■[ 第一日目 ] 2003/09/22 [ Mon ] |
洒落にならん! ということでね。俺は現在とある就職試験に挑戦中なのですが、まだ受かりません。昨日が9月の最後の試験だったのですが全くできず。ホントにやばいです。
就職試験の職種は何かっつうと・・・一応伏せとく。公務員、とだけ記しておこう。旧サイトで一回思いっきり書いちゃったんだけど、あんまり具体的に書きすぎるのもちょっとヤダな、と思ったので。旧サイトから見てて知ってる人は黙っててくれたまえ。
んで、刻々と迫っています。何がって、そりゃ年齢制限っす。就職というのはやはりある年齢以上になると本当にヤバイ。もちろんそれは俺の受けている試験も同じ。恐らく次の試験がラストチャンス。
そこで今日から毎日更新の就職日記を記して日々の俺の生活ぶりをあえて晒してみようと思ったわけです。誰かに俺の生活ぶりを晒すことで怠けてると非常に恥ずかしいぞ、ということで自分を追い込んでいこうという試み。
まー、こんなの関心が無い人が殆どだろーけど、俺の気持ちの問題ね。そんなわけでこのスペースは他のテキストとは全くの別枠として存在しているのでネタっぽいのとか読んで面白いのとかはまったく意識しないで書くつもり。ただの箇条書きだったりすることもあるかと思われます。
ここの趣旨を説明したところで本題に。今日は一回目の日記なので激しく長め。俺の今までの反省とこれからの方針を書く。
一次試験は5月と7月で2回連続で通ったのだけど、両方とも二次落ち。ハッキリ言って『たまたま』通っただけだろう。
そりゃ大学を卒業してからの数年間の『まったく勉強せずにダラダラとバイトして過ごし、試験日が来ると一応受けてた時期』とは比べ物にならないほど勉強したけど、俺の網羅している範囲が実際の試験の範囲には全く足りてないことが発覚。
だからたまたま解ける問題が出たときは何とか受かるけど出るところが少しズレたら全く出来ないこともあるわけだ。しかも受かっても『無難に受かった』とは到底言い難く、おそらくかなり下位で受かっている。最終合格の選考は一次と二次の結果を総合的に見る、というのが通説だから一次をギリギリの成績で突破してもやっぱり最終的には受からないのだろうな。
教育実務出版の通信講座のその職種用教材はだいたいやったけど、あれじゃあ全然足りないんだな。それが何度か受けてみて強く感じたことだ。憲法は判例がバリバリに出るんだもんな。あの本には判例を絡めた解説なんか全く載ってない。そして数的処理や判断推理は問題数が少なくて全体的にヌルい問題が多く載ってるから何度やっても実践的な力がつかなかった。
ネットでその職種に受かった人のサイトを発見したので興味深く読んでみたところその人の勉強量は俺のやった量とは比べ物にならなかった。すごい量をたった三ヶ月でやってた。そして『これだけやれば簡単に受かる楽な試験だ』と書いてあった。確実に受かるために地方上級用の問題集を使ったとも書いてあったな。
そのサイトの人が実際に使った本が一覧になってサイトに載ってたので、それを参考しつつ本を買いに行った。それを使って次のラストチャンスに向けて根本から勉強法を見直すことにした。買ったのは、判例が載ってる憲法の本、地方上級用で問題数も充実している数的処理や判断推理の本、時事の本などなど。3万円近くかかったよ。
人文科学や社会科学などの知識分野の方は難易度のアップを目的をして本を買ったのではない。目的は知識の範囲を広げることだ。その分野は知ってりゃ出来るモノばかりなのだけど、今までの俺の勉強じゃ範囲が狭すぎた。だからこれから数ヶ月の間に範囲を急激に広げる必要がある。
とにかく憲法では判例がやたら出たし時事問題も多かった。その辺は知らなきゃ絶対に出来ない。だから多くの本を読んで知る。この手の試験は細かい固有名詞などの暗記はあまり意味が無いんだな。
今までは前述した実務教育出版の通信講座の教材だけをしっかり覚えれば受かると思って赤のチェックペンで線を引いて緑のシートでそれを隠して暗記してた。その教材は試験範囲の最低限のことだけをなるべく少ない量でまとめてあるので記述が断片的。だからちょっと突っ込まれるともう解けなくなってしまう。
実際の試験ではそのような断片的な情報ではまったく歯がたたないことを身を持って知った。完全に見当違いをしてたようだ。
例えば憲法。俺は大体の概要は勉強したので知っている。だけれど、実際の試験では問題の選択肢に具体的な判例がズラリと並び、その中のどれが憲法違反になるか、という風に出題される。
俺は判例に触れていないために、憲法の概要を知っていてもその判例がどういった理由で憲法違反なのかと推理して解くしかなくなる。問題によっては推理も出来ないような判例もある。
判例が出題されるのは地方上級の行政職などの専門試験の憲法だけかと思っていたけど、実際には俺が受けている職種の一般教養の試験でも出るらしい。コイツにはまいった。だから試験のたびに無理やり推理した上で答えを選び『微妙だなー』とか思いながら試験に臨んでいた。それじゃあ全くダメだ。
数的処理、判断推理はどうしたって解くのにある程度時間がかかるから、憲法などの『知ってりゃ即答』の分野でいかに時間を節約するかが大事なのに、憲法の問題で考え込んでしまい、しかも正解の可能性は微妙・・・ってんじゃ話にならん。
あと、無駄を省いて最低限のことだけ載っている本ってのは情報が断片的なのでちょっと深いところを聞かれると対応できないのは当然として、情報がブツ切り故にやたら覚え難くく能率が悪い。逆に、ある程度詳しく書いてある本の方は文章量が増える反面、読み物として流して読めるので印象に残りやすく、かえって能率がいいことにやっと気がついた。
そして、数的処理や判断推理の方は演習が完全に不足していた。それなりの難易度の問題を数多くやらなきゃダメだ。そしてそれをしつこいくらい繰り返さないとダメだ。
俺が見た合格者のサイトの人はそれなりに問題数があってそれなりの難易度の問題が載っている二冊の本を何度も繰り返しやって、しかもそれが終わった後にさらに二冊の問題集をこなしていたようだ。『それだけやれば本番では楽しんで解けるまでになる』と書いてあった。俺は自分でやった気になってたけど実際は全然少なかったんだ。
その合格者のサイトで、『かなり難易度は低く楽な試験だ』という記述を見たとき、『この人は俺とは頭の出来が違うんだな』とイジケ気味に思ったのだけど、サイトに載ってた勉強法やこなした本の数をよくよく見てみると実際かなりの量をやってるんだな。その上で簡単だ、と言ってる。
今まで俺は、難しい試験だと勝手に思い込んでいたし、努力したけど難しいから受かるとは限らないんだから仕方ないんだ、と言っていたのだけどそりゃ違うなとハッキリ自覚した。俺は甘いんだよ自分に。常に言い訳をしている。
そうなったのは多分俺が壁を越えずに今まできてしまったからだ。俺は中学三年の二学期までは成績がまあまあよかった。ズバ抜けた成績ではなかったけど、クラスで上から数番目というくらいだった。だけれど、三学期になって高校入試の受験勉強が本格的に必要になってきた時に、学校の授業の勉強よりも難易度の高い受験勉強に取り組むことから逃げた。
推薦入学に影響する二学期の内申がそれなりに良かったのでそこそこの偏差値の高校に推薦で入れたので、受験から逃げたにもかかわらずなんとかなってしまった。
それが自分の人生にとって大きなマイナスだった。そのまま逃げることしかしなかった俺は高校に入ってからの成績は下の下。よく授業をサボって河原でタバコを吸ったりしていたし。そのツケで大学へは2浪もした上にかなりレベルの低い夜間部にしか受からなかった。その時も勉強せずになんとか引っかかったという感じだった。
高校入試の時、はじめは受験勉強には少しだけ手をつけたものの、授業のレベルとは違ってある程度根気良く勉強しないと成果が出ないので、『やっても出来ないかもしれない』という恐怖から勉強を最初から投げてしまい、自分の中で『やんなかったから出来なかったんだ。でも本当はやれば出来る子なんだ。』と自分の中で言い訳を作っていた。
実際に勉強をした結果失敗してしまった場合は本当に傷つく。だけれど、最初からやらなければ結果はひとつしかない。いい結果は絶対に待っていないのだ。良い結果にならないのが最初からわかり切っているから結果が悪くても傷が浅くて済む。それに加えて『本当はやれば出来る』という言い訳が出来るので非常に楽。
自分にそうやって言い訳をすることで変なプライドを保ちつつ、本当の意味での失敗のショックを恐れる余り自分から進んで失敗する道を選んでいたんだな。
進路として勉強する道を選ぶ人の多くはそこで逃げずに壁を乗り越えるから、その後に挑むことになる試験の数々もしっかり乗り越えていくのだろう。そしてそれを繰り返すことで自分が受けようとする試験にはこれだけの勉強量が必要だということも感覚的に理解出来る能力もつく。そして上手く勉強する。根気良く出来る。
『勉強はしたくない』と割り切った上で他の道を選ぶ人もいる。それはそれで立派な生き方だ。だけれど、俺の場合はそうじゃない。『勉強をしても出来なかったらどうしよう』と思う余りにはじめから逃げて、自分から『わかり切った失敗』をわざとすることで失敗のショックを和らげ、それでもまだ『本当はやれば出来る』と自分に言い聞かせていた。
勉強の道に進むことを望むくせに、ちっともその状態から抜け出せず、しかも勉強の道をスッパリ諦めることも出来ない。そして気がついたらこの歳だ。ほんっっっっっとうにグズだ。
今回の就職試験ははじめから投げることはしなかった。しかし先ほど書いたように中学生の時に目の前にあった壁を乗り越えなかった俺は、中途半端にしか勉強していないのにも関わらず『出来る限りのことはした』と思い込んでしまった。
ホンキで取り組むことから逃げてきたためにどれだけの量をやれば『出来る限りのことをした』と言えるレベルなのかを感覚的に理解していなかったんだな。そして今、勉強したつもりなのに試験では歯が立たないという現実にぶち当たり、ようやくそれを理解した。
実は昨日、試験が終わって帰ってきてから、『勉強したのに出来なかった。やっぱり俺は頭が悪いんだ。』とヤケクソ気味のことを口走っていたが、実際のところは全然勉強は足りてなかったんだ。
でも、過去に俺がしてきたように、今回もその『勉強不足』という事実をはじめから自分で理解していて『やれば出来る子だ』という言い訳に繋げるつもりだったか、というとそうではない。今回は本当に一生懸命やったつもりになっていた。あくまでも『つもり』である。
だけれど、勉強を本当に一生懸命やるということがどういう感触なのか、どれほど大変なのか、どのくらいの量をやるものなのか、というのを実際に体感してこなかった俺は、勉強量が足りていないのにも関わらずそれを『精一杯だ』と錯覚していたというわけだ。
そのことに気づかせてくれたのは、先ほど書いた合格者のサイトだった。『簡単に合格できる試験だ』と言い切っているその人が実際にやった勉強量を見ると、『難しい試験だ』と言い切っていた俺が一生懸命やったと思っていた量の数倍以上だった。
つまり、試験というものに望む際の勉強量における俺の価値基準が完全にズレていて、試験に成功するために勉強するということを俺がいかに甘く考えていたかということに気づかされたわけだ。そのズレは俺が壁を越えてこなかったために自ら生じさせてしまったモノなのは言うまでも無い。
その合格者はその勉強量で試験に受かった後、さらに勉強して国家一種なんかにも受かっている。それだけでなく他にもレベルの高い試験に10個近く受かっている。それから想像するに、その人は俺とは違ってしっかりその都度壁を乗り越え、自分の挑む試験の際に、自分の能力で成功するためのにはどれだけの勉強量が必要かを把握する能力を養ってきた人なのだろう。
でも以上の見解によって『俺でも勉強すれば国家一種も受かるんだ』ということが言いたいわけではないのは誤解なきように。
ここでしている話は、自分が元々持っている能力を最大限に引き出すために必要な勉強量を自分自身で把握できているかどうか、という話であって、その人と同じだけ勉強すれば俺だって国家一種に受かるということを言い訳がましく主張しているわけではないというのは一応言っておく。
ここで俺が言いたいことはむしろ逆なんだな。その人曰く、俺の受けている試験は『楽な試験』であるという。国家一種にも実際に受かっていたりするからその言葉は本音だろう。でも、それだけ優秀な人ですらその『楽な試験』に挑む際に、俺がやってきた勉強量をはるかに超える勉強をしている。だから俺はもっともっとやらなきゃ受かるわけが無かったことに気づいた、と言いたいわけ。
そして、中学の時に一度逃げて以来ずっと引きずっていた逃げの姿勢と逃げ腰のくせに諦め切れないというグズっぷりを克服する最後のチャンスが目の前にある。
今回は『やったつもりになっていただけ』だったとは言え、それでも初めから投げ出していた過去の俺よりはまだマシだ。ここまで来てそれを自覚した今現在はあともうちょっとで前に進めるというところまで来ているのかもしれない。だから今回ばっかりはやらなきゃ。
自分はダメ人間だと言葉に出して言う割りに『俺はやれば出来る子だ』というプライドを保つための逃げ道を確保しようする矛盾した自分から抜け出すには、ここで建前や言い訳を抜きにして本当の意味で『やるだけやる』ということをしないといけない。
ここでは勉強に関しての話に終始したが、実際のところ俺が人生における色々なものから常に逃げ腰で、常に言い訳がましいのは全てここに原因があるといっても過言ではない。だから何としても今回ばっかりは。 |