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貴方は自分にとってのキーパーソンと出会いましたか?
そんなわけで、今回のテーマは人生におけるキーパーソンです。まずは俺の親父の若き日のエピソードを紹介してから話を進めます。ちょっと長いですが、これを具体的に書いておかないとどうしても話が進まないんですよね。なので我慢して読んでください。
俺の親父は農家出身なのだけど、東京の大学に入りたくて新潟から一人で上京し、牛乳配達をしながら大学に通い、教職免許まで取って卒業した努力家さんです。その後は大学で専攻していた電機関係の民会会社に就職したのだけれど、待遇はいまいち、仕事内容もいまいちでなんとなく違和感を感じながら数年間を過ごしたそうです。そんな中、会社帰りの電車の中で偶然大学時代の友人に出会いました。
その友人と会うのは随分と久しぶりだったので飯でも食おうということになり、食事をしながらお互いの生活ぶりの話をしたそうです。その友人は高校教師をしていて、給料は悪くないし教師って仕事も良いもんだぜ、なんて言ってたそうです。それを聞いた親父は自分も教職免許を持っていたことを思い出し教師になってみようかと思ったそうな。
そのころ親父の妻、つまり俺のお袋は洋裁店を経営していました。そしてお袋は自分の店の常連のお客さんに単なる世間話として『主人が教師の就職ぐちを探している』という話をしました。すると、そのお客さんは『私にあてがあるから任せてくれ』と言うではありませんか。そして親父はその人の紹介で私立高校の教師になることが出来ました。
しかし、教師になってからが大変でした。大学を卒業して既に数年が過ぎているので改めて専門の勉強をし直す必要がありました。だから家に帰って毎日勉強してたそうです。そんな状況だから生徒にそれを教えるのも当然いっぱいいっぱい。
しかも最初に割り当てられたのがひとクラス70人もいる高校三年生のクラス。ただでさえ人前でモノを教えることに慣れていないのに、高校生活にすっかり摺れている連中を70人も相手にしなくてはならなかったので精神的にもかなりつらかったそうです。その頃に一気にハゲた、なんて笑って言ってました。
そんなある日、職員室で他の先生達が、『公立高校の教員は待遇がよくて良いよなあ。ボーナスも良いし、基本給も良いし。』なんていう会話をしているのを耳にした親父は公立高校に移ることを考え始め、それの採用試験を受けることにしました。
しかし、その時点ではまだ授業をすることにも慣れていないし、自分自身も授業の為に勉強していたので採用試験の為の勉強をする暇は無く、一回目の挑戦では見事に玉砕しました。しかし、教師というのは長い夏休みがあるので、それを利用して勉強し、二度目には何とか受かりました。
しかし、受かってもただ採用者名簿に名前が載るだけですぐに採用されるわけではありません。成績の良い順に欠員のあった公立高校から呼び出しがかかり順次採用されていくのです。そして一年間呼び出しがかからないと期限切れとなりもう一度採用試験を受け直さなくてはなりません。
親父は成績的にギリギリの感じで合格したために、全く声がかからず期限切れが近づいてきました。『もう一度受けなおしかなあ・・・』なんて思いながら私立高校の教員を続けていた時、ある人が親父に声をかけてきました。それは、親父が勤めていた私立高校に講師として来ていた鈴木さんでした。鈴木さんは元公立高校の教頭先生だった人で、その時点では既に定年退職をし、その後に講師のバイトとして親父が勤めていた私立高校に来ている人でした。
鈴木さんはちょっと遠慮がちに『アイバ先生は公立高校の採用試験などは受けるつもりは無いのでしょうか?』と言ったそうです。その当時まだ若かくて、しかも勤勉な性格だった親父に、鈴木さんは『アイバさんはマジメだし、まだ若いのだからもっと待遇の良い公立高校に移る試験を受けてみるのも悪くないのでは?』ということを言いたかったようなのです。
そのとき親父は自分が公立高校の採用試験に既に受かっていることを職場の誰にも話していなかったので、鈴木さんがそのような話を振ってきたのは本当にただの偶然でした。その鈴木さんの問いに親父は『実はもう既に受かっているのですけど、お呼びがかからなくて・・・』と答えました。すると鈴木さんは『そうですかあ・・・・。もう受かっていたのですか。では、その件、私に任せていただけますでしょうか?』と言ったそうです。鈴木さんは元公立高校の教頭です。だから公立高校の管理職に知り合いがいっぱいいたのです。
そして鈴木さんは、翌日には公立高校への就職ぐちを探してきてくれて、ついに親父は公立高校の教師になることが出たというわけです。しかも、それまで勤めていた私立高校は『専任講師』という形で続けさせてもらえることになりました。
なぜそんなことが出来たかというと、鈴木さんが紹介してくれた高校というのが定時制だったために、昼間は今までの私立高校で専任講師を、夜は定時制の公立高校で専任の教員が出来たというわけです。そんな風に二箇所で仕事が出来るようになり、給料がそれまでの二倍近くになりました。朝から夜11時くらいまで働き詰めではありますが、田舎から一人で上京し、貧しい中で勉学に励んだ親父にとってその生活は心から満足のいくものだったようです。
以上の話を聞いた俺は、最初こんな風に思いました。
『なんて運がいいんだ。俺なんかそんな親切な人に出会ったことは無いし、偶然によって人生が良い方向に左右されたことなんかない。やっぱ俺はついてないんだ。』、と。しかし、よくよく考えてみるとそうじゃないんです。ここで書いた話に出てきた親父にとっての『キーパーソンその1』は電車で偶然出会った大学時代の友人です。彼に偶然会わなければ親父は教師をやろうと思わなかった。だけれど、彼が親父にとってのキーパーソンとなった理由はただ単に彼が高校教師をしていたから、ではありません。
親父が牛乳配達をしながら通った大学で、人よりも努力をし、教員免許を取得していたからこそ、彼がキーパーソンと成り得たのです。もし、面倒くさいからと言って教職を取っていなければ、高校教師の彼に出会っていたとしても彼はキーパーソンには成り得ず、ただの『偶然会った友人』でしかなかったでしょうし、一緒に飯を食ったなんていうエピソードもとっくに忘れてしまっていたでしょう。いや、もしかしたら会ったことすら忘れてたかもね。
次に『キーパーソンその2』。それはお袋の店に来ていたお客さんです。それも上記の友人と同様に、親父が教員免許を持っていなければ、『妻のお店のお客さん』でしかありませんでした。さらに『キーパーソンその3』。それはもっとも重要なキーパーソンである鈴木さんです。彼が親父に公立高校の話を振ったのは偶然ですが、そこから話が先に進んだのはやはり親父が努力をして公立高校の採用試験に受かっていたからです。もし、一度目の採用試験で諦めてしまって二度目の試験で受かっていなければ、鈴木さんとの会話は単なる世間話で終わっていたかもしれません。つまり、鈴木さんも上記二人と同様に、親父が努力をしていたからこそキーパーソンと成り得た人物なわけですよ。
親父にとってのこの三人のキーパーソンは、確かに偶然が呼んだ人物かもしれませんが、その人たちを『偶然出会った単なる知人』から『自分にとってのキーパーソン』という存在に変えたモノは、紛れも無く『親父自身の努力』なんですよね。三人とも親父が努力をした後に登場してるんです。自分なりに出来ることをしっかりやって下地を作っておいたからこそ彼らがキーパーソンとしての役割を持ったのです。もし、親父がなんの努力もしない状態で彼らに出会っていたら、彼らは親父の息子である俺に思い出として語られることもなかっただろうし、それどころか親父の記憶からも消えてなくなっていた人たちだったかもしれません。
そう考えると俺も、もしかしたら自分にとってのキーパーソンとなるかもしれなかった人と既に出会っていたのかなあと思ってしまうんです。俺は今まで何かと努力することから逃げ、『どうせ無理』と最初から諦めることが多かった人間です。だから、もし、俺が努力を怠らず、無理だと思うことでも最初から諦めてしまわずに頑張れる人間だったなら、何かしらのキーパーソンに出会っていたのかもしれません。
今まで引きずってきた怠惰な自分が、自分にとってのキーパーソンになるかもしれなかった人をそのまま見過ごし、『ただの知人』や『記憶にも残らない偶然出会った人』にしてしまっていた可能性は否定できません。もちろん、何の努力もなしに運だけで人生の困難を上手い具合にすり抜けていく人もいます。だけれど、初めからそのような単なる運から生まれる幸福を期待して生き続けるのはやっぱり愚かですよね。
『単なる偶然』を『良い意味でのターニングポイント』に変え、そして『単なる知人』を『自分にとってのキーパーソン』に変えていくチャンスを、自分自身の努力によって増やしていくのはとっても大事なことだと思います。怠惰な俺は、未だに自分にとってのキーパーソンには出会っていませんし、自分の怠惰によってキーパーソンとなるかもしれなかった人を『記憶にすら残らないただの人』として見過ごしてきたのかもしれません。
貴方は自分にとってのキーパーソンに出会いましたか? |
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