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愚痴 - 2004/05/03 [ Mon ] (1)

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愚痴っていうモノがありますね。愚痴。生きてりゃ殆どの人が言ったことがあるであろう愚痴です。あまり溜め込まずに程よく外に吐き出さないと精神的に良くなかったりしますね。ホンキで愚痴りたいって思ったとき、その聞き手にはどんな人を選びますか。

その場合、今現在自分が置かれている環境とは違う環境にいる友人なんかを聞き手に選ぶパターンって多いと思います。だって自分の置かれた環境の人にあまりそういうことを言うと何処かから話が漏れて面倒なことになりかねないし、職場なんかの友人よりも学生時代の友人の方が気心が知れていたりして愚痴を聞いてもらいやすいからね。

で、自分が愚痴の聞き役に回った場合に、聞いているこっちまで相手と同じ気持ちになって腹が立っちゃうようなこともあります。つまり、愚痴っている本人には何の非もないような話を聞かされ、自分も相手に同調して一緒になって『それはムカつくよねー!わかるよー!』って心から同情しちゃうパターンね。

その場合は聞き役の人は『友人の愚痴の原因となった人物』側から直接言い分を聞く機会はまずないですよね。愚痴を言っている人から聞く話はあくまでも愚痴ってるその人の言い分でしかないから、本人が凄く正当な立場として語られる。だからこそ聞き役の人はその人に同情するわけで(まあ友人同士ってだけで同情するには充分な要素かもしれないけど)。

そんな風に、どう考えても愚痴を言っている本人には非がなく、100%『愚痴の原因となった人物』が悪いようにしか思えない話を聞くと、今度はその『愚痴の原因となった人物』側からの言い分を聞いてみたくなりませんか? 愚痴っている友人の話からは何処からどう考えても『愚痴の原因となった人物』の方が悪くて、頭がおかしくて、電波で、どうしようもないバカでアホのようにしか思えないからこそ、その『愚痴の原因となった人物』の方はその件に関してどんなことを言うんだろうってすっげー興味が沸くんですよ。

さっきも書いたように環境の違う相手に愚痴ってる時点で、聞き手側の人はその『愚痴の原因となった人物』に会うという機会はまずないわけじゃん。愚痴ってる本人がそういう位置にいる人をわざわざ聞き手に選んでるんだからね。でも、愚痴ってる友人が『救いようもない人物』として語っている『愚痴の原因となった人物』からの言い分を聞き手が聞く機会を得たとしたら、その『聞き手』は果たしてその愚痴ってる友人の話を全て肯定出来るんだろーかって思うんです。

何を言いたいかというとね。ここでのパターンは、愚痴っている人は、聞き手が『愚痴の原因となった人物』に会うことがないってのを前提に話をしているというパターンだから、その愚痴の内容にはかなりの脚色が入っている可能性があるのでは? ってコトを言いたいんです。

実は『愚痴の原因となった人物』は友人が言うほどバカでもアホでもないかもしれない。単に個人的にウマが合わないだけかもしれない。けど、聞き手がその人に会う機会が無いのを良いことに言いたい放題言ってやれみたいに脚色してる可能性があるってことよ。そう思うとその『愚痴の原因となった人物』からの言い分も聞いてみたくなっちゃうってコト。どのくらい脚色されてるか確かめたくなるのよね。

なんつーかさ。

俺も環境の違うところにいる友人に誰かの愚痴を言う場合、結構脚色してる部分がある気がするからさ。意識してそうしてるわけじゃなく、愚痴っているうちに自分の中で怒りやイライラの気持ちがエスカレートしてきて、『愚痴の原因となった人物』を殆ど無意識のうちに実際よりもかなり悪く言ってしまって、必要以上に自分を正当化した話になってしまうのよ。ここで俺が問題だと思うのは『人を実際よりも悪く言ってしまうコト』ではなくて、『必要以上に自分を正当化してしまうコト』の方です。

愚痴るのは良いけど、そうやって必要以上に自分を正当化してしまうのを繰り返すと、単純に『愚痴ってスッキリする』というレベルを超えて、いつの間にか自分を過大評価してしまって、自分こそが『勘違い野郎』になってしまう気がするんです。それって結構気づき難い『自分自身を貶める落とし穴』のような気がするのです。愚痴って愚痴ってスッキリするだけなら良いけど、それによって自分の中で本当は自分にも非があるのを判っていた筈のコトまでもが、いつの間にか正当化されてしまい、何か自分の中で狂ってくるのは結構おっかないコトじゃないかな。

愚痴もある程度言い方ってのがあるってことかしら。



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