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SPEEDY-DAN [ The heart ] 2002/03


■2002/03/01 (Fri)
   
やー!


ホンキで風邪が良くなってきた。まだ耳の聞こえ方に違和感があるとはいえ治療前とは雲泥の差。気になってイライラする程じゃなくなった。セキも殆ど出ないし、鼻水も大分おさまった。そうなってくるとちょっと外に出たいなって気分になってしまう。


自転車で吉祥寺に行ってきた。ネルソンのサード『イマジネイター』を買うつもりで行ったのだけど結果的に余計なものも沢山買った。いつもの事だな。けど、CDを買うのはこれでしばらくおあずけにしないとな。金銭的にもその他モロモロ的にもマズイ気が。


今日買ったのは。


■Imaginator/Nelson←新品未開封1500円くらい
■The Silence Is Broken/Nelson←新品未開封1500円くらい
■Life / Nelson←新品未開封1950円 高いよ
■Live & Acoustic/Nelson←中古300円 安っ
■Skinned / B-Thong←中古400円 誰もしらないだろうな
■From Strength To Strength/B-Thong←中古500円 同上
■The Jimi Hendrix Concerts/Jimi Hendrix ←中古1400円 大収穫!


うーん。またやりすぎたな。けどジミさんのライブ盤は大収穫だ。昔のライブ盤はほとんど全部廃盤なので中古で地道に探し続けてるんだけど、ホント気をつけてチェックしてるとみつかるんだよな。そうやって主要な廃盤のライブ盤は順調にみつけてきた。あと一枚欲しいライブ盤があるんだけどそれもそのうち見つかる気がする。


ネルソンのサードは非常にハードロックスタイルになっていて単純にカッコイイ。ダーク過ぎてイメージに合わないとかいう理由でしばらくお蔵入りになってたらしいけど、何処がダークだ? 普通のハードロックじゃんか。ズナフが提供したWe're All Alrightも素晴らしいし、なんかスウィートのActionもやってるのな。デフレパバージョンに近い出来でなかなか。


他はまだ未聴。


あと体調を崩してから殆ど味がわかんなくなってたタバコの味も復活の兆し。タバコって体調が悪い時のリトマス試験紙の役割を果すよな。タバコが美味いと体調も良いっていう。タバコの味がわからなくなったり、吸うと気持ち悪くなったりすると『あれ?』って何処か体調が崩れてる事に気づくっつうか。


今日買ったB-Thongって知ってる人いるのかなあ。B級のコアとスラッシュの中間くらいの音のバンド。昔コピーバンドやったので妙に懐かしくて買ってしまった。ファーストのSkinnedは隠れた名盤として俺の中では非常に評価が高いのだ。


■2002/03/04 (Mon)
   
本格的に体調が元に戻ったかも。まだセキが少しでる事があるけどやっとだ。昨日は鼓膜に穴をあけた方の耳から耳垂れが出るというショッキングな出来事があったものの今日は全く耳に違和感が無いし。今回の体調不良はマジで長かったのでこの回復は本当に嬉しい。


あとはあんまり書くことねえや。昼に起きて今現在23時までほぼずっと勉強してたので印象的な出来事なんて無い。あえていうなら世界史のアウグスティヌスだのコスタビアヌスだのアナルセックスだの似たようなヤツばっかりで覚えられないとか、歴史って争いごとばっかりで暗殺されただの滅亡しただのなんか破壊的なモノばかりでウンザリだとか。


しっかし世界史なんかまともに勉強するの中学生以来だな。何千年も前の連中のやったことなんか知るかよ。そんなの知ってどうすんだよ。俺の未来は明日ですら見えねえってのによ。まったくもうっ。


■2002/03/05 (Tue)
   
古文と漢文は無理。マジ無理。とりあえず捨ての方向で。他にもやる事いっぱいあるし。今日もそんな感じで昨日と同様、特になにも無い一日だった。


夜になってから息抜きにビデオでも観ようかと近所のレンタルビデオ屋にいったくらいか。けど観たいのが無くてなにも借りなかった。バトル・ロワイアルの特別篇っていうのを観ようかと思ってたんだけど置いてなかった。まだレンタルしてないのかな。オリジナル版があまりにもツライ出来だったので特別篇で少しは良くなってるのか興味があるから観たかったんだけど。


あと最近タバコ吸いすぎ。


それと勉強するとオナニーが増えるっつう話があるけど今のトコロ大丈夫だ。通常通り。けどオカズにちょっと変化が。しばらく遠ざかってた巨乳が俺の中でアツイ。しかも静止画。今まで普通のエロビデオ系だったんだけど静止画の方が想像力が養われて良い感じ。


家にこもってるこの状況を割りと楽しんでるので精神衛生上はかなり健康だと思う。最近は『はやくこの状況から抜け出したい!』とか『辛いよう、しんどいよう』とかそんな風にはあまり感じていないんだよな、そういえば。多分今までになくちゃんと勉強してるからだ。


俺は中学生の時が一番ちゃんと勉強してる時期だったんだけど、テスト前とか結構楽しく勉強してた記憶がある。俺の中学の時の友人が試験勉強とかすげえちゃんとやる連中だったからその影響もあったんだろうな。なんつうのかな。一生懸命やってる自分に酔ってるっていう感じで凄く試験前の独特な雰囲気を楽しんじゃってたのを思い出した。どんな状況でも気持ちの持ちようで楽しめちゃったりするもんなんだな、ってすっかり忘れてた事を思い出した今日この頃。


俺ってばこんなに頑張ってるよ!って自分で自分に酔うのも時には必要なのかも。それで良い方向に向かうのならどんどん頑張ってる自分に酔おうじゃないか。


■2002/03/09 (Sat)
   
今日はかなりだらけた。


夜の7時からセレスなんとかのボクシングみてガッカリしてその後ゲームした。ずっと我慢してたバーチャ4を先日買っちゃって。すごく面白い。けど勉強が終わってからやるって決めてるから良いんだ、って言っても今日はあんまり勉強してないのにやっちゃった。勉強は昼から夕方までやっただけ。かなり少ない。


バーチャ4では葵を使ってるのだけどなかなか難しくて大変。なんか相手がなかなか浮かないんだもん。しかも旧作バーチャよりも色んなよろけ方や状況が出来るのでアドリブ性が高いのが凄い。一人用でやってても対戦してるみたいな感触。相当時間かけて調整したんだろうな。けどやっぱし本当の対戦がやりたいなあ。


全部厄介ごとが済んだらゲームセンターデビューしよう。その後はインターネットで対戦者募ったりしてバーチャオフとかオタクっぽくやれたら楽しいかも。みんなで大会開いたり。そういうのやりたいって思う程面白い。試験終わったらサイト作っちゃおうかな。3はあんまり好きじゃなかったのだけど4は凄く良い。テンポが早くてたのしい。3ってなんか動きがちょっと重たいイメージがあるんだよな。けどキャラの顔がみんな濃ゆくて怖い。ジャッキーとかかなり怖い。


今日はさっさと寝て明日早くから起きて勉強しよ。


■2002/03/10 (Sun)
   
眠い。


気がつけばすっかり春じゃんか。どうりで眠いわけだ。昼間にアニキ夫婦が昨日買って来た花を庭に植えたりしてたので勉強を止めてちょっと俺も庭に出てみた。そしたら雲ひとつない晴天ですごく暖かくて凄く気持ちよかった。


俺が庭に出て行った時には花を買いに行った時についでに買ってもらったと思われる小さなスベリ台で姪のマホが遊んでて凄いご機嫌だっし、家族で花を植えてなんとなく和んだ雰囲気に少し嬉しくなった日曜日。


でも、そういう中にも自分の今の状況が引っかかるのが凄く鬱陶しい。自分だけ家族からはみ出しているような気がしてしまう。せっかく春になって暖かくなってきて空にも雲ひとつないこんな気持ちの良い日にも常に何か心に引っかかってる。


そんな状況でもうここ何年かずっと過ごしてきた。だから今日の家の庭でのひと時は少し嬉しくなった反面ちょっと悲しくもなった。何をやっても素直に楽しみ切れないっつうのにすっかり慣れてしまったけれど、やっぱりはやく胸に引っかかったものを取りたいって強く思った日曜日。


■2002/03/13 (Wed)
   
あぶねえ。


一昨日、昨日と完全に何もかもイヤになっちゃって何も手につかない感じになってた。今日も昼の3時まで全部を放棄して寝てた有様だった。だけど、3時をちょっとまわった辺りからようやくこの数日間の廃人状態から抜けだせた。マジあぶなかった。


つーのも単純に勉強が少し行き詰まりになってて。一般教養の経済分野のテキストはもう2周くらいしてるので問題集を解きはじめてかなりたつのだけどちっとも出来るようになってなくて凄く落ち込んじゃったのが今回のスランプの原因。というか俺がやってる問題集にはテキストの方では出てこないようなマクロ経済やミクロ経済の問題も混ざっててそれにまったく立ち打ち出来なかったというのが問題を解いてて苦痛で苦痛で。


『こんな問題テキストにまったく出てなかったじゃねえかよー!一生懸命テキストやったのにこれじゃあ解けないじゃねえかー!もうイヤだー!キー!』という風になってた。だっせえなあ。そんな感じで去年までの『勉強してなさ過ぎによる逃避』とは少し違う『勉強してるが故の壁の存在にめげて逃避』で廃人になってた。


けど今日その全然わかんねえ部分に見切りをつけて先に進めたら、壁にぶつかってた部分以外の問題は実は劇的に出来るようになってることに気がついて少し自信を取り戻せてよかった。その出来ない部分ってのは技術職希望の俺には出来なくて良い、というか捨てて良い箇所なのかも。


事務職での専門教科であるマクロ経済やミクロ経済を学習してるのを前提にした問題が教養分野にも場合によっては少しだけ出る事もあるようなんだけど、その部分は土木を専門とする俺には専門分野としては完全に守備範囲外の部分。だからそんなもん出来なくて当然。なのでその部分にこだわるのはもうやめた。土木で受験する人は捨てるべき部分なんだろーな。そういえば大学にいるときにマニアックな部分にハマり過ぎてすげえ勉強したのに結果的には落ちちゃう人ってのがいるんだよねーとか院生の松井さんが言ってたっけ。多分こういう部分の事を言ってたんだろうなあ。


ここ数日そこにハマってヘンになってた。


夕飯にスキヤキを食った。美味かった。今日も姪のマホは大暴れ。


■2002/03/14 (Thu)
   
今日ホワイトデイじゃん。




義姉のさとみさんに義理チョコもらったのにお返しして無いや。




まあいいか。




いいのか?


■2002/03/17 (Sun)
   
今日、ふとこっちのThe heartを無くしてTalkingと統合しようかって考えたんだけどやっぱしやめた。なんとなく最新のモノがトップに堂々とのるのがイヤな、独り言チックな事を書く場合にはやっぱしこっちに書きたい。誰に言うわけでもなく・・・っていう文章はやっぱり少し引っ込んだところに書きたいんだよな。


別にここはウラページってわけじゃないし、普通に閲覧できるコンテンツだけど、Talkingを書く時とここを書く時って凄く気分が違う。Talkingがウソってわけじゃないけどなんだかこちらの方がその時の気分をそのまま反映できる気がするんだよな。Talkingは外行きの俺で、ここは自分の家にいる時の俺。もちろんどちらもホントの俺。けど少し気分が違う。ここに書かれた事が読み手に伝わらなくても良いや、意味不明でも良いやって思えるから、Talkingには書かないような事も書けるってだけ。そんな感じ。


だから今日もまとまりのない文章を書く。自分でも何を言いたいのかよくわからないけど、書きたいから書く。ただそれだけ。


俺の事なんか何もわかってないくせに俺の事を勝手に評価するな、なんて言っても人がみてる俺だってホントの俺だし、自分がみてる俺もホントの俺だし、外行きの俺も俺だし、家にいるときの俺も俺。沢山の俺がいるけど全部俺。俺のホントの思惑が目の前の人に伝わらなかったとしても、それはそれでその人から見た俺という存在はその人にとっての俺であるわけで、それはそれで間違い無く俺なわけだ。100人の他人がいればそこに俺も100人いる。その100人にホントの俺をわかってる人は何人いるか? 俺の事をちゃんと分かってくれる人はいるのか? どうせ俺の事をわかってくれる人なんかその100人にはいない?


多分そういう問題じゃない。100人がみた俺は付き合いが浅かろうが深かろうがどれも俺であり、100人のそれぞれ一人一人にとってはそれが唯一の俺なわけで、どうせ俺の事なんか分かってくれないなんていうのはもうその時点で甘えている証拠。じゃあ、俺から見たあなたは? やっぱり俺の目を通して見るあなたは一人しかいないけど、俺以外にあなたに関わった人数と同じだけのあなたがいる。だけど俺が見る事の出来るあなたは俺の頭の中にいるあなただけ。あなたの中のあなたは俺には見えないし、俺は俺以外の人にとってのあなたを見る事は出来ない。結局は俺は俺の頭の中で処理したあなたにしか接する事が出来ない。


だけど自分の思惑をあなたに伝えたい時もあるわけで。『あなたがそう受け取ったならそれで仕方ない』って諦められない時もあるわけで。でも自分の思惑を一生懸命伝えようとしても、全然話が通じないなんて時はどうすれば良いんだろう。ハッキリ言って俺の身近な人達に自分の思惑を本当にわかって貰えたって思った事ってあんまりない。どうしてそんなに頑なに自分の意見を俺に押し付けるのかな?ってイライラする事も多い。どんなに些細な事でもイロイロもどかしく思う事がある。けどそれって俺の一人よがりな感情なんだろうなっていうのはバカな俺にもなんとなくわかる。だけど俺はバカだからそれでもイライラしたりする。


そんな時、相手は俺の言っている事をどう思ったんだろうって不安になる。何をバカな事を言っているんだって思われたのかって不安になったりする。そういう風に思うと俺以外の人達っていうのは他人にどれだけ興味があるのか知りたいって思う。自分と比べてどのくらいの違いがあるんだろうって興味がわく。自分に自信がある人っていうのはどういう風に他人の意見を頭の中で処理してるのかって凄く知りたくなる。自分の意見を言うときにその意見にどのくらい自信を持って言っているのか知りたくなる。


でもそんな事は無理。結局は俺は俺でしかないから、死ぬまで俺の頭の中でしか物事を処理できない。だからずっと不安なまま。話をしていても何処か相手を疑ってる。俺以外の人も自分の頭の中でしか物事を処理できないのだから俺の処理の仕方とは確実に違う。そんな風に思うと、どうせ他人とはわかりあえないって思ってしまう。そうする事で孤独を感じて人をドンドン信用できなくなって、他人の事なんかどうでもよくなる時がある。コイツはどうせ俺の事なんか理解できないし興味もないだろうから、俺もコイツの事なんかどうでも良いじゃないかっていう風に思い込む事でその孤独感を無理矢理自分で納得しようとする。


俺は基本的に他人を信頼していないのかもしれない。どうせ、俺の事なんか・・・っていう風に常に卑屈になっているのかもしれない。だから俺は俺のことが嫌いで、いつまで経っても同じところをグルグルとまわっているのかもしれない。そんな風になってしまったのはいつからだろう。もう随分と昔からのような気がする。だけど、グルグルとまわりながらも何処かに出口があるって、それだけは信じていないといけないっていうのはわかっている。


その出口の先にあるものは今の俺には皆目見当がつかないけれどね。


■2002/03/17 (2) (Sun)
   
なんかなー。


ちょっとスランプなのかもな。Talkingに書くこと書くことがどうでも良いことに思えちゃって書いた後にアップせずに消しちゃったりするんだよな。既に二つの長文をボツにしていたり。


3月14日のTalkingで書いたように勢いだけで書けば良いじゃんって思ったんだけど、なんとなくそういう問題じゃない気が。サイト運営上の話じゃなく俺自身が人としてスランプに陥ってるだけかも。自分の書くことが全部どうでも良いことに思えて、言葉一つ一つに自信が無くて、自分が信用できなくて。それで今日の一個目に書いたようなわけのわからんこと書いてみたり。


自分の言葉が全部無駄な言葉に思えちゃう。例えば、偉そうに何かを語ったりしても『お前が言うなよ』って言う風に自分に向けて言ってる自分がいて、しかもそれに対して『そうだよな』って納得しちゃって自分の言葉がゴミのように思えてしまう。


憂鬱だとかそういうんじゃないんだよな。なんとなく自分や自分の言葉が信用できないというか、自信が持てないという状況で投げやりな気分になっているだけで。憂鬱っちゃー憂鬱なのかもしれんけど、そういうんじゃない。単純に『自分に自信が持てない度』ってのがいつもよりもアップしてるだけ。


まあいいや。こういう時は何を考えても自分の頭の中の言葉ですら全部無駄に思えるから考えないのが得策だ。


■2002/03/18 (Mon)
   
なんだかんだいって更新頻度たけえし。気分が混乱してる時に限ってこうして何かしら書きたくなるのは、もう旧サイトの時から同じだな。気分が下降気味になるとすぐこれだ。


っていうか。


アホか、俺は。ホントバカみたい。なんとなく楽しくなってきた。っていうかこんな楽しいことを何で楽しまないのかって思えてきた。もういいや。アホみたいに行こう。つうか『窮地』ってのはここじゃねえじゃん。もっとずっと先じゃん。俺はすんげえ平らなトコにいるのになに焦ってんだよ。アホかよ、俺は。


つうか俺は道端に転がってる石みたいなもんだ。


うわお。ちいせえ。


だけど、だからこそどうにでもなるわけだわね。


うわお。こんなにちいせえならどうとでもなろーがね。


あっはっは。


■2002/03/18 (2) (Mon)
   
つうか、こういうのだよこういうの。ここ何回かのこういうのが後で見ると恥かしい日記の代表格なんだっつうの。気分にまかせて書いたヤツね。たまんねーなー、おい。既に恥かしいよ。どうしてくれよう。


けど恥かしいからって消しちまえば良いってのがどうも出来ない。イヤ、消して良いんだと思うけど。全然消したってかまわないんだよな。けどなんか俺は出来ない。なんでだろ。自分のその瞬間の気分を否定してしまうのがイヤなのかも。恥かしいけどそれ以上に愛着があるのかも。


でも恥かしいもんは恥かしいんじゃボケー。


最近モー娘のファンサイトで小学生がやってるサイトをみたんだけどすげーのなんのって。掲示板が特に。基本的に本能の赴くままに会話が構成されてるからそりゃ目も当てられない惨状になってることも少なくなくて。けどそういうの見るとちょっと羨ましいんだよな。恥かしいとか、一般的に自分が的外れなこと言ってないかとか、まるっきり無関係な状態が羨ましい。


そりゃ大人がやったら大変なことになるんだけど。けど大人になってもある程度は無責任になれる瞬間ってのも欲しいという風に思う自分もいる。『恥かしいとか言ってんじゃねえよ』って感じで。『あ? そんなん知るかよ。俺が良いからそれで良いの。あっはっは。』とか普通に言えちゃったりとか。


ていうか、実際俺はサイト上でキャラを作ってないとか言ってるけど、まあそれはホント。作りたくても作れないっつのが正しいかな。そんな器用じゃねえっつうの。けど実際は丸裸なわけじゃなくかなり取り繕ってるんだよな。その取り繕いってのはサイト上での振る舞いだけの話じゃなく実際の生身の付き合いにおいても確実になにかしら取り繕って生きてんだよな。それをひっくるめて自分なわけで。


例えば電車で見かけた女性がいたとして、頭の中では反射的に『ウワっブッサイク!』って思う事だってそりゃあるわけだ。だけど、それを人にウハウハ言いながら話したりはなしない。ましてやここにネタとして書いたりもしない。書きたいとも思わない。


けど、まるっきり何の取り繕いもなしの剥き出しの感情、つまりは考えではなく勝手に沸き上がってくる『感情』をそのまま書けば『今日、電車でブサイクなオンナをみた。うわ。マジブサイク。』って記述も生まれてくる。だけどそんな中傷的な感情が沸いてきた自分をイヤだって思う自分がいるから、そういう事は日記に書かない。その日記に書きたくないと思ってる自分もそれはそれで素直な感情なわけだけど、取り繕いともいえるわけだ。


そんな風に全てにおいて取り繕うことをしながら生きているからこそ、ここに書いたことを後で恥かしいとか思う感情も生まれて来るんだな、これが。だから俺は完全に利己主義になれる子供を見るととてもうらやましく思ったりする。


他にはあれだ。あれ。


身近にバンドマンがいたとして。知り合いが『キミを愛してる〜♪』とかいうオリジナル曲を歌っちゃってるのをみて必要以上にバカにするヤツってのがいる。まあ、俺もわりとそういうことしちゃう方。けどさ。巷に溢れてるラブソングなんて元々そんなもんな筈。冷静に考えりゃすげえ寒い歌詞ばっかりだ。だけど、ラブソングってのは広く一般に認められてるものだ。知り合いが歌うとそのクオリティーとかは全く別として、単純に恥かしいからってバカにするくせに。


そういうラブソングとかを堂々と歌える人ってのは自分に酔えるからこそ出来る事であり、『恥かしいとか言ってんじゃねえよ』って言える素質がある人であり、『あ? 知るかよ。歌いたいから歌ってんだよ。あっはっは。』って言える素質がある人なわけだ。だけどそういう人が身近にいると周りからはバカにされがちなんだよな。


よくよく考えてみると実際に売れている人達だって、多分無名時代は身近な人達にバカにされてた人もかなりいるはず。っていうか殆どじゃねえか? グレイとか『あいつら恥かしくないのか』とか知り合いに後ろ指指されたりしてた可能性は充分あるだろうしな。けど、最終的に『あ? 知るかよ。 やりたいからやってんの』っていう行動が取れたからこそ今があるわけだ。


もちろんだからといって成功するわけじゃないけど。


また何が言いたいのかわかんなくなってきたな。要するにだ。そんな風に自分のことを変に客観的にみる事ばかりに捉われてる連中ってのは、恥かしげもなくやりたいようにやってる連中を非難することによって自分のその冷静さや、自分はちゃんと現実をわきまえてそんな恥ずかしいことはしないもんねっていうのを確認し、そして納得しつつ安心してるに過ぎなくてただの臆病者であるヤツも多くいるだろうっていう話。


子供は『他人に自分がどう見られているか。自分は恥かしくないか。』なんて事はお構いなしに泣き叫んだり、文句言ったり、わがまま言ったりする。それがちょっとだけ羨ましいって思ったんだな、俺は。大人になると色々考える事が出来るようになる代わりに自分を大事に出来なくなる部分もあるわけだ。考えるからこそ大事に出来る部分もある反面、大事に出来なくなる部分も存在するんだな。結局は物事を自分の都合の良いように解釈して、自分の良いように納得しちまったヤツの勝ちなのかもしれないな。


もちろん自分という肉体を含んだ物理的な行動は、仕事や人間関係を保たなければならないから、全てを都合の良いように持っていくのは不可能だけど、そういう話じゃなく頭の中での処理の仕方において自分がイヤな気分にならないように、自分の都合の良いように全て処理しちまうことなら出来る。


極端な話、他人に迷惑をかけたとしても最終的に自分がこれで良いっていう結論を出しちまえば、その人の中ではそれで良いわけで、その本人の最終決定を死ぬまで貫いてしまえばやっぱりその人はある意味人生の勝利者なのかもしれない。どうせ人はいずれ死ぬわけで、死んだらオシマイなわけで、その地点まで頭の中で自分の都合の良いように物事を結論づけ続けちゃえば他人がどう言おうと、他人にどう思われようと関係ないんだろうな。


色々モメごとがあったとしてそのモメごとが両者決裂のままおわったとしても、『あいつはバカだから仕方ない』って心底思う事が出来て、自分の都合の悪いことを頭の中で完全に抹消する能力があればそれが唯一の事実だと結論付けちまう事が出来て、結果的にその人にとってそれは本当に楽しい人生になるんじゃねえかな。


それが良いとか悪いとかじゃなく。


そういう部分で言えば俺は間違い無く敗北者だ。何よりも他人にどう見られてるかを気にして、人との関わり合いで取り繕って、自分が感情に任せて書いた文章をあとで恥かしく思って、色々外に向けて言い訳して、そんな自分が好きじゃないとか言っちゃたりして。


だけどそんな自分が好きじゃないって言っちゃってる自分は結構好きなのかも。


よし。俺の勝ち。








でもこれを明日読んだらまたまたすげえ恥かしいんだろーな。








とか恥かしがる時点で俺は敗北者。








とか、さらにそういうことを付け加えて自分は敗北者であるということを予め認める事で事前に逃げ道を作っている自分が嫌いだ。








とか言いながら、そういう風に逃げ道を事前に作る自分を嫌いっていう風に言ってる自分は好きなのかもしれない。







やっぱ俺の勝ちだ。


あっはっは。


イヤしかし、凄いな、今回の文章。なんだこりゃ。


■2002/03/20 (Wed)
   
今、風呂上り。20日に日付が変わって2時間半が過ぎたところ。髭剃りで顔をきっちゃってバスタオルが赤く染まってる。ヒリヒリすんなあ、オイ。


ずっと家にいて音楽を流している機会が異常に多いとこれだけCD持っててもだんだん聴くのが決まってくるもんだな。今はHarem Scaremとこのサイトの名前の元ネタになったSteely-Danを聴いてる率がすげえ高い。やはりエイジャは名盤。リピートで10回聴いても飽きない。2曲目『Aja』のドラムソロがカッコイイ。


だけど同じぐらい名盤って言われてるガウチョはあんまり好きじゃないなんだよな。っていうか全アルバムの中で一番好きじゃないのがガウチョなんだけど。そりゃキライってことはないけど。でもなあ。こんなジャズっぽい要素を含むオサレな音楽をこんなに好きになるなんて高校生の頃には考えられなかった。けど今は大好きだものな。人はどう変わっていくかなんてのはわからないもんだ。というより、その高校生のころからの趣味もしっかり引き継がれてHarem Scaremも聴いてるわけで変わったんじゃなく広がっただけか。


あとネットで面白い日記サイトとかっていっぱいあるけど、そういうの見て『あははーここおもしれー』って独り言言いながら読んでるのにブックマークしないでウインドウ閉じちゃうんだよな、最近。要するに面白くてもその場でいくつか読んで楽しんでおしまいなの。なんでかわかんねけど。読んでて確かに面白いとは思ってるんだけどな。俺が頻繁に巡回するのはリンク報告してくれた全サイトと、昔から見てるサイトと、会った事がある人のサイト。それと頻繁に書き込みしてくれる人のサイトも加わることが多いかも。要するに直接的に交流がある人のサイトがメイン。


無断リンクしてくれてるところは1回確認しに行ってもブックマークはしないな、殆ど。たまにする時もあるけど。3,4個はそういうトコロあるわ。イヤ、だから何ってわけじゃないけど。ただ単に事実を書いただけでなにも訴えたい事があるわけじゃないけど。なんかお腹すいたな。


なんとも間の抜けた文章だな、こりゃ。


■2002/03/21 (Thu)
   
今日って世の中は休日なのね。朝気づいた。なので午前中の時点で俺も心意気的に休日する事を決意して勉強以外のことを一日ダラダラやってた。今日は休憩〜。


パ〜っと遊びに行く気にもなれないので家でインターネットやったり、インターネットやったり、インターネットやったり、音楽聴いたり、更新作業したりしてただけだけど。


あと今日は風が強かった。家の裏が広大な畑なので乾燥してる今の時期の風はすげえイヤ。、窓をあけると部屋の中がドロだらけになるし。なんで東京ってこの時期全然雨降らねえのかなあ。っていうか裏の百姓め! 今の時期はスプリンクラーとかでちゃんとドロを管理しろやボケー!


■2002/03/24 (Sun)
   
目の前を歩いている蟻の行列をさ。


踏むのは簡単だわな。


踏んだって別に己の人生は何にも変わらないよ。


けどさ。それを踏まないようにそっとまたぐのもすげえ簡単なはず。


まあ、またいだところで人生は変わんないけどね。


けど微妙に変わる部分もあったりして。


そこんとこって良いよな。俺は好き。


イヤ、何にも変わんないっちゃー変わんないんだけども。


変わんないんだけど違うのよ。確実に。


■2002/03/26 (Tue)
   
乾燥しててイヤだった日々が続いてたけどやっとここ最近で何回か雨が降って心地よい。今日も殆ど一日雨だった。


以前もどっかで書いた事があるけど俺は外に出る予定が無い時や家で何かやりたい時に朝起きて外をみて雨が降っているのを確認すると結構嬉しくなる事が多い。特に冬の雨は妙に落ち着くから好き。自分に出かける予定がある時は雨が降ってるとムカツクんだけどさ。基本的に俺が中心で地球が回ってるのでそれで良いや。


最近音楽のページを更新したのだけど、そのときにいっぱいCDレビューを書いた。書けば書くほど自分の文章力のなさや表現力の無さ、ボキャブラリーのなさを痛感してしまう。普段の日記やテキストだとその辺は自分で別に気にならないんだけど、音楽のレビューだと妙に文章が不自由だと感じてしまう。


音楽に対する意見ってのはただでさえ主観的なモノ。そんなモノを文章にして人に伝えるなんてのはそう簡単に出来るもんじゃない。それには文章力も必要だけどそれ以上に自分の感想を具体化する為の表現力や、他の人はこれを聴いたらどう思うのかを的確に想像する為の洞察力が必要だ。さらには膨大な知識も。そんな高等なモノを俺ごときに上手く出来るはずもないんだな。


実際、俺が知ってる音楽系のサイトのレビューを見ると俺より劣ってるって思う文章はあまり見かけない。というか高校生なんかがやってるサイトに掲載されているレビューにすら感心してしまう事が多い。絶対俺の方が負けてるってね。そんな風に思う反面、その不自由な中でも俺は俺なりに自分が持った『これは素晴らしい!』っていう感動を文章として具体化するにはどうすれば良いかと、ああだこうだと試行錯誤するのが楽しく思える時もある。


俺には高等な文章はかけないけど、『こいつはこれが本当に好きなんだなあ』っていうのが読んでる人に伝わればそれで今の所は満足なんだな、多分。別に的確で凄い知識を持って鋭くレビュー出来ていなくても、俺がその音楽から得た『感動の気持ち』だけとりあえず伝われば嬉しいんだな。だから自分で後で読み返した時にチャチな文章だなあって思ってるのにも関わらず俺はレビューを書き続けるのよね。


でもやっぱしもっとカッコイイ文章が書けるようになりたいなあ。


■2002/03/27 (Wed)
   
今日も夕方まで雨だった。


ついさっきまであげはさんのところのチャットにお邪魔してた。チャットは会話が交錯するからタイミングとか難しくてわりと苦手なんだけど、参加すると楽しい。あと1回入ると落ちるタイミングがわかんなくて最後まで残っちゃったりする事が多いけど今日はちゃんと落ちる事が出来た。


最近、姪のマホが俺の母親を少し煙たがってる。『おばあちゃんがダッコしてやろうか?』とか『おばあちゃんがやってやる』と言いながら世話を焼こうとする俺の母親に対して、マホは『イヤ!』とか言って拒否する事が増えてきている。俺の母親は痴呆症気味なので俺や俺の父親はその辺を考慮に入れた接し方をある程度は出来る。でもマホはまだ3歳にもなってない子供だ。自分の要望がちっとも通じない相手に対してはハッキリと拒否をしたりする。


俺の母親はマホが言うことをまるっきり間違って解釈をしたり、マホが頼んだことも全く出来なかったりするから、マホは『おばあちゃんに頼んでもダメだ』という風に認識しはじめているようすだ。だから、俺の母親がマホの世話を焼こうとしても『イヤ!』って拒否される場面をやたら見かけるようになったんだな。


俺の母親はかなり幼児化が進んでいるのでマホのそういった拒否にも感情的になっているのがみててわかる。そりゃ殴ったりはしないし、笑って平静を装っているけど実際かなりムっとしてる。そのくらいは見てりゃわかる。それと同時にとても淋しそうにしているのも見ていてわかる。少し前まではマホも俺の母親にそれなりに甘えていたので俺の母親もかなり嬉しそうだった。


でも最近はマホは露骨に『おじいちゃん!おじいちゃん!』と言って俺の父親の方にばかり甘えるようになっている。それを見て母親は、マホに無視されているような気になってかなり疎外感を感じているようだ。しかも何か世話を焼こうとしても嫌がられたりするから尚更疎外感は強まっている。


多分、父親もそれには気づいてる。俺と父親はそのことについて話し合ったことはないけど、俺と同じことを感じているんじゃないかな。正直母親が可愛そうになるんだ。でもこればっかりは俺が気を使ったところでどうしようもない。マホはどうしたって俺の母親を煙たがるだろう。心配なのは今よりもあと1年、2年先だ。マホはもっと自己主張を出来るように育つわけで、俺の母親はもっと老いているわけで。


なんともやるせない。


■2002/03/28 (Thu)
   
なんなんだろう。


人として『生きる』ということ。生物としてもっとも根本的な部分において考えさせられる事がちょっとたて続いた。俺自身に直接的に起きた事ではないのだけど、第三者的な立場として外部からそれを見せつけられる瞬間が幾つか重なった。なんとなく狙いすますかのように。お前はどうなんだ、と問題をつきつけられるかのように。


なにか見えない力によって俺が俺自身の存在を見つめなおす機会を与えているかのようだ。自分の歩いているその場所をちょっと考えてみるといい。今日のちょっとした不満。その瞬間のちょっとした苛立ち。その瞬間の憂鬱な気持ち。それらってのは何から生まれているかを考えてみるといい。ちょっとだけで良いから立ち止まって振り返ってみるといい。きっと『それ』が見える。はやく『それ』に気づくべきだ。


そこを歩いていて何が不満だ。その苛立ちはどこからくるのか。その憂鬱な気分を何が生み出しているのか。世界の不幸を全部自分が背負い込んでいるみたいな顔をしている時の顔がどんなに醜くて滑稽な事かってのをもう一度考えてみるといい。自分を歪めるのは自分の置かれたそのクソみたいな環境じゃない。自分の歪んだその顔から目をそらしたらそれこそそれでオシマイだ。


『それ』は常にそこにあるんだ。

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