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バカと天才と電波と天然は紙一重 - 2003/05/03 [Sat]

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『私、よく人から変わってるって言われるの〜★』。ということを言う『自称変わり者さん』って結構いますね。うん。大丈夫。その時点で貴方は充分凡人ですから。それは他人にそう見られたいというあなた自身の願望ですから。一生『自称変わり者の凡人』で生きていくと良いと思います。


それと同じように。『俺って毒舌だからよく人に叩かれるんだ』。なんてことを言う『自称毒舌さん』。うん。大丈夫。その時点で貴方は毒舌じゃないですから。ただの『自分が原因で揉め事が起きているのにそれを反省するどころか毒舌という言葉で正当化しようとしている凡人さん』ですから。貴方が発しているのは毒ではなく、人から毒舌と呼ばれたい願望のオーラですから。


世の中の大きな発展に繋がるような世紀の大発明や大発見をした偉人達の中にはロクな死に方してない人が多くいます。または、せっかく世の中の先を行くスゴイモノを研究しているのに単なる変わり者扱いされてしまい、その人の死後にその研究が認められた、なんていう人も多くいます。


それは自分の信じた道、自分の興味のある道へ周囲の反応とは無関係に突き進む人が多いからでしょう。つうか、それまで常識では考えられなかったようなモノに目をつけ、尚且つそこに突き進むことの出来る人はある意味『変わり者』でなければ出来ないことだと思います。だからこそ『バカと天才は紙一重』なんていう言葉があるわけで。


俺はというと。基本的に他人のことがとても気になる方です。自分の発言や行動が世の中の大きな流れの中において大きくズレてしまっていないか過剰に気にすることも多くあります。例えば音楽の感想ひとつとっても、周囲の人とあまりにも感じたことが違うとやたら不安になったりします。


だから、インターネットなどで自分と似たような感想を持った人が他にもいないか探したりなんかするということをよくします。それで共通する意見を見つけると心から安心するというかね。もちろん、自分の意見に似た意見を発見できなかったからといってそれを覆すほどはバカじゃないです。ただやはり『俺って変なのかなー』という不安を抱えたままでいることが多かったりはしますけどね。


そういう意味で俺は、自分は骨の髄まで凡人なんじゃないかな、と思ってます。自称凡人。でもやはり自称する肩書きは信用なりません。俺が凡人であるかどうか、ってのは周囲の人間が決めること。ここでこのようなことを書いているのは俺が『凡人であると人から見られたいという願望を持った変わり者』なのか、『凡人と人から見られたいという願望を持った凡人』なのか、俺にはわかりません。そんなの自分じゃどうすることも出来ないよ。


自称変わり者。そして自称毒舌。さらに自称凡人。冒頭でちょっと皮肉めいた書き方をしちゃったけどそれら自体は可愛いもんです。俺だって『自称凡人』ですから偉そうなことは言えないのが現実です。でも、宇宙からの謎の電波を受信しちゃってる人だけはいただけない、と俺は思っています。本格的に電波を受信している人というのは自分が電波さんであるという自称はしません。自称する人はまだまだ本格派ではないと思います。本格派はやはり自称なんかしないのです。だって自分が電波であるなんて心にも思っていないのだから。自分のズレ具合を理解していないからこそ電波さんなわけで。天然さんも同じです。


何を言われてもめげない。それってちょっと尊敬出来ることのようだけど、実際問題、何を言われても凹まない人というのは性格が歪んでいるか、もしくは電波さん、天然さんであるということが少なくないような気がするのです。というのもね。余りにも過剰に叩かれている人というのは端から見ていて『ちょっとは凹んだ方が良いのでは?』と思う要素がその人の方にもあったりすることが少なくないからさ。要するに叩かれるのには本人にもそれなりの理由があったりするのでは?と思うというね。


ちょっと話がそれるけども。


俺は個人的な意見としていじめられっ子というのは何処に行ってもいじめられる傾向がある、と思っているんですよ。でもいじめる方が100%悪いと思います。なんか矛盾しているようだけど実はそうでもなくね。相手がどんなにいじめたくなるようなオーラを出している人であっても、いじめる側がいなけりゃいじめは起こんないわけで。でも、現実としていじめっ子体質の人が世の中からいなくなることは無いんです。悲しいけどそれが現実。だったら、ひたすら『いじめられた!いじめられた!』と思うだけではなく、なぜいつも自分ばっかりマトにされるのかっつうのはやっぱ考えないと事態は改善しないと思うのです。


で、電波さんや天然さんはそのようなことは考えません。何故自分が叩かれたのかを理解しない。立ち止まって自分の言動を省みない。しかもいじめの例とは違い凹みすらしない。いくら叩かれても腹は立てるのに凹まない。そして怒る。根拠の無い自信を持って怒り続ける。もしくは冷静を装って自分を叩く人を軽くあしらう様な態度を取る。そしてさらに叩かれ続ける。という悪循環。


俺もね。実際旧サイトの時から自分のことを垂れ流しにするサイトを長くやってて色々言われることはありました。最初のころは強がったりもしてたし、闇雲に『なんで放っておいてくれないんだ!』とか思ってたときもありました。でもさ。そういう時の自分の発言を見返してみるとわざわざ絡まれるようなこと自分から書いてるんだよね。要するに見てる人を刺激するようなことをわざわざ進んで書いてるわけ。そんなこと書いておいて『放っておいてくれ』もないだろうと。そんな風に自分ですごく感じちゃってさ。


だから、外を刺激するようなことを公の場で発言するならするで、そのリスクはある程度覚悟の上でやらないとダメだよね。それに刺激されて絡んでくる相手をひたすらバカだと言うだけだとそれこそ電波さんです。外を刺激して何か言われて凹むなら凹むで良い。でもそれをやっぱり事前に覚悟しておかないとダメだし、何故自分が色々言われたのかを考える部分も持たないとダメ。じゃなきゃ電波さんとそう変わらないよ。


ここでちょっと話が戻って。先ほど書いた偉人さん達には変わり者が多いという話だけどもさ。その人たちもある意味電波さんなのかもしれない。だけどその人たちが進んだ道には新しい発明や発見があった。その当時に常識から大きくズレたことを真剣に突き詰めて行った結果、大発明や大発見にたどり着いたりしている。変わり者であるが故に、とんでもないモノに人生を捧げられたというか。でもさ。多くの人はそんなものにたどり着かないで『単なる電波さん』で終わっていくのが現実ですよね。歴史に名を残す偉人さんたちのように何かの研究に没頭するなら良いけど、それが攻撃性になってしまうと手がつけられませんね。自分がズレていることに気づかずに自分の『俺ルール』を押し付けようとするとかマジ勘弁です。


やっぱり、バカと天才と電波と天然は紙一重・・・・なんだろうなあ。


こんなことを書いている俺自身がもしかしたら電波さんかもしれない、という懸念は自分自身で拭い去れないし、それは自分じゃ一生判断できません。でも、やっぱり自分なりにそうならないように出来る努力はしたいし、だからここでこんなことを書いて自分に言い聞かせている、というのがこの文を書いた動機になっています。だって俺は『自称凡人』なんです。つまりのところ俺は自分が凡人であるというのを自分自身で望んでるところがあるのです。やっぱり俺は電波さんにはなりたくないのです。


電波と天才・・・・。それらが紙一重の位置にあるモノだとして、それらのどっちに近いかっつったらどう考えたって天才じゃねーもんな俺。だったらそれから一番遠くに位置するであろう凡人の方が良いや、という小心な考え方が俺の根底にあるのです。・・・・うん。やっぱ俺は凡人だよきっと、と自己完結しつつ今回はおしまい。なんかまとまってないなあこの文章。



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