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印象の具体化


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自分が持つ抽象的な他人に対する印象ってのは必ず存在すると断言して良いと思います。それをどのように持つかというのは人それぞれでしょうが、とにかく他人と接するときには必ず何かしらの印象を抱くのは当然の事です。


例えばそれは、いい人だとかイヤなヤツだとか信用出来そうだとか胡散臭いだとか平たく言うとそんな部類のモノです。なんの印象ももたないなんてのはマズあり得ませんよね。世の中には印象が薄い人も当然存在しますが、その場合だって『印象が薄い』という印象をその人に対して持っているわけですから。


身近な知人友人に対しても当然自分なりの印象というヤツを持っているわけです。でもその印象というのは大概は抽象的なものであり、なんとなく抱いているというだけのものに過ぎない場合が多いと思います。そこで俺はちょっと考えてみました。


自分の身近な知人友人たちに対して抱いている印象を具体化したらどうなるのかを。


自分が知人友人達に対して抱いている印象を実際に活字として書き起こしてみるんです。それはあくまで自分が抱くその人への印象であって、実際はどうかっていうのとはまた別問題です。とにかく自分がその人をどういうヤツと認識しているかという観点から具体的な活字というものにしてみるのです。


例えば。あくまで例えば。架空の人物Aくんに対する自分の印象を書くとこんな感じ。


Aくんに対する自分なりの認識

この人は他人が困っていたり、トラブルに巻き込まれたり、相手がショックを受けるような事を自分がする時などにとてもうれしそうにする人。でも、何か自分自身の言動が原因で自分自身が嫌われたりするとそれを境に自分の上っ面の形を徐々に周囲に合わせて修正していくという器用な面も持っている。でもいくら修正したってそれは上っ面なのでこの人の言葉は信用しない。プライドはとても高い。



なんていう風にあくまで自分がその人に抱く印象を正直に形にしてみるわけです。そして、それを対象になっているの人たち全員分を書いてみるのです。さらに、それをそれに参加した人たち同士でせーので見せ合ったらどうなるでしょう。


同じAくんに対する印象でも人によってかなり違ったものになるはずですよね。しかもそんな事をしたら恐らくは人間関係が成り立たなくなるような気がするのです。俺も含めて『皆は自分の事をそんな風に見ていたのか!!』と驚きを隠せない程のショックを受ける部分を数多く目の当たりにする事になると思うからです。しかも人によってかなり異なった印象を提示してくるわけですから混乱してしまうでしょう。もちろん上記のような事を実際にする人たちはいないでしょうけどね。


でもこんな事をしなくても他人に対して自分が抱いている印象を口に出して語る機会というのは実際とても多いですよね。飲み会で他人の人間性について『あいつはねー』なんて偉そうに語ったり。それは対象になっている人の悪口かもしれないし、悪口じゃないにしても表面的に見え易い人柄を分かった風に話していたり。


俺もそんな会話に加わったりした事は数え切れないくらいあります。俺は単純な悪口ってのはそんなに言わない(とは言っても言うときもありますよバカだから)んですが、誰かの事を分かった風に語ったりしがちなんですよね。俺のすげえ悪い癖なんですよ、それ。


で、そんな自分の言動に疑問を感じて来たってのが今回の文章のテーマです。


前述したようにわざわざ自分が持つ他人への印象を具体化して人と見せ合ったら?なんて事を考えたのはそもそも俺自身持っている身近な人物に対しての漠然とした印象を実際に具体化してみたのがキッカケなんです。さすがに人に見せたり活字にしたりはしていないけど、頭の中で文章として思い浮かべてみたんですよ。それで、もしほかの人が俺と同じ事をして、しかもそれと自分のとを比べたら自分と共通するモノってどのくらいあるんだろうって思ったわけです。


そういう流れで考えていて、多分ぜんぜん違うモノになるんだろうなという推測に行き着いたのは前述したとおりです。これでなんとなく言いたい事が見えてきたんじゃないでしょうか。要するに他人の事を分かった風に口に出して語るっつうのは実際全く意味の無い事なんだってハッキリと確信して、『俺は結構人のこと見抜いてるんだぜ』なんてのをかもし出しながら分かった風な事を語ってきた自分がすんげえ恥かしくなったんですよね。


自分が抱く他人への印象が実際とあってるとか間違ってるとか、そんなモンはどうでもいい・・・・というか、あってるとか間違ってるとかいうレベルのもんじゃないんです。自分がある人に対してそう感じたんだったら自分にとってはその人はそういう人なんですよ。それだけ自分で認識できていればそれで良いんですよね。


俺が思う俺ってのもそれが正解だとは思いません。俺自身、俺ってヤツがどんなヤツなのかなんて全部は把握できてないですから。たとえばAくん、Bくん、Cくんが抱く俺の印象ってのももちろん違うわけですが、それらどれもがその人にとっての俺であって、その人にとって俺はその人が認識した人間として存在しているんですよね。


特定の人物に対して特定の印象を多くの人で共有しようとするってのは、よくイヤなヤツに対して行われることですよね。イヤな上司や先輩に対してその人のイヤな部分を皆で共有し、お互いそれに共通の連帯感を見出して、そこから仲間意識が生まれる。


それって弱い証拠だし、すんげえセコイ。


そんな事と同じで、特定の誰かの内面について分かったような口をきく事で、その人よりちょっとウワテにいるような気になって、それを話した相手から共感を得られれば相手から仲間意識を手にできる・・・・そんな事が根本にあるから俺はよく他人の事を分かった風な事を口に出して言うんだということに気づきました。


すげえ寂しがり屋で小心者の証です。


だから人それぞれが抱く他人への印象ってのは口に出して偉そうに語ってもなんの意味も無く、自分なりの印象をしっかり持ってればそれで良いだろって思ったわけです。


俺にとってソイツはそういうヤツ。


そう感じたらそれで良いじゃない。他人とそれを共有したり、それを他人に主張したりするのは自分が弱くて寂しくて不安である事を主張しているだけなんじゃないかな。


そんな事を思ったら、特定の人物に絡んだり理論を振りかざして相手の意見をねじ伏せる事にばかり力を注ぐ人は表面的には強くて芯がしっかりしているように見えるのかもしれないけど、掘り下げていけば実は、自分の主張を人にも理解してもらってそれによって仲間が出来ることを望んでいるだけのとてもとても弱い人なのかもしれないなって思いました。



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