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劣等感 - 2004/03/30 [ Tue ] (1)

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俺は自分に劣等感を強く持っていると自分で思っている。その劣等感を強く感じるのは当然他者が存在するからだ。劣等感を感じるということは、自分が他者よりも劣っていると認めていることになるのだろうか。

何か行動をとる場合、自分よりも優れた他者というものは非常に目立つ存在だ。その人物と自分を比べ、自分の未熟さや無能さを強く感じたりする。そしてその劣等感に胸を引き裂かれる。自分が他者よりも劣っていると既に自覚しているのにも関わらず、自分よりも優れた他者に出会うといちいち強いショックを受けるのは何故なのだろうか。心底自分の駄目さ加減を自覚してしまえばショックなど受けなくなりそうなものなのに。

それは、俺の場合、自分に強い劣等感を持ちながらも心の何処かで他者よりも優れていると信じようとしているからだ。劣等感を持っているにも関わらず、普段は『いや、そんなはずは無い』と自分を誤魔化しながら生活しているから、改めてそれを目の前に突きつけられるといちいちその都度ショックを受けるのだ。

ここで言っている『いや、そんなはずは無い』というこのセリフ。捉えようによっては、現時点での自分を人としてさらに高めるため、自分を奮い立たせて前進するための美しい言葉のようにも思えるが、俺の場合はそうじゃない。先ほども述べたようにあくまでもそれは誤魔化しのセリフだ。つまり、自分が持っている劣等感を自覚はしているが事実として認める勇気が無いのだ。だから中途半端に自分の持っている劣等感を誤魔化しながら生きている。

心底その劣等感を認めることが出来れば、それを振りほどくだけの力が生まれてくるのかもしれない。しかし、どうしても全てを認め切れない自分がいる。だから常に中途半端に誤魔化している。俺は劣等感というヤツを『自覚する』ということと『認める』ということは違うと感じる。頭で自覚していても、心で認めることが出来ないと、ソイツを振りほどくだけの力が沸いて来ない。

自分が劣っているという自覚を持っている、と言えば何となく自分自身を客観視する能力を持ち合わせているようにアピールできる。しかし、心の奥底で認め切れないでいる内はその能力をプラスの方向に使うことは出来ないし、実質上は自分のダメさ加減をちっともわかってないのと大差ないような気がする。劣等感を乗り越えるには自覚するだけでなく一度心底認めないと意味が無い。

俺はまだ逃げている。



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