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マダファカ!!ログ 2002/09


■2002/09/02 (Mon)
   
今回はこの前の『自分語り』に関する日記の続編です。あの『俺が! 俺が!』って日記ね。8月30日(2)の。何故続編を書こうかと思ったかというと。


昨日は珍しく真っ当な時間に眠って朝早く起きたのれす。で、朝6時半くらいにアクセス解析開いてみたらその時点でアクセス数が900近いんで超ビックラ。いつもは24時間で550弱なのに6時間ちょっとで900近いってそりゃビックリするわな。


それでリンク元をみたら俺ニュースっていうところからすごい数が入ってきてた。有名なトコっぽいようだけどニュース系からの影響って今までの経験上数日もすれば元に戻るので一安心。あーびっくりした。この前書いた『俺が! 俺が!』の日記がBLACK ASHさんに取り上げられてそれから俺ニュースさん、さらにあめぞう2000さんという流れようです。


その『俺が! 俺が!』の例の日記は5分もかからないで何気なく書いたモノだけになんか複雑な心境になるなあ。全然大した話じゃないしね。なのであの日記で書いたことをもっとしっかりフォローしようかなということでこれを書いています。


では本題ね。


そもそもその批評サイトの言いたかった事は『自分語りになってて尚且つ独りよがりで本人を知らない人が読んでも面白くないだろーこれは』ということだと思うのよ。それはわかるの俺も。けども、それで0点をつけられてたサイトの文章を実際読んでみたら確かに自分語りにはなってるけど、それなりに読み手に話し掛けるような文体で書いてあって、誰かが見ているというのを意識している文章だったのね。完全な独り言ってわけじゃなかった。


俺の感覚だと『読み手に話し掛けるような』形で書かれている時点でもうそれは読み物なのよ。それが面白かどうかは全く別問題でね。んで、俺はそういう風に捉えてるから『結局自分語りになっていて読み物ではない』という風な書き方になってたのを見て『そーなん?』って思ったということ。ただそれだけの話。読み物では無いと言い切ることに疑問を感じたというね。


ただ単に『これでは読み物として面白くない』という風に書かれていたなら逆に普通に納得してただろうな。つまり0点として批評されたサイトを俺自身が面白いと感じたか否かは別として『ああ、この人はこのサイトを面白くないと思ったのね』と普通に読み流したと思うってこと。けども『読み物であるということ自体』を否定してたもんで『そうなん??』と。


かと言って『読み物』という言葉の定義について議論したいわけでもないのよ。ただ単に『そういうもんなの?』という素朴な疑問を書いただけ。その後に俺の定義が正しいんだとかいうコトを主張する気は無いの。そんなんどっちでもいいですよ、ハッキリ言って。


俺があの日記で書いたことを簡略に書くと、『読み物という言葉の定義をその批評サイトに従った場合は俺のサイトもきっと0点っつうことになるんだろーけど、それはそれで全然構わないし、それが俺のやりたいことなのだから仕方ないよね』ということ。もっとわかり易く書けば自分がやりたいことを大事にしたいということですよ。


そのサイトが人様のサイトに0点をつけるということに文句を言ってるわけじゃないですよ。そこは強調しておくよ。そのサイトって元々依頼を受けたサイトの批評をするというスタンスだったので、依頼した側がなんか文句を言うのはむしろおかしいもん。自分から望んで点数をつけてもらってるわけだからね。


だけどなあ・・・。その低い点数を付けられたサイトの後の対応は見ていて『なんだかなあ』とは思った。っていうかそれが一番首をかしげたことかもしれない。低い点数をつけられたサイトの多くがあとで自分の日記に言い訳というかフォローみたいなことを書いてんのよね。なんかそれがすげえ見苦しいつうかなんつうか。


『批評して頂いてありがとうございました』とか言いながらもなんかこう0点や1点をつけられた事実をムリして納得しようとしてる風に見えたんよ。で、中には『これからはその批評を参考にしてサイト運営の方針を変えて・・・』とか言ってる人までいるの。本当にそれでいいのか?ってすげえ思ったんだけど。


前にも書いたけど、そういう人はなんの為にサイトをやってるかもう一度考えた方が良いんじゃないのかな。自分が何を表現したいのか考えるのが先であって、見てる人から評価されるのはその後のことなんじゃないの? 一番に『人に評価されるモノにしよう』と漠然と狙って書いたモノって何処か不自然だし、人の目を引こうとするあまりに取り繕いをしている言い訳がましい文章になることが多いですよ。そんなの見てて楽しいですか?


実際に批評後に方向転換をするって宣言したサイトを見たけどハッキリ言って前より面白くなったとは思わないです。っていうかむしろ以前のほうが自然に書かれていたからすんなり読めたのに変に狙った感じがするようになってしまってすごい残念に感じたんですけど。そういう罠にはまってしまう人がいるから先ほども書いたように俺は『自分のやりたいこと』を大事にするっていうのを改めて確認して、あの『俺が!俺が!』の日記を書いたわけね。


で、これだけ書いても理屈っぽい反論をしてくる人の中には『「自分がやりたいコト(望むこと)=他人に評価されること」なんだから仕方ねえじゃねえか』、なんていう人もいるかもしれない。うわー、いそう。俺のこの文章読んでて実際いるだろこういう考え持ったヤツ。


だ・か・ら・さー。その場合だってさ。


『自分のやろうとしてることのどういう部分を評価して欲しいのか』が作り手がわかってない状態で漠然と『評価されるのが目的だ』と主張したってなんの意味も無いんじゃないんですかね。つまりたとえ他人に評価されるのがサイトをやる目的だったとしたって、やっぱり自分が何を訴えたいのかをまず先に考えて明確にしておかなければ評価する側だって作り手のコンセプトが全く見えなくなるから評価しようが無いということだよ。


そこを忘れて漠然と『人に気に入られよう』とだけ考えたって意味が無いという話。実際そうなってる人が多いように思えるから言ってんの。さっきの批評サイトのスタンスってのは『読み手を楽しませるのを最優先した文章が読み物であり自分語りはもっとその後にするものである』という感じなんだけど、そういうスタンスで批評するのは別にいいと思うの。俺と見方が違うのは確かだけど、それはそれでひとつの視点なわけだからね。


そうなのよ。あくまでもひとつの視点なの。俺の見方も、その批評サイトの見方も。そのひとつの視点に振り回されて自分のやりたいことを見失ってるんじゃないんですかね。


一応言っとくけど俺自身の方針は『まずは自分語りをして、それを見て結果的に共感を覚える人、何かを感じる人がいれば嬉しい』ってものです。だから先ほどの批評サイトに仮に0点をつけられたとしても自分語りをやめたりはしないよっていうね。それが俺のサイトのコンセプトなのよ。その批評サイトの斬り口では評価されないであろう部分にコンセプトがあるんで、0点であっても一向に構わないわけ。


だけどもその自分なりのコンセプトが自分でわかってない状態では、批評サイトに自分のサイト批評を依頼したってそれを参考にしていい方向にサイトを改善していけるとはちっとも思わない。俺がそのサイトに0点をつけられても別に良いやと割り切れる理由は『この斬り口で0点をつけられるのは致し方ない』と思えるからですよ。それは自分で自分のサイトのコンセプトがわかってるからです。その批評サイトでは俺の重視したい『自分語り』がマイナス要素として認識されていたから『だったら仮に0点をつけられても仕方ねえや』と思えるわけね。


そのコンセプトってのが自分でわかってないのに批評してもらって漠然と凹んで漠然と参考にしてその都度漠然と方向転換をしていたらそれこそどうしようもないサイトになっていくのではないでしょうか。それは批評を参考にしているのではなく『無数にある見方にその都度振り回されている』だけっすよ。本当に批評サイトの評価を参考にするんだったら点数ではなく『どういう意図で0点がつけられているか』というのを把握しないとだめなわけね。超あたりまえの話のはずなんだけどなこれは。それすらわかってないんだったら批評なんか依頼すんなよ、マジで。


俺自身はそもそも他人の批評を参考にしようという気が無いんで(いや、たとえ的を得たことを言われても批判されると普通にムカついちゃうというお子様な自分はよくわかってるんで、自分から好き好んで批判されるかもしれない批評を申し込んだりしないの)、俺が批評サイトをそういう風に利用してると言ってるわけじゃないっすよ。もし批評を参考にしようって人がいるのなら・・・って話ね。


本来批評を参考にするって行為は結果としてつけられた点数ではなく、自分のやろうとするコンセプトとその批評の『斬り口』とを比較して0点をつけられた理由を見つけることでしょ。それが自分のコンセプトとして0点をつけられても仕方ないと思えるなら別にサイトの方針をムリして変更する必要なんて無いし、凹む必要も無いし言い訳する必要も無いんですよ。


なのに『0点』である事実だけに振り回されてる人が多すぎやしませんか?


なんかさ。『俺が正解! お前ら不正解!』みたいな態度で『サイト論』を語る大きなサイトがいるせいで様々な方向性やコンセプトがあって良いはずの『自由に出来るからこそ楽しい個人サイト』ってヤツが何時の間にかおかしな制限みたいのをもってる感じがするのは俺だけですかね? で、しかもなんでそんなもんに自分から好んで縛られてんの?


大きなサイトのいうサイト論ってのが『俺が正解! お前ら不正解!』という態度じゃ無い場合だって、それを見て鵜呑みにしている人もいるでしょう。それってすごい大きな落とし穴にはまってると思うよ。サイト論ってのだってあくまでもひとつの視点に過ぎないんだからさ。これって超当たり前の話なんだけど、アクセス数の多いサイトの意見を見て条件反射的に『あ、俺が間違ってた』と思っちゃう人がいるんじゃないの? そこはマジ気づいた方がいいよ。間違ってるとか間違ってないとかそういうレベルの話じゃないからこれ。


エンターテイメント性の重視っていうのもひとつの方向性です。そうです。あくまでもひとつの方向性なの。だから同じ日記、テキストサイトだっていくつもの方向性があっていいの。だけど日記、テキストサイトはエンターテイメント性が無いとダメなのかって思い込んでる人が多すぎないか?


本来そういう方向性でやろうとしてたはずじゃない人までもがそれに翻弄されてそれに向かって自分から狭い方狭い方に進んでる部分があるよ。それってすげえ勿体無い。自分から見えない何かに縛られに行ってるっつうかさ。


以前書いたWho Are You?っていうテキスト。あれも今日書いたようなことをひっくるめて書いてるんですよ。単純に面白いものを作ろうとするのをイケナイと言ってるわけじゃない。数多くあるはずの方向性を見ようとしないで『エンターテイメント性の重視』という視点ばっかりに何故自分から縛られてんだ? というのをシニカルに書いたつもりなんだけどどれだけ伝わってたんだろうな。


という話なんですが、言いたいことは伝わったかしら。



■2002/09/02 (2) (Mon)
   
あーっと。ちょっと補足。


今日の一個目の日記ってアクセス至上主義の持つ落とし穴の話でもあるのよ。そこでくどいほど書いている『他人に評価されるのを漠然と目指す』っていう趣旨を含む部分を『アクセス数を伸ばすというコトを漠然と目指す』ってのに置き換えて読めばそのまんま同じコトが言えるわけで。


要するにやっぱり以上のようなこと以外の自分なりのコンセプトを見出さないと結局はロクなもんにならないじゃ? ってことですね。うん。



■2002/09/02 (3) (Mon)
   
おおーっと。さらに補足。さすがにこれで終りね。


今日の一個目の日記の内容に沿ってもっと言えば、批評サイト自身も『どういう視点からの斬り口でサイト批評をしているか』ってのを最初に明確にしないとあんまり意味をなさないよね。その方針が明確じゃないと批評内容を参考にしようがないもん。


だから、『今話題の批評サイトを自分も始めて一躍有名に!』というのを漠然と考えて始めた人はきっと痛い目を見ることでしょうね。そんな人はやっぱり自分の批評の明確な方向性が見えてないからその批評の視点も斬り口もハッキリしない。だから周囲から叩かれて『ハイ、自滅』というね。


そんな安易な考えの人はもう既にいっぱいいるだろーけどな。


んじゃこれでコレ関連の話はおしまい。



■2002/09/02 (4) (Mon)
   
何回更新してるんだ俺は。


というのも書くのを忘れてたコトがあるので。ホントはこっちを先に書くつもりだったんだよ。ミスター・アフター・フォローになってしまうのだけど、今度は違う日記の補足。えーと、8月30日の一個目の方。『極論言うぜ!』とか言ってかき始めたヤツね。


アレってわりと誤解を生んだというか俺の意図と違う解釈をしてる人がいるっぽいので一応。あそこで書いたいくつかの実例ってわざと極端に偏見優先で書いたのよ。あの日記はある意味自虐ネタなんすよ。それがただ単に実例を批難してるようにとった人もいるようでして。そーじゃないってば。


あの文章の流れは。


1.極論言うぜ!と宣言して読み手を身構えさせる。


2.実際読んだらマジで極論。『わかる部分もあるけど・・・そりゃ乱暴な解釈だろー』という風に思わせる。


3.で、今度は得意の『自分語り』に移行して自分自身を批難。


4.最後は極端なコトを言ったが為にどうしようも無くなって自滅でズドーン。


という方針で書いたもの。明確に自虐ネタとして書いたつもりだったんだけども、すごい偏見だ!とか言われたのよね。それで『あれ?もしかして曲解されてる?』と思ったのでわざわざコレを書いているんだけども。いや、いくらなんでもあそこで挙げた実例があれだけに当てはまるわけがないのはわかってるってば。


『EGO-WRAPPIN'、LOVE PSYCHEDELICO、椎名林檎、小島麻由美、ジュディマリあたりが漏れなく好きなアーティストの欄に載っててブランド物ではなく古着とかを好んで着るような女の子』つう実例の話なんか超無茶な話じゃん。


それらを『単純に好きなだけ』の人のほうが多いのくらいわかってるって。皆が皆『自分の独自性をアピールするため』にわかり易いファッションをしてるだなんて思ってるわけねーっつうの。だから『極論書くぜ』って最初に書いたんだけどなあ。


と、こういうアフター・フォローも『自分語り』の一環っすよ。俺はこういう風に思ってるっていうのが主張したいの。俺はこういう人間だって主張したいの。だからサイトやってんの。それが結果的に他人に評価されるかは別問題なの。とにかく主張したいの。ついでに文章にすることで自己確認をしたりもするの。


面白くないとか言われるのは別にどうでも良いけど(言われたら言われたで普通にムカツクけどソレによって方針を変えたりはしないっつう意味な)その主張の趣旨が根本から曲解されるとフォローせずにはいられないの。フォローしたいからするの。他人の為に書いてるわけじゃないの。俺が書きたいから書くの。俺はそういう人間なの。そう。俺はそういう人間だオラー!





俺は! 俺は!  俺は!  俺は!




お・れ・は!!




そうだ!そうなんだ!


俺は淋しいんだ! 淋しいだけなんだ!(またこれかよズド〜ン)。



■2002/09/03 (Tue)
   
んー。こんちわ。


ニュースサイトからのリンクの影響も一日でかなり引いて一安心のアイバです。昨日はアクセスが2300という驚きな数だったけど今日はかなり元に戻ったですよ。まだ少し影響が残ってるけど今日でオシマイだろうな。よかったよかった。やっぱサイトを紹介されたんじゃなく記事を紹介された場合はあっという間に元に戻るね。


で、今日の本題は昨日書いた8月30日の『極論言うぜ!』の日記のアフターフォローの話なのですけどもー。アフターフォローのアフターフォローだなこりゃ。いやあ、やっぱまだ気になっててね。気になってるのは俺が勝手に気になってるだけで実は明確な文句のメールって殆ど来てないんですよ。ちょっとだけ偏見だ!っていう風に言ってるのが一個来ただけなんですよね。


けども、今日になってあの日記をもう一回読んでみたんだけど、やっぱあれじゃあ挙げた例を批難してるっぽく見えるなあと思ったのでスゴイ自己嫌悪つうか。抗議メールが来てないから良いんだとは思えなくなってさ。要するに自分の失敗をこのまま流すのが自分で納得出来ないのね。


こういうの久しぶりだなあ。俺ってアレコレと自分の書いたことを後悔したり、色々悩んだりするのを日記で表に出すから以前誰かに『苦悩するテキストサイト』って言われたことがあるんだけども、それを久々に思い出した。はははは(乾いた笑い)。


あの日記って実は最初に書き終わったときは冒頭の『極論言うぜ』と宣言する段落は無かったんですよ。いきなり本題に入ってたのよね。だけど書き終わったあとに一回読んでみたら『こりゃ中盤の例を挙げてる部分を俺が本気で言っていると誤解されるぞ、これじゃイカンぞ』と思って冒頭の文を付け加えたのよ。意図としては昨日書いたとおり自虐っぽいネタのつもりだったからね。


で、それによって読者を前もって『無茶な極論を言うつもりでいるのか!無茶なのをわかってていうのね!』と身構えされることが出来るから例を挙げてる部分を俺が本気で言ってるとは思われないだろーと勝手に安心してたんだけども、今読むとアレでも充分本気で批難してるっぽく見えるのね。全然ダメじゃん。


特に古着を好むという女の子の話の部分が一番極端な記述だったと思うけども、あそこで挙げたアーティストって俺のイメージだと古着を上手に着こなしていそうな人たちなんですよね。さらに古着とかを好む女の子が聴いてそうなアーティストというイメージもあって。で、そういうセンスの人は芸術系の専門学校や美容師の学校とかに通ってそうなイメージもあったりして。


それはあくまでも俺が勝手に連想するイメージね。そんな部分を無茶な極論としてネタっぽく書いたつもりだったわけ。メタルファンやアニメファンの話も全く同様でさ。あくまでも極端な連想イメージを挙げただけのつもりだったの。そもそも俺はジュディマリや椎名林檎は大好きだし(林檎さんはファースト限定だけど)、俺がメタルファンであるのは多くの人が知ってる事実だしさ。ジュディマリが好きだってのはこの前オンガクニッキでも書いたしね。だからネタだってわかるだろーと思ってたのよ。けどちょっとあの文章じゃそれが表現し切れてなかったね。


まあサイケデリコに限って言えば『パクリマンだから嫌い』って過去に書いたことがある気がするけど。それは一応音楽的なことを理由にアーティストそのものを批難してるわけで今回のケースの『それを好きな人たちを批難しているように見えた』のとは根本的に違うからアフターフォローなんかしなかったけども。そもそもサイケデリコが嫌いなのは誤解じゃないし。ほんとに嫌いだし。だからそれに関して文句を言われたところで取り繕ったりはしません。嫌いなもんは嫌い。


むむ。少し話がそれたな。でね。昨日のフォロー後に来たメールで『アフターフォローを見てようやく納得出来ました。あのアフターフォローはあって良かったですー。』なんていう趣旨のメールをもらって改めて『あーやっぱ誤解してる人はメールを事前にくれた人以外でもいたみたいだな』と再認識してこれを書いているわけです。他にもムカっとした人いるべ? マジごめん。無意味に人を不快にしてしまったと気づけばやっぱ素直にマズったなと思うよ俺だって。


あー、久しぶりに失敗したなー。こういうのは認めないといけないよね。誤魔化したりすんのすげえイヤだし。ましてや自分の失態を隠すために過去ログから黙って消すとか絶対やりたくないし。もう書いちゃったことだからね。こういうのは自分の失敗としてあえて残しておきたいってのは俺の昔からの考えなんで、元の文は消さずにこうしてフォローとして書き加えているわけです。


で、こういう風に後で自分の失態を認めちゃったり、もしくは考えが変わったら変わったと明確に書くっていうのを普通にやるのを『そこがアイバさんの良いところだ』とか言ってくれる人もいるんだけど、それって実際かなり複雑な心境になるんだよね。だって好きで失敗を繰り返してるわけじゃないし、自分の考えを意識的に変えたくて変えてるわけじゃないし。


後になって『アレ!?やべ!俺失敗してる!失敗してるよ!』って慌ててるだけなわけで、本来ははじめからスマートに余計なコトを言わないようにしてりゃもっとカッコよく出来るのにって思うしさ。けどムリなんだな、俺には。トホー。


だからリンクコメントで『意外と不器用な人なのかも』とか書かれるんじゃー。あ、その不器用な人なのかもっていうコメントは悪気があって書いてるわけじゃないってのはわかってるので誤解なきようにね。


んんー。結果的にここ最近の『自分語りが云々・・・』って話題と被った感じでこれが俺の古典的な『自分語り』な日記なんだよなあ、と思ったりして。やっぱこういう風に自分語りを主体として文章を書くのは俺にとって自然なコトなんだな、と改めて思った今日この頃です。



■2002/09/03 (2) (Tue)
   
だから更新頻度高いってば!


今日は先日ニュースサイトからリンクされて爆発的にアクセスが一瞬増えた時に思ったことを書いてみようかと。そのリンク先から訪れた殆どの人が目当ての記事だけを読んで去っていってるのは明白だったんですよ。つまり俺のサイトを見に来ているという感覚じゃなく記事を単体で見に来ていたと。だってその記事が載っていたトップページ以外のコンテンツのアクセスが普段とさほど変わらないんだもん。


それって俺としてはあんまり嬉しくないんですね。そりゃ自分の書いたものを読みに来てくれる人がいっぱいいたわけだからイヤなわけじゃないし、だからリンクすんな!なんて文句を言う気は無いですよ。リンクフリーを詠ってるわけだから。ただ『特別飛び上がって喜ぶような嬉しいって感情はなかったな』というだけの話ね。で、それは何故なんだろうってちょっと考えてみたのです。それで多分こういうことだろうなと自己分析結果が出ました。


それは! (ジャジャーン)←効果音


マダファカ!!はアルバム型サイトだからである!(ドドーン)←効果音


だーっはっはっは。今俺上手い事言ったよ?


聞いた? みんな聞いた?


スゴイ上手いこと言ったよ?


とにかくマダファカ!!はアルバム型サイトなんすよっ。つまりこのサイト全体を音楽のアルバム作品に喩えているわけよ。そして個々の記事である日記やテキストを楽曲だと考えてみるわけ。


で、先日はその楽曲をニュースサイトで紹介していただいたと。その1曲の楽曲だけを聴きにこのサイトにいっぱいの人が来たと。だけれども俺のサイトってのはひとつの楽曲だけ聴いてもらっても、マダファカ!!というアルバムに収録された楽曲を単独の楽曲として聴いてもらおうとあんまり考えてない俺としてはそんなに喜びに繋がらないと。


やっぱアルバム型のサイトだとそこに収録されている1曲だけ聴いても本当のコンセプトみたいなもんは伝わらないわけです。だからアルバム全体を通して聴いてみて始めてどんなモノかわかるわけですよ。そしてそのアルバム全体が持つ雰囲気、つまり活字として書かれたモノだけではなく全体が放つニュアンスを読み手が気に入ってくれたのが分かると嬉しくなると。


だってさー。ここ数日の日記で書いたようにここは『自分語りサイト』なわけじゃん。言い換えりゃ『壮大な自己紹介サイト』なわけ。それ以上のモンは俺自身があんまり求めてないのよ。趣味のコンテンツだって同じ。『俺はこういうのが好きです』と言ってる感じだし。基本は全部『俺』からスタートしてるのね。そんな部分を気に入ってくれた人と交流をもてたら楽しいじゃん?っていうサイトなの。


だからこのサイトでの個々の文章のクオリティーがどうだとかっていうのよりも、俺の全ての言動、つまり全体の流れの中で俺のダメな感じとか、嫌いなモノとか、好きなものとか、そーいうのをひっくるめて見て、はじめて意味をなすような気がすんのよね。結局その全体がかもし出すモノに興味を惹かれた人が繰り返し見に来てるんじゃないかなと思うのよ。


その興味の持ち方が好意的か否かってのは全く別だよ。嫌いだって興味を持って見ちゃうって場合だってあるわけだから。その辺のことは既に書いてるけどさ。とにかく『興味を持っている』という点では双方とも同じなわけだ。


さっき書いたように俺はそもそも『独立した作品』と呼べるようなレベルの高い文章を書いているとは思ってないです。つまりシングルカット出来るような楽曲はここには無いってことよ。マジでそう思うな(シングルカットってのは管理者の手を離れても単独で魅力を保持出来るようなレベルの高い文章って意味で捉えてください)。


だからサイトというアルバムに収録された1曲だけ聴いてもらったところで俺がどういうニュアンスでそれを作っているかそれほど伝わらないだろうなって思ってます。だって個々のテキストや日記に高度な文章を書けるわけでもない上にすごい事内容を書ける程の出来た人間でもないもん俺。


なのにここには普段の日は何百かの人が来てくれる。それはやはり個々の楽曲のクオリティーがどうっていうよりもアルバムとしての存在なんだろうなと。全部ひっくるめた存在。


で、サイト批評なんかではどっちかというとアルバム収録の個々の楽曲のクオリティーをも重視して評価がつけられることが多いみたいなので、俺のサイトはきっと大した評価はもらえないだろうと思ってます。個々の楽曲はマジたいしたもんじゃないもの。そりゃ個々の楽曲としてもアルバム全体としても楽しめりゃ一番いいのかもしれないけど俺にはそんなもん作れないしな。


日記やテキストを載せるサイトでは、アルバム型、楽曲型、そして双方型って3パターンがある気がするよ。それを整理してみると・・・。


★アルバム型
一個読んだだけじゃ面白くも何ともないけど全体を見た結果、管理者のキャラが気になって来て思わず見てしまうサイト。その代わりシングルカット出来る楽曲はあんまり無いの。シングルカットしちゃうと魅力が激減しちゃうのね。


★楽曲型
書き手のキャラを考慮に入れなくても個々の文章が『独立した作品』と言えるような高いクオリティーを持っている為にシングルカットをしても充分に魅力が伝えられるサイト。


★双方型
名前の通り両方兼ね備えてるスゴイサイト。全曲シングルカットしても全てが『作品』として独立した存在になり得て、尚且つアルバムとしてのトータルバランスも優れている(つまり管理者のキャラにも興味を惹かれる)というサイトだね。


そう考えるとマダファカ!!はやっぱりアルバム型だな。どう見たってマダファカ!!にはシングルカット出来るようなモノなんてないのに人が来るってコトは、やっぱアルバム型だという自己分析結果にたどり着く。この型は管理者のキャラを考慮に入れながらじゃないと成り立たないのね。だから書き手を離れた『独立した作品』にもなり得ない。そんなだからきっと他人にここを批評されるとムカツクんだな。俺という人間を批評されてるみたいな気がして。


まあこのサイトがアルバム型になったってのはあくまでも結果的にそうなったってだけなんだけどね。俺がアルバム型だなって自分で思うまでの流れは以下の様な感じですね。


1.自分が書きたいことを書いて自分がやりたいようにやってきた。


2.その結果俺のキャラがモロに反映されたサイトになった。


3.でも実際個々の文章は大したもんじゃない。


4.でも見に来る人がいる



という流れを考えてみると、やっぱアルバムとしてならそれなりに興味を持つ人がいるんだろうな、だからアルバム型なんだな、という。ここを見てる人も自分のサイトがどういう感じになってるか考えてみるとちょっと面白いかもね。


でもこれはサイト論なんつう仰々しいもんじゃないのは言っておきましょう。アイバっち個人の自己分析結果の話ですので。あくまでも『アイバがそう言っている』だけっすからね。こんなの当たり前なんだけど言っておかないと『さも一般論かのようなニュアンスでこの文章が書かれた』と思い込む人がいる世の中なのでね。何度もしつこいようだけどここにはシングルカット出来るようなハイクオリティーの楽曲は無いんですってば。


このサイトの基本は『俺が!俺が!』ですからね。(まだ言ってるよ)



■2002/09/05 (Thu)
   
PM11時30分に寝てAM3時に目が覚めちゃった。


そんで、なんか日記に書こうと思ってホームページビルダーを立ち上げたら更新するのに気が進まない自分がいた。面倒っつうのとまた違うんだな。なんか気が引けるという。明確な理由は特に無い。


寝る前までは書こうと思ってたことが結構あるはずなのにそれも思い出せない。大量に日記やテキストを書いたあとに急に虚しくなる時があるんだよね。その日記やテキストが勢いのあるものだと余計。今その状態なのかも。


自分がしていることが不毛に思えるというか。自分が書いた文章を読み返して『こんなことどーでもよくね?』と言う自分がいる。そう思うと急に恥しくなる。ここを見てる人達も『何をどーでもいいことをダラダラと・・・』と思っているのではないかとか考えちゃう。だからこういう時はしばらく書くのをやめることにしてるんだけど、今日は無理やり書き始めてみたわけだ。


『新しいエロDVDを買っちゃったぜ!5000円も出しちゃった★』


『さあ!いっちょ気合入れてヌイてみよう!』


『ハアハアハアハアハアハアハアハア。』


ドピュ。


『・・・・・・・・・。』


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』


『お、俺はなんでこんなエロDVDなんかに5000円も出したんだ・・・。』


『なんだかもの凄く無駄遣いをしたみたいな気がしてきた。』


『チクショウ・・・チクショウ・・・オナニーの為に5000円て!』


『嗚呼・・・・・虚無。』






というのになんか似てる。オナニーする前〜してる時はすごい勢いなのにいざ終わると猛烈にどうでも良くなる・・・というかどうでも良くなるどころか自分のやったことがものスゴ不毛なことに思えるっつう。けど数日経つとまたオナニーしたくなる。そしてする。我慢は出来ないから。そしてそれを繰り返す。書きたい!という欲求を勢い良く満たしすぎた後は何故か虚無感に襲われるってのはオナニー後の虚無感と似た感触だ。


自己の欲求を満足させるとその後には急に虚無感が襲ってきたりするんだよな。飲み会で楽しんだ後に仲間と別れて帰りの電車でひとりになった時、仲間と過ごした時間が楽しければ楽しいほど急に淋しさに襲われたり、なんてコトもある。人間てのはそーいう浮き沈みを繰り返してバランスを保ってるのかもしれないな。よく出来てるよホント。


けど、あんまりムラムラしてないのになんとなく暇だからってとりあえずオナニーしてみたら意外と気持ちよかったなんて時もあったりするけども、今それです。冒頭に書く気があんまり無いのに無理やり書き始めたと書いたのは本当なのだけど結果的に意外と楽しく書けてるぞ今。


人生そんなもんだ。



■2002/09/07 (Sat)
   
こんばんわ。アイバでし。


就職試験の準備による長い長い引き篭もり生活があともうちょっとで終わります。いやあ、長かった。まだ終わってないけどさ。で、この就職試験に受かるにしても落ちるにしても今回が最後の挑戦なんでこの状態からは抜け出すことになるのは間違いないです。ホントもういいよ。もうお腹いっぱい。


で、こんなのが長いこと続いたもんで自分の視点がやたらチマチマしてきてるんですよね。ココで言う視点ってのは感性とかでいうところの視点じゃなく本当の意味での視点。目で見る視点。なんかね、虫とか超観察しちゃったりすんのよ。今までにないくらい小さなものをジックリ見ちゃったりすんの。自分の行動が怪しいの。もう既に精神的な限界を超えてるのかもな。手遅れかもな。


今日も網戸にくっついてたチッこいコガネムシみたいな虫を顔を近づけてずっと見てたりとか。なんかキモイ感じですいません。んで、これはなんて虫だろうとネットで調べてみたりとかして。今日見てたその虫はどうやらハムシっていう種類の虫だったみたい。そんな風に普段普通に生活してたら見ないようなトコをチマチマ見るようになってきてるのよね。


あとこの前はね。姪のマホの為に兄貴が買ってきたビニールプールがずっと駐車場に放置されてたんだけど、そこに溜まった雨水にカナブンが2個溺れててそれを助けたりとか。俺が見つけたとき、一個は既に諦めモードに入ってて動かないでプカ〜って浮いてたんだけどもう一個はまだ何とか抜け出そうともがいてたのです。だけど手に取ったら2個とも生きてたので庭の木に引っ付けておいたらしばらくしていなくなってた。わあ。俺ってば優しい!


さらに今俺の部屋にはチッこいクモが住み着いてるんですよ。二日に一回くらいの割合で俺の目の前に出てくるの。クモでも巣とか張らないヤツっているじゃん。テケテケ歩いてて触ろうとするとピンって跳ねるヤツ。体長1センチくらいの。ソイツが超可愛いの。クモって目がいっぱいあるんだけどそのいっぱいの目で俺を見上げるの。なんか意思が通じ合ってるっていうの? エヘヘヘ。


ぼ、僕は虫の気持ちが分かるんだよ★


虫にも優しく接してると友情が芽生えるんだよ★


そんな風に。


長らくの引き篭もりにより今までは受信できなかった電波を受信中。


そろそろ虫とお話が出来るようになると思います★


いや、むしろ俺が虫になるかもしれない感じ。


ヽ(´ー`)ノ ワーイ!! ボクニモ、ソラガトベルンダー!!



■2002/09/09 (Mon)
   
トイレの壁にかけてある手を拭く為のタオル。そこにウンコがついていた。しかも固体で。大きさはハナクソ大。そのほかにも擦れたような感じで数箇所ついてた。つーか、なんで?


誰かがウンコが手についてるのに気づかないで手を拭いた? それともウンコを出しながらウォシュレットを噴射し続けて壁までウンコが跳ね上がりそれがタオルに付着した? むしろタオルでケツを拭いた?


っていうかさ。つい一時間前にもトイレで小便をしてこのタオルで手を拭いたんですけど俺。その時点で既にタオルにウンコがついていたとしたら? 手を洗って手が綺麗になって仕上げに水を拭き取るはずが手にウンコをなすりつけてたってことに。そういえばタオルについているウンコが擦れた感じになってる部分が確かにあった。


そんな! まさか!


俺はあまりのショックにウンコを漏らしました。



■2002/09/12 (Thu)
   
よう。貴様ら元気か?


俺は自分で作ったチャーハンを食いすぎて気持ち悪いぜ。ぁあ!? 貴様らも食いすぎには注意しろよな。わかったかこのやろう。色々切羽詰ってるもんで更新はしばらく止まるかなとか思ってたんだけど結局更新だ。文句あるかコノヤロウ。サイトで日記なんかを書くのが習慣になってる連中は皆ネットジャンキーで更新病なんじゃボケナスが。貴様らも同じだろーが。ぁあ!?キモイんじゃカス!


でよ。今日、勉強の休憩してる間にネットサーヒンしてたのよ。そしたらよ。今でも海外のサイトではmp3をバラ巻いてるアメ公がいっぱいいるのな。『ファイル交換が出来る便利なあいつ』が普及した今となってはそんなリスキーなことやるヤツはいなくなってんだろーとか思ってたんだけど違った。やっぱアメ公は頭悪いぜ。


そこでボンチョピのニューアルバムとずっと聴きたかったこーるどぷれーのセカンドをみかけたぜ。ああ俺は法の番人なので落としたりはしてねえぜ。いくら金が無くてもやっぱり法の番人としては落とすわけにはいかねえ。いずれCDで買うんだし我慢だ我慢。あったり前だ。The MUSICも探したんだけど無かったぜ。アメ公には人気ないのだろーか。それと『ファイル交換が出来る便利なあいつ』ではらいふはうすのセカンド、我らがタンポポの『ALL OF タンポポ』を見かけたがそれも当然見かけただけさ。


いやあ。ボンチョピのニューアルバム良いなおい。らいふはうすのセカンドも良いなコノヤロウ。けど、らいふはうすは前作と印象が同じ過ぎなので次のアルバムもこのまま守りに入ったらヤバイ気もするがな。けど曲は相変わらず良いぜ。こーるどぷれーも嫌いじゃないぜベイベー。聴き込まないとわからんがな。ヴォーカルの声が好きだぜ。つうかタンポポのアルバムには新曲が一個入ってるんだが良いぞこれ。貴様らも聴けよ、ぁあ!?


ああ、もちろん俺は聴いてないけどな。だって落としてないんだし。聴けるわけが無い。法律は守る主義なのでな。貴様らも守れよ。いやしかしボンチョピ良いなコノヤロウ。ロックな感じの曲とホノボノな感じの曲の両方とも好きだぜ。けど11の『BOUNCE』は『IT'S MY LIFE』かと思ったぜ。曲調が似とる。とりあえず、ダルーとかツラーとかになってるときには好きな音楽を聴くと元気出るな。音楽って良いな。うほーうほー。サディスファーイ。デストローイ。


けどまあ落ち込み過ぎの時ってのは音楽すらも鬱陶しいと思うからそーいう時はダメなんだがな。けどダルー、ツラー、って時にはいい薬になるぜコンチクショウ。ダーイ。ダーイ。デース。デース。ホモサピエンス!


щ(゚Д゚щ) オラー!   ←最近教えてもらった顔文字。お気に入り。


つーことでな。貴様らもくれぐれも頑張るように。ぁあ!?




そういうわけで、マダファカ!!の前身サイトである『モウのクソゲーページ』の極初期の頃の文体を再現してみたわけなんですけど、やっぱこのテンション間違ってると再認識。




щ(゚Д゚щ) オラオラオラー!



■2002/09/12 (2) (Thu)
   
でね。


あやや可愛いなオイ。


あんなに苦手だったあややもPVを何回も観てたら完璧に洗脳コンプリート。新曲『The 美学』のPVも良い感じで。郷ヒロミのアチチーの曲みたいだけど。なんかモー娘のPVを見慣れてると、あややがひとりだけずっと映りっぱなしのPVがすごく妙に感じます。ひとりだけ出ずっぱりなのがスゴイ事のように思えるというか。


それゆえにあややの場合PVを一本見続けると、人数の多いモー娘と違ってあややのツラだけを凝視する形になるわけで、洗脳の速度はモー娘のような大人数アイドルと比べ物にならないほど早いです。洗脳速度は光速です。一秒で地球を7周半するよ。地球を7周半しながら完全にあややの楳図顔を克服した模様。


桃色片想いのPVが特に良いな。これでもうちょっとムッチリしてればなー。ヘソ出しももっと活きるのになー。あややは腰のクビレがあんまり無くてストーンとまっすぐな感じなのが残念でならないです。


あややーあややー。楳図顔万歳!



■2002/09/14 (Sat)
   
おうう。ちっちぇえ!


今日は兄貴と姪のマホが静岡に行ったので義姉のさとみさんが1階に来て一緒に飯を食ったのです。その時にこの前生まれたマホの妹であるリノも連れた来たわけなのですよ。さすがにまだ生まれたてなんで2階に置いてくるわけにも行かないからね。


同じ家に住んでいるんだけど2世帯住宅という性質上、殆ど2階にいる赤ちゃんには1階にいるとあんまり会えないのよ。玄関が二つあって中では行き来できない構造なので勝手に上がっていってみるわけにも行かないし。そんなわけで今日久しぶりに見たんだけどやはりちっちぇえなーおい。なんつうか、まだ動物チックなんだよね、泣き声から動きまで。『泣き声』つうか『鳴き声』って感じなのよね。


んで、さとみさんが飯を食い始めてちょっとリノから離れるとすぐ泣き出しちゃうのよ。だから先に食い終わった俺がリノを覗き込んで手とか触ってたら泣き止んでさ。モノスゲ見てるの俺のツラを。スッとぼけた顔して超見てるの。俺のシーマン顔を気に入っていただけたようで。


そのまま俺の指を掴ませたりとかして遊んでたんだけど、不用意に扱うと指とか折れそうなのね。ホントあの指は親指と人差し指で軽くつまんでチョイと曲げただけで簡単に折れるぞ。赤ちゃんの取り扱い(という言い方で良いのか?)はホント慎重を要するよなあ。けど子供ってのはなんか興味を惹かれてしまうね。構わずにはいられないつうかさ。


そんな風に興味深々でリノをまじまじと見てた俺にさとみさんが教えてくれたんだけど、赤ちゃんって頭蓋骨がパックリ開いてるんだってね。頭蓋骨に3所くらいヒビが入っててそこを縮めながらスポンと生まれて来るんだそーな。頭蓋骨を縮めないとやっぱりマンコを通れないんだって。知ってた? なんかすごくねえかそれって。始めて知ったので驚いたよ。


で、生まれたあともすぐにはそこが塞がらないから穴が空いてるんだって。じゃあ脳味噌剥き出しってこと? 指でそこをつっついたら皮を隔ててすぐ脳味噌の感触なのかな? うひゃあ。レクター博士大喜びだねこりゃ。ハンニバルだねこりゃ。


食事の直後にその話を聞いてて映画『ハンニバル』を思い出してちょっと気持ち悪くなった俺なのです。生きたまま額から上をパカってはずして脳味噌を剥き出しにして、その一部を切り取って焼肉にして本人に食わせるあのシーン。あれは素で引いたもんなー。怖いとかじゃなく引いた。


で、さとみさんに『抱いてみる?』とか言われたんだけど、なんかの拍子に頭の皮が破れちゃって脳味噌がテロって出てきたらマジ困るので普通に断りました。脳味噌見たくないもん。俺はハンニバルじゃないもん。


けどさー。その頭蓋骨の開いてるトコを大人になってもそのまま維持し続けておけたら、ここぞと言うときに頭を折りたたんで狭いトコを通り抜けたり出来て便利だよな。例えば脱獄とか。



■2002/09/18 (Wed)
   
やー。


なんかもうダメ。スゴイ妄想癖。妄想でもしてないと壊れてしまいそうだわ。っていうか、モー娘とかのアイドルが好きな人は真っ当な人間よりも妄想する機会が多いと思うんですよ。いや、そうだろ絶対。お前ら妄想しまくりだろ。隠したってダメだよお見通しだよ。そんなお前らはどんな妄想しますか。


俺はかなり具体的な妄想をします。出来る限り『起こり得るかもしれない』という感じのする妄想をするように心がけています。起こり得ないから妄想なのでは?とか言うな。で、今日、風呂につかりながらしてた妄想を教えちゃうぞ☆


まず偶然中澤姐さんに会うの。飲み屋で俺が熱くモー娘やその周辺のアイドルの良さを力説しつつ『中澤姐さんって最近少しふっくらしたべ? すごい綺麗になったべ? 俺は少しふっくらしてる方が絶対魅力が増すと思うんだ! 最近の中澤姐さんすげえ好きだ!!』って言ってたら後ろから『コラ!』って笑いながら声をかけられるの。


で、一緒に飲むことになって色々話して(本当はその話の内容もかなり具体的に妄想してます)、『友達に、「俺は中澤姐さんに自分の携帯番号を教えたんだぜ!」って自慢したいから俺の携帯の番号をメモリに入れてくださいよー。姐さんのを教えてもらうなんて恐れ多いし。あと、俺のを教えてもかかって来るのを期待するわけじゃないんです。教えたっていうのを友達に自慢したいんですよ(笑)。』って言うの。


そしたら中澤姐さんは笑顔で俺の番号をメモリに入れてくれるの。それからこのサイトのURLも教えちゃうの。ここにはネタっぽくモー娘のことを書いてるから姐さん気を悪くしちゃうかもーとか言いながら事前にある程度内容を教えたりして『あくまでもジョークなんでー』とか言って教えるの。


それから数日後。なんと中澤姐さんが掲示板に書き込みを! さらになっちも書き込みを!!! 有頂天になった俺は日記にそのことを書いてみんなにスゴイ羨ましがられるの。さらに数日後モー娘の何人かと飲むことが決まって・・・・・・・・・・・・・・・・。


ってトコまで妄想した段階で風呂にのぼせて死にかけました。


っていうかむしろ死んだ方が良いかな。


明日はどんな妄想をしようかしら。


(・∀・)モウダメダ!



■2002/09/26 (Thu)
   
おわあ。一週間ぶり?


更新て一回間があくとモノスゴどうでも良くなるね。今まで一週間なんて放置したことは殆ど無かったので今回の一週間放置でそのままフェイドアウトしそうになったよ。まあTHIRDの方は更新してたけど。就職の一次試験は終わったんで今は暇なんだけどなんか更新しそこなってたんだよね。


で、ここ数日なにをしてたかっつうと。


試験がダメだった時のためにハローワーク(いわゆる職安だわね)のホームページで俺の専門の土木関係の募集をみたり、スゴイちょっとだけあったお金で中古ゲーム買ってクリアしたり、図書館で室井滋のエッセイ集を借りてきて読んだり、前に住んでたトコに置きっぱなしだったテレビを実家の自分の部屋に持ち込んで久しぶりに大画面でエロビデオ観てオナニーしたりしてました。


お金が無いんで引き篭もりは相変わらず続行中なわけですよ。


そんな風に長らくの引き篭もりによりほんっっっっとに太った。チョーヤバイ。どどどどどどどどど、どうしよう。そうだ。良いこと思いついた。テレビと一緒にいっぱいエロビデオも持ち帰ってきたのでいっぱいオナニーしようそうしよう。コンニャクを床に置いて全裸で腕立てとか柱にチンコを密着させてスクワットとかそーいう感じ。これは気持ちよく痩せれるに違いない。俺すごい頭良いな。


けどあくまでもオナニーなのが切ないよな。やっぱどうせならセックスとかで痩せたいよな。パートナーが欲しいよな。様々なアクロバティックな体位ですれば気持ちよくて尚且つ仲良く痩せられる。こんな素晴らしい事は無いじゃないですか。池袋のこいつら(↓)みたいなアクロバティックセックスをしたい貴女は今すぐメールミー。




画像は紛失・・・・。


仲良く一緒に痩せようじゃないか (*^ー゚)ノ


但し俺は上の役な。


下の役だとチンコ折れちゃう。



■2002/09/29 (Sun)
   
騒動?


( ´,_ゝ`)プッ


相変わらずお金が無く悶々と家にいる愛馬ですこんばんわ。もう愛されちゃって大変。ニンジンくれれば走るよホント。テメーこのやろう。愛馬っていうな。イバって頭にアクセントつけるなこのやろう。


最近俺にしては更新頻度が低いけど、日々家でボケーっとしてるからマジ何も考えてないのよ。頭の中真っ白。就職試験の結果を待つしかない状況なんで悩んでても仕方ないし、かといって金も無いからどっか遊びにもいけないということでひたすらボケッとしてるのです。本当に何も考えてない時間が長いのね。部屋にいる時の俺はきっと『気』が消えてるよ。孫悟空にも発見できないしスカウターにも反応しないよマジで。そんなだから書くことがこれといって思いつかないという。


ということで持ってるCDを聴いたりとか本読んだりとかそんなボケーっとした地味な日々なのです。俺のいる実家の部屋ってのが扉じゃなくてふすまで仕切られてるんでCDを聴きながら思う存分熱唱をすることも出来ないのがツライ。本当は俺は歌を歌いたい気分なのです。けど歌ったら全部居間に聴こえちゃうからさ。恥しいからさ。歌を歌うのは結構我慢してるのね。なので余計ボケ〜っと静かにしてることが増えちゃって脳細胞死にまくり。


そんな中、今日は俺以外の家族が二番目の姪であるところのリノのお宮参りに出かけてたんでその隙をついてここぞとばかりに超熱唱しました。しかも部屋に一番近いトコにある近所の家は今イタリア旅行で留守だったんで近所の人にも迷惑をかける心配が無かったのです。心置きなく熱唱っす。ホゲ〜。BON JOVIのアルバム『Bounce』収録の『Bounce』を本読みながら聴いてたら燃えてきちゃって急に立ち上がって大熱唱みたいな。


いやー、歌は良いね。『Bounce』を皮きりにしてBON JOVIを片っ端から熱唱してました。それで思ったんだけど、一枚のアルバムを聴くと一曲くらいは退屈だなあと思う曲があるもんじゃん。けどそんな曲でも歌ってみると意外と気持ちよかったりしてそれ以来好きになったりとかってない? 聴いてるだけですぐ好きになる曲もあるけど、歌ってみて好きになる曲もあるのよ。歌ったら良さに気づくという。


コピーバンドやってても同じで、人に頼まれてあんまり興味が無かったバンドのコピーバンドの助っ人で参加した時に、実際にコピーして演奏してみたらすげえ楽しくてそれ以来そのバンドが好きになっちゃったりとか結構あるんだよね。


逆もあるけどね。やったらやりにくくてそれがトラウマになって聴くのがイヤになったバンドもあるのよ。メタリカがそーなのね。アルバム『ロード』に入ってるある曲をドラムでやったんだけど何回やってもリズムが裏になっちゃうのよ。難しくは無いんだけど曲の途中のブレイクのトコで必ず入りを失敗してズレれるのよ。それがもーイヤでイヤで。本番のライブでも見事に失敗したよ。それ以来メタリカを聴かなくなりました。曲はカッコ良かったんだけどマジ聴きたくなくなった。


歌の場合は自分が歌い易いのとそうでないのとが最初からかなりハッキリ分かれてるから、歌い難いからって簡単に嫌いになったりはしないんだよな。けど好きじゃなかったのに歌ったら気持ちよくて好きになったのはすごい多いです。BON JOVIのCrushってアルバムはモロにそれなんだよね。最初の2曲は割とノリが良いロックな曲なので、すぐに好きになったのね。で、最初はその印象だけで『このアルバムは良い!』とか言ってたんだけど、その後に全体をちゃんと聴いたら『ちょっとかったるい?』という感想に変わったの。


けどCDを聴きながら歌ってみたらこれが気持ち良い曲が多いの。それでガラっと感想が変わったんだよね。自分で歌うとメロディーの良さを身をもって実感できるというのかしら。さらに自分にとって歌い易いとますますハマるというか。わかるかなこの感じ。Crush収録の曲では『Mystery Train』とか超気持ち良いよ。その曲も最初はピンとこなかったけど今では超大好き。


実は俺が一番好きなバンドEnuffz'nuffを好きになったのも部屋で歌ってみたのがキッカケなんだよね。最初はあんまりピンと来なかったのよ。けど歌ったらこれが気持ち良くてメロディーの良さに気づいたという。Enuffz'nuffは一聴しただけだと地味な感じの曲が多いから、テンポが速い曲=カッコイイ曲だと思い込んでた高校生のときにはすぐ良さがわからなかったんだろーな。


邦楽しか聴かない人ってきっと洋楽は歌詞がわからないとか歌えないと思い込んでる部分ってないかしら。いや、細かい歌詞は誤魔化しつつでも良いから強引に歌ってみると意外と気持ちよかったりする曲もあるかもしれないよ。それをキッカケとして色々好きな曲が増えるって素晴らしいじゃん?


音楽ってただ聴いているだけよりも実際に歌ってみる(もしくは演奏してみる)と曲の印象の残り方が圧倒的に濃いんだよね。一気に理解が深まるっつうかさ。だからせっかくお金を出して買ったCDであんまり良さがわかんないなあとか思ったら試しに歌ってみると新しいモノを何か発見できたりするかもしれないよね。俺はそれでかなり趣味を広げた部分があるよ。


まあまったく歌わないで『ただ聴いて楽しい』音楽もいっぱいあるけどさ。King Crimsonなんかは歌うとかそーいう問題じゃないしJimi Hendrixも歌いながら聴いたこと無いけど大好きだし。Jimi hendrixの歌は本人じゃないとどーしようもないノリがあるからなあ。けど普通の歌モノだったら歌ってみると何かしら新しい発見があったりするかもよ。


たいしたこと書いてないのにすげえ長文になっちゃった。まーいいか。ああああ。とりあえずカラオケ行きたい。もしくはバンドやりたい。カラオケはおごってくれればすぐ行くぞ。誰かおごって。バンドもスタジオ代をおごってくれればすぐ練習するよ。誰かおごって。ホゲ〜。


っていうか、カラオケ行ったらBON JOVIなんか歌わないでタンポポ歌うけどな。恋をしーちゃいましーた★って歌うけどな。しかも裏声でな。あとバンドもBON JOVIとかじゃなくタンポポのコピーバンドやりたいんだけどな。可愛い女の子4人入れて衣装も着せて振り付けももちろん練習させて俺は後ろで半笑いでドラム叩くの。


それが俺の壮大な夢です。



■2002/09/30 (Mon)
   






ただの『愚痴』を『毒吐き』と自慢気に自称するキミに乾杯★








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