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奇跡の2週連続更新!
最近少しモチベーションあがってきた。今週は比較的ぬるま湯な1週間だった気がするなー。割と早く帰ってきた日も多かったし夜勤が少なかったしね。
最近さ。自分の子供を見てると思うんだけどさ。子供って常に目の前のもんに全力投球なんだよな。前後のこととか、変なかんぐりとか抜きにして好きなものを無条件で受け入れて余計なことなんかぜんぜん考えないで楽しんで。
大人になるとなかなかそうもいかない。めんどくせぇ理屈こねてせっかくある楽しいことをワザワザ見過ごしたり、余計なこと考えすぎて楽しめるもんも楽しめなくなったりさ。子供見てるといろんなことに気づかせられるよ。
変な例えになるけども。俺はキャバクラとかそういった部類のもんがどうも楽しめないんだよね。間違っても自分の金でなんかいかないんだけど、稀に連れて行かれる機会もある。うちの会社の上の人間はキャバクラっつーか、フィリピンだの中国だのそっち方面の店がメインなんだけどもね。
個人的にはそゆところがとにかく辛い。もう最初っから店の女の子は仕事でやってんだしという前提があるから何を話してても『一生懸命話してるけど、実際はこんな話題どーでもいいと思いつつ話してんだろ?』と思ってしまうんだよね。それでぜんぜん話してて楽しめない。
あとね。会社に来る保険のお姉ちゃんなんかとの会話もそうだな。営業をかけに来ている相手ととにかく話したくないのよ。保険の営業で会社に出入りしてる姉ちゃんって天気の話とかちょっとした雑談を振って来たりするじゃんか。基本は保険の勧誘のとっかかりで話しかけてきているわけで、それがとにかく嫌。どんなに可愛いお姉ちゃんでもめっちゃくちゃ冷たい対応をしちゃうんだよね俺。
確かに飲み屋の女の子も保険のお姉ちゃんも、自分の利益を考えながら仕事ととしてこちらと接してるのは間違いないんだけどさ。どんな意図があるにせよ、それをわかりながらも、人としてとりあえず目の前の会話を楽しむってのも悪くないんじゃないのかなーと最近思うようになってきたのよね。子供的な精神性を持つことで、実はそれが大人の余裕みたいなもんになるという不思議なバランス。
あとは趣味的なものでも似たようなもんでさ。なんの役にも立たないものでも夢中になってコレクションしちゃったり、長く続くとは到底思えない流行に乗ったりするのって、やっぱり若いときの方がずっと素直に出来るもんな。余計なこと考えないでとりあえず楽しむっつー精神は子供の方がずっと長けてるのは間違いないよな。
大人になると無駄なもんをとにかく排除しようとするし、その事象の裏側にある本当の意図が見えてしまうがゆえに過剰に構えてしまったりする。子供はそんなことしない。
買い物に行っても売ってるものを自分にとって今後本当に必要なものかどうかなんて慎重に吟味したりしない。目にした瞬間に好奇心をくすぐられたら理屈抜きにして、手にしたい、遊びたい、使ってみたい。単純にそれだけ。大人が仕方なく付き合って遊んでくれていても、『義理で遊んでくれてんだろ?』なんて考えない。自分がしたい遊びが出来るってだけで単純に楽しんでる。
そういう間口の広さっていうか、面倒くさいこと抜きにして何でも楽しんじゃえっていう精神性って大事にしたいもんだなって思うの。もちろん大人になってそのまんまだったら非常にマズイことになる。
それはくだらないとか役に立たないとか、どうせ裏があるんだろうとかどうせ義理だろうとか言っていろんなものを拒絶したり、評価したり、批判したりして、自分が決めた枠から外れたものを排除する能力は、経験を重ねた大人だから出来ることだからね。生きていくには必要な能力だと思うよ。
だけれど、ただひたすらそればっかりじゃなんか面白くねーじゃん。なんだかいつもパッツンパッツンで余裕がないじゃん。だから、あえて子供みたいな精神性って残しておきたいもんだなって思うんだよね。そゆのが残ってる大人の方が余裕があってカッコいいと思うんだよね。
子供の精神性を持つことで、より大人としての余裕が持てる。
一見矛盾しているようだけど、それって実はそうでもないと思う今日この頃。 |
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