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『意思』と『心』 - 2004/04/07 [ Wed ]

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時々思うのです。

自分の『心』を自分の『意思』でコントロールできたらホントに楽だろうなって。

頭で考えた『意思』通りに行動したいんだけど、外側からの色々な要因によってちっとも思ったとおりに体が動かない。もっと堂々としていよう、あんまりビビっても仕方が無いって頭で考えても心が焦ると自分の『意思』とは無関係に物凄く挙動不審になったりハッキリ話せなくなったり顔が引き攣ったり。『意思』は『心』には逆らえない。外身は『心』の方にしたがってしまうコトの方がずっと多い。

どんなときでも堂々としている人を見るとその人みたいに自分ももっと堂々としていようって考えるのだけれど実際にはどうしても出来ない。そりゃ、その堂々としている人は頭で考えた上で堂々としているのではなくて、そもそも心が堂々としているから外身も堂々としていられるわけだから、俺のように心が堂々としていない人間は頭でいくら考えたってその『意思』通りになんか体は動かない。外身は『心』の方に従ってしまう。

そんなこと当たり前なのはわかっているのだけれど凄くイライラすることがある。『心』だって自分自身が持っているモノのはずなのに、『何故自分でコントロールできないんだ!』ってすげえ腹が立つときがあるのです。『俺の心は俺のモノだろうが!思い通りにコントロールさせろよ!!』って怒りがこみ上げてくる。『意思』と『心』は必ずしも一致しないから面倒くさい。『心』が体を支配する。自分の『意思』は『心』よりも弱い存在。

笑顔を作ると最良の結果が出るであろう場面で笑えて、怒りを露にすると最良の結果が出るであろう場面で怒れて、堂々としていれば最良の結果が出るであろう場面で堂々と出来て、涙を見せると最良の結果が出るであろう場面で泣く事が出来れば、どんなに楽だろう。結果を頭で予想した上で全ての感情をコントロール出来て、自分の思ったとおりに行動できれば、余計な苦労なんかしないのに。

でも『心』がそれの邪魔をする。とりあえず笑っとけば丸く収まるところで怒っちゃったり、堂々としていれば切り抜けられた場面で挙動不審になってしまったりね。心が無ければかなり楽に生きられる。それだと人間とは別のものになっちゃうんだろうなってのはわかってるけれども、それでもやっぱ自分自身の一部である『心』を自由にコントロールさせてもらえないことに凄く納得が出来ない自分もいる。心があるからこそ人間なのだけれど、それによって『意思』が邪魔されて色々苦労させられる。人間ってのはホント面倒くさい生き物だよ。



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