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個人サイトに求めるもの - 2004/02/09 [ Mon ]

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最近の俺のサイトってイマイチ勢いが無い気がする。個人サイトの文章ってそれ自体の質を上げることに拘りすぎて文章を書くときに慎重になり過ぎたり、載せる話題を慎重に選んで無駄を省いたりすると、仮に文章のクオリティーが上がったとしても勢いが減退するからあまり面白くなくなる気がする。

単なる一個人の文章系のサイトだとモニターの向こうに生きた管理人が居るっつう感触がかなり大事で、話題を変に選別したりクオリティーの高い文章にしようなんて思うと(それが実際にクオリティーの高さに繋がっているかどうかは別として)そのモニター越しに伝わってくる体温のようなものが変なフィルターを通過してしまって伝わり難くなるのかもしれないね。

リニュ前のVGAの後半では後から自分で読んで恥ずかしくなるような、勢いだけで書いた文章は極力載せるのをやめようなんて思ってた部分があるからなんだか勢いが無くて活き活きしていない気がする。一番勢いがあった頃の日記のログ(1999年から2001年くらいまでかな)は確かに今自分で読むと物凄く恥ずかしいんだけど、とても活き活きしているように思うよ。無駄なこともいっぱい書いてあるし、単独の読み物として成立しないようなヒトリゴトみたいなことも沢山書いてあるけど、そこには確かにそのときの俺の体温っつうか感情ってのが色濃く反映されている。

もう結構前だけど、個人サイトの文章を批評するようなサイトが沢山出てきた時期があったけども、そゆのに自分から批評してもらうように依頼して、その評価を気にして色々考えて文章のレベルをもっと上げようなんて考えるのは、どこぞの誰がやってるかわからんような個人サイトにおいては、なんかちょっと違うんじゃないかなあなんて改めて思ったよ。無駄があってもイイし、ヒトリゴトが多くてもイイし、少々文章が変でもイイ。そういう一見無駄な部分を排除することに拘るよりもモニター越しに書き手の感情や体温のようなものを読み手に伝えられるサイトがやりたかったはずなんだよな俺は。

最近は更新しようとして『書くほどのことじゃないか』なんて思って、書きかけた後にボツにしたり、書き終わった後に『まとまってないなあ』と思ってボツにしたりすることが増えていた反動で、ナンだかそういう基本的なところを急に思い出したりした。



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