テーブル上

サイキンノテキスト
テキスト

 ■[ Movies ] 2008/02/03 [ Sun ]



☆『ホリデイ』 - 2007年3月24日(土)全国ロードショー
 鑑賞日:2008/02/03
 観賞場所:自宅にて(ケーブルテレビのVOD)

ホリデイ

すっごい面白かった。久々に『良い映画だなぁ』としみじみしてしまう作品を見た思いです。物語は自分を守るために恋愛を含めてドライに生きてきたアマンダ(キャメロン・ディアス)と、感情豊かで人情を大事にするけどそれ故に過去の恋愛を引きずりまくるウェットなアイリス(ケイト・ウィンスレット)がお互いの家や車全てを期間限定で交換する『ホームエクスチェンジ』をするところからはじまります。

因みに欧米ではこのホームエクスチェンジという行為はかなりしっかりした歴史が存在し、実際に行う人たちも増えているらしいです。ホームエクスチェンジは目的地がお互いの住んでいるところと一致し、日程も同じである場合に双方が旅の間に留守にする自分の家を相手に宿として提供するという考え方でなりっています。

このことを知らずに本作を見てしまうと『こんなことありえない』という一言で済まされてしまいそうなので、欧米ではホームエクスチェンジというものが実際に存在する行為であり、しかも異常な行為でもないということを一応説明しておきます。それを踏まえたうえで本作を見て欲しいと思います。

話を本作に戻します。

ドライなアマンダとウェットなアイリスという正反対の二人が同時期に失恋をして、インターネットでホームエクスチェンジの相手を探していたアマンダが、同じくホームエクスチェンジの募集をかけていたアイリスに連絡をして物語が動き出します。そして、二人ともそこで新たな出会いがあり、新しい恋がはじまっていくというのが本作のあらすじ。

これだけの説明だと本作が非常に軽薄でくだらないラブストーリーだと思ってしまうかもしれないけれど、実は、脚本が非常に丁寧に書かれている佳作なんだなこれが。実際かなり先が読める展開で思ったとおりに話が進むんだけど、『予想通りの展開』が必ずしも『面白くない』ということにはならないというのを証明している作品だと思います。逆に映画というものに刺激や驚きなどを常に求める人には向かないとも言えると思うけれど。

俺は前者でした。非常に良かった。まず関心したのは人物描写がとても丁寧なこと。同時に複数の人物を描いているのにしっかり登場人物がどういうタイプの人物かをわかりやすく描けています。そして、途中で張られる伏線の回収の仕方がとても丁寧で見ていてスッキリ出来るもの良かった。

そしてすっかり自分は落ちぶれて、今ではもう誰にも相手にされていないと思い込んでいる脚本家のじいさんの存在も良かった。彼とアイリスとの交流を通してアイリスの人情を大事にするひととなりが伝わってきたし、本作のテーマのひとつとなっている『自分自身の思い込みは自分の可能性を制限してしまう』というものをわかりやすく表現していました。

本作は確かに恋愛映画ですが、だたそれだけに終始するのではなく、人生観をもテーマにしているから、女性視点で描かれているにも関わらず男性が見ても十分に楽しめる作品になっているのだと思います。

恋愛がうまく行かないことを自分のせいだと思い込むことで前に進めないアイリス、強く生きなくてはいけないと過剰に思い込むことで良い恋愛が出来ないアマンダ、自分の置かれた状況が『コブつき』だと思い込んで女性に本来の自分を見せきれないジュード・ロウ演じるグラハム、もう誰にも相手にされないと思い込んで殻に閉じこもっている老いた脚本家。

本作はラブストーリーを軸としながらも、そんな人々を通して、思い込みによって自分で作ってしまった殻をやぶって前に進む勇気の大切さを描いているのだと思います。だからこそ薄っぺらではなく深みや温かみのある良い作品に仕上がったのでしょう。本作はひとりで見ても見終わったあとに元気になれる映画だけど、是非とも大切な人と一緒に見て欲しい。

本当に素敵な映画だと思うから。
テーブル下


 ■[ 雑記 ] 2008/02/03 [ Sun ]



ども。アイバですけど。愛犬のフレブル和尚のことを日常の中ではおーちゃんと呼んでいますこんばんわ。

今朝起きてからケイコさんが俺が寝言を言ったと言われました。しかもその寝言が非常に不満だったらしく凄くブーブー言われた。なんかヤバイことでも口走ったんだろうかと結構ビビッたので『俺なんて言ったの?』と訊いてもなかなか言わないのでしつこく尋ねているとやっと教えてくれました。

どうやら俺は。

『おーちゃん・・・おーちゃん・・・・。』

と言っていたらしい。和尚かよ。何でそれでブーブー言われたんだ?


彼女曰く。

なんでおーちゃんなんだ?
ケイちゃんは?
ケイちゃんは出てこないの?

ということらしい。つまり自分のことじゃなく犬の名前を言ったことが気に食わなかったらしい。どんだけ乙女なんだ。ケイコ37歳。と、ここまで書いたのを本人に見せたら『ケイコは37歳じゃないやい。ケイコは16歳・・・・。』と言ってました。どんだけサバよむんだ37歳ケイコ。
テーブル下


 ■[ 雑記 ] 2008/02/11 [ Mon ]



昨日の朝、目が覚めたら横でケイコさんが鼻歌を歌ってるから起きてるのかと思ったら寝てました。寝ながら鼻歌て、どこまで陽気なんだ。こんばんわアイバですけど。

ところで、この前ケイコさんと大喧嘩しました。最近毎日夜勤だったんだけれど、夜勤だからと言って翌日の昼間に確実に帰ってこれるわけではなく、やっぱり書類やら打ち合わせやらで会社で仮眠を取った後にそのまま昼間も仕事っつーパターンが結構あるんです。

だからと言って妊娠してる奥さんを放っておいて何日も帰らないわけにもいかないんで、夜勤の翌日に仮眠を取ってから夕方まで仕事をして、それから一度家に戻って家のことを手伝い、そしてまた会社に戻って夜勤、というパターンがここんとこ結構ありました。

それが何日か続いた後、ちょっと疲れてきたなぁと思ってるところで夜勤明けの仮眠が2時間チョットしか取れないまま夕方まで仕事するハメになり、夜勤の前に相当眠い状態で家に一度戻った時にちょっとしたことで大喧嘩になりました。

ここんとこ、俺は眠かったり辛かったりしてもそれを外に出さずに振舞い、恩着せがましくならないように爽やかに家のことを手伝い続けることが出来るのが俺が目指す『カッコイイ男』だと思って、そういう風になれるように振舞ってました。頑張ってるというアピールをせず、眠かったり疲れてたりしてもそれを外に出さずに振舞ってね。

けど、ケイコさんのちょっとした一言(昼間に帰って来なかったことに対してちょっとした不満を言われた)でプツっといってしまいムキーっと怒ってしまったのね。

『こんなに頑張ってんのに何で感謝してくれないんだ!』的な。

『何で俺ばっかり!』的な。

一番格好悪いパターン。

そんな風に自分だけ大変だと主張したり、『こんなに頑張ってるのに何で!』という風に怒ったりするのは、一方的に恩着せがましくて一番格好悪いことだと思ったからこそ眠くても疲れてても笑って頑張っていたのに、ちょっとした一言で真逆なことを声を大にして叫んでしまった。そんな先日の俺は最高にショボかったです。

ホント、まだまだ修行が足りません。『何で俺ばっかり。』とか『こんなに頑張ってるのに』などという考えが出てきてしまうのはやっぱりまだ人として甘ったれてるからなわけで。

仕事や人間関係について、やたらと周囲の文句を言うのは甘ったれてるからです。時には信頼できる相手にそういう愚痴なんかをポロリと漏らすことも必要だと思うけれど、無闇やたらに他人の文句ばっかり、批判ばっかりってのは毒舌なんてカッコイイもんじゃないことが殆ど。単に甘ったれているだけだと思います。

世の中ってのは自分に周囲が合わせてくれるなんて都合のいい状況は殆ど無いんだもん。多くの人はその中で歯を食いしばって頑張ってんだよね。それがデフォルトの状態なんだよね。それを受け止められないから自分の望むようにならないことに文句ばっかり言ってたりするんじゃないかしら。

それと同じでさ。誰かを大事に思って自分なりに頑張るのは良いけれど、それに対して自分が一方的に望むハッキリとした見返りみたいなものを要求するのは違うだろっつー話です。自分が望む形で見返りが無かったと感じたら怒り出すってのは違うだろっつー話です。

『僕はとっても頑張ったんだから僕が納得出来る形でちゃんと褒めてよ』、というのはちょっと甘ったれすぎ。相手を大事に思う気持ちを持って純粋に頑張ってれば、本当は見返りなんか要求しなくても自分の中で納得出来る筈なんだよな。なのに今回の俺は自分の望むようなことを言ってくれなかった彼女に対して文句を言ってしまった。なんて傲慢な。

彼女だって俺が疲れているのはわかっていたし、感謝だってしてくれていたと思う。ただ、妊娠していて、体調も不安定な中で俺が帰って来なかったことをちょっと不安に思っただけ。決して感謝の気持ちを持っていなかったわけじゃない。それなのに俺は、彼女が不安に感じているということを無視して、一方的に自分が望むように対応して欲しいと甘えた。それに腹を立てた。なんてわがままな。

本当に格好悪いですね俺は。

先日の大喧嘩は、自分が目指す『カッコイイ男』に俺はまだまだ遠く及ばないってことを実感してしまった出来事でした。
テーブル下


 ■[ 雑記 ] 2008/02/18 [ Mon ]



今日は愛犬の巫女の四十九日。

よりによってそんな日に非常に腹が立つ出来事があった。それは近所の人の言葉だ。いまだに巫女が亡くなったことが伝わっていない近隣の人がいて、和尚だけを連れて散歩をしていて巫女がいない理由を訊かれることがある。今日もそんなことがあった。

その時に、いつものように巫女をペットホテルに預けたら散歩していた店の人が手を離してしまい巫女が事故にあったと説明した。そしたら今までにないレスポンスが返ってきて、はらわたが煮えくり返った。

『ペットホテルになんか預けなきゃ良かったのに。俺の犬なんか出かけたときには車の中に入れっぱなしにしておく。ペットホテルなんかに預けたことは無い。ちゃんとしつければ車の中でも大丈夫だ。』

まるでペットホテルに預けたことがいけないかのように言われた。俺たちは巫女を預けて、事故の知らせを聞いたとき、預けてしまった自分たちを責めて、後悔する気持ちと戦った。出かけるときに無理をしてでも一緒に連れて行って、預けることをやめていればこんなことにはならなかったんじゃないのか。何度もそう思った。後悔した。

あいつはそういう人の心理が全くわからないようだった。犬をペットホテルに預けない自分を自慢しはじめ、こちらの生活パターンや各家庭の事情、そこにある様々な思いなんか全くお構いなし。空気が読めない人の恐ろしさを久々に実感した。全く無自覚に人を不快にすることの怖さを。

俺はこのとき、本当に腹が立っていたけれど、相手が得意げに話続ける間、黙っていた。ケイコさんは明らかに声のトーンを変えて、腹立たしい気持ちを露にしていたけれど、直接的な言葉としては相手の話に突っかかるようなことはしなかった。俺は何かを口にしたとたんに、黙れコノヤロウとか言ってしまいそうだったから黙ってその場をやり過ごした。

相手はその場の空気が重くなっていることにも気づかずに得意げに語っていた。俺が急に黙ったことに違和感を感じないで平気な顔をして語り続けていた。巫女のことを散歩中に幾度と無く訊かれ、そして事情を話してきたけれど、こんなレスポンスは本当にはじめてだったので腹が立ってしかたがなかった。

巫女のことを訊かれて事情を話したとき、相手の反応はいくつかのパターンに別れている。まずは純粋にそれは酷いと同情してくれるパターン。そしていきなり補償のことを聞いてくるパターン。最後に、今日のように説教じみたことを言われる特殊なパターン。今までの経験では大体この3パターンに収まっている。

2番目の補償(とりわけお金のこと)のことを訊かれるのは結構多く、そういう人には共通する傾向がある。ズケズケといきなり補償のことを訊いて来るのは総じて教養が低い人なのだ。そういう人は相手が傷ついていることを考えるよりも先に、損得の部分を気にする感じなのだ。だからそういうレスポンスには非常に腹が立つ。

もちろんこちらの心情を配慮した上で、気を使いながら『泣き寝入り』になってしまったのかどうか、相手のペットショップがどういう風に対処したのかを訊いてくるということもある。その場合は別に腹立たしくは感じない。それはやはり心情的な部分への配慮が感じられるからだ。

しかし、前述したパターンはそうじゃない。ズケズケと『補償は?』といきなり言ってくる。ここで言っているのはそういう人には何故か教養の低い人が多いという話だ。もちろんいい学歴があること自体はその人の人格を決定付ける要素ではない。

けれど、傾向として、教養の低い人の中には自分自身が学校の勉強を苦手とし、それから目をそらし、逃げた結果、学歴などがあまり問題とされない仕事に就いたという人種が多いのは確かだ。つまり学歴から逃げる行為から今の道が始まっている人種だ。

はじめから自分が目指すモノに必要なのは学歴とは別のところにあることを理解した上であえてそういう道に進んだとか、生まれた時代や家庭環境によって学歴とは無縁の別の道で頑張るしかなかった人などはそういう人種とはまた違う。ここで言う教養の低い人種というのはそういう人たちのことではない。

ここで言っているのは『逃げることから始めた人種』のことだ。

そういう人種は勉学とはまた違う次元での『日常の教養』をも学ぶことをしない場合が多いように感じる。だからこそ、無神経で図々しい言動で無自覚に他人を不快にする。そしてそれに気づかない。そういう連中に限って、人間の価値は学歴じゃないなんてほざく。

学歴だけで人の価値は決まらない? そんなこと知ってる。小学生だって知ってるよ。そんな当たり前のことはともかくとしてさ。それとはまた別に、人の気持ちや空気を察して心情を配慮出来るような『日常の教養』ってのもあってさ。そっちの方は人の価値をある程度決めてしまう重要な要素であることも知って欲しいよ。

まあ、それとはまた違って、学歴さえあれば何とかなると、『日常の教養』を学ぶことから逃げだして、高学歴だけがとりえっつーのもたちが悪いけれどね。どっちにしても、『逃げ』からはじまる人の道はロクなモンじゃないんだよな。そういう道を生きてきた人が勝手に惨めな人生を送るなら別にどうでも良いけど、実際は単純にそうじゃなくて、無自覚に他人を不快にするから本当に嫌なんだよ。


んー。

久々に『怒り』が文章を書く原動力になってしまったなぁ・・・・。





・・・・あとさ。なんか、最近、学歴に関して似たようなことを斬鉄剣の人が書いてたな。昔は彼とはサイトを通してケンカしたりして、今でも全面的に共感を覚えるタイプの人ではないのだけれど、この件に関しては割りと考え方が近い部分もあるんだね。結論への持って行き方や他の部分の考え方は大分違うけど。
テーブル下
テーブル下
メニュー

■All log

  2008年2月



テーブル下

一個前のページに戻ります。

ホームページに戻ります。

テーブル