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位置づけ


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ある日テレビを見ていて思った事なのだけど。


お笑い系の芸能人の人達の中で割と安心して見ていられるのは『自分のキャラクター』というヤツをある程度自分で把握してる人達だなあと思いました。俺的代表例として久本雅美とかがそうかな。自分のキャラを自分でわかってるから、見てる人がオイオイって思うような事が全然無くって安心して見てられるの。あ、芸能人分析が本題じゃなくて、これは前置き。


で本題は、これって芸能人だけの話じゃないよね、という方向で話が進むわけだったり。


自分自身の中で、自分の意志じゃどーにも出来ない根本的な部分ってあるじゃない。どう足掻いてもその部分は変えようも無いってトコが。そこを他人にはどう見られてるかを自分で把握してる人としてない人では全然違うんだなあと思ったのね。それによって相手に与える印象が全然変わってくる。


例えば。自分のコトばっか話す人っているじゃん。初対面でもなんでも関係なしで。例えば、自分はこんななんだぜー、自分はこんな凄いんだぜー、昔は悪くて色々な修羅場くぐったぜー、みたいに武勇伝を延々と話すみたいなさ。そんな人の相手をすると痛くて逃げ出したくなる場合が殆ど。自分の位置付けというか、他人から見て自分のキャラクターはどんな分類に入れられてるのかなんて考えもしないんだなあと変な感心をしちゃうよ。


つまり、自分の思う自分がイコール自分の全てで、自分的には他人にも同じように見られてるって事になってるのよ。どっから来るんだその自信はって感じだよ。すげーと思うよ、そーいう人。自分が『俺はこんなすげー経験してて云々・・・』と得意気に言ったら、色んな経験してるんだあって感心されると思ってるんだろうけれど、実際はあんたが言っても痛いだけだって思われてる場合が多い。少なくとも俺はそう感じる事が多かった。


そんなに自分の事を自慢気に語らないよ、ホントにすげえ人だったら(まあ、中にはホントに凄くて尚且つ語る人もいるけどね。それはそれでまた違った意味で困っちゃう感じだけど。あはは。言われたこっちとしてはぐうの音も出ないってヤツだね、その場合。自分的には、俺は人になめられるような人間じゃない、俺は凄いんだぞってコトを相手に売り込んでるつもりなんだろーけどさあ。ねえ・・・・・結局は痛いだけなのよね。


武勇伝語り系の人だけでなく、何を発言するにしてもやっぱり自分のキャラが他人にはどう認識されてるかってのをある程度把握していないと痛いだけです。 こんな事を書くと、『じゃあオマエはどうなんだ、オマエはそういうヤツで無いと言い切れるのか』って言われそうだけど。そう、そこなんだよ。


他人から見た自分のキャラってのはどう頑張ったって完璧には把握出来ないわけで、常にそんな所に不安を持ってるよ。もしかして勘違い系なのは自分の方なんじゃねーかなって。でもそんな風に不安に思うだけまだマシかな、イヤ、マシに違いない、と思うようにしているよ、俺は。


つうかそう思わなきゃ生きてらんねーし何も言えなくなっちゃうもん。



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