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復活後 L O G - 2012年03月

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■2012/03/01 [ Thu ]
ちっす。俺、アイバ。

インフルエンザによる休暇3日目。ほとんど治ってるんだけど会社には出てくんなって言われているから相変わらず休んでるんだけど、もう篭っているのに我慢できなくなって思い切りお出かけしてきちゃった。

千葉方面まで高速で出かけてきました。そこでメガネ買ったり子供にクレーンゲームでミニカーのセットとラジコンとってやったりとか。休んでるのに遊んでていいのかなぁと後ろめたい気持ちがありつつも、まぁいいかと思いつつ。

普段は本当に俺は家にいません。出勤して数日帰ってこれないなんてざら。だから休みのときは子供となるべく遊んだりしようとは思ってるんだけどさ。3歳も後半の方になると自分自身の欲求とかそういうのがちゃんとしっかり前に出てきて、子供としての本能的な好奇心とかいうよりも、本人独自の我が前に出てくる。

だから遊んでやろうとカッコいいこと言いつつもいざ接してみると一筋縄ではいかないんだよな。もう振り回されっぱなし。子供の話題に乗っかってみようと手に持ってるミニカーをさして『カッコイイじゃん!それちょっとみして!』と言ってみると、ダメーと一喝されてしまったり、何かが出来なくて困っている様子を見てパパがやってやると張り切ってみると、ママにやってもらうーとフラれてみたり・・・・。

特に出掛けたりしたときは相当制御や対応が難しい。変にテンションがあがってたりするからね。フリーダム度があがってしまうんだよね。まあ子供は基本フリーダムだよ本当に。フリーダムに振舞う子供をどう制するか、どう接するかってのは小さな子供をもつ親には大きなテーマだと思うんだけどさ。

最近はよくマニュアル化されたくだらねぇ育児論みたいなもんをしたり顔で語るやつらが多いけど、本当にそんなに綺麗に育児が出来るなら誰も苦労しねぇよ。たとえば『叱らない育児』とかさ。マジで言ってんの?とか心底思う。

前に犬を飼い始めたときに、やっぱりなかなか言うことをきかないからペットの本や雑誌をみたりしたけどさ。今振り返っても本当に犬を飼って苦労した人間が書いた記事とは到底思えない『頭でっかち』の記事ばっかりで、役に立ったものなんかひとつもないです。

それが出来りゃ苦労しねぇ!それが出来ないから困ってんだろうがぁ!

て、文章ばっかりなんだよ。

人間の育児の場合も同じだよホント。綺麗なことばっかり書いて、ましてや『叱らない』だなんて本気で言ってるとしたら正気の沙汰じゃないよ。そういう記事を書くヤツに、お前は本当に育児をしたことがあるのかと問い詰めたい。

確かにね。それで上手くいく大人しい子供もいるかもしれないけど、全部が全部そんなもんじゃねーよ。相手は生身の人間でしかも未発達の暴れん坊なんだもん。だからこそ子供なんだもん。

俺がそういうきれいごとばっかり並べる育児論が嫌いなのは、『それが出来ない親はダメ親』的な遠まわしな批判になっている場合が多々あるから。直接的にそう言っていないにしても、本当に苦労して悩んでいる親がそれを見たとき、自分は叱ってばっかりだと本当に不安になるし、自己嫌悪になってしまうんだよね。

もちろん個人差があるのを前提としてちゃんと色々なケースを知った上で語っている人もいる。そういう人にはちっともイラっとしないよそりゃ。ただ、特に個人のブログとかで自分の育児がいかにスマートで理想的に出来ているかを自慢するような、それでいてそれが出来ない人を見下すような、そんな文章を見ると本当にイラっとするよ。

だってオマエそれ。自分の都合のいいことしか書いてねぇだろ?

都合の悪いことなんかわざわざ書かねぇだろ?

だから、もし、素晴らしい育児をしている風な記事を載せているブログとか見て、自分の育児は理想どおりに出来てない、自分はダメ親なんじゃないだろうかと悩んでいる人がいたのなら、それは全く気にする必要はないと思うよ。

素敵ブログママの素敵育児日記なんか、自分の都合が悪いことなんか絶対書かないんだから。素敵っぽい部分だけを抽出して書いてるだけなんだから。

あとさ。いろんな育児論のその本当の意味での結果って、20年後とかにしかわからないわけだよね? わかったような顔していろんな育児論が語られるけど、20年後の姿がそれによって素晴らしいものになったという結果が示されたものなんかひとつでもあるか?

長い目で見たとき、理想論で語られる育児にどれだけの意味があるのか、ちょっと自分の頭で考えてみりゃわかると思うけど。

ある本で、こんなこと言ってる変態がいる。

『怒鳴りたくなったら深呼吸して無理やりにでもほめる』。

つうかさ。それが出来れば誰も苦労しないんじゃね?

そんなに仏様みたいな人なら悩んだりしないんじゃね?

親だって人間だし、毎日子供と向き合っている母親は特にそういうことが冷静に出来ないからこそ苦労してるんじゃねぇの? 頭ではわかってるけど心がついていかないから苦労してるんだろ?

もっと言えば、叱ってダメなら褒めてみようなんて相当のバカじゃない限りは多くの人が試すことじゃねぇ? 褒めても意固地になって全く話を聞かなくなってしまったりして、褒めようにも褒めようがない状況になったりするから苦労するんじゃないの?

子供に語りかけるとかさ。それが出来ればとっくにやってるっつーの。こちらが語りかけようとしても子ども自身が受け入れ態勢を持てなくなってしまっているという状況も相当多いからこそ苦労するんじゃねーか。子供は大人が思い描くほどわかりやすく行動してはくれない。

だからこそ『それが出来りゃ誰も苦労しない』って言いたくなるんだよな。


スマートじゃなくても、這い蹲っていても、なんでもいいんだと思う。


ただ、頭で導き出したんじゃなく、心が持っている子供への愛さえありゃそれでいいんじゃねーのかな。と思うんですよ。



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■2012/03/02 [ Fri ]
こんばんわ。一日雨だったわ今日は。子供が昼寝をしたためなかなか寝なくて0時近くにやっと寝た。やっといまから自由時間さね。

相当長いこと他人様のやってるサイトを熱心に読むってことをしなかったんだけど、このインフルエンザ休暇で結構色々読んでた。昔見てたサイトでまだ生きてるトコとか、もしくは昔見てたサイトの人が現在やってる別のブログとか。そっから色々気づかされたよ。

昔好きで見てたサイトの人が形を変えて今やってるブログ見てても、取り扱ってる内容はかなり違っているのにその人らしさってのが出てる文章はやっぱり面白いんだよ。ブレがない文章っていうのかな。それは単純にその人なりのしっかりした考え方があるのが凄いっていう安っぽいニュアンスとはちょっと違う。

変にこびたところがぜんぜんないっつーか、本当に思ってること好きなこと書いてるだけなんだろうなというのが伝わってくる文章っていうのかな。そういうのって凄く魅力的なんだよね。取り扱う話題は当然その人がいる環境や年齢が変わってるから昔とは違うものなんだけど、間違いなくその人だなっていうのモロにわかる文章が俺はやっぱり好きです。

昨日のテキストで触れたけど、育児の話で出てきたうそ臭いママブログの例とか、ウソ臭い育児論の話とか、俺の癇に障る理由って多分そこ。媚びてんだよなどっかで。自分がこう見られたい、こういう風に評価されたいっていう安っぽい願望みたいなもんが垣間見える文章って読んでてイラっとするんだ。

文章だけではなくて、日常の中でもそういう媚びた部分って隠しても出ちゃうもんなんだよな。媚びれば媚びるほどうそ臭くてその人なりの魅力ってのが下がっていく。気に入られたい、評価されたいから媚びるのに、それが原因でうそ臭くなるっつー皮肉。だから育児のことで言えば自称『いくめん』、批評なんかの文章で言えば自称『毒舌』ってのもそれと同じ理由で癇に障る。

いや、それって自分で言っちゃダメだろ。

あとはアレだな。自称『不思議ちゃん』とか自称『変わり者』。もうウンコ漏らすほど薄ら寒いよ。自分が変わってることをステイタスにしている時点で既に凡人だという皮肉。

自分の心の声に素直に反応出来てそれに従順でいられる能力ってすげぇ大事。誰かに媚びることなくね。俺は正直言って割とすぐブレるんでそれって俺には結構難しいことなんだけど、出来るだけそうありたいもんだと思う今日この頃っす。



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■2012/03/03 [ Sat ]
インフルエンザ休暇は今日がラスト。

今日の昼くらいに上司から電話があり明日の夜勤から復帰出来るかと言われて出ることになったので予定より1日早く仕事復帰。明日は昼くらいから会社に行っていなかった間に仕事がどうなったか様子を伺う予定。

子供を寝かしつけた後に自分の部屋に戻って色々趣味的なことやろうと思ってたんだけど、映画のライアーゲームを21時半くらいから観始めて最後まで観てしまい良い時間になってしまったわ。ドラマは全く観てないし映画も最初の30分観てないけど、面白かったです。

ただ、ああいう騙しあい的な物語の場合、あそこまで大団円に終わると逆にモヤモヤしてしまうのは、やっぱりバッドエンドの映画を観すぎてるせいかなぁ。最後はもっと衝撃的な事実がわかって『そ!そんなぁ!!』みたいな感じで悪いやつが全部状況をひっくり返して終わる方がしっくりくる気がしてしまう。いや、面白かったんだけどね。

それはまあいいとして、今日は子供とスーパーで買い物をした時に珍しく上手にヤツをコントロールできた瞬間があった。子供と出掛けたりすると常にフリーダムなヤツの行動に翻弄されてしまうことの方が多いけど、今日はちょっと上手いこといった。

今日はどうやったかというと、スーパーで勝手に動き回る子供に対して色々怒ったり怒鳴ったり制したりするんじゃなく、俺の方が何にも分からない風に振舞うのが基本姿勢で接したのよね。

『あれ?あれはなんだろう?見に行ってみようぜ!』とか『あれー?これわかんないやー。ゆうくん、わかる?これってなに?知ってる?』とか『どうしよう。見つけられないよぅ。ゆうくん手伝ってくれる?』とか『やばい。ママとはぐれた。ママを探さなきゃ。ゆうくん、どっちいく!?あ!こっちかな!』とか言いながら、実はこちらが行きたい方に誘導するという方法。

つまり、『自分は頼られている!』という風に思わせて『まかせといて!』という気にさせ、実はこちらで行きたい方向や売り場に誘導するの。平たく言うと『乗せる』のよね。今日はたまたまヤツの機嫌が悪くなかったので上手いこと誘導できた。こちらも助かるし、子供的にも頼られているということに気分が良くなるので非常にいい感じに買い物が出来た。

でも、こんなのいつも必ず通用する方法じゃないんだよな。機嫌が悪いときはそもそもこっちの話聞かないし。昨日はモロそんな状況に陥った。

昨日は子供が夕方に2時間くらい寝ちゃったんだけど、起きたとたんに機嫌が最悪で意味不明に大泣き。抱こうとしても拒絶。足をじたばたさせて暴れるわ、凄い声出すわで手がつけられない状況に。

昼寝の後とかによくそうなるんだけど、一度そうなると数時間泣きっぱなしで、何を訊いても、何をしても『ダメ!』、『イヤだ!』、『こないで!』、『触らないで!』しか言わなくなる。昨日もそれ。

こちらとしては夕方で色々やることがあるわけで、なんとかしなきゃいけないけど本当にどうにもならない。ちょっと放っておいてみようと離れてもそれはそれで気に食わない様子で凄い奇声をあげるし、近づけは来るなと奇声を上げる。

多分、泣いてる本人もなんで自分が泣いてるかわかんないんだよね。そこで、叱らない育児の理論だと、根気よく待つ、とか根気よく語りかけるとか言い出すんだろうけど、そんなことしてたら何時間立ち往生するかわかんないわけ。

理想論を振りかざす人が聞いたら凄い軽蔑するんだろうけど、昨日は首根っこつかんで押入れに入れるような素振りを見せたりしてちょっと子供をおどかすようなことをした。そうすると瞬間的にはもちろん状況は悪化するんだけど、それを境に一瞬子供の心理にも変化というか、隙みたいなもんが出来る手ごたえがあるんだよね。

ただ待ってても何時間も泣いてるから、状況にちょっと刺激という変化を与えて意固地になっている上に混乱している子供をわざと揺さぶるっつうのかな。それを何回かやった。押入れに閉じ込めようとする素振りをしたり、鬼に連れていってもらおうかと言いながら玄関の方に連れて行こうとする素振りをしたり。

それを何回かやっていたら少しずつダメとかイヤとか以外の言葉をしゃべろうと努力をしはじめた。その瞬間を狙って語りかけた。『何で泣いてるのか自分でもわかんないんだよね?深呼吸してみ?』とかって言ったかな確か。

でも、それもそう簡単に聞き入れてくれたわけじゃない。何度もおどかすのをやって、一瞬黙りかけたところに話しかけて、でもまだダメで・・・を何度も繰り返した。

それでやっと泣き喚くのが途切れる時間が長くなってきて、まともに語りかけられる状況になるのはそれからだったよ。そこに至るまでは理想論とは程遠い肉弾戦。スマートなんて言葉とは程遠い必死の駆け引き。それを経てやっと話せる状況を無理やり作り出した感じだよ。

マジ、根気よく待つとか、根気よく語りかけるとか、そりゃ出来るときもあるだろうけど、常にそんな綺麗ごとで丸く治めるのなんか怪獣相手じゃ無理だっつうの。

それが街中だったら尚のことだよ。あの奇声を発している状況でそんなに気長に構えていたらそれこそ大変だよ。たとえば電車の中なんかで、奇声を発して暴れる子供に優しく語り掛けて気長に構えてたらどうなるよ?

電車の中とか街中で子供がフリーダムに振舞っている様を険しい表情でみながら怒鳴ったりしてる親を見たとき、自分がまだ独身だった頃はあんな親にはなりたくないもんだとか思ってたけど、今ならそういう親の気持ちがすげぇ理解できる。

親だって怒鳴りたくは無いし、険しい表情したくてしてんじゃないんだよな。本当、日々、怪獣との戦いは甘くないっすよホント。



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