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自分のことを棚にあげるという言葉 NEO - 2003/04/22 [Tue]

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正論、正論、正論、正論・・・・・・。


俺はそんなのが頭を渦巻いてしまう時がある。それにとらわれ過ぎると見えなくなるモンってあんだよな。それに、そもそも俺如きに非の打ち所の無い正論なんて言えるわきゃないし。非の打ち所の無い正論ってのは非常に胡散臭い・・・なんてセリフを言ってるマンガのキャラクターがいたけど、確かにその通りだと思うよ。俺的にそのセリフは名言中の名言。そのセリフ見たときグサっと来たもん。


非の打ち所の無い正論なんて自分の事を棚に上げなきゃ言えないんだよ結局。俺のようなヤツが口先だけの正論を言ったところで胡散臭くなるばかりだ。言葉だけ聞けば『非の打ち所の無い正論』に思えても、実際その正論を発した俺の人物像をほじくり返していけば自分の事を棚に上げてる部分が見つかっちゃうよ。悲しいけど実際そう。だから胡散臭いのよ。


でさ。今、出てきた『自分の事を棚に上げて』ってセリフなんだけど。相手に痛いトコ突かれた時の反論として使えばお手軽に反論出来る便利な言葉だわな。『○○はダメだ』なんて誰かを批判する言葉を発した人物に対して、まるっきし関係の無いヤツが横から首を突っ込んで来て、まるで何かを悟ったように『自分の事棚に上げて何言ってんだ』なんてつっこめば、その話には元々関係無かった筈のヤツですら手軽に優位に立てんの。それで優位にたったヤツがさらに他のヤツに横から同じように言われればまた潰される場合だってあるくらいだ。


『自分の事を棚に上げて』って言葉を駆使すれば手軽に正論モドキを作れるわけ。でも、意識して発した正論なんてのは、探せばいくらだってあげ足とれるのよ、実際。明確な理由が無いのに反射的に不快に思ったならそのまま黙ってるか、余計な言葉なんか付けないで単純に不快だと言えば良い時もあるんだ。変な理屈をくっつけるよりも単純に一言『不快だ』とだけ言った方がよっぽど本当の意味で『非の打ち所の無い正論』に成り得る場合もある気がするんだよね。余計な理屈を付け加える事で一見すると説得力が増したように見えるけど、逆に説得力を失わせ突っ込み所満載にしてしまう事もあるのよね。


正論、正論、正論、正論・・・・・・・・。


それを言おうとする意識ばっかりが頭を埋め尽くし、相手を非の打ち所のない正論によってねじ伏せようとすることばっかりに意識が行くと、自分の正直な気持ちがわからなくなってしまうこともあるんだ。自分のことを棚にあげるどころか、自分を見失って何処に置き忘れてしまったのかわからなくなる。誰かと生の意見を交わすという行為は、ディベートというゲームじゃない。必ずしも非の打ち所の無い正論を発するコトがイコール最善の策だとは限らない。自分にとってプラスになるとは限らない。相手をねじ伏せる為だけに発せられた表面的で薄っぺらい正論には輝きは存在しないし、本来シンプルだったはずの自分の意見をどんどん歪めていく。


だから俺はね。


上っ面の正論を盾にして相手をねじ伏せるコトばかりに拘ってしまっている自分に気づいた時。


それが本来の自分を歪めてしまう前に深呼吸をしようと思うんだ。



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