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SITE考 - 001

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アクセス数への固執は悪?


俺なりの結論を簡単に書くと『別に悪じゃないでしょ』です。


一般的にアクセス数を増やすことに拘るのは格好悪いみたいな風潮があるし、俺自身も旧サイトも含めたら6年とかやり続けてる自分のサイトで今更そゆのに拘る気は全く無いけど(だからアクセスカウンターつけてないんだ)、別にアクセス数に拘ること自体はそれはそれでひとつの方向性だからね。別に良いでしょ。問題ないでしょ。それ自体は別に格好悪いことじゃないでしょ。


じゃあ何故、アクセス数にこだわる人を嫌味をこめて『アクセス乞食』とか言ったりする流れが出来たかっつうと、要するにアクセス数を増やすために人に迷惑をかけるやつがいるからでしょ。たちの悪い事にそゆヤツが目立っちゃうからでしょ。自分のやりたいことを明確に把握した上で、自分のやりたい方向性を見失わないように堅実にアクセスを増やすことを考える人だっているし、そゆ人のサイトはアクセス乞食なんて言われない。そゆサイトがたとえ『何万アクセス突破!』とか素直に喜んでても別に違和感は無いよ。


アクセス乞食とか言われちゃうサイトは、リンクというモノを繋げていくことで広がっていくインターネットという環境において、アクセスを手っ取り早く増やすには、他サイトに絡むことで話題になり色んなサイトで『〜騒動』とかいう形で紹介されることを狙ったり、人気サイトのご機嫌を伺ってリンクを貼ってもらおうとしたりするからでしょ。モノの考え方が余りにも幼稚だからでしょ。


上記のことは、他人を安易に巻き込むんじゃなくまずは自分のやりたいことを考え自分なりのこだわりを持ってやりたいことの方向性に沿って純粋に面白い記事を一生懸命書く努力をしてそれが自然と話題となり広まっていくのを目指すってのとは根本的に発想が違うよね。もちろんその場合だってある程度の人が入ってくる為の入り口は必要で、どっかと繋がってないといけないけども、その入り口を人に迷惑をかけないようにいくつか確保する方法はあるだろうし、腹黒さ抜きにして普通に仲良くなった人が厚意で紹介してくれたりするってのさえあれば充分でしょ。


アクセス数に拘る人が嫌われる傾向にあるのは、アクセス数に拘ること自体が間違っていることだからではなく、何かしらのコミュニティーに力ずくで入ろうとする人がいるからでしょ。自己中心的に自分のサイトへの入り口を確保することを優先させ、相手との健全なコミュニケーションを省略しようとするからでしょ。アクセス数を増やすことに拘るのは全然結構なことだと思うけど、それを実践するために他人を不快にするような方法を選ぶヤツがいるからアクセス乞食って言われて批判されるってだけでしょ。方向性を模索する努力に欠け、他人に迷惑をかけない形で自分なりのこだわりを持つことを忘れ、とにかく誰かに構ってもらおうとすることばかり考えるヤツがいるからでしょ。


だから、アクセス数に拘ること自体は全然悪じゃない。


その拘り方を履き違えている人が悪ってだけ。


俺は後者に関しては明確に悪だと思うよ。



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俺はサイト作りの超初心者がやってるサイトをみたりするのが好きです。小学生、中学生、高校生専門の登録型のリンク集を一個ブックマークしててそこをよく見てるんです。


掲示板しか無いサイト、日記が三日で止まってるサイト、女子高生という何かと変なヤツに絡まれやすい立場であるにも関わらず顔がハッキリわかる写真をプロフィールに載せてしまって案の定絡まれてるサイト、サイト全体にJava scriptの雪が無意味に降っててやったら重いサイト、マウスポインタになんか変なのがくっついてくるサイト、予告なく大音量のMIDIが鳴って見てる人を慌てさせるサイト、などとっても面白い。特に小学生のサイトは掲示板が書き込みしてる子がそれぞれ勝手なこと言ってて大惨事になってることが少なく無いのでめちゃめちゃ面白いです。


そゆサイトが悪いとは思わないけど、その手の初心者丸出しサイトはコンテンツの表記がひらがなであることが多いのが不思議。あれ何でだろうね。『メニュー』のことを『めにゅう』、『(サイト管理者の名前)ルーム』を『(サイト管理者の名前)るーむ』、『(サイト管理者の名前)のお部屋』を『(サイト管理者の名前)のおへや』、『チャット』を『ちゃっと』・・・など。その表記をホームページビルダーの機能丸出しの画像で馬鹿でかく作ってあったりするとなおよし、って感じ。


特に『めにゅう』ってのをよく見る気がすんだけど。




めにゅう   ← こういうのな。



文章を書くことに慣れていない人の何かしらの共通の心理みたいなもんが働くのかな。本来カタカナや漢字で書くことが自然な言葉をひらがなで書くと、なんとなく柔らかい感じがするっつうか、フレンドリーな感じがするからそうなるのかなあとか思ったりした。ひらがなで『めにゅう』とか書くとバカっぽいけど、そのバカっぽさ故になんとなく低姿勢な感じがしなくも無いし。


つか俺も初心者の頃に(5年以上前)『めにゅう』って書いてた記憶があるぞ。そのときの自分の心理は正直今では全く理解できない。でも『めにゅう』という書き方が猛烈にバカっぽいのに気づいて直したという記憶はある。とりあえずこれはここだけの秘密ってことでよろしく。



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先日、このサイトの文章について、基本的には好きだけど長文過ぎて読むのがつらい時もあるという意見を頂きました。その意見をもらったから考え始めたわけじゃないんだけど、『やっぱそーだよなあ』と改めて思ったりなんかして。


以前俺は日記かなんかで自分の文章を指して『こんな長文よくみんな読むよね。俺なら絶対読まないよ。』みたいなことを書いたことがある気がするけど、そゆことを書いていたのは、無駄に長文になってるケースが多いなと自分でも思ってるからです。同じ内容のことを表現するにしてもうまくやれば絶対もっと短くまとめられるもん。


で、俺自身も他のサイトを見たときにあんまり長文だと読まないことが多いです。理由は単純に面倒くさいから。でも気合でしっかり読んでみると凄く面白かったりすることもよくある。そゆ文章を読んだときは『もっと短く簡潔にまとめてあれば読む人も増えるだろーに勿体無い。せっかくいい内容なのに。』、なんて思ったりする。自分のことを棚にあげて。


俺の場合、誤読かまされるのを恐れる余りに同じことを言葉を変えて何度も説明したり、違う角度から説明したりをひとつの文章の中で意図的に繰り返すことが多いんです。それやっちゃうと単純に文章量が二倍、三倍になるんですよね。なんでそんなに慎重かっつうと、以前好きで見てたあるサイトの文章がいつも言葉を最低限に押さえてあって、それだけで理解できる人にはしっかり理解できるレベルで書かれてはいるんだけど、誤読かますヤツも多くてそれで面倒くさいヤツが絡んでくるなんてのをよく目にしてたからなんだよね。


誤読かました上で絡んでくるヤツに返答する場合って、『反論に対する返答』ではなくて『誤読に対して改めて説明する』という猛烈に不毛な行為になってしまって、絡んでる方は議論してるつもりだろーけど、実際はまだ議論すら始まってないんだよね。しかも誤読かました上で自信満々で絡んでくるようなのはそれにも気づけないバカであることが多いからまた面倒くさい。でも誤読するヤツは勝手にしてくれくらいの勢いで良いのかもなと最近思うようになってきたよ。当たり前だけどそんなの放っておけばいいんだ。けど小心者だからどーしても文章を書きながら色々勘ぐってしまうんだな。だから少しくらいは意識的に簡潔にまとめるという努力をしてみたいなあと思う今日この頃。


内容がある程度しっかりしているのを前提として。『長文であるが故に読み手に読む気をなくさせてしまうけど実際に読んでもらった場合には誤解が少ない』のと、『最低限の言葉しか使わない故に読んでくれる人が増えるけど誤読かましたバカに絡まれやすくなる』のとどっちがいいのかわからないけど。


とりあえず、こゆこと書いてるこの文章自体が既に長いってどうなの俺。



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