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幸福とはなにか - 2004/02/23 [ Mon ]

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今日、道をトボトボ歩いていたら、小さな子供をつれた二人の若奥様の会話が聞えました。それは『出来ちゃったかもー。』、『もうー!?』、『どーしようー(笑)』という感じの会話でした。要するに次の子供が予想よりずっと早く出来てしまったかもしれない、という趣旨の会話でした。

出来ちゃったと言う奥様の方は『もうーまいっちゃったなー』みたいな事を言ってた割りに笑ってたのでとても嬉しいんだと思います。その会話を聞いてて俺の顔まで笑顔になっちゃいました。

そして、その数秒後に通りかかった場所では骨の入った箱を持った喪服姿の男性と、同じく喪服を着た集団が車に乗り込むところでした。誰か亡くなったんですね。何日か前までは生きていた人があの男性が抱えている箱の中に骨となって入っている。

新しく生まれてくる命の話をしていた人が通りかかったそのすぐそばで、命を終えて去っていく人を見てなんとも複雑な気分になりました。でもやっぱり生まれてくることが出来るってそれだけで素晴らしいんだよな、とも思ったよ。あの若奥様のおなかの中にいるかもしれない新しい命にも長くて短い人生が待ってるって思うと、とっくに生まれてきて今まさに生きている自分の命も素晴らしくて、まだ先があるというのもまた有難いことなんだよなって思ったよ。

思春期の頃に『何のために生きるのかー』なんていう歌を歌う歌手を好きになったりしたし、すっかり大人になった今では何か刺激的なことがあるわけじゃないし、子供の頃に思い描いていたような素晴らしい未来とはかけ離れていて、つまらなくて、自分の望み通りの生き方なんか出来てないけど、意外と足元や目の前に見えてないものがあるのかなって思ったりなんかして。だからツマラナイなんて簡単に言っちゃうのかなって。ミスチルの歌でそんな歌詞があったねそういえば。

今、『幸福はどこにある』っていうフランスの精神科医が書いた大人の為の童話、みたいな感じの本を読んでいるんだけどね。その本には主人公のヘクトールという精神科医は、別に病気でもなんでもないのに人生がツマラナイ、みたいな理由で彼のところに来る患者が多くて、しかもそういう患者を相手にすると深刻な本当の精神病を抱えた患者を相手にするよりもずっと疲れるなんて話があるのね。

それで、人にとって幸福ってのはナンだろうって思ったヘクトールは仕事での疲れを癒すのを兼ねつつ『幸福とは何か』というのを探すために旅に出て世界中を巡り、旅先で出会った人々に『貴方は幸せか?』、『貴方にとっての幸せって?』、なんてことを訊き回るって内容の本なの。まだ最後まで読んでないから最終的にどんな話になるのかはまだ知らないんだけど。

既に読んだ部分で印象に残ったのは、ヘクトールが飛行機に乗るときに本当は安い席に座るはずだったのに、手違いで予約数を多く取ってしまった為に高い方の席に移ってもらえないかと乗務員に言われて、そっちに移って彼はとてもラッキーに思い幸せな気分になったの。

でも、彼の隣に座っていた男は(その男はヘクトールとは違い、はじめからその良い席を予約してた人)、それよりもさらに高級な席で飛行機に乗ったことがあるために、その席には満足してないの。同じランクの席なのにヘクトールは大満足で、一方では不満な人がいる。そこでヘクトールは『幸福を台無しにするよい方法は、比較することである』なんていうメモを取る。

これって凄く印象に残った場面なんだよね。他との比較をしてしまうことにとらわれて今自分の目の前や足元にあるしあわせを台無しにしちゃうっつうか、見逃しちゃうっつうか。生まれてきて生きていることは当たり前で、そんな当たり前のことよりも、もっともっと良い人生を送っている人がいるっていう部分に拘って『自分の人生は面白くない』みたいに悲観しちゃうってのと似た感じ。多分この本ではそういうことの象徴としてこういう描き方をしてるんだと思うんだよね。

さっき俺は自分の人生を『ツマラナイ』って言っちゃったけど、そう簡単に言っちゃったら目の前や足元に転がってるモノを目を凝らして見るということを自分から放棄して、ますますツマラナイ人生になっちゃうのかもね。そういうの絶対よくないって思うよ。もちろんこれは誰かに説教たれてんじゃないよ。今の自分が自分に対してそう言ってんの。

なんかこれを書いてて凄く話が膨らんじゃいました。実は最初は冒頭の子供が出来たかもしれない若奥様とお葬式のエピソードだけで終わる予定だったんだけどね。

あー。人生ツマンネー。(←自分に言い聞かせてもまだ全然わかってないさま)



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