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『専念』すると失敗する - 2004/04/18 [ Sun ] (1)

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4月から生活がガラリと変わって目の前の道がパっと開けてきて以前よりは苦悩が減るかと期待していたけれど、実際はあまり変わってない・・・・というよりむしろ以前よりも考えることが増えてしまいました。今の現状で妥協するのはまだ早いなあなんて考えたら、じゃあその為には・・・って考え始め、やるべきことがまた増えつつある。自分の人生を軌道に乗せるにはまだ全然色々なものが足りない。同時進行でやらなきゃいけないことがたくさんある。

俺が過去に何度も失敗を繰り返した原因のひとつに、『これをやり遂げるまでほかの事は全て絶ちそれに専念する』と最初に宣言してしまうってのがあります。この前友人が、『何かに専念するって言って他のコトを排除するヤツは結局失敗するよね』なんてことを言ってたんだけど俺もそう思う。というか俺がそれにあたる人間だよ。『専念する』っつう行動は『結果的にそうなった』というモノであるべきであって、最初に宣言するようなもんじゃないよなあなんて思っています。

なんつーのか、今思うと過去の俺は何かに専念するって宣言することで、事前に楽をしようとしていることが殆どでした。生きていく上でやるべきことがひとつしかないなんて状況は滅多にあるもんじゃないです。小学生だって学校に通って勉強だけしてるわけじゃない。色々なことを同時進行でがんばってる。遊びなんかも含めてね。バカな教育ママは子供に勉強ばかりさせようとするけれど、そういう風に育てられ、実際それに従ってしまった子供はきっと何処かで痛い目にあうと思うよ。

少し話がずれたので元に戻すとね。俺の場合、『専念する』という、ちょっと立派っぽい言葉を最初に宣言することで、複数存在している『やるべきこと』から逃げていたんですよね。そんな思惑が少しでもある場合はいくら『専念』したって失敗するに決まってる。良い結果がでるわけがない。前述の友人の言葉は多分そういう意味です。もちろん複数同時に存在しているやるべきことから逃げるために『専念』という言葉を使っているわけでないと心底言い切れるならば別だけれどさ。俺の場合はそうじゃなかったっつう話。

俺が過去に発した『専念』という言葉は本当の意味での『専念』でもなんでもなく、自分の意思ではどうしようもない形で複数同時に存在してしまっている『今やるべきこと』から逃げる為に発していた言葉に過ぎない。だから、いくら『専念』したつもりでいても失敗するんだよな。俺の場合、『ひとつのことに専念』するというよりも『ほかの事から逃げる』為に『専念』っつう言葉を使っていただけなのよね。そんな心構えでは実際に他のものを排除してひとつのことだけに専念しようとしたってまた失敗し続けるだろうなって痛感しています。

『専念』なんつう言葉は気楽に言うもんじゃないよなあ。



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