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行き着く所はいつも同じ


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俺は自分に無いものを兼ね備えた人物を見て憧れを抱く事が多い。それはネット上での振る舞いでもテレビでも現実世界でも同様だ。まあ、『こういう人もいるのだな』とただ納得して終わってしまう場合も多々あるのだが、何かしら尊敬してしまう部分があるとその部分が憧れの対象になる場合が多いわけだ。


憧れを抱いた対象が自分の努力が足りない故に欠如しているモノだったりとか、自分の考えが甘い故に出来ていないモノだとかそういった部類のものだった場合はやはりそれに向かって前進したいと願う。実際に出来るかどうかはまた別問題だが。


では、憧れの対象が『キャラクター』だった場合はどうか。自分の意思では変えようも無い根底にあるその人のキャラクターだったら。そういう時ってのは自分が揺らぐ瞬間だったりする。つまり『他人を演じてみたくなる』瞬間だ。


例えば、ある事象に対する対処の仕方。その中で自分には思いもよらないような対処方法をしている人を見ると『ああ、こんな場合にこういう風に振舞うってのは非常にクールでカッコイイ』と感じたりする。俺の性格を自分自身で冷静に考えてみると、この場合は俺だったらこうするだろうな、と自分自身である程度予想がつく。その予想と他人の行動とを照らし合わせてみて俺よりもはるかにカッコイイと感じた時に俺は自分が揺らぐんだ。


そんな時、油断をしていると『自分らしくないキャラ』を演じようとしてしまう。本来は俺には無理な芸当だし、最も俺が嫌う筈の事なのに。その度に『俺は俺でしか在り得ない』と逆に痛感させられてしまう。どんなに気張っても何処かで必ずひずみが生じる。結局はそんな自分に違和感を感じるんだ。


常に何かに影響を受けながらフラフラと揺らぎ、時には無理をしてしまう。無理をしてもそれが自分のプラスになれば良いが、ただひたすら違和感を感じる時もある。そんな場合は『根底にあるオノレ』がゼイゼイと息を切らし始める。オノレでは無い所に進むと息苦しいんだ。でもだからこそ自分らしい自分を発見できるんだなと思う。根底にある『オノレ』を感じ取れるんだなと思う。違和感を感じるからこそ。


そして『こっちに行くと息苦しい』という事に事前に気付ける能力を身に付けていくわけだ。けど恐らく、俺には息苦しい場所を完全に回避する事は一生出来ないと思う。自分の中にある『息苦しい場所』は段々減ってくるだろうが、無くなってしまう事は無いだろうと思う。


こんな時に違和感を感じる事が出来ない人は『受け売りの塊』になってしまうんだろう。俺はそんな風になりたくない。自分をもっと好きになりたい。『揺らぐ自分』と『違和感を感じる事のできる自分』がいるからこそ、『動かぬ自分』というものが見えてくる。俺は貴方である必要は無いし、貴方は俺である必要も無い。俺が演じるべき人物は俺しかいないし、貴方が演じるべき人物は貴方しかいない。やっぱり俺は、俺でしかない。


散々迷っても、結局俺はいつもそこに行き着く。



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