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人知の及ばぬ何かの話 - 2003/05/05 [Mon]

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前置きとしてですね。まず、この文章は以前書いたテキスト『神様、教祖様は素晴らしい人です』の続編的な文章となってます。実はそのテキストは最初からこの続編に続く予定で書いていたんですよね。なので今回はそちらを読んだというのを前提に書いていますがご了承ください。さらに、この文章は意味がわからない可能性があるので注意が必要です。


というのも、文章なんかよりも意志の疎通が遥かにし易いであろう生の会話を持ってしても言いたいことが伝えられなかった事のある題材だからです。いやあ。誰に話しても『意味がわからん』といわれてしまうのです。つうか、俺も意味がわかりません。上手く言葉に出来ないんだよね。なので強行突破気味で書く予定。割と勢いだけで書きます。あっはっは。


では本題に入りましょう。


俺が宗教というヤツが嫌いであるのはご存知の通りですが、かといって『人知の及ばぬ何か』が全く存在しないとは思ってないんですよ。様々な宗教が定義付けている天国とか地獄とかいう部類のものはやはり人間が想像出来る範囲で創り出されたある種の物語とか設定みたいなものだと思っているのは確かです。だってそれらは多くの生き物がいるこの世の中で結局はただの一種に過ぎない人間の感覚を持ってして人間の都合の良い様に考えたものに過ぎないじゃないですか。他にもいっぱい生き物がいるのに祈れば極楽浄土に行けるだのなんだっておかしな話じゃないですか。じゃあ祈ることの出来ない生き物はどーなんの?っつう話じゃん。宗教をちゃんと勉強すればその辺のこともフォローされてんのかな。しらねーケド。興味ねーケド。


でも、だからといって人知の及ばぬ何かが存在する可能性がゼロだとは思わないのです。人知の及ばない何かってのは人知が及ばないんですよ。人間が理屈で理解できるような判りやすいもんじゃないからこそ『人知が及ばない何か』なわけで。そゆものが存在する可能性はやっぱあると思うのね。あくまでも可能性があるというだけね。実際あるかないかなんて知らないよ。だからこそ人知が及ばないモノなんだし。で、それを想像力が豊かな人々が人間の考えの及ぶ範囲であーだこーだ勝手に想像し伝えたのが宗教などの教えなんじゃないの?というのが俺の立場。で、テキスト『神様、教祖様は素晴らしい人です』ではその勝手に想像したストーリーや設定が排他的だったりするのが嫌いだと言っているわけね。


で、宗教ではよく出てくる話として生まれ変わりってのがありますね。輪廻転生ってヤツですか。それも俺は無いとは言い切れないなと思ってます。でもやはり人間が考えた数々のストーリーのように取ってつけたようなモンではないと思います。肉体が滅びても魂は生き続けて・・・とか、いかにも人間が考えそうなネタじゃないですか。そんなレベルのことなんですかね。これもやはり人知の及ぶようなもんじゃない気がすんだけどな。


ところで、ここまでの文章はいかがでしょうか。俺が思うに読んでいる人にもここまでは何とか意味が通じてると思うんだけどもね。でもこの後から冒頭で述べたように意味不明になり始める可能性が高いので気をつけてください。文章力と表現力が無くて思ってることを形に出来ないのよね。でも文章として意味不明でも何でも今回に限っては強行突破するんで読むのをやめるなら今がチャンス!


・・・・さて話を戻してですね。その輪廻転生ですが。やっぱ可能性はあると思うのね。その理由をこれからちょっと語ってみますね。今までの歴史って何十億年とか想像を絶する長さがあるわけじゃないですか。宇宙規模で考えればもっととんでもない期間ですよね。というかそもそも宇宙ってなんだ?ということを考え始めると何を基準に『世の中』と呼ぶのか、歴史の始まりの基準は何処にあるのかすらわからない。そう思うと人間ひとりなんかゴミにもならない存在に思えてきます。


宇宙とかその外とか人間の想像を遥かに超えたモノを含めた歴史の中でひとりの人間が生きてるのはたった70年とか80年です。何世紀か前はもっと人間の寿命は短かったですよね。そんな風に人間なんてモノは微々たる期間しか生きてない。その中でね。俺や貴方が生きているのがいわゆる『現在』でしょ。時間が一本のベクトルだとしたら、今この文章を読んでいる最中の人も俺もその一番先っぽにいる。今生きているということは常に進んでいる時間の最先端にいるってことです。


そこでね。宇宙規模のとんでもない長さの歴史の中で人間はたった80年くらいしか生きないのに俺が生きているのが『今現在』であるというのが不思議に思えるときがあるんですよ。それをもっと詳しく書くとこうなります。何故俺が生きているのがたまたま『現在』であり、何故俺はたまたま俺で俺の目を通して世の中を見てて、何故俺は友達のAくんやBくんじゃ無かったんだろうってのも不思議になるということなんだけども・・・・・・・意味がわからないですね。もう読んでる人はついてきてないでしょ? ここが一番意味不明なところだと思うんですがいかがでしょう? でも強行突破して話を進めますぞ。


それで俺が生きているのが『今現在』なのは初めてではなく、もう既に何回かあったことだとしてもちっともおかしくないなあと思うのですよ。何度も何度も何かしらの形で生きてたことがあるのかもって。同じ魂が肉体だけを変えて持ち越されているとか、前世の記憶があるとか無いとかいうのは全然知らないし、やっぱそれは人間が考えそうなネタだし所詮人間の勝手な想像じゃねーの?と思うのは確かなんだけど、その発想とは無関係で何かしらの形で『自分』というのを持って生きていたことがあってもおかしくないなと思うのです。


だって宇宙規模の歴史に比べてこんなにも人間が生きている時間が短いのに自分が生きているのが時間の最先端である今現在だなんてものすげえ低い確率でしょ。だから自分が生きてるのが時間の最先端である今現在に置かれていることが人生の一回目だというのはあまりにも確率が低すぎて有り得ないようなことに思えちゃうのね。むしろ死ぬと何かしらの形ですぐにまた『自分』を持って存在してるのではないかしら、とすら思える。それは人間とは限らないけど。


俺は人間が考えているようなロマンチックで判りやすい死後の世界とかは無いと思ってるのね(それにあたるようなものがあるとしてもそれは人知の及ぶようなもんじゃないだろうなというのが俺の立場ね)。でも死ぬとすぐまた何かしらの形で『自分』を持つものなのだとしたら、すごい低い確率だと思っていた『時間の最先端である今現在に生きている』というコトもむしろ当たり前のことになるんだなーと。だってそうだとすると『生きているのが今現在』ということしか起こりえないわけで。


これは魂が以前生きてた時と同一のものとかそんな話じゃないし、前に生きてたときとの因果関係があるか否かを俺が知ってるわけ無いけど、とにかく生きてる何かが再び『自分』になって存在してる可能性はあるよなと。だから輪廻転生とか生まれ変わりという言い方はかなり語弊があるねこの場合。別に生まれ変わってるとは限らないし。ただ単にまた『自分』というものを持った、というだけで。それには因果律みたいなものとか何かしらの力とかが働いているのかもしれないし、別にそんなモンはなくただそういう仕組みになってるだけかもしれないし。


それもやはり人知の及ぶようなモンじゃないと思うのね。というかこの話全部がそもそも俺の勝手な想像ですけど。だって人知が及ばないモノなんだから想像することしか出来ないわけで。だから宗教において、本来は人知が及ぶはずも無い領域を勝手に想像した上で、さもそれが真実かのように語るっつうのはやっぱ嫌いです。それぞれが想像していることに過ぎないという前提を置いた上で色々勝手に語るのは面白いと思うけど、それが唯一の事実であると吹いてまわるのはやっぱ詐欺師となんら違いが無いと俺は思っています。


ということでね。俺の思う『人知の及ばぬ何か』の話をしようとしてみたのだけど、この文章自体が人知の及ばぬモノになってしまって俺もどう締めて良いのやら困ってるわけなんですけどどーしましょ。中盤あたりが一番意味不明だと思うけども一応俺の中では言いたいことがあるのよ。けどやっぱり形に出来なかったっつう。むしろこれを読んで俺の言いたいことが全部理解できたとか言い切る人は病院に行ったほうがいいかもね。今回は恐らく今まで書いた文章で一番壊れた感じになってますので読んでて頭おかしくなっても責任はとりません。


とりあえずは、宗教なんてもんは人間が勝手に想像したモノに過ぎないという立場ではあるけど、人知の及ばぬ何かが存在する可能性すらも完全否定しているわけじゃないよ、というのだけ伝われば良いや。その部分をもうちょっと具体的に書くとさ。人間が『心霊現象』だとか『神の奇跡』だとか呼んでいるモノにおいて『これは神の力で・・・』とか『これは死後の世界から来た・・・』なんていうのは、人間が勝手に想像したり妄想したりしたに過ぎない勝手な基準の上で語ってるだけのコトであり、もし仮にそれにあたるようなモノが存在するとしても(もちろん存在なんてしないかもしれない)、やはりそれは人知の及ぶところにあるようなモンじゃないんじゃないの? という風に思うってこと。


その辺の意味合いが伝わってりゃこの文章はひとまずオッケーということにしよう。そこ以外の俺の勝手な想像で書いた部分は確実に意味不明だと思うんで。こんなに無理やり文章書いたのさすがにはじめてかもな。いやー。だってさー。何故俺がたまたま俺で、何故今現在たまたま俺が生きててその俺の目を通して世の中を見ていて何故俺は友人のAくんやBくんじゃ無かったんだろう?って不思議に思えることがあるんだってば。それが一番不思議なんだってば。ホントはそれを一番伝えたいんだってば。でもそこが一番意味不明というどうじようもない文章になってるので収拾つかねーんだよコノヤロウ(さじ投げドーン)。



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