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戦争と正義と矛盾と - 2003/04/22 [Tue]

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イラクとアメリカの戦争が一応終わったということらしい。戦争が始まってから俺はやたらニュースを観てました。7時からのNHKのニュースが多かったですね。けど、それが終わると日本の民放では戦争のことがどのチャンネルでも放送されてないという時間が2時間くらいあった。ほぼ毎日そうだった。やっぱり他人事なんだなあと思っちゃった。一日中その戦争のことを伝え続けるチャンネルが一つくらいあってもよさそうなもんなのに、全ての民放がバラエティー番組しか放送していない時間帯があるのはちょっと驚くよ。


で、俺はこの戦争反対か賛成か、正直よくわからないです。イラクにクルド人が虐殺されていたのは事実なわけでしょ。あのまま言論でなんとかしようとしていたらきっとまた虐殺による死者は出てただろうし。イラクの恐怖政治によって見えないところで処刑される人々もいっぱいいたでしょう。それを『戦争は良くない』とただ言ってしまって良いのか、という風に思う部分もあったりします。それを話し合いで何とかできるくらいならもうとっくに解決しているのでは?という風に思うというか。


でもやっぱり戦争はいやだ、というのも本音としてある。アメリカの言動に対して『何様!?』と思う部分ももうちろんある。イラクの何も罪のない一家がアメリカ兵に銃を突きつけられて10歳くらいの女の子が泣いている映像をテレビで観た時はとても嫌な気分になったよ。だからアメリカが単に正義によって行った戦争だなんてさすがに思ってないです。石油などの資源に対する損得の部分が絡んでるわけで、ここに正義なんていう上品なもんはないと思う。でも結果としてフセインがいることで苦しんでいた人たちが多くいたのもまた事実だろうし、フセイン政権が崩壊したことによって死なずに済んだ人もいるでしょう。


そう考えるとホントわからないんだよね。戦争で死ぬ人と、フセイン政権があることで処刑されたり虐殺されたりする人とどっちが犠牲が少なかったのかという風に天秤にかけるのもおかしな話だけれど、どっちも望ましいモノでは決してないのは確かなわけで。フセインをこのまま放っておいて、フセイン政権によって政治犯として理不尽に抹殺された何千人とも言われる人たちの死は一体どう説明するの? という風にも思うし。


じゃあ、北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射したとする。自分がちょっと旅行かなんかに行っている間に自分の住んでいる町にミサイルが落ちたとする。帰ってきたら自分の町が無かったら。それでも戦争反対と言えるかな、と考えたら正直俺には自信が無いです。その状況で目の前に北朝鮮の兵士が捕らえられてリンチを受けていたら、俺もそのリンチに参加しないとは言い切れないです。その状況で冷静でいられる自信はないです。


実際、今でも『北朝鮮をなんとかしないとまずいのでは?』と思ってます。ミサイルが発射されてからじゃ遅い、と思ってます。イラクのことを通して戦争を考えると直接的に日本にミサイルが飛んでくることはないのでピンとこない部分があるのだけど、北朝鮮の場合は他人事じゃない。今までの北朝鮮の行動を見ていると話し合いでなんとかなるレベルではない気が凄くしちゃう。でも戦争はイヤだというのも本音。という風に結局答えが出ないのが正直な意見なんですよね。


ただ、明確に思うのはね。戦争には宗教の思想が絡むことが多いわけだけど、人間を創ったとされる神の名の元に人を殺す、というのはなんともおかしな話だということ。それと、戦争反対のデモ隊が警察と衝突してケガ人が出たりするという状況は、戦争において力で物事を解決しようとする発想と大差ないのでは?ということ。人をキズつける戦争に反対している人たちが自分の『戦争反対』という意見をケガ人を伴う形で主張してしまった時点でもう『話し合いで解決しよう』という姿勢ではないのは絶対気づくべきだと思う。


度を越えたデモ行進の前に警察が立ちはだかったら、その時点で自ら身を引き、ケガ人が出ない形での訴え方を模索するくらいのことはして欲しいと、何処かの国で暴れるデモ参加者の映像を観て強く思いました。デモ行進や集会を開くことは認められている国が多いし、言論、集会の自由という観点から認められるべきだと思うけど、『理由はどうあれ武力で物事の解決をするのは良くない』という意見の人たちが暴力によってその意見を訴えてどーするの? って思うよ。


人間の創造主とされる神の名の元に人を殺す、戦争反対の意見を暴力で主張する。


なんかイヤだなあ。



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