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共感と拒絶


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どうしようもなくムカつくヤツっていますね。


だったら関わらなきゃ良いっていうシンプルな結論に達してしまえればそれで良いのですけど、見ててムカムカするのに自らチョッカイを出したり、ソイツに一言言いたくなってしまうようなヤツもいます。嫌いなのに気になって仕方なくてつい口を出したくなるっつう。


そういう人物は自分にとって『ただのイヤなヤツ』というのとは違うんです。


それは、まるで『自分自身の中で自分自身がキライな部分』だけを集めて、それを投影して生まれたのではないか、と思えるような人物であり、過去に自分が犯した失敗とシンクロするような言動を堂々と繰り返している人物である事が多いです。


そんな人物を目にした時にはどうしようもなく腹が立つんです。自分自身のキライな部分をわざわざ目の前で再び見せられいるいようでたまらなくなるんですよ。


例をあげてみると。俺は若き日にヘヴィーメタルというジャンルの音楽にハマりました。自分が聴いているのは洋楽で、しかも硬派なメタルだ、だからカッコイイんだ、テレビで流れているような邦楽なんか聴いているのは音楽を分かってない連中だし、ただのミーハーだ、俺の方が音楽をわかってるんだ、なんていう感覚が当時の俺にはありました。


当時はまだヘヴィーメタルっていうのは過激な音楽というイメージがあったし、自分自身の中でも『理解出来ない人には理解出来ない、分かる人にだけ分かる過激な音楽だ』なんていう感覚がありました。要するに自分は『選ばれし音楽通だ』なんていう酷い勘違いをしていたんですね。J-POPなんか軟派なモン聴けるかよ、なんていう。


だからこそ今現在。自分が好きな音楽以外は認めないとか、邦楽は腐ってるとか、あんな粗末な音楽をやってるアイドルなんかが売れるのは間違ってるなんて言って、自分の好きな物の魅力を伝える手段として他のモノを同時に批判して優越感に浸っているような連中の言動にやたら腹が立つんです。


だって。


そういう連中のその言動をしている時の心理ってのが手に取るようにわかってしまうから。かつて自分がそうだったから。そういう考え方をしていた自分が大嫌いになった今の自分がいるから。その過去の自分の心理ってのは今でもハッキリ覚えているから。まるで自分の過去を再び見せられているようでたまらなく腹が立つんです。


俺がこのサイトでモーニング娘を語るときに『音楽は確かに粗末な商品かもしれないけどアイドルの存在価値ってのは、それはそれで充分あるんだ』とか『アイドルの音楽とその他の音楽とを同列で比較するのはナンセンス極まりない』とか、そういうスタンスにやたらこだわるのはその過去の自分が嫌いであるという心理の現れなんですよ。


自分が今現在嫌いである過去の自分の考え方や感覚ってのは、どうしたって自分の中で消し去ることは出来ないんです。過去のその心理ってのはいつまでも心の奥底に引っかかっているんです。


だから、今になって再びそれに似た心理を源にして言動する人物を目の当たりにすると、過去の自分とシンクロしてしまうから、なんとか黙らせたくなるんです。確かにそれってその人物に対して拒絶反応を起こしていると言えるし、その人物は『自分がキライな人物』であると言えるわけなんですが、逆に言えば。


それってある意味『共感』しているとも言えるんですよね。


かつての自分の心理と現在の相手の心理が自分の意思とは無関係に共鳴してしまっているんです。過去に封印したはずの『自分自身の中で自分自身がキライな部分』と、その相手の言動が勝手に共鳴をはじめ、『今現在はキライな過去の自分』が再び蘇ってきてしまう。


だから、無性に腹が立つんです。その波長の波を俺の目の前で出すなと黙らせたくなるんです。その心理は思い出したくないと掻き消したくなるんです。


『共感』というのは一般に良い意味で用いられるけど。


そんなネガティヴな『共感』もあるんですよね。


『共感』も『拒絶』も場合によっては紙一重。



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