっちまでいい気分になるんだよね。

だから、自分への配慮、自分への優しさってのを直接的に求めなくても、誰かが誰かを思いやってる気持ちってのを感じられるのはとてもステキなことなんだなって思いました。第三者にも何かを与えてくれるような気がしてね。誰かの優しさが自分に向いているわけじゃなくても、ただ、たまたま自分がそこにいただけであっても、そういう優しさを持っている人の行動を見てると、俺にはその人が凄く魅力的でステキな人に見えるんです。自分は全く関係ないのに『ありがとう』って言いたくなる感覚っつうのかな。

そんなことを考えつつ自分の役割でイヤな汗をかきながらいっぱいいっぱいになってる俺。現場ではいつもこんなです。



汗だくです。


これでカッコイイとか言う人もいなくなるだろー。だってさー。インフォに載せた写真見て『カッコイイ』とか言う人がいるんだもん。良く写り過ぎてる写真を選んだつもりはないんだけどなー。リアルではカッコイイなんて言われたことね〜もん。だからインフォの写真は選出失敗なのかなぁ・・・。だってそんなトコで良く写ってる写真載せて誤魔化したってオフとかで会ったとき自分の首絞めるだけだろ?

で、わざわざ仕事でいっぱいいっぱいになってるときの顔を自分で接写! 一回ツラ出しちゃえば結構勢いつくよな。あっはっは。これもインフォに載せとこっと。因みに頭にタオルを巻いているのはハゲを隠すためじゃありません。髪の毛が無いので現場で汗をかくとダイレクトに目に汗が入り『目が!目がぁぁああぁぁぁあ!』ってなるからです。うーん。自虐度が『自虐系』って言われてた頃よりも増してる気が。まーいいや。自分を変に良く見せようとしたって無駄っつうのを最近痛感してるんでその開き直りからこんな感じになってます。

しっかし目がイってるなー。



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■2004/09/04 [ Sat ] 〜 05 [ Sun ] - 無題










































少し、深呼吸しよう。



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