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映画 - 001

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この映画のこと何回書いてんじゃって感じですけど、前に書いたのは消しちゃったのでまた改めてということで。だってこのシリーズ好きなんだもん。本作はドラマからのファンという立場から非常に楽しんで観ました。しかし二回劇場に足を運んで『あれ?』と思うところも多数ありました。


本作のテーマは、シリーズ通しての『縦割り構造の組織の中での葛藤』というテーマのひとつの到達点であり、新たなスタートである『素晴らしいリーダーがいれば組織も悪くない』と青島が認めるところにあります。全11話のドラマシリーズでは現場の青島と上に立つ室井がお互いに『新たな警察』を作っていく決意をして綺麗にまとまって終わりましたが、その後のスペシャル番組や映画一作目でその先を描いてしまった。さらにその後にもう一度映画を作るならやっぱドラマ後に描いたいくつかのエピソードの『まとめ』的な話が良いだろう、ということで出来たのが今回のThe Movie 2だと思うのです。


テーマはよく伝わってきたし、それまでのシリーズ全体の流れを知っている者にとってはとても痛快なお話だったと思います。室井が颯爽と地下室から出てきてみんなを仕切りなおすところなんかは、過去の苦労があるだけに正に『キターーーーーー』ってなもんでしょう。だけどもお話としておかしいところはいっぱいあります。物語を面白くするための『なんちゃってリアリティー』というのはもちろんアリだと思うのだけど、本作の場合そういうレベルを超えておかしなところが多いんですよね。


いくらなんでもあの程度の事件でお台場を全封鎖するのは不自然。現実の世界で封鎖できるかどうかという問題ではなく、あの程度の事件で封鎖するという発想自体に違和感を感じます。つまりね。創作の物語なんだから封鎖しちゃうという無茶な展開もアリだとは思うのだけど、だったらそれをやらなきゃいけなくなるほどの必然性くらいは無いとダメだろ、っつう話ですよ。本作での事件ではその必然性を満たすだけの力がないのです。


さらに後半で青島が敵が仕掛けた罠の紐をわざと踏みつけながら進んだのも説明不足で『この行動に必然性はあるのだろうか?』という疑問が生まれてしまったし、献血を呼びかけるシーンにも必然性が欠けていました。あまりにも唐突過ぎた。そしてこの映画の最大のテーマを明確に表すレインボーブリッジでの犯人と青島との会話シーンも変。あそこで双方が言葉を交わすのは良い展開だと思うけど、両者の距離があまりにも近いせいで会話の後に青島が追いかけるのを完全にやめてしまうことの必然性がないんですね。


犯人は車の運転者も含めて三人全員が車から降りてしまっている。その状況で会話の後に再び走り出すにはそれなりに手間がかかる。なのに青島はまったく追いかけようとしない。あの映画で描かれていたあの距離は話し終わった後に再び走ればゆうに追いつく距離です。


もっと問題なのは、実は今回の映画で青島は何もやってないということ。走り回ったり上司にたてついたりはしてたけど、ただそれだけで、青島本人が何か刑事として重要な役割を果たした場面はひとつもない。だから、『何で最後に表彰されてんの?』と感じてしまう。表彰される必然性が無いので見ていて首を傾げてしまうのですよ。今回の映画はテーマは明確だけど、ひとつひとつの場面に必然性が欠けていると感じました。昔からのファンならば室井復活のシーンや吉田副総監と和久から同じ思いを抱いている若手の青島と室井のコンビへバトンタッチする場面だけで感動できてしまうところがあるし、それで充分なのかもしれないですが、『映画』としてはあまりにもお粗末な脚本でしょうこれは。


それを象徴するような出来事がネットでも見られるんですよね。


この映画、公開されてから少し時間がたちましたね。それでオフィシャルで運営されている『ネタバレ専用の掲示板』ってのがありまして、俺はそこを定期的に見ています。俺は大きな掲示板にはまったく書き込みする気がないので見てるだけですけどね。公開直後ってのは熱狂的なファンがまずドドドドドっと一気に観に行きますよね。それでその頃のネタバレ掲示板は絶賛してる人で溢れていて、『駄作』なんて言葉を使って感想を書いた人はそれだけで荒らし扱いでした。


確かにファンが集う掲示板で批判的な文章を書く人の中には、純粋に自分の感想を述べたいというよりも、ファンの気分を害する目的でわざとトゲのある文章を書く人がいるのは確かです。それは言語道断だと思います。だけど、映画を観た人なら誰でも意見を言って良い筈のオフシャルサイトで面白くなかったからそのまんま面白くなかったと書いただけなのに、それを見るやいなや映画の批判ではなく『批判する人の批判』が始まってしまうのはちょっとアレだと思います。本作のネタバレ掲示板でも見事にそのような状態になってました。


そして最近のネタバレ掲示板はどうなっているかというと、ファンの間から徐々に本音がこぼれ始め、映画としての問題点や脚本の粗などが冷静に指摘され始めています。『自分は好きだけど実際のところこれって・・・』みたいな感じで、自分がファンであるという前提のもとに物語としておかしなところがどんどん持ち上がってるのよね。


それってやっぱファンですら『あれ?』と思うところが多かったという事実が表面化してきた証拠だと思います。ネタバレ掲示板には、最初の頃はファン故に熱狂しちゃって批判的な意見を書けない雰囲気がありました。でもだんだん冷静になってきて本当の意見が出始めた、というね。


正直このレベルの映画だったらもうやらないほうが良いかなと思う。せっかく面白かったドラマ本編がだんだんかすんで来ちゃうようで残念に思うからね。冒頭で書いたとおり俺は楽しんで観れたけど、今作がギリギリかなと思います。で、ドラマを観る前にいきなり本作を観てたら多分このシリーズ全体を誤解してしまったかもとも思う。前作から5年もあったんだよ。なのにこの詰めの甘さはちょっとね。


まー、シリーズとしては好きだからDVD買うけどさ。



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黒澤映画です。用心棒とか七人の侍とか椿三十郎とか大好きで、三船敏郎を大好きなので期待に胸を膨らませて観た映画なのだけど、これは正直言ってかなーりツラかったです。途中何度も眠りそうになりました。この作品に出てくる農民でこぼこコンビをジョージルーカスが『スターウォーズ』におけるロボットでこぼこコンビのヒントにしたというのは有名な話ですよね。だから期待しすぎたのかなあ。


さらに、観る前の情報として『危機また危機、アクションに次ぐアクションが小気味よく連続するシナリオは、まず黒澤が絶対に突破できない設定を作り、他の3人の脚本家がなんとかそれを突破するアイディアをひねり出し、それを討議して練り上げるという完璧な体制。』というDVDのオフィシャルサイトでの紹介記事も見ていたから、ますます期待を煽られてたのよね。


そんな状態で実際に観てみると、ストーリーから出演者の演技まで全てがツラかった。この映画で雪姫を演じた上原美佐は本作で新人として出てきてその後には殆ど映画出演をせずに消えてしまったらしいけども、とにかく彼女の演技がツライのなんのって。必要以上に声を張り上げて裏返り気味で話す彼女の演技はちょっと・・・・。


あと三船敏郎の役回りが個人的に好みじゃなくてね。本作での彼の役どころはすごく硬いキャラでいかにも『偉い人のガードマン』みたいな感じ。後の用心棒や椿三十郎でのあの『マイペースでヒョウヒョウとしてるようで実は男気溢れるキャラ』を観た後だったせいですごくガッカリしちゃったの。強いっていう部分では共通してるけど。


全体のノリが演劇っぽい大げさな演技で統一されているのも好みじゃないね。用心棒、椿三十郎、七人の侍でも雑魚的な登場人物ではデフォルメされた大げさな演技があったけど、主人公格の三船敏郎や志村喬の演技は時代を感じさせない自然なものでした。でも本作では三船敏郎ですら演劇チックなノリで演技しててそれがどーも馴染めなかったなあ。


さっき書いたように『黒澤監督が絶対に突破できないような設定を考えて、他の脚本家がそれを突破する術を考えた』というのも、蓋を開けてみればただ単に敵側についていた人がここぞというところでこちら側についてその助けで突破するだけで超ガッカリ。


本作をリアルタイムで観たファンはこの感想を読んで、『わかってないなあ』と思うかもしれないけど、とにかく俺には本作の面白さが伝わりませんでした。これはツライー。この映画を観て俺の中では『三船敏郎=三十郎』っていう公式が出来ちゃってるんだなあとつくづく思ったのでした。



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思い出の映画。小学5年の時に映画館に行って観ました。公開から少し時間が経ってたからか、グレムリンと同時上映でやってたね。確か池袋あたりで観たと思うんだけどハッキリ覚えてないな。観に行ったときは当然ながらこのグーニーズが本命でグレムリンはオマケでした。


この映画は観た回数が半端じゃなく多いので思い入れも相当なもので、ちゃんとした批評なんか出来るわけも無くとにかく大好き。盲目的に大好き。恐らく小学生の時に観なかったら『くらだない映画』ということで完全にスルーしてたでしょう。当時の俺にとって同じくらいの年頃の少年たちが宝探しの大冒険というだけでもう面白くてたまりませんでした。

ストーリーはこんなん。街の博物館に飾られることのなかったガラクタが主人公マイキーの家の屋根裏部屋に保管されていてそれを仲間たちと一緒に悪戯しているうちに宝の地図らしきものを発見します。実は、彼らの住む地域は街の借金の為にゴルフ場になることが決まっていて、もうすぐみんなバラバラの街に引っ越すことになっています。そこでその宝の地図! 街を救う為には宝を探して借金を払えばいい! そうすればみんな引っ越さないですむ! というバカげた話です。


実際、借金の支払期限の最後の日にギリギリ間に合って子供たちが持ってきたお宝を見た大人は『サインなんかしないぞ!』と大喜びで契約書を破るんだけど、鑑定もしないでそんな単純な展開になるのはものすごくおかしい。しかも、子供たちが辿った冒険の道筋も途中に水道管があったり、公園の井戸の底を通りかかったりと街が開発された段階ですでに人が立ち入った場所を含んでいて、どうもスケールが小さい。さらにゴールの海賊船も同じ街の海岸の岩の裏っかわに隠されていたもので、薄い岩の壁の裏にあんなバカデカい空間があることに今まで誰も気づかなかったのかよ! というツッコミのひとつもしたくなる感じだしね。


でも俺がコレを最初に観たのは小学生の時。その時点でもう全部アリなんです。ドラえもんの映画でもおかしなところいっぱいあるけど(何であの道具をここで使わないんだ、とか)、子供の頃に観たモノだから暗黙の了解で『アリ』じゃん。それと同じような感覚っつうのかな。この映画に関してはおかしなところは全部無視なの俺の場合。途中で別行動になるデブキャラのチャンクの役回りとか、見た目は醜いけどすげえ良いヤツのスロースの役回りとか、冒険する少年たちの各キャラの役割とか最高に楽しい。発明好きのデータ君が穴に落ちた時に使った入れ歯型のおもちゃにバネがついている発明品とかあまりにもアホ過ぎるけどそれがまた堪らなく楽しい。


俺は今でもグーニーズを結成したいとホンキで思っています。



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近々北野武の座頭市が公開されますね。北野監督版も結構期待してるのだけど、とりあえずここでは勝新のオリジナル座頭市をご紹介。今回紹介するのは72年公開のシリーズ23作目である『座頭市御用旅』。


初期作品はまだ観たことが無いのでシリーズの他の作品との比較は出来ませんけど、本作に限って言えばとにかく楽しめた。マジ面白かったよ。座頭市メチャメチャカッコイイなオイ。こんな濃いキャラを勝新太郎以外の人が演じられるのだろうか。これを観てから北野版の方が期待から不安になってしまいました。


大まかなストーリーはこんなん。女性が男に追われているところから物語が始まります。お金を誰かに届けようとしていた様子の女性はそのお金を男に奪われてしまいます。男が逃げた後、女性はその場で倒れ苦しみだします。そこへ座頭市がたまたま通りかかり声をかけます。すると女性は妊娠中で、今にも生まれそうな状態に。『お、おめでたですな。』と言いつつ困る市(困り方がお茶目で最高なんだこれが)。でもやってみようと悪戦苦闘した結果、見事に市は赤ちゃんを取り上げます。


しかし女性はそのまま息絶えてしまいます。死に際にうわごとの様に『佐太郎・・・』と言っていたのを聞いた市はその名前を頼りに赤ん坊の親族を探しはじめる・・・というのがプロローグの流れ。その後、市が町にたどり着いたと時を同じくして、三國連太郎演じる超悪党が町に乗り込んできて色々面倒がおき、市が濡れ衣を着せられたり、面倒に首を突っ込んだり、巻き込まれたりしながら話が進む、といった具合。


とにかく悪いヤツは徹底的に悪く、座頭市は徹底的に正義の味方。いわゆる勧善懲悪モノなわけですがだからこそ面白い。前半でとにかく悪さをする三國連太郎とその子分たち。三國のこみ上げてくるような笑い方がとにかくムカつくんだよ(つまり悪役としては超名演)。そして最後は市の怒り爆発!という古典的な流れなのだけど、それが最高に気持ちが良い。


しかも座頭市というキャラは偉い人でもなんでもないので水戸黄門みたいに『あっはっは。俺は今、とっても良いコトしちゃったもんね。』みたいな押し付けがましさが全く無いのも良いのよ。市の正義は『孤独な正義』とでもいう感じで、見ててもわざとらしさを感じないんですよね。多くの時代劇ヒーローってのはピンチになってもそれほど無様な姿は見せませんよね。だけど市は違う。敵に捕まって拷問を受けたときに『ワンとかニャーとか言ってみろ』と言われてすぐ『ニャー』と言っちゃったり、『水をくれませんかね』と頼んだら、水を床にこぼされてそれを必死ですすったりもしちゃう。


『正義の味方=常にスマートでカッコイイ』という図式を完全に壊しているのが座頭市というキャラでありそれが最大の魅力なんだと思いました。無様なところも見せるし、普段はちっともカッコよくないからこそ、刀を抜いて強さを発揮したときの痛快さが増すわけ。『普段は盲目のお茶目なキャラクター』というのが、ひとたび刀を抜けば超人的な強さを発揮。このギャップがこのシリーズの魅力なのだろうし、そこを気に入ればもうハマり込むこと間違いなしです。


勝新太郎の刀さばきのカッコよさはトンでもないですよ。直線的な動きが殆ど無い、常に曲線を描くトリッキーな立ち回りはハンパじゃない。人を斬った後、低い姿勢で一瞬動きが止まる描写なんか鳥肌モノです。いちいち絵になってるんだよなこれが。この作品ではそんな座頭市が善意からしたことがいつもいつもタイミングが悪く、濡れ衣を着せられてしまうという流れがメインになっているから、一歩間違えば暗い話になってしまいそうだけど、市を理解してくれている人、市の強さを一目で見抜く人などが随所に登場させることで暗くイヤな感じの話にならないように上手くバランスが取られてるのが良い。その中でマイペースでお茶目で超人的に強い『座頭市』という独特のキャラクターが凄く活きてるのね。


で、俺は映画においてラストシーンをかなり重視する人なのですけど、この映画もラストが素晴らしくカッコよかった! 市に勝負を申し込む敵側の用心棒がいるのですが、その男は悪人ではなく、純粋に強いやつを勝負がしたいと願うタイプの男なのね。敵に捕まった市を助けたのはその男だったりするし。


で、その男がラストに戦いを挑んできます。野心とか別にして一人の侍として。色々騒動が終わった後に町を後にする市を静かに待ってるの。そこで一勝負があるのだけど、その描写がカッコイイのなんのって。夕日をバックににらみ合い刀を抜く二人の絵は、一枚の絵画のよう。


本作の『騒動が終わったあとに強い者同士が一騎打ち』という流れは黒澤明の『椿三十郎』と似てるんだよね。椿三十郎はお互いが言葉を交わし、勝負の後も三十郎が若侍たちに言葉をかけたけど、ここでは一切の言葉は無く絵だけで魅せることに徹してた。椿三十郎のあのラストのセリフもカッコイイけど、ここでの座頭市の無言のカッコよさもたまらない。


ダルマみたいで挙動不審な盲目のオヤジ『座頭市』。


そんな男がこんなに絵になるなんて正直驚いた。



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この映画はバッチリDVD持ってます。マジ好きです。黒澤映画です。三船敏郎です。侍です。血しぶきです。ということで熱く語ります。いやー、ホント、この映画は良くできてるんだよ。


本作は大ヒットした用心棒の続編的な位置づけの作品。物語が直接的につながっているわけではないのだけど用心棒で主人公だった三船敏郎演じる『三十郎』が主人公。素浪人の三十郎が旅の途中に立ち寄った町でのエピソードその1が用心棒で、その2がこの椿三十郎といった具合。


用心棒と同様に、三十郎は旅の道中で出会った自分とは何の関係も無い連中のお節介を焼いて、ある事件に自分から首を突っ込み、悪いヤツを退治するというお話。今回、三十郎が手を貸す連中は、なんとも頼りないマジメな9人の若侍たちです。若侍たちが何やら相談しているのを偶然聞いてしまった三十郎は、その余りの頼り無さに思わず口を挟み、そのまま彼らの手助けをしてしまいます。そして、お節介焼きの彼は彼らを放っておくことが出来ず、結局最後まで協力していきます。


でも、彼は単純に『正義感が強いカッコイイ侍』という感じで描かれていない。それがこの作品の面白いところなんです。用心棒もそうだったけど、この三十郎という男はやる気があるんだか無いんだかわからないんですよ。自分から首を突っ込んでおいて、ダルそうにしてる時もあれば、目を輝かしているときもある。彼の行動を総合的に見て感じたのは『この男は厄介事を面白がっている』ということ。一言で言うと少年のような好奇心と天邪鬼な性格、人としての正義感、そして男としての豪快さを全て持ったような男なんです。ダルそうにしているのは心底ダルいのではなくて、その子供のような無邪気さを隠す為の行動のように見えるし、自分の正義感を照れ隠ししているようにも見える。


あと、彼はめっちゃ口が悪いのだけど、それも同様に照れ隠しに見えるのよね。実際、口の悪さに関しては劇中で『あの人は気持ちと逆のことを言う癖があるんだ』なんていうことを明確に指摘している人物がいたりします。本作は前作の用心棒よりも三十郎というキャラクターをより魅力的に、より明快に描いていて、『三十郎』というキャラクターをより前面に出した作風という印象が強いです。だから、この男を好きになれるかどうかによって本作の評価はかなり変わってくるんじゃないかしら。


こう書くとストーリーの方は大したことが無いと思われそうだけれど、決してそんなことは無く、俺としては用心棒よりも本作のストーリーの方がずっと好きです。非常にコメディー色が強く、生と死の狭間で戦うというような緊迫感はありませんが、三十郎というキャラクターの魅力を最大限に引き立てるような素晴らしいストーリー構成になっています。


先ほども書いたように本作はコメディー色が非常に強いので全体を通して激しい殺陣シーンは殆どありません。むしろそこには重きを置いていません。物語をバシっとしめるためにラストには大きな見せ場となる一対一の決闘シーンが用意されていますが、それ以外はハラハラする部分は無いんですよ。つまり、本作のメインテーマは三十郎の侍としての強さの部分には存在していないということです。少年のような好奇心を持った三十郎は今までずっと自由気ままに生きてきたわけですが、本作ではそこにちょっとした問題定義をする人物が現れます。それが三十郎と若侍たちが物語の途中で助けた城代の奥方とその娘さん。


三十郎の豪快なやり方に奥方は『そんな乱暴なことをしてはいけませんよう』と言い、『むやみやたらに人を斬るのは良くない』と言い、さらには『あなたはギラギラしていてまるで抜き身の刀のよう。あなたは強いけれど、本当に良い刀はさやに収まっているもの』と言います。奥方の説教に三十郎は微妙な表情を浮かべ、表面上は『めんどうくせえなあ』みたいな態度を取るのだけれど、三船敏郎の絶妙の演技により、『胸にチクチクする鋭いことを言われて何とも言いがたい』という彼の心情を見事に表現しています。


三十郎はそんなことから奥方に対して『(頭が)足りねえのさ!』という暴言を言い放ったりもしますが、それがまた『口の悪さによって本当の心情を誤魔化す』という彼の天邪鬼な性格をよく表していて面白いのです。つまりのところ奥方の説教が正論であり、的を得たことを言っているのを誰よりも理解しているのは三十郎本人であり、口では『足りねえのさ』と言いながら奥方には尊敬の念を抱いているんですよね。


それを明確に表現している場面が、若侍たちが勝手な行動をとりその尻拭いをするために人を斬るハメなった三十郎が凄い勢いで若侍たちを平手打ちをしながら『余計な殺生しちまったじゃねえか!』と叫ぶところ。そのように奥方が彼にする説教と、それによって問題提起をされてしまった三十郎の複雑な心境の描写がラストシーンへの伏線となって見事に機能し、あの強烈な決闘シーンを盛り上げ、去り際に三十郎が若侍たちにいうセリフに重みを持たせています。


血が大量に吹き出るあの決闘シーンはそれ単体でも充分なインパクトがあるモノですが、それだけでなく、そこに至るまでにしっかりとした伏線が張られているからこそ活きて来るモノだし、本作ではそれが押さえられていて、本当によく計算して物語を構築していると思いましたね。最後の最後に奥方に言われたことを明確に認めた上でその教訓を乱暴な言葉で若侍たちに言い残して去っていく三十郎という男は、『単なる正義感溢れる剣豪』ではなく、『感情を持ったひとりの人間』なのです。たった90分ちょっとの映画の中で、三十郎というキャラクターを見事に『人間臭い人間』として描くことに成功しているのです。


この映画の大きな魅力は、勧善懲悪な痛快なストーリーの中で活躍する三十郎という男の『人間らしさ』にあると思います。時代劇というと多くの悪党をバッサバッサと斬り捨てていく殺陣シーンばかりが重視され勝ちですが、この映画においてはそれよりも三十郎のもつ『人間臭さ』の描き方に注目して観てほしいと思います。


三十郎に『悪党を容赦無く斬り捨てるヒーロー』を期待して本作を観ると肩透かしを食らうことは間違いないですが、『コメディー色が強い』ということと『殺陣シーンはメインテーマでは無い』というのを踏まえた上で、三十郎というキャラクターと、ラストへ向けての伏線の張り方、そしてその伏線があるからこそ活きている決闘シーンに注目して観れば多くの人が楽しめる映画だと思いますよ。


一般的には、どちらかというと用心棒の方が有名だし評価が高いような気がするんだけど、俺はこっちの方がよく出来てると思うなあ。



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今回は大ヒットを記録したあの『用心棒』のご紹介。いわずと知れた黒澤映画ですね。本作は小難しいことは省いて単純にエンターテイメントに徹した娯楽映画で、海外でも非常に評価の高い作品です。この映画のヒットを受けて続編にあたる『椿三十郎』が製作されました。椿三十郎の紹介記事はこちらをどうぞ。その椿三十郎の紹介記事でも書いたけれど、俺はどちらかというと椿三十郎のほうが好きです。やはりラストへの伏線の張り方やそのラストのしまり具合が椿三十郎の方が好みなんですよね。でもまあ、本作も大好きなキャラクターである三十郎が活躍する作品なので充分好きと言える映画ですが。


ということで本題に入りましょう。


木の枝を放り投げ、地面に落ちたときに指し示した方向に向かって歩いている三十郎の姿から本作は幕を開けます。その描写で手短にわかりやすく、三十郎が勝って気ままに旅をしている素浪人であるのを紹介しつつ、たまたま立ち寄った町に騒動に首を突っ込んでいくというお話です。彼は基本的に野心のようなものを持っていません。そしてお金も持っていません。だからお腹をすかしていて、町で起きている騒動に首を突っ込みつつ、何かと飯を食わせてもらっています。彼はただ単にその場その場の空腹を満たせればそれで満足なんですね。


で、その町で起きている騒動というのが町を仕切っているやくざの二大組織が勢力争いをしていて町の人々はそれに巻き込まれながら困っている、というモノ。そこに現れた三十郎は自分を用心棒に雇えと間に割って入り、その二つの勢力の間を行ったり来たりします。やくざの二大勢力は侍として腕の立つ彼を欲しがり、三十郎争奪戦のような流れになって行きます。でも彼の目的は用心棒の報酬が目的ではありません。困っている人々を見ると、それが自分に何の関係もない人であってもつい余計なお節介をしてしまうのが三十郎という男なのです。


さらに、自分が首を突っ込んだ厄介ごとを『旅の途中のちょっとした娯楽』として楽しんでしまうのも彼の特徴です。基本的に彼は正義を振りかざすような態度は取らず、マイペースなノリで楽しみながら悪党を翻弄します。そのノリが非常に痛快なんですよね。それでも弱きを助けるときの三十郎の目はマジです。妻を人質に取られてしまった一家の為に一芝居打って、その妻を助け出し、用心棒の報酬として手に入れた金を一家に全て渡した上で『早く行け!』という三十郎は最高にカッコイイ。


土下座してお礼を言う一家に対して正義ぶることは一切せず、『早く行け! さっさとしないと叩き斬るぞ! お前ら見たいのを見てるとイライラしてくるんだ!(本作を観てから少し時間が経ってるのでセリフは一字一句同じじゃないですが)』みたいなことを怒鳴るってのも良い。そこは彼のキャラクターをわかりやすく表現しているシーンでしょう。


やくざの二大勢力の間を行ったり来たりする彼が何をたくらんでいるかというと、二つの勢力を翻弄し、お互いをぶつけ合って双方を自滅させていくというモノです。それが三十郎の最初からの作戦だったのです。そしてあと一歩のところでそれを見破られボコボコにされてしまいますが、そこから復活した三十郎は一気にやくざの残党を斬り捨てて『あばよ!』の一言とともに去っていきます。


三十郎がたったひとりで大きな組織を翻弄していく流れは非常に爽快だし、その中での彼のマイペースなノリも面白く描かれていますが、次回作の椿三十郎のようにラストへ向けての伏線が余り存在せず、終わり方も少し淡白なんですよね。だから俺は椿三十郎の方が好きなんです。


三十郎が一瞬のうちに敵を斬り捨てた後、狂気じみた行動を取るじいさんの描写が入り、それが物悲しさというか気持ち悪さみたいな雰囲気をかもし出します。その雰囲気のまま、三十郎は『あばよ!』と言って去っていってしまうので、なんとなくラストが締まらないで終わってしまった感じがするんです。だから、椿三十郎のように計算されつくしたラストへの伏線と、最後にバシっと物語を締めるシーンがあればもっともっと面白くなったんじゃないかなーと思ってしまうんですよね。


三十郎のキャラクターの描き方や、やくざの二大勢力が翻弄されていく過程の描き方は見事なんですが、ラストだけがとても不満。もっと何かこう、締まりのある終わり方にして欲しかったですね。でもやっぱり三十郎という侍は本当に魅力的だと思いますけどね。



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世界に黒澤の名を知らしめた超有名作品。とりあえずこの映画はすんげえ長いです。三時間を軽く越えるので観るにはそれなりに気合が必要でしょう。それでも観る価値は充分にある作品だと思いますけどね。名作と言われるだけあって確かにこれは面白い。


でもね。実際とても古い映画なので隅から隅まで全て賞賛に値する映画だとは思いません。CGバリバリの映画が数多く存在する21世紀の現在に初めて本作を観るという人には理解できない部分も多くあると思います。一般的に名作だと言われているからといって無条件で全てを賞賛するのはちょっと違うと思うので、思ったことを正直に書いていこうと思います。


まず音。この映画は音が非常に悪いです。台詞がやたら聞き取りづらく、声を荒げて話す場面なんかでは何を言ってるのかわからないことも少なくありません。まあそれは当時の録音機材の性能が良くなかったからなわけで、映画としての評価が直接的に下がる原因にはならないと思いますが、はじめてみる人には大きな障害になることは間違いないでしょう。だから割と最近国内で発売されたDVDで観ることをオススメします。字幕を入れて観る事が出来るようになってるし、音も悪さも最新技術で出来る限りは改善されているようですので。


そして映画の内容の部分で、この映画を今から観る人の多くが疑問に感じると思われるのは主要メンバーの死に様でしょう。野武士が貧しい農村に盗賊として攻めてくるのを撃退するために殆ど無報酬に近い状態で雇われた七人の侍たちは、自らの正義感と侍としての誇りだけで命がけで戦うことになるわけですが、決戦に至るまでにかなり手間をかけ準備をして結束を固めていく様は丁寧に描かれているのに、主要メンバーが命を落とす大事な場面はかなりアッサリとした描写しかされていません。そこに違和感を感じる人は絶対いると思います。


メンバーのひとりが火縄銃で撃たれ命を落とすシーンは凄い引きの絵で撮られていて、しかも本作は音が悪いので銃声も聞き取りづらく、そのシーンをはじめて見た時は一瞬何が起きてるのかわかりませんでした。そして、ああ誰かが撃たれたのかと理解した後も一体誰が撃たれたのか理解するまで結構時間がかかってしまいました。その後も死の余韻を描くシーンはあまりなく、なんか非常にそっけないんですよね。


さらに、クライマックスで撃たれながら敵のボスに向かっていく菊千代を演じる三船敏郎の気迫とギラギラしたオーラは凄いものがあるのですが、七人の侍の中でも一際重要なメンバーであるその菊千代ですら死に様はあっけなく描かれています。菊千代がお尻丸出しでぶっ倒れた後、生き残ったメンバーは菊千代に一応駆け寄ってきますがその後すぐ『あ!』とか言って他のほうに走って行っちゃうし。


あと、この頃の時代劇は人を斬った時の『ズバ!』という音や、『カキーン』という刀同士の当たる音が全く入っていません。その部分にも違和感を感じる人は多いでしょう。なんかこう戦っている状態がわかり難いんです。21世紀になってから本作を観た俺が正直に感じた本作の不満点はそんなところです。恐らく俺と同じところに違和感を感じる人はいると思いますよ。


でもね。1950年代という時代だからこそ出る独特の雰囲気は今現在これをリメイクしたところで絶対に出せるものではないし、同様に各役者の気迫も絶対に再現できないでしょう。後の『用心棒』や『椿三十郎』で三十郎を演じていた三船敏郎は、その二作品でのマイペースな男でを演じていた人と同一人物とは思えないほど凄まじいギラギラ感を持っています。この映画での三船の気迫は誰も真似できないでしょうね。しかも、『用心棒』と『椿三十郎』での三船はドシっと構えた男を演じていましたが、本作での三船はどう見ても山猿系の男です。本当に同じ人が演じているのかと疑ってしまうほど印象が違います。作品によってこれだけ違う印象を受けるのはやっぱりそれだけ三船の演技の幅が広いということなんでしょうね。


志村喬も作品によって全く違うタイプのキャラクターを演じていて、本作では『生きる』でのあの切羽詰った暗い男を演じていた人と本当に同じ人なのかと思ってしまうような落ち着いた演技を見せてくれます。この映画を名作たらしめた理由は、脚本の完成度の高さでもあるでしょうが、それと同じくらい、いや、それ以上に役者の凄みでもあるでしょう。もちろん脚本や演出面も充分優れていると思いますよ。今現在のように映画業界がしっかりとした地盤を築いていない時代にこれだけ徹底した世界観を妥協することなく予算を投入し作り上げ、ただ全体の流れを大げさにするだけに捉われることなく一人一人のキャラクターの描き分けまでもをしっかりしているのは凄い。


農民が侍を集めるシーン、野武士が攻めてくる前の準備のシーン、その中で一番若い侍が村の女性と恋に落ちるシーン、クライマックスのドシャ降りの雨の中での戦闘シーン、菊千代をはじめとする全く異なった個性を持った7人の侍の描き分けなど、三時間を越える長時間の鑑賞に堪えうるように様々な工夫が盛り込まれています。


それだけ作り込んでいるからこそ面白い映画になったと思うんですが、それと同時に、何でメンバーの死に様だけが淡白なのか、という疑問も感じてしまうのが正直なところですね。全体の丁寧な作り込みと同様にメンバーの死に様をも丁寧にフォローしていればもっともっと凄い映画になったんじゃないかなー。その辺の意見は他の人にもちょっと聞いてみたいですねえ。



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深夜にテレビでやってたので見ました。深夜にやる映画ってちゃんと字幕でやってくれるから嬉しい。この映画は日本でのプロモーションにそこそこ力が入れられてた割りに評判はイマイチだったっていうイメージがあったんだけど、前からちょっと興味があったんでかなり真剣に見ました。


大まかなストーリーはこんなん。中一の少年が社会科での課題として出された『世界を変えるにはどーすりゃいいか』っつう問いかけにねずみ講式で親切を広げていくと世界が変わるかもしれないっていうアイディアを思いつきそれを実践しようとする物語。ねずみ講式って時点で別に大したアイディアじゃないので、この少年の思い付きに驚かされるようなことは何も無いです。むしろ『なんだ、ねずみ講かよ』とちょっとガッカリしました。


で、この映画、何か変。会話、心理描写、各人物の性格付け、ストーリー展開、その全てがちぐはぐしてるっつうか、微妙に歯車が噛み合っていなくてギクシャクしてるっつうか。明確にここが変ってハッキリ指摘できないんだけど、全体に妙な不自然さが常に漂っている感じがしました。リアリティーに欠けていると言えばいいのかな。


『そんなのあり得ない』って単純に斬り捨てているわけじゃなくて、各人物の会話の持って行き方や行動が設定された性格と上手くマッチしてないから、登場人物のキャラクターが不鮮明で、感情移入しきれないんですよね。詰めが甘いの。基本的に劇的な展開が無いような静かな人間ドラマにおいて、人物像がぼやけちゃうとギクシャクしっぱなしになっちゃうのよね。


あとラストもちょっとね。いくらなんでもありゃないでしょ。ああいうラストって相当上手くやらないと見てる人を白けさせるだけだと思うんだけどなあ。本作は、アル中のお母さん、無口な少年、心に傷を負った先生など、油断すると作品全体が悲壮感に覆われてしまいそうな設定を持ってきている映画ですが、それを暗くジメジメした感じにならないように常に和やかな雰囲気を残した描き方をしてる点に凄く好感を持ったし、見ていて感情移入が出来ないとは言っても、嫌な気分にもならないという部分では悪くないなと思ってみてました。あのラストを見るまではね。あのラストによってそれまで陰と陽のバランスを上手い具合に取ってた部分が全て台無しになっちゃったっつうか。


ラスト間際まで常に和やかさを残した描き方をしているもんだから、ラストへ繋がるあの出来事が余計脈絡が無いように感じるっつうか、唐突過ぎるように見えちゃうのかな。一応中盤で前フリみたいのはあるけど、ガキのケンカでまさかそうなっちゃうなんて思わんかったよ。見てて『えぇー!?』って苦笑いしてしまいました。涙なんかでないよあれじゃ。俺はストレートなお涙頂戴物語にも簡単に涙腺が緩む方だけど、映画全体の雰囲気をぶち壊してまで強引に『さあ!泣け!』みたいに唐突な展開になっちゃうとさすがについていけません。俺はあのラストは絶対失敗だったと思います。


あとこの映画にJON BON JOVIが出てます。出番は凄くチョットだけどね。俺は全然知らなかったので突然JONが出てきた時思わず声を出して『ジョンだ!』って言っちゃったよ。出番が短すぎて演技が上手いかどうかはよくわからんかったけど、目に表情がなかったなあとは思った。この映画で一番大きく心が反応したのはJONが出てきた場面かも。だって出てるなんで知らなかったからさ。とりあえず俺はJONのことをミュージシャンとしてしか認識してないんで、いきなり映画に出てくるとすげー変な感じがするし、その場面だけものスゴ違和感を感じちゃうね。演技が上手い下手以前に。


まーそんな感じで、イマイチかなこの映画は。全く泣けなかったですね俺は。



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バトルロワイアルIIです。一作目同様にR15指定です。恐怖政治の道具のひとつとして中学生同士が殺しあいをさせられるというアレの続編。中学生は逆らったりすると無理矢理付けられた首輪が爆発するので従うしかないのね。殺し合いのゲームのルールは前作とかなり違うんだけど割愛ね。書いても意味がない。結論からまず述べると、これは凄い。歴史に残るダメっぷり。これはちょっとフォローできません。殆ど手放しでクソ。だから細かいこと説明しても意味が無いの。


もうとっくに一般の感想は出尽くしているコロなので、著しく評判が悪いのは知ってました。だから最初から酷そうなのは予想出来ていたんです。それを踏まえた上で出来る限りいいところを探しながら見たんだけどね。無理です。これは無理。これ中学生が考えた話なんじゃないの? いや、小学生かな。R15指定ってのは15歳以下は見ちゃダメよってことだけれども、この映画は15歳以上は見ちゃダメ。それくらいツライよ。


全てが支離滅裂で全てが破綻。部分部分の演出が前時代的でダサイとかアレンジの仕方がイマイチで原作の痛快さが出せてなかったとか、そういう前作においてのマイナスポイントのような可愛いダメさ加減じゃない。全部ぶっ壊れている。ここで内容をある程度説明するのもちょっと難しい。だって筋道が通ってないんだもん。筋道が通ってないモノをわかるように説明するのはかなり手間がかかるので省略します。音楽にしても映画にしても感想を書く場合は『見るな!』とか『聴くな!』とか『見ろ!』とか『聴け!』とかあまり極端に言い切らないようにしてるんだけど、これは見るなと言い切っちゃう。や、マジ見るな。得るものないよ。


ここまで言うとクソゲークソゲー言われてるゲームをやってみたくなるのと同様に(ゲームサイトなんで一応この例えね)ちょっと見てみたくなると思うけど、笑いに繋がるような要素が多いかっつうとそうじゃないと思います。普通につらい。確かに生徒たちが戦場に出ていきなりプライヴェートライアンだったりするあたりは可愛くて笑えるんだけど、その後の展開から会話まであまりにもメチャクチャで呆れちゃうんですよね。意味がわかんねーんだもん。


ああ。でも教師役の竹内力の序盤のキレた演技は面白いし、終盤での意味不明さも面白かったかも。要はそこだけ見るために二時間捨てれるか、という話なんかな。そう考えるとフォローできないってこともないのか。殆ど斜め方向からの視点から、ですけど。終盤で竹内力がラガーマンの格好して突然出てきて『トラーイ!』ってするところはウケ狙いじゃないのだとしたら確実に作った人の頭おかしいです。そこは大笑い出来た。幼稚園児級の発想だもんな。


以下その名場面。



ラガーマン
ああ!戦場の真ん中にラガーマンが!
最初のオールバックから髪型まで変えてる!
意味がわかんないよリキ!
爽やかな顔で『お前らとラグビーやりたかったな・・・』とか言ってる!



ジャンプ
最大の爆笑ポイントは間違いなくここ!
あり得ないほどのジャンプ力でリキ先生が『トラーイ!』。
飛びすぎ! 飛びすぎだよ! リキ!
左下の金髪の青年の遥か上を飛ぶリキ! 飛びすぎー!
この後何故か先生なのに首輪をしていた彼は爆死。
俺は大人じゃない!ってことなんだろーけど意味わかんねー。
まあこの人、一応色々あったようでテンパって薬中だったりするんだけどね。
それでもこの場面はフォローしきれないってば。画的にバカ過ぎだってば。



とまあこんな感じで最凶最悪な映画です。元々原作のオモシロさって小難しい説教じみたモノなんか無しに単純に極限の状態で色んなキャラが戦うアクション大作って割り切っていたところにあったはずなんだけどね。中学生にした理由は特に無いって作者が言い切ってるしね。


けど一作目を映画にした時点で映画の人たちは中学生であることにやけにこだわってた。そっからなんか履き違えちゃったんだなあと思うよ。アクションを引き立てるためにキャラのバックボーンがあり、飽きさせないために色々な死に様があった。単純にそれだけだった。それが面白かった。痛快だった。けど、映画を作った人たちはオモシロさの核を排して、違う部分を誇張した形で続編作ってこんな有様です。目も当てられない。


けど、これを見たあと一作目の特別篇を見たらびっくりするほど面白かったです。一作目はこの二作目よりも1000000倍マシ。センスの無さもなんだか可愛いので許せちゃった。一作目も最初はヒデェって思ったけど、この二作目ほどじゃないね。だから、一作目を楽しみたいならまず二作目を見てから一作目に行くと一作目が面白い映画のような気がしてくるので得するかも。


結局、結構フォローしてるな俺。


あとね。前田姉妹。


俺、断然ねえちゃん派。


あっぱれさんま大先生に出てるころからねえちゃん派。



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単純にカッコイイ映画。


多分DVD買うと思う。そんで殺陣のシーンだけ何十回も繰り返し見たい。それほど殺陣がカッコイイ。相手の刀と座頭市の刀が直接重なり合うってことが殆ど無く瞬間的に隙を突いてバサバサ斬る爽快感は最高です。人が斬られたときの音が『ズバ!』じゃなくて『ズバ、ブシュー!』なのがやたら気持ち良いんだよね。効果音って大事だなあって改めて思っちゃった。血や敵の体を貫通した刀のCGがバレバレでイヤって人もいるみたいだけど俺としては全然気になりませんでした。むしろカッコイイ!って普通に喜んじゃったよ。そんなわけで殺陣のシーンは全部お気に入りです。だからそこ以外のことをこれから書いてみます。


物語は勧善懲悪の非常にわかりやすい話なのだけれど、登場人物の回想シーンや過去の出来事が唐突に挿入されるので一瞬惑う部分があるなあと思いました。難解ってわけじゃ全然無いけどね。個人的にはそんな野暮ったいことしないでもっとそのまんま描いちゃえばいいのになって思った。中盤過ぎまで回想シーンがやけに多いんですよ。それで今現在の状態がしばらく置きっぱなしにされちゃう感じがする部分があるんだよね。『涙涙の感動の嵐!』を狙う映画じゃないんだから、回想シーンはそこそこの長さにするとか、もっとわかりやすくハッキリ区切りを設けるとかしちゃえばよかったのに。唐突に回想シーン、過去のシーンが挟まる関係でテンポが落ちてる部分があるのよね。もちろん登場人物のバックボーンが全く無いと困っちゃうけど。その辺はバランスなわけで、そのバランスが少し偏っていたかなって。


あと、ギャクのシーン。悪くないんだけど、ストーリーの流れとは無関係のコントが突然入るのがちょっと気になった。北野氏の『ブラザー』を見た時にも思ったことなんだけど、『これ無くてもよくね?』みたいなのがいくつかあったなあ。ブラザーの場合はそのギャグシーンがやたら長くて凄く気になったんですよ。北野氏が演じる『アニキ』の舎弟がバスケで遊んでるシーンとか長すぎて寒かったもん。この座頭市では長さは控えめにしてあるからそこまで気にならなかったけど、『あーこの映画もこういうのあるんだあ』って思う部分はあった。タカが剣術教えてやる!とか言い出すところとか流れに馴染んでないんだよね。


ストーリーに関係する会話をしてて、座頭市に話を振ったら目が! の、あのシーンみたいに流れの中で短く突然出てくるのは好きだし、タカが化粧してたら家に火をつけられて外にそのまま出て集まった近所の人たちの中の一人がその化粧に気づいて横目で見てるのとか流れの中でやってるのはすげえ好きなんだけどね。わざわざ一回流れを変えてまで入れているコントはもうちょっと工夫して欲しかった。


あと話題になったタップダンス。それは特に思うことは無いかな。ラストのはただ単にお祭りのシーンだし、農民が田んぼでやってるのも短く入ってるだけなので、特に気にして見てなかったし。タップの挿入は画と雰囲気とリズムで楽しませ、和の独特さを保ちつつも今までの時代劇には無い感じを演出してるんだと思うけど、そういう小技みたいなのって俺よくわかんないんだよね。長すぎると多分邪魔って思ったと思うけど。


以上のように書くと文句ばっかりのようだけど、とにかく終盤のテンションの上がりっぷりで全て補えてるから全く問題なし。待ちに待った用心棒との対決もあの感じで満足。変に長引いてもテンションが落ちると思うんだよね。あれは会話とか無くて正解じゃないのかな。で、そのあとのラストへの流れとオチ。マジ最高っす。北野武ってあんな男前だっけ!?って思うほどカッコよかった。


勝新版との差別化を意識して作ったのは明らかで、あのオチはまさにそれを象徴するモノだと思うんだけど、大事な部分は結構そのまま踏襲してるのが嬉しいですね。違うところは違う、でもここは同じにした方が良い、ってちゃんと考えて作ってる。博打の場で騒動に本格的に巻き込まれ始める、なんつう流れもオリジナルから踏襲してる部分だし、コントが入るのも実はオリジナルで既にやってることだし。


とりあえず総合としては超満足な娯楽映画だと思います。続編見てぇ!



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