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The heart抜粋シリーズ7 [2002/03/18 (2) (Mon)] - エンドレス


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つうか、こういうのだよこういうの。ここ何回かのこういうのが後で見ると恥かしい日記の代表格なんだっつうの。気分にまかせて書いたヤツね。たまんねーなー、おい。既に恥かしいよ。どうしてくれよう。


けど恥かしいからって消しちまえば良いってのがどうも出来ない。イヤ、消して良いんだと思うけど。全然消したってかまわないんだよな。けどなんか俺は出来ない。なんでだろ。自分のその瞬間の気分を否定してしまうのがイヤなのかも。恥かしいけどそれ以上に愛着があるのかも。


でも恥かしいもんは恥かしいんじゃボケー。


最近モー娘のファンサイトで小学生がやってるサイトをみたんだけどすげーのなんのって。掲示板が特に。基本的に本能の赴くままに会話が構成されてるからそりゃ目も当てられない惨状になってることも少なくなくて。けどそういうの見るとちょっと羨ましいんだよな。恥かしいとか、一般的に自分が的外れなこと言ってないかとか、まるっきり無関係な状態が羨ましい。


そりゃ大人がやったら大変なことになるんだけど。けど大人になってもある程度は無責任になれる瞬間ってのも欲しいという風に思う自分もいる。『恥かしいとか言ってんじゃねえよ』って感じで。『あ? そんなん知るかよ。俺が良いからそれで良いの。あっはっは。』とか普通に言えちゃったりとか。


ていうか、実際俺はサイト上でキャラを作ってないとか言ってるけど、まあそれはホント。作りたくても作れないっつのが正しいかな。そんな器用じゃねえっつうの。けど実際は丸裸なわけじゃなくかなり取り繕ってるんだよな。その取り繕いってのはサイト上での振る舞いだけの話じゃなく実際の生身の付き合いにおいても確実になにかしら取り繕って生きてんだよな。それをひっくるめて自分なわけで。


例えば電車で見かけた女性がいたとして、頭の中では反射的に『ウワっブッサイク!』って思う事だってそりゃあるわけだ。だけど、それを人にウハウハ言いながら話したりはなしない。ましてやここにネタとして書いたりもしない。書きたいとも思わない。


けど、まるっきり何の取り繕いもなしの剥き出しの感情、つまりは考えではなく勝手に沸き上がってくる『感情』をそのまま書けば『今日、電車でブサイクなオンナをみた。うわ。マジブサイク。』って記述も生まれてくる。だけどそんな中傷的な感情が沸いてきた自分をイヤだって思う自分がいるから、そういう事は日記に書かない。その日記に書きたくないと思ってる自分もそれはそれで素直な感情なわけだけど、取り繕いともいえるわけだ。


そんな風に全てにおいて取り繕うことをしながら生きているからこそ、ここに書いたことを後で恥かしいとか思う感情も生まれて来るんだな、これが。だから俺は完全に利己主義になれる子供を見るととてもうらやましく思ったりする。


他にはあれだ。あれ。


身近にバンドマンがいたとして。知り合いが『キミを愛してる〜♪』とかいうオリジナル曲を歌っちゃってるのをみて必要以上にバカにするヤツってのがいる。まあ、俺もわりとそういうことしちゃう方。けどさ。巷に溢れてるラブソングなんて元々そんなもんな筈。冷静に考えりゃすげえ寒い歌詞ばっかりだ。だけど、ラブソングってのは広く一般に認められてるものだ。知り合いが歌うとそのクオリティーとかは全く別として、単純に恥かしいからってバカにするくせに。


そういうラブソングとかを堂々と歌える人ってのは自分に酔えるからこそ出来る事であり、『恥かしいとか言ってんじゃねえよ』って言える素質がある人であり、『あ? 知るかよ。歌いたいから歌ってんだよ。あっはっは。』って言える素質がある人なわけだ。だけどそういう人が身近にいると周りからはバカにされがちなんだよな。


よくよく考えてみると実際に売れている人達だって、多分無名時代は身近な人達にバカにされてた人もかなりいるはず。っていうか殆どじゃねえか? グレイとか『あいつら恥かしくないのか』とか知り合いに後ろ指指されたりしてた可能性は充分あるだろうしな。けど、最終的に『あ? 知るかよ。 やりたいからやってんの』っていう行動が取れたからこそ今があるわけだ。


もちろんだからといって成功するわけじゃないけど。


また何が言いたいのかわかんなくなってきたな。要するにだ。そんな風に自分のことを変に客観的にみる事ばかりに捉われてる連中ってのは、恥かしげもなくやりたいようにやってる連中を非難することによって自分のその冷静さや、自分はちゃんと現実をわきまえてそんな恥ずかしいことはしないもんねっていうのを確認し、そして納得しつつ安心してるに過ぎなくてただの臆病者であるヤツも多くいるだろうっていう話。


子供は『他人に自分がどう見られているか。自分は恥かしくないか。』なんて事はお構いなしに泣き叫んだり、文句言ったり、わがまま言ったりする。それがちょっとだけ羨ましいって思ったんだな、俺は。大人になると色々考える事が出来るようになる代わりに自分を大事に出来なくなる部分もあるわけだ。考えるからこそ大事に出来る部分もある反面、大事に出来なくなる部分も存在するんだな。結局は物事を自分の都合の良いように解釈して、自分の良いように納得しちまったヤツの勝ちなのかもしれないな。


もちろん自分という肉体を含んだ物理的な行動は、仕事や人間関係を保たなければならないから、全てを都合の良いように持っていくのは不可能だけど、そういう話じゃなく頭の中での処理の仕方において自分がイヤな気分にならないように、自分の都合の良いように全て処理しちまうことなら出来る。


極端な話、他人に迷惑をかけたとしても最終的に自分がこれで良いっていう結論を出しちまえば、その人の中ではそれで良いわけで、その本人の最終決定を死ぬまで貫いてしまえばやっぱりその人はある意味人生の勝利者なのかもしれない。どうせ人はいずれ死ぬわけで、死んだらオシマイなわけで、その地点まで頭の中で自分の都合の良いように物事を結論づけ続けちゃえば他人がどう言おうと、他人にどう思われようと関係ないんだろうな。


色々モメごとがあったとしてそのモメごとが両者決裂のままおわったとしても、『あいつはバカだから仕方ない』って心底思う事が出来て、自分の都合の悪いことを頭の中で完全に抹消する能力があればそれが唯一の事実だと結論付けちまう事が出来て、結果的にその人にとってそれは本当に楽しい人生になるんじゃねえかな。


それが良いとか悪いとかじゃなく。


そういう部分で言えば俺は間違い無く敗北者だ。何よりも他人にどう見られてるかを気にして、人との関わり合いで取り繕って、自分が感情に任せて書いた文章をあとで恥かしく思って、色々外に向けて言い訳して、そんな自分が好きじゃないとか言っちゃたりして。


だけどそんな自分が好きじゃないって言っちゃってる自分は結構好きなのかも。


よし。俺の勝ち。


でもこれを明日読んだらまたまたすげえ恥かしいんだろーな。


とか恥かしがる時点で俺は敗北者。


とか、さらにそういうことを付け加えて自分は敗北者であるということを予め認める事で事前に逃げ道を作っている自分が嫌いだ。


とか言いながら、そういう風に逃げ道を事前に作る自分を嫌いっていう風に言ってる自分は好きなのかもしれない。


やっぱ俺の勝ちだ。


あっはっは。


イヤしかし、凄いな、今回の文章。なんだこりゃ。



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