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格好悪いこと NEO - 2003/04/22 [Tue]

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俺は基本的に理想主義者だ。


こうあって欲しい、こうあるべきだ、と何かと答えを出したがる。どんな事にもイエスかノーかを求めてしまうんだよ。一見するとそんな部分がとても強くてポリシーを持っているように見えるかもしれないけれど、実はそこが俺の弱い所。理想を求めるあまりに現実を見失ってしまう事がよくあるの。自分はこうすべきだと思いながらも出来なかったり上手く行かなかったりすると必要以上に投げやりになってしまう事がある。


様々な出来事において、イエスかノーかの答えがはっきりと出るモノなんか本当は少ない。でもその中にもいつか答えを見つけるべきモノもあるよね。その答えに辿り着くまでは様々な過程が存在する筈なのに、俺はそれをする事を嫌ってすぐに答えに辿り着こうとする。答えに辿り着くために格好悪い事もあるだろう。自分が惨めに思えることもあるだろう。それを俺ははじめから避けてしまうんだ。他人に嫌われたらどうしようとか、こんな事であがいたり、もがいたりするのは格好悪いからしないんだ、と逃げてしまったりね。


例えばね、誰かの事を好きになってさ。その人に告白したとするでしょ。で、断られるとする。俺はそこでもがくのがイヤで、それが格好悪いことに思えて、すぐ諦めてしまうんだよ。しつこく言い寄って嫌われて、俺がマヌケな人間に思われるのがイヤだし、なにより自分が惨めになるのを恐れてる。そりゃ度を越せばストーカーというヤツだけれど、そういう話じゃなくさ。


だからさわやかに諦めた振りをして、その後も今まで通り友達でいる場合が多いんだよね。 まあ、今書いた事は一つの例だけど、これらの事が他の事にも言えるんだよ。友人が『昔こんなマヌケな事があったんだ』と自分のとんでもない失敗談を話しながら笑っているのを見ると、俺よりも遥かに多く失敗を重ねて強く生きている人がいっぱいいるんだと自分の経験不足を痛感することがある。奇麗事を並べたり、格好悪い自分にならない為に色々な事から逃げて、表面的には素敵な思想を持ってそれを貫いているように見えても実は中身が何も無いのでは? と、自分で自分がすごく小さな人間に思えることがある。


人間ってのは、苦しんで、もがいて、格好悪い部分を他人にさらすからこそ格好良くなれるんだと思う。俺はこれからもっともがいて、もっと苦しんで、格好悪い部分を他人に晒さないと、もっと格好良い人間にはなれないなと痛感したよ。俺にはそんな所が欠けているんだよ。惨めな自分には出来る限り出会わないようにして、実際惨めなことになったらそれから目をそらして戦おうとしない。キズ付きながら進もうとしない。もがこうとしない。俺は臆病者なんだ。だから俺はそこから抜け出したい。そう思ってる。


人間は格好悪いから格好良い。


願わくは、俺も『格好悪くて格好良い』人間になりたいものである。



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