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■[ 思想 ] 2003/09/01 [ Mon ] - 強さと弱さ
人間には色んなタイプの人がいるけれど、強い人というのは一体どんなタイプの人のことを言うのかしら。表面的に気が強いように見える人が意外とモロかったりすることもあるし、普段大人しい人がいざというときに凄い爆発力を持っていたり、一見するとあまり余計なことを言わずにナーナーとしているようで実は凄くしっかり人を見ていたりと色んな人がいる。


人のことを基本的に見下していてプライドばかりが高い人というのは、それが傷つけられることを当然の如く極端に嫌う。だから、常に自分は上、他人は下、というような言動を繰り返すことが多い。プライドが高いあまり、理論武装で相手をねじ伏せたり、無茶な屁理屈や嫌がらせで相手を不快にしたり・・・、そんなことをする人もいる。そのような場合、それをはたから見ると凶暴で、ギラギラしていて、とても恐ろしい人のようにも見えることもあるだろう。だけれども、それがその人の強さの現われではなく、むしろ弱い部分だったりもするのかもしれない。


例えば、もしそのプライドを傷つけるモノが自分以外の誰かではなく、本当にどうしようもない、回避しようの無いモノだったらどうなのるだろうか。自分のプライドを傷つけるモノが特定の誰でもない、そして自分自身でもない、誰にも責任は無い、そんなものだったら。わかり易い例を挙げてみると、原因不明の病気によって突然体が不自由になるとか、老いによってかつて出来ていたことが出来なくなっていくだとか。そのようなモノは他の誰かが悪いわけでもない。もちろん本人が悪いわけでもない。しかし本人の自尊心は著しく傷つき、怒りがこみ上げてくるに違いない。やり場の無い怒りが。


極端にプライドの高い人はそのやり場の無い怒りを、自分の中で上手く処理することを知らなかったりする。それまでは自分のプライドを傷つけるのは特定の誰かだった。だからその相手に怒りをぶつければよかった。自分の怠惰によって起きた問題も、都合のいいように解釈し、責任転嫁をし、やはり他の誰かに怒りをぶつければよかった。明確に責任転嫁をしてしまえば、たとえ相手に呆れられて相手にされなくっても『まったくあいつはわかってない、言っても無駄だからこちらから関係を絶ってやったんだ』などと自分の中で一方的に納得してしまえる。自分の中でプライドを守った事にしてしまえる。


だけれども、病気や老い、もしくはそこまで大げさなモノではないにしてもそれに相当するようなモノがプライドを傷つける原因になったとき、他の誰かをねじ伏せることでそれを保つことは出来ないし、責任転嫁をして自己完結させることも出来ない。だから、プライドが高く自分が人よりも上であると信じて生きてきたような人は、自分が納得できないものは全て跳ね除けてきた為に、それが出来ない回避しようの無い本当の困難にぶつかった時に、自分の気持ちを上手くコントロールできなくなり、自ら破滅の道を歩んでいってしまうこともあるのかもしれない。


そういう場合は、ある程度妥協を知っていて一見いい加減に見える人の方が意外と自分の気持ちを上手くコントロール出来て、その困難を自分の中で受け止めて前向きな気持ちに変換していけたりする。『高いプライド』というモノが、それまでの凶暴さや攻撃性を生み出し、それがはたから見ると強さのように見えていたのに、その人が回避しようの無い、他の誰が悪いわけでもない、自分自身が悪いわけでもない、特定の人物が悪いわけでもない、そんな本当の困難にぶつかると、それが弱さを生み出すモノに変貌してしまう。


思いっきり引っ張ってあるゴムは、それに軽くハサミの歯を当てただけで簡単に切れてしまうかもしれない。また、一見ゆるゆるのゴムのように見えて、いざというときにそれがものすごい力を秘めているかもしれない。強さと弱さは背中合わせなのかもしれない。


本当に強い人間というのはどんな人なのかしら。



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■[ 映画 ] 2003/09/02 [ Tue ] - 座頭市御用旅
座頭市御用旅
近々北野武の座頭市が公開されますね。北野監督版も結構期待してるのだけど、とりあえずここでは勝新のオリジナル座頭市をご紹介。今回紹介するのは72年公開のシリーズ23作目である『座頭市御用旅』。


初期作品はまだ観たことが無いのでシリーズの他の作品との比較は出来ませんけど、本作に限って言えばとにかく楽しめた。マジ面白かったよ。座頭市メチャメチャカッコイイなオイ。こんな濃いキャラを勝新太郎以外の人が演じられるのだろうか。これを観てから北野版の方が期待から不安になってしまいました。


大まかなストーリーはこんなん。女性が男に追われているところから物語が始まります。お金を誰かに届けようとしていた様子の女性はそのお金を男に奪われてしまいます。男が逃げた後、女性はその場で倒れ苦しみだします。そこへ座頭市がたまたま通りかかり声をかけます。すると女性は妊娠中で、今にも生まれそうな状態に。『お、おめでたですな。』と言いつつ困る市(困り方がお茶目で最高なんだこれが)。でもやってみようと悪戦苦闘した結果、見事に市は赤ちゃんを取り上げます。


しかし女性はそのまま息絶えてしまいます。死に際にうわごとの様に『佐太郎・・・』と言っていたのを聞いた市はその名前を頼りに赤ん坊の親族を探しはじめる・・・というのがプロローグの流れ。その後、市が町にたどり着いたと時を同じくして、三國連太郎演じる超悪党が町に乗り込んできて色々面倒がおき、市が濡れ衣を着せられたり、面倒に首を突っ込んだり、巻き込まれたりしながら話が進む、といった具合。


とにかく悪いヤツは徹底的に悪く、座頭市は徹底的に正義の味方。いわゆる勧善懲悪モノなわけですがだからこそ面白い。前半でとにかく悪さをする三國連太郎とその子分たち。三國のこみ上げてくるような笑い方がとにかくムカつくんだよ(つまり悪役としては超名演)。そして最後は市の怒り爆発!という古典的な流れなのだけど、それが最高に気持ちが良い。


しかも座頭市というキャラは偉い人でもなんでもないので水戸黄門みたいに『あっはっは。俺は今、とっても良いコトしちゃったもんね。』みたいな押し付けがましさが全く無いのも良いのよ。市の正義は『孤独な正義』とでもいう感じで、見ててもわざとらしさを感じないんですよね。多くの時代劇ヒーローってのはピンチになってもそれほど無様な姿は見せませんよね。だけど市は違う。敵に捕まって拷問を受けたときに『ワンとかニャーとか言ってみろ』と言われてすぐ『ニャー』と言っちゃったり、『水をくれませんかね』と頼んだら、水を床にこぼされてそれを必死ですすったりもしちゃう。


『正義の味方=常にスマートでカッコイイ』という図式を完全に壊しているのが座頭市というキャラでありそれが最大の魅力なんだと思いました。無様なところも見せるし、普段はちっともカッコよくないからこそ、刀を抜いて強さを発揮したときの痛快さが増すわけ。『普段は盲目のお茶目なキャラクター』というのが、ひとたび刀を抜けば超人的な強さを発揮。このギャップがこのシリーズの魅力なのだろうし、そこを気に入ればもうハマり込むこと間違いなしです。


勝新太郎の刀さばきのカッコよさはトンでもないですよ。直線的な動きが殆ど無い、常に曲線を描くトリッキーな立ち回りはハンパじゃない。人を斬った後、低い姿勢で一瞬動きが止まる描写なんか鳥肌モノです。いちいち絵になってるんだよなこれが。この作品ではそんな座頭市が善意からしたことがいつもいつもタイミングが悪く、濡れ衣を着せられてしまうという流れがメインになっているから、一歩間違えば暗い話になってしまいそうだけど、市を理解してくれている人、市の強さを一目で見抜く人などが随所に登場させることで暗くイヤな感じの話にならないように上手くバランスが取られてるのが良い。その中でマイペースでお茶目で超人的に強い『座頭市』という独特のキャラクターが凄く活きてるのね。


で、俺は映画においてラストシーンをかなり重視する人なのですけど、この映画もラストが素晴らしくカッコよかった! 市に勝負を申し込む敵側の用心棒がいるのですが、その男は悪人ではなく、純粋に強いやつを勝負がしたいと願うタイプの男なのね。敵に捕まった市を助けたのはその男だったりするし。


で、その男がラストに戦いを挑んできます。野心とか別にして一人の侍として。色々騒動が終わった後に町を後にする市を静かに待ってるの。そこで一勝負があるのだけど、その描写がカッコイイのなんのって。夕日をバックににらみ合い刀を抜く二人の絵は、一枚の絵画のよう。


本作の『騒動が終わったあとに強い者同士が一騎打ち』という流れは黒澤明の『椿三十郎』と似てるんだよね。椿三十郎はお互いが言葉を交わし、勝負の後も三十郎が若侍たちに言葉をかけたけど、ここでは一切の言葉は無く絵だけで魅せることに徹してた。椿三十郎のあのラストのセリフもカッコイイけど、ここでの座頭市の無言のカッコよさもたまらない。


ダルマみたいで挙動不審な盲目のオヤジ『座頭市』。


そんな男がこんなに絵になるなんて正直驚いた。



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■[ 運営 ] 2003/09/03 [ Wed ] - どうでもいいです1
トップのレイアウトをマイナーチェンジしたんだけど、ますますゲームサイトに見えなくなったな。どー見ても時代劇ファンサイトだ。でも野郎がやってるサイトのデザインがこうも男臭い画像で飾られてるとホモ疑惑が浮上しそうな気がしないでもないけど俺はホモではありません。



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■[ 運営 ] 2003/09/03 [ Wed ] - どうでも良いです2
嗚呼! 一個前のこの↑文なんだけどさ。途中まで書きかけて『うわ。死ぬ程どーでもいいな』と思ったので途中まで書いてから一応セーブしてそのままアップしないで置いておいたんだけどさ。少し経ってからトップの他の部分の手直しをして、この↑文が書きかけで放置されているのを忘れてアップして今気づいた。アップするはずじゃなかった文がアップされてて超焦った。わあ。この文もウンコを漏らしそうな程どうでも良いな。



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■[ 日常 ] 2003/09/07 [ Sun ] - 空を飛びたい
チンコの先っぽを大きな木の枝にくくり付けてそのまま10メートルくらい後ろに下がってチンコが元に戻る力を利用して空高く飛びたい気分です。


いわゆるパチンコ


そのパチンコで幸せなヤツラを狙撃するのが俺の夢です。



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■[ 思想 ] 2003/09/08 [ Mon ] - オーラの皮肉
『俺って凄いだろ?』とか『筋は通すぜ』とかいうオーラがバリバリ出てるような溢れんばかりの自己顕示欲を持った人ってさ。とても皮肉なもので、そのオーラを出せば出すほどその人の周囲から人が離れていくこともある。


そいつの周囲にとっちゃ、そいつのオーラはただ面倒くせえだけだったりするんだ。オーラを出している本人は、自分が筋を通す人間であるから周りが自分に尊敬の念を込め、それ故に自分に楯突いて来ないと思っているけれど、実のところは周囲はそのオーラが単に心底面倒くせえから適当に合わせてるだけで、本質的な部分ではすっかり遠くに行ってしまっていたりする。


逆に、そんなオーラが出てる人を目の前にしたときに自分のことはともかくとして、『筋は通すぜ』といきり立っている人にあえて筋を通させてあげることの出来る人は、一見妥協しているようにも見えるけれど、周囲は意外とその器量の大きさを見抜いていて、いつの間にか人が集まってきて慕われてたりする。そして一歩譲られたオーラの源は『やっぱり俺は間違っていないんだ』とご満悦だけれど、そう思っているのは本人だけだったりして。周囲は離れたところから微妙な笑いを浮かべてみているのにも気づかずに。


人を引き付けたいが為に出しているオーラが実は人を遠ざけ、欲の無さが人を引きつける。なんとも皮肉なものだなあ。



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■[ 思想 ] 2003/09/09 [ Tue ] - キーパーソン
貴方は自分にとってのキーパーソンと出会いましたか?


そんなわけで、今回のテーマは人生におけるキーパーソンです。まずは俺の親父の若き日のエピソードを紹介してから話を進めます。ちょっと長いですが、これを具体的に書いておかないとどうしても話が進まないんですよね。なので我慢して読んでください。


俺の親父は農家出身なのだけど、東京の大学に入りたくて新潟から一人で上京し、牛乳配達をしながら大学に通い、教職免許まで取って卒業した努力家さんです。その後は大学で専攻していた電機関係の民会会社に就職したのだけれど、待遇はいまいち、仕事内容もいまいちでなんとなく違和感を感じながら数年間を過ごしたそうです。そんな中、会社帰りの電車の中で偶然大学時代の友人に出会いました。


その友人と会うのは随分と久しぶりだったので飯でも食おうということになり、食事をしながらお互いの生活ぶりの話をしたそうです。その友人は高校教師をしていて、給料は悪くないし教師って仕事も良いもんだぜ、なんて言ってたそうです。それを聞いた親父は自分も教職免許を持っていたことを思い出し教師になってみようかと思ったそうな。


そのころ親父の妻、つまり俺のお袋は洋裁店を経営していました。そしてお袋は自分の店の常連のお客さんに単なる世間話として『主人が教師の就職ぐちを探している』という話をしました。すると、そのお客さんは『私にあてがあるから任せてくれ』と言うではありませんか。そして親父はその人の紹介で私立高校の教師になることが出来ました。


しかし、教師になってからが大変でした。大学を卒業して既に数年が過ぎているので改めて専門の勉強をし直す必要がありました。だから家に帰って毎日勉強してたそうです。そんな状況だから生徒にそれを教えるのも当然いっぱいいっぱい。


しかも最初に割り当てられたのがひとクラス70人もいる高校三年生のクラス。ただでさえ人前でモノを教えることに慣れていないのに、高校生活にすっかり摺れている連中を70人も相手にしなくてはならなかったので精神的にもかなりつらかったそうです。その頃に一気にハゲた、なんて笑って言ってました。


そんなある日、職員室で他の先生達が、『公立高校の教員は待遇がよくて良いよなあ。ボーナスも良いし、基本給も良いし。』なんていう会話をしているのを耳にした親父は公立高校に移ることを考え始め、それの採用試験を受けることにしました。


しかし、その時点ではまだ授業をすることにも慣れていないし、自分自身も授業の為に勉強していたので採用試験の為の勉強をする暇は無く、一回目の挑戦では見事に玉砕しました。しかし、教師というのは長い夏休みがあるので、それを利用して勉強し、二度目には何とか受かりました。


しかし、受かってもただ採用者名簿に名前が載るだけですぐに採用されるわけではありません。成績の良い順に欠員のあった公立高校から呼び出しがかかり順次採用されていくのです。そして一年間呼び出しがかからないと期限切れとなりもう一度採用試験を受け直さなくてはなりません。


親父は成績的にギリギリの感じで合格したために、全く声がかからず期限切れが近づいてきました。『もう一度受けなおしかなあ・・・』なんて思いながら私立高校の教員を続けていた時、ある人が親父に声をかけてきました。それは、親父が勤めていた私立高校に講師として来ていた鈴木さんでした。鈴木さんは元公立高校の教頭先生だった人で、その時点では既に定年退職をし、その後に講師のバイトとして親父が勤めていた私立高校に来ている人でした。


鈴木さんはちょっと遠慮がちに『アイバ先生は公立高校の採用試験などは受けるつもりは無いのでしょうか?』と言ったそうです。その当時まだ若かくて、しかも勤勉な性格だった親父に、鈴木さんは『アイバさんはマジメだし、まだ若いのだからもっと待遇の良い公立高校に移る試験を受けてみるのも悪くないのでは?』ということを言いたかったようなのです。


そのとき親父は自分が公立高校の採用試験に既に受かっていることを職場の誰にも話していなかったので、鈴木さんがそのような話を振ってきたのは本当にただの偶然でした。その鈴木さんの問いに親父は『実はもう既に受かっているのですけど、お呼びがかからなくて・・・』と答えました。すると鈴木さんは『そうですかあ・・・・。もう受かっていたのですか。では、その件、私に任せていただけますでしょうか?』と言ったそうです。鈴木さんは元公立高校の教頭です。だから公立高校の管理職に知り合いがいっぱいいたのです。


そして鈴木さんは、翌日には公立高校への就職ぐちを探してきてくれて、ついに親父は公立高校の教師になることが出たというわけです。しかも、それまで勤めていた私立高校は『専任講師』という形で続けさせてもらえることになりました。

なぜそんなことが出来たかというと、鈴木さんが紹介してくれた高校というのが定時制だったために、昼間は今までの私立高校で専任講師を、夜は定時制の公立高校で専任の教員が出来たというわけです。そんな風に二箇所で仕事が出来るようになり、給料がそれまでの二倍近くになりました。朝から夜11時くらいまで働き詰めではありますが、田舎から一人で上京し、貧しい中で勉学に励んだ親父にとってその生活は心から満足のいくものだったようです。


以上の話を聞いた俺は、最初こんな風に思いました。


『なんて運がいいんだ。俺なんかそんな親切な人に出会ったことは無いし、偶然によって人生が良い方向に左右されたことなんかない。やっぱ俺はついてないんだ。』、と。しかし、よくよく考えてみるとそうじゃないんです。ここで書いた話に出てきた親父にとっての『キーパーソンその1』は電車で偶然出会った大学時代の友人です。彼に偶然会わなければ親父は教師をやろうと思わなかった。だけれど、彼が親父にとってのキーパーソンとなった理由はただ単に彼が高校教師をしていたから、ではありません。


親父が牛乳配達をしながら通った大学で、人よりも努力をし、教員免許を取得していたからこそ、彼がキーパーソンと成り得たのです。もし、面倒くさいからと言って教職を取っていなければ、高校教師の彼に出会っていたとしても彼はキーパーソンには成り得ず、ただの『偶然会った友人』でしかなかったでしょうし、一緒に飯を食ったなんていうエピソードもとっくに忘れてしまっていたでしょう。いや、もしかしたら会ったことすら忘れてたかもね。


次に『キーパーソンその2』。それはお袋の店に来ていたお客さんです。それも上記の友人と同様に、親父が教員免許を持っていなければ、『妻のお店のお客さん』でしかありませんでした。さらに『キーパーソンその3』。それはもっとも重要なキーパーソンである鈴木さんです。彼が親父に公立高校の話を振ったのは偶然ですが、そこから話が先に進んだのはやはり親父が努力をして公立高校の採用試験に受かっていたからです。もし、一度目の採用試験で諦めてしまって二度目の試験で受かっていなければ、鈴木さんとの会話は単なる世間話で終わっていたかもしれません。つまり、鈴木さんも上記二人と同様に、親父が努力をしていたからこそキーパーソンと成り得た人物なわけですよ。


親父にとってのこの三人のキーパーソンは、確かに偶然が呼んだ人物かもしれませんが、その人たちを『偶然出会った単なる知人』から『自分にとってのキーパーソン』という存在に変えたモノは、紛れも無く『親父自身の努力』なんですよね。三人とも親父が努力をした後に登場してるんです。自分なりに出来ることをしっかりやって下地を作っておいたからこそ彼らがキーパーソンとしての役割を持ったのです。もし、親父がなんの努力もしない状態で彼らに出会っていたら、彼らは親父の息子である俺に思い出として語られることもなかっただろうし、それどころか親父の記憶からも消えてなくなっていた人たちだったかもしれません。


そう考えると俺も、もしかしたら自分にとってのキーパーソンとなるかもしれなかった人と既に出会っていたのかなあと思ってしまうんです。俺は今まで何かと努力することから逃げ、『どうせ無理』と最初から諦めることが多かった人間です。だから、もし、俺が努力を怠らず、無理だと思うことでも最初から諦めてしまわずに頑張れる人間だったなら、何かしらのキーパーソンに出会っていたのかもしれません。


今まで引きずってきた怠惰な自分が、自分にとってのキーパーソンになるかもしれなかった人をそのまま見過ごし、『ただの知人』や『記憶にも残らない偶然出会った人』にしてしまっていた可能性は否定できません。もちろん、何の努力もなしに運だけで人生の困難を上手い具合にすり抜けていく人もいます。だけれど、初めからそのような単なる運から生まれる幸福を期待して生き続けるのはやっぱり愚かですよね。


『単なる偶然』を『良い意味でのターニングポイント』に変え、そして『単なる知人』を『自分にとってのキーパーソン』に変えていくチャンスを、自分自身の努力によって増やしていくのはとっても大事なことだと思います。怠惰な俺は、未だに自分にとってのキーパーソンには出会っていませんし、自分の怠惰によってキーパーソンとなるかもしれなかった人を『記憶にすら残らないただの人』として見過ごしてきたのかもしれません。


貴方は自分にとってのキーパーソンに出会いましたか?



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■[ 映画 ] 2003/09/10 [ Wed ] - 椿三十郎
椿三十郎
この映画はバッチリDVD持ってます。マジ好きです。黒澤映画です。三船敏郎です。侍です。血しぶきです。ということで熱く語ります。いやー、ホント、この映画は良くできてるんだよ。


本作は大ヒットした用心棒の続編的な位置づけの作品。物語が直接的につながっているわけではないのだけど用心棒で主人公だった三船敏郎演じる『三十郎』が主人公。素浪人の三十郎が旅の途中に立ち寄った町でのエピソードその1が用心棒で、その2がこの椿三十郎といった具合。


用心棒と同様に、三十郎は旅の道中で出会った自分とは何の関係も無い連中のお節介を焼いて、ある事件に自分から首を突っ込み、悪いヤツを退治するというお話。今回、三十郎が手を貸す連中は、なんとも頼りないマジメな9人の若侍たちです。若侍たちが何やら相談しているのを偶然聞いてしまった三十郎は、その余りの頼り無さに思わず口を挟み、そのまま彼らの手助けをしてしまいます。そして、お節介焼きの彼は彼らを放っておくことが出来ず、結局最後まで協力していきます。


でも、彼は単純に『正義感が強いカッコイイ侍』という感じで描かれていない。それがこの作品の面白いところなんです。用心棒もそうだったけど、この三十郎という男はやる気があるんだか無いんだかわからないんですよ。自分から首を突っ込んでおいて、ダルそうにしてる時もあれば、目を輝かしているときもある。彼の行動を総合的に見て感じたのは『この男は厄介事を面白がっている』ということ。一言で言うと少年のような好奇心と天邪鬼な性格、人としての正義感、そして男としての豪快さを全て持ったような男なんです。ダルそうにしているのは心底ダルいのではなくて、その子供のような無邪気さを隠す為の行動のように見えるし、自分の正義感を照れ隠ししているようにも見える。


あと、彼はめっちゃ口が悪いのだけど、それも同様に照れ隠しに見えるのよね。実際、口の悪さに関しては劇中で『あの人は気持ちと逆のことを言う癖があるんだ』なんていうことを明確に指摘している人物がいたりします。本作は前作の用心棒よりも三十郎というキャラクターをより魅力的に、より明快に描いていて、『三十郎』というキャラクターをより前面に出した作風という印象が強いです。だから、この男を好きになれるかどうかによって本作の評価はかなり変わってくるんじゃないかしら。


こう書くとストーリーの方は大したことが無いと思われそうだけれど、決してそんなことは無く、俺としては用心棒よりも本作のストーリーの方がずっと好きです。非常にコメディー色が強く、生と死の狭間で戦うというような緊迫感はありませんが、三十郎というキャラクターの魅力を最大限に引き立てるような素晴らしいストーリー構成になっています。


先ほども書いたように本作はコメディー色が非常に強いので全体を通して激しい殺陣シーンは殆どありません。むしろそこには重きを置いていません。物語をバシっとしめるためにラストには大きな見せ場となる一対一の決闘シーンが用意されていますが、それ以外はハラハラする部分は無いんですよ。つまり、本作のメインテーマは三十郎の侍としての強さの部分には存在していないということです。少年のような好奇心を持った三十郎は今までずっと自由気ままに生きてきたわけですが、本作ではそこにちょっとした問題定義をする人物が現れます。それが三十郎と若侍たちが物語の途中で助けた城代の奥方とその娘さん。


三十郎の豪快なやり方に奥方は『そんな乱暴なことをしてはいけませんよう』と言い、『むやみやたらに人を斬るのは良くない』と言い、さらには『あなたはギラギラしていてまるで抜き身の刀のよう。あなたは強いけれど、本当に良い刀はさやに収まっているもの』と言います。奥方の説教に三十郎は微妙な表情を浮かべ、表面上は『めんどうくせえなあ』みたいな態度を取るのだけれど、三船敏郎の絶妙の演技により、『胸にチクチクする鋭いことを言われて何とも言いがたい』という彼の心情を見事に表現しています。


三十郎はそんなことから奥方に対して『(頭が)足りねえのさ!』という暴言を言い放ったりもしますが、それがまた『口の悪さによって本当の心情を誤魔化す』という彼の天邪鬼な性格をよく表していて面白いのです。つまりのところ奥方の説教が正論であり、的を得たことを言っているのを誰よりも理解しているのは三十郎本人であり、口では『足りねえのさ』と言いながら奥方には尊敬の念を抱いているんですよね。


それを明確に表現している場面が、若侍たちが勝手な行動をとりその尻拭いをするために人を斬るハメなった三十郎が凄い勢いで若侍たちを平手打ちをしながら『余計な殺生しちまったじゃねえか!』と叫ぶところ。そのように奥方が彼にする説教と、それによって問題提起をされてしまった三十郎の複雑な心境の描写がラストシーンへの伏線となって見事に機能し、あの強烈な決闘シーンを盛り上げ、去り際に三十郎が若侍たちにいうセリフに重みを持たせています。


血が大量に吹き出るあの決闘シーンはそれ単体でも充分なインパクトがあるモノですが、それだけでなく、そこに至るまでにしっかりとした伏線が張られているからこそ活きて来るモノだし、本作ではそれが押さえられていて、本当によく計算して物語を構築していると思いましたね。最後の最後に奥方に言われたことを明確に認めた上でその教訓を乱暴な言葉で若侍たちに言い残して去っていく三十郎という男は、『単なる正義感溢れる剣豪』ではなく、『感情を持ったひとりの人間』なのです。たった90分ちょっとの映画の中で、三十郎というキャラクターを見事に『人間臭い人間』として描くことに成功しているのです。


この映画の大きな魅力は、勧善懲悪な痛快なストーリーの中で活躍する三十郎という男の『人間らしさ』にあると思います。時代劇というと多くの悪党をバッサバッサと斬り捨てていく殺陣シーンばかりが重視され勝ちですが、この映画においてはそれよりも三十郎のもつ『人間臭さ』の描き方に注目して観てほしいと思います。


三十郎に『悪党を容赦無く斬り捨てるヒーロー』を期待して本作を観ると肩透かしを食らうことは間違いないですが、『コメディー色が強い』ということと『殺陣シーンはメインテーマでは無い』というのを踏まえた上で、三十郎というキャラクターと、ラストへ向けての伏線の張り方、そしてその伏線があるからこそ活きている決闘シーンに注目して観れば多くの人が楽しめる映画だと思いますよ。


一般的には、どちらかというと用心棒の方が有名だし評価が高いような気がするんだけど、俺はこっちの方がよく出来てると思うなあ。



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