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■2004/03/31 [ Wed ] (1) - ヤバイほど本心
うぎょー。さ、淋しい・・・・。今日さ。職場に行くための定期だとかそーいうのを揃えたり、これからする仕事に関係ある資格で大学卒業した時点で取れるはずの資格を今の今まで登録申請してなかった為にやっと登録申請の書類を出したり、仕事に関係あるこれから取らなくちゃいけない資格の参考書を買いに行ったりして、仕事が始まる前の準備が大体整ったのね。引越し先の準備も整ったし。

それで、やっとホントに一区切りだぜーって思ったら、今まで数年間殆ど大学の友人などと連絡を取らない真っ暗な生活をしてた孤独感が今になってグアーって込み上げてきて、サークルで仲がよかったヤツに携帯のメールを送ってみたら見事にアドレスが変わってて跳ね返ってきたりして、この状況は淋しすぎるぜと猛烈に実感。

ソイツの携帯の電話番号も変わってたらどうしようと思いながら電話したらそっちは繋がった。結構長話をしました。ソイツの近況はもちろん、周辺の話も聞いたよ。そういう話をきくと自分の孤立具合を実感しちゃうよね。自分で色々選択間違えたり、溝にはまり込んだりしてどんどん社会的にも出遅れて、それだけでなく人間との関わりも途切れてしまって焦りまくりだよ。ぜーんぶ自分が悪いんだけど。

その後、唯一向こうから連絡をくれる他の友人とも電話で話したりしつつ、とにかく出来るだけ早くいろいろなところに出て行かないと!!みたいに生き急ぐ感じな気持ちになってます。仕事やお金、社会的地位なんかの部分でエライ遠回りをしてしまい焦っているけれど、それと同じくらい仕事以外での人との関わりにも焦りを感じてます。殆どの人との連絡を自分から閉ざしてしまってから数年間。これって尋常じゃない期間だもんな。

今日友人と電話で話したことなんだけど、結構俺って交友関係を粗末にしていたところがあるんですよ。このニュアンスが上手く伝わるかわからないけど、自分に何かを与えてくれるのを常に人に期待してて、自分が期待するモノを返してくれない人は自分にとってどうでもいい人だ、みたいなイジケた考え方をするところがあったんだよね俺。

冗談でも何でもなく、『向こうから誘ってくれないならもう良いや』とか『話を聞いてくれないならもう良いや』とか、『深い話を出来る相手じゃないからもういいや』とか、『深く付き合える相手とだけ上手くやれればいいや』とか、それらに近い勢いで、とにかくイジケたところが非常にあったんです俺には。ホントわがままで、イジケてて、視野が狭い。

自分から世界を広げていこうっていう気が無いのに、相手には何かを要求するのよね。俺は『他人は所詮他人で、相手はある程度の距離を作り、壁も築き、どうせ分かり合えないから別に適当で良いや』みたいな考え方してるところが多大にあった。それって実は相手が距離をとったり壁を作ったりする以前に自分自身が先に壁を作って距離をとってるんだよね。そのくせ相手に何かを要求するの。マジ最悪だよ。

人間関係ってそういうんじゃないよね。当たり前のことだって笑われるかもしれないけど俺はそんなことにも気づかずにいたんですホントに。ここ数年、殆ど友人と連絡を取らずにいて、逆にそういうところが見えてきたってのは、全体としては進展の無かったこの数年間で数少ない得たものだと思うし、自分にとって結構大きいかもしれません。この数年でかなり考え方が変わったと思うよ。『人生のドラマと線』っていうテキストなんかもその辺の心境の変化が起こり始めたコロに書いたモノなのかもしれない。今考えると、っていう結果論だけども。

今日は社会復帰目前の日ですが、それ以外の人との関わりや趣味なんかの部分など、そういう部分も含めて本当の意味での社会復帰が早く出来るように頑張らねばと強く思ってます。このままじゃ色々マズイ。人生は一度きりなんだから尻込みしてる場合じゃねーよホント。このままダラダラ行ったら後悔しながら死んでいくことになりそうなので、マジ気合入れて、そして楽しんで生きていかないと。

笑われるのを覚悟で言うけどさ。人と会わなくなってからのこの数年でエライ太ったんですよ俺。で、友人と久々に会うと必ず一言目に『太ったなー』って言われるのが予想されるよね。なんかそれがイヤで人と会うのを躊躇ってたところがあります。冗談でもなんでもないです。マジです。そういうのすげえ気にするんです俺。すごいでしょこのイジケ具合。特にそういうコトを悪気なく言うような知り合いには凄く会いたくないって思ったりしてました。バッカみたいだけどマジなんだってば。この感覚は理解できな人が殆どかもしれないけどさ。

それはひとつの例だけど、他の部分でも俺にはそういう変なトコを気にして、あり得ないような理由で尻込みをするってのが結構多いんです。そーいう変なところをガシっと変えていかないと、常に及び腰な生き方になるから、この四月での大きな節目で色々自分の中で考えて、頑張っていこうとか思ったりなんかしてる今日この頃なのです。やー。いつもウソは書かない主義だけど、今日は特に凄く本心を書いたって感じがするよ。スッキリー。



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■2004/03/31 [ Wed ] (2) - うんこ漏らしそう
明日は初出勤なわけで。落ち着かねー。

極度の緊張で今日一日テンションが低かったです。そして緊張によって糞尿を漏らしそうです。ここ最近は結構勢いのある更新だったけど、仕事が始まったとたんにしばらくの間は更新の勢いを失うかもしれません。仕事が大変かどうかとは別問題で、気持ちがいっぱいいっぱいになりそうなので。小心者だからさ。新しい環境に行くってだけでくたびれちゃうコト間違いなし。帰ってきたらすぐ寝ちゃったりしそうな予感。慣れてきたら徐々に復活していくとは思うけど。

こわいよう。こわいよう。おっかない人ばっかりだったらどうしよう。全然仕事が出来なくてクビになったらどうしよう。前に一ヶ月で辞めた会社と同じくらい酷い会社だったらどうしよう。そんなことばっかし考えちゃう。社会的に一度落ちこぼれたヤツは『いよいよ社会復帰』を目前にすると不安ばかりが募ります。社会復帰は心底望んでいた筈なのに今は非常におっかないです。望んで結婚を決意した筈なのに結婚式の当日に突然精神が不安定になって逃げ出しちゃう花嫁のような感じです(違う)。

こういうときはとりあえず巨乳ビデオでオナニーです(そゆトコは意外と元気)。



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■2004/04/01 [ Thu ] (1) - 死ぬかも
あー。就職日記はもういらないな。働き始めちゃうと分ける意味が無い気がしてきたよ。だって多くの時間を職場で過ごすわけだから、こっちに書く内容と被りまくることも多くなるし。というわけで今日で就職日記はひとまず終了ってことで。

そんなわけでね。初出社でした。みんな現場に出てて俺は本社でしばらく何もすることがなくホケーっとしてたら、役所に行くから一緒に行こうということになりました。行きは助手席に座ってたんだけど帰りは運転することに。死ぬほどビビリまくりながら運転しました。普通に危なかった場面も何度か。多分明日も道を覚えてもらうからっていろいろなところに連れて行かれると思われます。で、運転もやることになる可能性が大きいです。こ、これは危ない。

いきなり更新が長いこと止まったら事故で死んだと思ってください。いや、ホントまだ俺の運転で都内をうろちょろするのは危ないってば。だって今日もウィンカー出す余裕が無いまますごい勢いで車線変更を二回くらいしたり、バスが出発のウィンカー出してるのに横を抜けようとして『危ない危ない』って同乗してた人に言われたし。危ないって。俺の運転で新宿とかやばいって。死ぬって。

け、けどこれでもう無職じゃないんだなあ俺。良かったよ。ホント良かった。
やっと仕事に就けたのに事故で死んじゃったら目も当てられないよなあ。
いや、むしろ死ぬとネタ的に面白いかもな。あっはっは。はあ・・・。

・・明日も運転・・・・ヤダ・・。



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■2004/04/01 [ Thu ] (2) - あーそうそう。4月1日ね。






実は俺、キムタクに似ています。


(このネタ使うの三回目ってのは秘密です)



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■2004/04/04 [ Sun ] - 日記
■相変わらず風俗に行きたいという夢を捨てきれずネットで調べてます。ソープランドって安い所だと総額一万数千円くらいのところもあるのな。ヘルスより安いじゃねーか。実際には全く行ったことが無いから安いところと高いところの具体的なサービスの違いは知らないけれど、とりあえず極端に安いところは女性がさ。なんつうかさ。こう、マニアックな感じっつうかなんつうか・・・・・。けどやれるならそれでいいか、みたいな気持ちもあったりなかったり。女性はこういう話するとやっぱ白い目で見るんでしょうか。男なんてこんなモンっす。貴女の彼氏も風俗くらい行ってるかもよ? ぶひゃひゃ。

■金曜は仕事の帰りがけに大学の友人から電話がかかってきて飲みに行ったり、仕事では相変わらず車の運転が辛かったりしてました。一日中運転してたのに道が全く頭に入らないのですげえ焦ってます。元々方向音痴な上に運転に全神経が行っている状態で『次は右です』、『そこ左』とか連続で言われ続けると全く頭に入らない。

前にテレビでみたんだけど人間が瞬間的に覚えられることは5個とか6個とかそのくらいで、それが記憶として定着する前に新しいことを次から次へと言われると古い順にどんどん忘れていくんだって。まさにその状態です。地図を雑誌なんかを読むような感覚で日常的に気楽に眺めるクセをつけて東京の全体像と主要な道路を頭に入れていかないとマジやばい。冗談抜きで23区の位置関係すらもわかってないんだよね俺。

無職だったころの悩みとは全く異質の悩みがどんどん増えるなあ。やっぱり働くというのは大変なことですね。今更何を言ってんだかって感じですけど。個人的に特別苦手なことも当たり前のように要求されたりするからね。ホント、方向音痴、地図音痴でここまで苦しむとは・・・・。『コイツ全く道を覚えられないじゃねーか。超無能だ。使えねー。』って思われてるんだろーなって色々想像してしまって胃が痛いよ。

■土曜は資格の参考書を買いに行ったり、引越し先に行ってちょっと掃除をやったりして、夜は近所の映画館でイノセンスを見たりしてました。俺にしては金曜に引き続き結構行動的かも。気楽に友人に電話したりもしたし、とにかく無職のときの引き篭もり状態から完全に抜け出すのに積極的です。金曜に飲んだときは本当に楽しかったもんなー。やっぱ色々な人と会ってコミュニケーションをとるのは凄く大事ですね。ここ数年間がいかにヤバイ状態だったか思い知りました。

■色々やってみたいことなんかがいっぱいあります。英会話なんかもやってみたいし、スポーツジムとかも行ってみたいし、もっと新しい人との出会いも体験したいし、バンドも少しずつ再開したいし、資格も取りたいし、仕事が一人前に出来るようになりたいし、CDも欲しいのいっぱいあるし、見たい映画もいっぱいあるし(キャシャーンとスパイダーマン2は絶対行くぜ)、恋愛もしたいし(なんかそういうのって俺に全く関係の無いモノかのようになっちゃってるものなあ・・・)、サイトでは漫画とか描いてみたいし、欲しいゲームもいくつかあるし、○○○○の勉強もしてみたいし(何かをハッキリ書くと笑われるから書かない)。ホント、人生一回だからメンドクサイとか言うのはやめようって無性に焦ってるんですよね。けど今までのグータラを考えれば少しくら生き急ぐくらいで丁度良いんじゃなかろーかなんて思っていたり。とにかく全てにおいてエライ焦ってるなー俺。

■俺の友人で、大きなアクシデントに出会うと素で『燃えてくるぜ』みたいにいうヤツがいます。俺が前に書いた『人生のドラマと線』というテキストでいうと『人生のドラマが盛り上がってきたぜ』ってなモンでしょう。俺の場合は簡単にそういう風に出来ないからこそ文章にして書いて自分に言い聞かせたりしてるわけなんだけど、自然とそういう風に燃えてきちゃうヤツもいるんですよね。もちろんソイツだって口には出さずとも色々考えているんだろうけども、ただ単に落ち込んだりはせずにアクシデントをパワーに変換する能力に長けているのは確か。ソイツのそういうところは純粋に尊敬しています。超カッコイイと思う。



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■2004/04/06 [ Tue ] - 門と道
最後の一本を吸い終えると、帰る金にさえ足りなくなっちまう!
                                  by 尾崎豊。
というわけで全く持って意味の無い書き出しでこんばんわ。急に尾崎の曲が頭の中を流れたので書いてみただけ。普通に朝起きて普通に寝るって毎日続くと意外とくたびれるんだね。規則正しい生活って疲れる。毎日やるべきことがあるって疲れる。あーダメ人間全開だなあ。もうくたびれてきちゃったよ。夜中までダラダラ起きてて昼ごろまでダラダラ寝てたい。ところで冒頭で書いた曲の歌詞って日本語変だよね。さすが尾崎。

それはともかく、ホンノリうんこがしたい時にオシッコだけをしようとするとうんこまで出てしまいそうになるときありませんか。俺はあります。っていうか今日そうだった。ホンノリとうんこがしたいんだけど、別に全然我慢できそうな感じで、今はうんこするのが非常に面倒くさいから後でいいやって思いつつオシッコしようとトイレに行ってオシッコをするために体の力を抜くとうんこも一緒に出てこようとしちゃうのね。

おまえはまだいいから。出てこないでいいから。そう思いながらうんこが出てこないようにちょっと力を入れると今度はオシッコが止まっちゃうの。おまえは出てきていいから。おまえまで止まることないから。そう思いつつオシッコをするために再び力を抜くとまたうんこも一緒に出てこようとします。だからさ。おまえはまだ出てこないで良いから。・・・・っていうのを会社のトイレでしばらく繰り返していました。

あとオナラも同じな。オシッコと一緒に出てこようとするヤツがたまにいる。オナラが出てくるのを食い止めるとオシッコも止まっちゃうのな。チョー迷惑。公共のトイレだとオシッコと一緒にオナラが出てくるのは非常に困るからカンベンしてください。そんなわけで俺が肛門と尿道を別々に制御できない男、アイバです。よろしく。



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■2004/04/07 [ Wed ] - 『意思』と『心』
時々思うのです。

自分の『心』を自分の『意思』でコントロールできたらホントに楽だろうなって。

頭で考えた『意思』通りに行動したいんだけど、外側からの色々な要因によってちっとも思ったとおりに体が動かない。もっと堂々としていよう、あんまりビビっても仕方が無いって頭で考えても心が焦ると自分の『意思』とは無関係に物凄く挙動不審になったりハッキリ話せなくなったり顔が引き攣ったり。『意思』は『心』には逆らえない。外身は『心』の方にしたがってしまうコトの方がずっと多い。

どんなときでも堂々としている人を見るとその人みたいに自分ももっと堂々としていようって考えるのだけれど実際にはどうしても出来ない。そりゃ、その堂々としている人は頭で考えた上で堂々としているのではなくて、そもそも心が堂々としているから外身も堂々としていられるわけだから、俺のように心が堂々としていない人間は頭でいくら考えたってその『意思』通りになんか体は動かない。外身は『心』の方に従ってしまう。

そんなこと当たり前なのはわかっているのだけれど凄くイライラすることがある。『心』だって自分自身が持っているモノのはずなのに、『何故自分でコントロールできないんだ!』ってすげえ腹が立つときがあるのです。『俺の心は俺のモノだろうが!思い通りにコントロールさせろよ!!』って怒りがこみ上げてくる。『意思』と『心』は必ずしも一致しないから面倒くさい。『心』が体を支配する。自分の『意思』は『心』よりも弱い存在。

笑顔を作ると最良の結果が出るであろう場面で笑えて、怒りを露にすると最良の結果が出るであろう場面で怒れて、堂々としていれば最良の結果が出るであろう場面で堂々と出来て、涙を見せると最良の結果が出るであろう場面で泣く事が出来れば、どんなに楽だろう。結果を頭で予想した上で全ての感情をコントロール出来て、自分の思ったとおりに行動できれば、余計な苦労なんかしないのに。

でも『心』がそれの邪魔をする。とりあえず笑っとけば丸く収まるところで怒っちゃったり、堂々としていれば切り抜けられた場面で挙動不審になってしまったりね。心が無ければかなり楽に生きられる。それだと人間とは別のものになっちゃうんだろうなってのはわかってるけれども、それでもやっぱ自分自身の一部である『心』を自由にコントロールさせてもらえないことに凄く納得が出来ない自分もいる。心があるからこそ人間なのだけれど、それによって『意思』が邪魔されて色々苦労させられる。人間ってのはホント面倒くさい生き物だよ。



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■2004/04/08 [ Thu ] - 雑記
■仕事が始まったら更新頻度落ちるかもとか言ったけど何だかんだちゃんと更新してるよな俺。サイトやるのがホント好きらしい。

■風俗にも行きたいけど(しつこい)、同じくらい水族館と動物園に行きたい。

■金曜の夜と土曜の夜に既に予定が入った。今までの引き篭もりから格段の進歩だ。ただ飲むだけだけど。

■姪のマホが熱を出してて心配。大丈夫かなあ。

■一生懸命やってても失敗ばっかり、モタモタしてばっかりの人に嫌味を言ったりしてる人を見た。端から見ててもやっぱりあんまり気分の良いものじゃないね。世の中一生懸命やってりゃ能力が無くても良いなんて甘いものじゃないけど、必要以上に人を蔑むような人間にならないように気をつけようって改めて思った。上手くいかなくて焦ってる時の気持ちは凄く良くわかるから、そういう気持ちを忘れないようにしながら人と接していけたらいいなあ。

■挫折しっぱなしの人生だけども、ずっと全てをそつなくこなしてきた人には感じることのなかった気持ちってのを多く体感してきたから、それを良い意味で活用出来ればいいなあなんて思う。痛みや挫折感ってのは理屈だけじゃ理解できないから実際に体感した分、全てが順調な人よりも得をしている、って考えるのもわるくない。まあ実際は『そう考えなきゃやってらんない』っつうだけかもしれないけど、モノは考えようだもの。ポジティヴに行こうよポジティヴに。

■実家のトイレがウォシュレットなので、ウォシュレットの装備されてないトイレでウンコするのが凄くイヤ。もうウォシュレットのないトイレなんか考えられない。でも引越し先にはウォシュレットが装備されてません。それが今の一番の悩みです。トイレにホースを引っ張ってこようかなぁ。ウォシュレットって肛門を刺激してウンコの出が良くなるという効果もあるからなあ。ウォシュレットがないのは辛いなあ。



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■2004/04/11 [ Sun ] - 時の流れ
金曜の夜から朝まで遊んでました。んで帰って寝て昼に起きてすこしゆっくりして夕方からまた別の友人と会ってました。そしてまた朝まで。んで日曜早朝に帰ってきて寝て午前10時ごろ起きて今までゆっくりしてました。

今まで長いこと引き篭もってたからなのか、仕事に復活して休日も外に出て行くようになって時間というものの流れ方に今までとはかなり違う感触があります。なんか長いんです。妙に長い。一週間前にも友人と飲んだんだけど、それがエライ昔のことのように感じる。一週間が長いからそう感じるのね。

人それぞれ時間の流れの感じ方は違うだろうけども社会に出て歳を重ねると、どんどん時間の流れが速くなるというのが一般的な感じ方ですよね。けど俺の場合は全ての歯車が狂っていた数年間の存在により、逆に、普通に社会に関わりながら生活する方がずっと時間の流れが遅く感じるようになってるみたいです。具体的に何故かは自分でもよくわからないんですけども。

この週末も金曜から日曜の朝まで遊んでたわけだけど、これを書いている今思い出してみるとあっという間って感じがしない。えらい長い間仕事をしないで遊んでたかのような感触なんです。なんだか小学生くらいの時の時間の流れ方に似てる感触。ナンなんだろうこれは。

で、日曜の夕方に見るサザエさんが『日曜も終わりかぁ』なんていう哀愁を漂わせる。歯車が狂っていた数年間の間にすっかり忘れてた感触です。サザエさんは面白いけれど、日曜が終わっていく合図のようでなんか少し淋しい。あー。忘れてたこの感じ。そして長い長い一週間がまた始まるって感じがする。

子供の頃には時間の流れがとても遅いけれど大人になると何故か速く感じることが多い。それは何故なんだろうと改めて考えちゃった。さっきも書いたように実際のところその要因はよくわからないんだけれども、強いて言うならば大人になって感じる『必死さ』と子供の頃の『必死さ』には根本的に違ったモノがあるのかなあとか思ったり。

子供の頃は目にするものが新鮮で、新しく体験することや知ることの方が多かった。それに対して必死だし一生懸命だったけれど、辛さというのはあまり感じてなかった気がします。色んなコトを短い期間に積極的に吸収するから、後で思い出してみるとやたらと濃くて色々なモノがギッシリ詰まってる感じがした。時間的には長くなくてもそこに詰まってるモノが多彩で新鮮だったから、後で思い出すとナンだか凄く長く感じた。もちろん楽しいことってその時間を過ごしているときはあっという間なんだけれど、後で思い出してみると凄くいろいろなことがあったという気がするんです。ギッシリなんです。中身が。

大人になってからの『必死さ』ってそれとは根本的に違うのかもしれない。色々なモノにチャレンジしようとかいう気があまり無くなって、同じことを繰り返すことが増えていくから後で思い出してみるとそこに色々なものが詰まってる感じがしない。あんなこともあったこんなこともあったっていう感じじゃないから、ある出来事を思い出そうとすると直線的にそこに辿りつけてしまう。だからそれが遠くにある気がしない。色々なものが複雑に記憶に散らばっていないから、今現在から後ろを振り返って過去を見渡すと直接そこが見えてしまう。途中に過去を遮る色々な風景があまりない。

あー。まとまんねぇな。えーとね。

ピンポイントで見れば楽しいときや必死なときってあっという間に過ぎるんだけど、ある程度の期間を集めてから後でそれをまとめて振り返るとすっげえ長い感じがするんです。そして色々なモノがあまり詰まっていなくてあまり楽しくないときってそれをピンポイントで見るとすごく長い感じがするんだけど、後でまとめて振り返ってみるとそこには色々なモノが混在していないから妙に短いような気がするんです。俺の場合はね。このニュアンス伝わってるかどうかわからないけどさ。

で、数年間の大きなブランクがあってから、『普通の生活』に戻った俺は、『普通のコト』がやけに新鮮に感じるんです。仕事と交遊関係、そして趣味。それらを一度に取り戻そうとしているから妙にギッシリな感じがするんです。それこそ小学生の時にいろいろなものをはじめて体験するかのような感触に近い。だから、友達と会って楽しんでいる瞬間は短く感じるんだけども、ここ数日のことを今思い出すと妙にギッシリ詰まってる感じがして長く感じる。

久しぶりに会った友人たちには正直あまりなつかしさは感じていません。意外と普通に『よー。』って挨拶して普通に話をした感じです。それは会っていなかった数年間がスカスカな為に短い感触になっちゃってるんだろうと思います。会っていなかった間にもっとギッシリ色々なものが詰まっていればきっともっと久しぶりな感じがしたんじゃないかな。だから、社会復帰して会うようになってからの『一週間ぶり』の方がよっぽど久しぶりな感じがしちゃうのよ。

うーむー。ちっともうまくまとめられてなくて恐縮だけれども、とにかく充実度や新鮮味、好奇心などは時間が流れる感触を大きく変えるんだなって思うっていうかさ。それを感じさせてくれたのは紛れも無くこの最悪な数年間です。そういう意味ではこの数年間に結構大事なものを見つけてるのかもな俺。

あーダメだ。全然まとまってないね。支離滅裂かも。まーいいや(さじ投げ)。


あー。ここで締めようと思ったけど急に思い出したよ。小学生の時ね。俺の行ってた小学校では2時間目が終わると中休みってのがあったの。時間は20分。たった20分だよ。けど、それでもわざわざ靴を履き替えて外に行って思いっきり遊んでたんだよね。そういうことだよ。一分一分をホンキで生きてたんだガキの頃は。だから凄く色々なものが詰まってるんだ。そういうの忘れちゃうんだよ大人になると。そゆのを大きなブランクの間に体が思い出しているのが今なのかもしれない。

まあ結局まとまってはいないわけなんだけどこれでおしまい。今回のテーマはどうやってもまとまんねーや。あっはっは。



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■2004/04/14 [ Wed ] (1) - 子育てって大変だと思う
俺はいつも帰ってくると休む間もなく姪のリノの餌食になります。俺が相手をするのは2、3時間程度だけどすっげー疲れる。マジ、共働きで子供を育てるっつうのはとてつもなく大変だと思うよ。近くにおじいちゃんおばあちゃんが住んでても充分大変。つうか奥さんが専業主婦だったとしても充分大変。こういう風に子育ての大変さを身近なところで目にして、ホンの少しだけでも体験すると、奥さんだけに子供を任せきりなんて絶対出来ないよ。

これで頼れる人がいなかったらとてつもないよホント。俺は叔父という立場なのでちょっと面倒を見るくらいだけど、それでもこんなにくたびれるんだもん。前に一度書いたことの繰り返しになるけどさ。結婚して引っ越して近くに頼れる友人や肉親がいない状態で専業主婦をしてる人の苦労なんかも相当なものだと改めて思います。

子供を虐待する親は単純にその人が悪であると簡単に切り捨てることは俺には出来ないなやっぱり。色々な要因が重なって、とんでもない重圧がかかることは充分考えられることだからね。頼る人がいない場合はストレスでおかしくなってもちっとも不思議じゃないほど子育ては大変だと思います。虐待は許されるような行為ではないけれど色々なケースがあるのは考慮に入れて語るべき事柄だよね。

共働きの両親を持つ青少年の諸君はお父さんとお母さんに感謝しないといけない。心からそう思う。愛情を持って育てるとなるとスゴイエネルギーが必要だもんね。そして実際に愛情を持って子供を育てている全ての親御さんを心から尊敬します。ホントに前に書いたことの繰り返しになっちゃったな。まあいいか。

昔は毎日スーツを着て疲れた様子で会社に通うサラリーマンを見て、『こういう風にはなりたくないな』なんて思ったけれど、家に帰れば良いお父さんだったりする人だっていっぱいいるし、どんなに地味な生き様でも、働きながらホンキで子供を育てられるお父さんはもうそれだけで最高にカッコイイと思うよ。



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■2004/04/14 [ Wed ] (2) - 雑記
■職場の雰囲気には大分慣れてきました。

■すっげー久しぶりにBURRN!を買いました。イングヴェイが一段とおでぶさんになってた。あとザック・ワイルドも太ってエライおっさんになってた。BURRN!のいいところは久しぶりに買っても紹介されているバンドにあまり変化が無いことです。この雑誌だけ時が止まってるかのよう。

■色々やりたいことを具体的に調べたりし始めてるんだけど、何をやるにも金ってついてまわるよねぇ。けど、いっぱい稼ぐ為には一生懸命働かなくちゃいけなくて、そうすると今度は時間が無くなる。世の中そう簡単にいかないね。難しいのう。

■最近、いやだなーって思うことをクヨクヨ考えているときに殆ど無意識に『まあ、でもいづれ死んじゃうんだしこのくらいどーでもいいか』って考えてる。『いづれ』っつうのは事故か病気か寿命かは知らないけどさ。

■ミスチルの新譜は初回盤が欲しいけど今すぐ買うのは無理だから諦めた。来月まで残ってないかな。残ってないよな。ケッ。初回限定でDVD付きとかやめようよ。こっちの都合も考えてよ。常時2ヴァージョン売れよ。みんながみんなすぐ買えるとは限らんのじゃ!けどミスチルはCCCDじゃないのな。素晴らしい。

■キャシャーンの映画まであと10日。すっげー楽しみー。予告編見るべし。カッコイイよー。こういうのを見て『うおー!カッコイイ!』って素直に思っちゃう自分が好き。いくつになっても『俺も”男の子”なんだなー』って思えるから。あとスパイダーマン2も楽しみー。

■人の悪いところを見つけるのは簡単だけど良いところって意外と見つけるのが難しい。けど、良いところを見つけられたらちょっと嬉しい気分になれる。ちょっと気持ちが良くなれる。

■足が臭い。



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■2004/04/15 - 雑記
■思いつくこと、思うことを箇条書き。

■最近、気分の変動が激しいです。

■今日は自分にイラつく日のようです。

■サイトのトップを極端にシンプルにしたい衝動に駆られてます。

■安いからってSHINSEIっていうタバコを買いました。

■両切りタバコの上手な吸い方ってあるのかしら。葉っぱが口に入るよ。

■つーか、SHINSEI、死ぬほど不味い。

■どうやったらもっと自分を好きになれるんだろ。

■俺は基本的に他人を嫌うよりも自分を嫌ってる。

■そこを変えたいんだけど。

■出来ないんだなこれが。

■んでイラつく。

■で、最後にゃ自分内で他人に責任転嫁して逃げる。

■さらに基本的にビクビクしてるんだなあ。

■一回根本的なトコをぶち壊す必要がある気がするんだけど。

■それが出来りゃ世話ねえんだよな。

■足が臭い。



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■2004/04/16 - 自慢
不幸自慢。

■ボタン式の信号のボタンを押したときはガンガンに車が通ってて、歩行者の信号が青に変わっていざ渡ろうした瞬間に車自体が来なくなる。信号で止まってる車一台もなし、みたいな。俺がボタンを押すとほぼ確実に起こる現象。信号意味ねえじゃん。

■週末、予定入らず。明日の土曜は仕事だけど。

■すげー久々に切れ痔になった。

■相変わらずシーマンに似ている。

■モー娘。のファンであることが職場バレした。

■足が臭い。



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■2004/04/18 [ Sun ] - (1) 『専念』すると失敗する
4月から生活がガラリと変わって目の前の道がパっと開けてきて以前よりは苦悩が減るかと期待していたけれど、実際はあまり変わってない・・・・というよりむしろ以前よりも考えることが増えてしまいました。今の現状で妥協するのはまだ早いなあなんて考えたら、じゃあその為には・・・って考え始め、やるべきことがまた増えつつある。自分の人生を軌道に乗せるにはまだ全然色々なものが足りない。同時進行でやらなきゃいけないことがたくさんある。

俺が過去に何度も失敗を繰り返した原因のひとつに、『これをやり遂げるまでほかの事は全て絶ちそれに専念する』と最初に宣言してしまうってのがあります。この前友人が、『何かに専念するって言って他のコトを排除するヤツは結局失敗するよね』なんてことを言ってたんだけど俺もそう思う。というか俺がそれにあたる人間だよ。『専念する』っつう行動は『結果的にそうなった』というモノであるべきであって、最初に宣言するようなもんじゃないよなあなんて思っています。

なんつーのか、今思うと過去の俺は何かに専念するって宣言することで、事前に楽をしようとしていることが殆どでした。生きていく上でやるべきことがひとつしかないなんて状況は滅多にあるもんじゃないです。小学生だって学校に通って勉強だけしてるわけじゃない。色々なことを同時進行でがんばってる。遊びなんかも含めてね。バカな教育ママは子供に勉強ばかりさせようとするけれど、そういう風に育てられ、実際それに従ってしまった子供はきっと何処かで痛い目にあうと思うよ。

少し話がずれたので元に戻すとね。俺の場合、『専念する』という、ちょっと立派っぽい言葉を最初に宣言することで、複数存在している『やるべきこと』から逃げていたんですよね。そんな思惑が少しでもある場合はいくら『専念』したって失敗するに決まってる。良い結果がでるわけがない。前述の友人の言葉は多分そういう意味です。もちろん複数同時に存在しているやるべきことから逃げるために『専念』という言葉を使っているわけでないと心底言い切れるならば別だけれどさ。俺の場合はそうじゃなかったっつう話。

俺が過去に発した『専念』という言葉は本当の意味での『専念』でもなんでもなく、自分の意思ではどうしようもない形で複数同時に存在してしまっている『今やるべきこと』から逃げる為に発していた言葉に過ぎない。だから、いくら『専念』したつもりでいても失敗するんだよな。俺の場合、『ひとつのことに専念』するというよりも『ほかの事から逃げる』為に『専念』っつう言葉を使っていただけなのよね。そんな心構えでは実際に他のものを排除してひとつのことだけに専念しようとしたってまた失敗し続けるだろうなって痛感しています。

『専念』なんつう言葉は気楽に言うもんじゃないよなあ。



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■2004/04/18 [ Sun ] (2) - 考える人
考えすぎは良くない。

って、この前友人に言われました。他人の頭の中を覗いてみて他人が自分と比べてどのくらい『考えている』のかなんて比較は出来ないので、実際に俺が『考えすぎ』なのかどうかはわかりません。俺は、口に出す、文章にするなんてことを積極的にしてしまう傾向が強いので、それによって『考えすぎている』ように見えるだけかもしれないしね。

とりあえず言えることは『考えすぎてはいけない』って意識するとそれをまた考えるから結局同じなんだよね。いや、同じじゃないか。むしろ、かえって体によくない気がしないでもない。自分で自分にストレスをかける感じになるから。考えたいなら考えりゃあ良い。それが他人との比較で『考えすぎ』かどうかはまた別として、考えずにはいられないんだったら考えてしまえばいいんじゃないかって今は思ってます。

けど同時に、ひとりで考えるのには限界があるというのも痛感しています。ひとりでいくら考えても同じところをグルグル回ってしまうんです。言葉や捉え方の角度は多少変化するんだけど、根本のところはちっとも先に進まない。輪の中を延々と回っているだけ。そこにハマり込んで『自分は考える人だ』なんて思い込むと、色々考えているはずなのに、誰よりも考えの浅い人間になっちゃうんだと思います。

その辺を踏まえて冒頭の友人の言葉の意味を改めて考えてみて思ったのはね。『考えすぎる』ってのは他人との比較の話ではなくて、自分の頭の中にある限界を超えることなんだろうなってことです。その限界ってのは人それぞれ違うけども、前述したように頭の中でループが始まる瞬間がまさに自分の限界であり、それに気づけるかどうかってのは至極大事なんだろうと思います。

『考える人』を気取って、人それぞれ許容量が違っている『自分の限界』ってヤツが自分の場合はどの程度なのか気づかないままでいると、そのままループしっぱなしで、しかもそのループの大きさを成長させることが出来ない。というかループしていることにすら気づかない。そして底の知れた人間になっていく。俺は『考えすぎる』、『物事をよく考える』という表現を他人との比較の言葉として捉えていた部分があるのだけれど、『考えすぎは良くない』という友人言葉のをキッカケにして、改めてそのことについて考え、その言葉の意味を『自分だけで考え得る限界を超えて考え続け過ぎることは良くない』という風に解釈しました。

そして、その友人の言葉が自分に注入されたことがキッカケとなり、今までループしていた『考えすぎる=他人との比較が前提』という固定観念から、また少し違った考えが生まれたこと自体が、『自分の限界』というヤツの許容量を広げるためには外部の助けが絶対に必要であるということのひとつの例になっていることにも気が付きました。

良い意味で前進出来る『考える人』というのは自分の中で思いを巡らすだけの人ではなく、外部からの助けを素直に受け入れながら、『自分の限界の輪』の大きさを少しでも広げていける人のコトなのではないか、なんて思う俺なのです。だから、人との関わりをあまり持たずに考えを巡らせて、挙句の果てに狂って死んでいった有名な何処かの哲学者や思想家、悟ったような顔をした宗教家の言うことを盲目的にリスペクトしているような人は嫌いだし信用できません。哲学や思想に答えなんか無いし、それを模索すること自体が人生なんじゃないかしら。

人がひとりで生きていくのは多分可能です。内容はともかくとして。けど、人が思考の部分で新たな発見をする為にはひとりでは絶対に限界がある。そしてそれにゴールなんて無い。何かを悟ったつもりになってそれで満足しているといつかまた頭の中でループし始め、その上それに気づくことが出来なくなる。ここでいう本当の意味での『考える人』は答えを見つけてしまうなんてことはきっとない。けど、自分の限界を知りその限界の許容量を広げる為の試行錯誤を忘れない。外部からの刺激を常に求めている。

俺はそれでこそ『考える人』だと思います。



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