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今回はサイト運営に関する話で始まるけど最終的にはもっと広い意味での話に発展するので最初だけ読んで止めないでねん。
それでは本題に入ります。
俺がやっているこのサイトはいわゆる日記・テキスト系のサイトに分類されています。もちろんこのサイトは好きではじめたコトですよ。今でも続けているのは更新をするのが好きだからです。
だけれど、長くやっていると当然やる気に波もあるわけですよ。急にやる気を無くす瞬間もあるってことよ。俺にもそんな時期がありましたし、これからもあるかと思います。
それで俺以外の日記・テキスト系のサイトの動きってのを見てて思ったんだけど、開設してからある程度アクセス数が増えてきた時期がかなり大きなターニングポイントとなる事が多い気がするんです。運営者本人の意欲が問われる時期というかさ。
開設してある程度の時が経つとアクセス数もそこそこ増えているサイトも少なくないわけです。そんな時期ってのは、やっている本人もかなりノってる時期だと思うんだよね。だから周囲のサイトとやたら絡んでみたり、浅くて広い交流を無意味に増やしてみたりするサイトが多い気がするの。
他の人のサイトを見ているとなんとなくそういう傾向があるのよ。もちろん100%そうだっていうコトでは無いけどね。それでね。人気サイトだとか周囲に言われ始める頃からしばらくすると急に閉鎖や休止をするサイトが増えるんです。
それってさ。アクセスが増えることでちょっと調子に乗った管理者が無意味に交流を増やしたり、他サイトとやたらと絡むことにより、『浅くて広い交流』を自分で増やしてしまい、それが原因で急に運営が面倒になるってトコなんじゃないかな。
もしくは自ら交流を増やさないにしても、アクセス増加に伴って見ている人からの直接的なコンタクトが増えるコトが猛烈に煩わしくなるとかね。見てる人が増えるってコトはそれだけ直接的な接触も自然と増えていくわけだから。
どちらにしても、『直接的なコンタクトの増加』ってのがミソなのよね。それが呼ぶ煩わしさってのが、自分自身の文章に持っていた自信を失わせたり、自分がそれまでやってきたことに疑問を感じさせたりする効果もあるんじゃないかなって思うのよ。
無礼で馴れ馴れしいメールがやたら来る。
批判メールがやたら来る。
こちらの言いたい事を曲解するヤツがやたら増える。
それらが重なることで、自分の文章が悪いのではないか、自分の文章力では自分の気持ちなんか伝えられないのではないか、そもそも自分にはサイトを通して自己主張する資格なんて無いのではないか・・・・・じゃあもう止めてしまえ!! なんていう自暴自棄になる人が多いんじゃないかな。
しかも、その時期ってのは運営上で管理者本人が何か失態をやらかし易い時期でもあるのよ。自分の軽はずみな発言が大きな話題になってしまったり、誰か特定の相手と喧嘩になってしまったりしやすいのがそんな時期と重なってしまうことも少なくないと思うの。
その結果、閉鎖したり休止したり、そこまで行かなくても自分自身で作ってしまった全てのしがらみや自分がやらかしてしまった失態をサイトをリニューアルする事によりリセットしようとするサイトが多いのかなって思うんだけどもどうかしらね。
そんな事からなんとなくイヤな雰囲気で閉鎖されるサイトもあるじゃんか。
嫌な雰囲気になるがイヤな人はそういう場合に閉鎖や休止の理由を表向きはネタが無くなったとか忙しくなったとか言っている事もあるけど、それってなんとなく取ってつけた理由のように見えることも多いんだよね。
だって忙しくても本当に好きなら更新頻度を落としながらでもやるでしょう。しかも大概は閉鎖後数ヶ月するとサイトを復活させたり、新しいサイトを立ちあげる人が多いのよね。
それって閉鎖や休止の本当の理由が忙しいとかネタ切れとかそんな事ではなく管理者の心境に変化がおきて、本当はただ投げ出したくなっただけのように思えてならないよ。こんなこと言ってる俺自身も閉鎖復活を繰り返しているからその辺の心境って凄く良くわかるのよ。
もちろんホントに忙しくてどうしようもなくなってしまう人もいるだろうけどさ。けどネタ切れだとか飽きたとか言っておいてまたすぐ再開するってのはやっぱそれってこじ付けの理由だった証拠のような気がするよ。ネタが無いんじゃなかったっけ? 飽きたんじゃなかったけ? ってね。
んで、サイト運営に関しては運営を開始してから一年前後ってのがその時期にあたることが比較的多い気がします。それはあくまでも傾向であって人によって違いはあるよ、もちろん。
これってサイト運営に関してだけでは無いと思うのよ。個人差もあるだろうし対象となる物事にも差があるだろうから時期は様々にしてもさ。自分が好きで始めたコトであっても必ず自暴自棄になる瞬間があるんだよね。
だから投げ出したくなる理由は『飽きただけだ』という一言で片付けられるモノとは違うのよね。それは、それまでに自分がやってきたことに自信を失う瞬間であり、疑問を持つ瞬間であると思うの。対象となる物事が自分にとって思い入れのあるモノであれば尚更その壁は大きなモノとなるんだよね。
何をやるにしても、自分が真剣に一生懸命やってきて、それがある程度の長期間に及ぶと一度くらいはそんな時期があるんじゃないかな。
その目の前の壁にぶつかった時、そのまま投げ出してしまう人も多いと思う。それにいくら思い入れがあっても、もし趣味のレベルで始めたコトだとしたら目の前に立ちはだかる壁を越えるなんて苦労をわざわざする必要が必ずしもあるわけじゃないからそのまま止めてしまっても良いと思うのよ。たかが趣味に身を削るのがバカらしく思えるのならやめちゃうでしょ?
だけど。
その壁を乗り越えた瞬間ってのは必ず何かひとつ新たに掴んでいる時だと思うのよね。壁にぶつかった時に自分自身で感じた疑問や自信喪失の意味を掴みながら、さらに新しい楽しさやスキルを身に付けるのは目の前に立ちはだかる壁に『あえて』挑んで乗り越えた時だと思うんだよね。
ベテランのロックバンドなんかでも一度や二度は解散の危機を乗り越えたりしてるじゃない。それに潰されてしまうバンドも数多くいる反面、さらなる飛躍をするバンドも多くいるわけよ。
もちろんプロでロックバンドをやってる人と自分の趣味のレベルの話と同列で語ったらいけないのかもしれないけど、自分が好きで始めた趣味だからこそ、その壁を乗り越えてもっと新しい何かを掴みたいって心理もあるじゃんか。
『仕事であろうと趣味であろうと、自分自身の思い入れが強い何かに一生懸命取り組むとき、いつかは必ず自暴自棄を呼び起こす時がある』。
これを明確に自覚しているだけでもかなり違う気がするよね。壁にぶつかった瞬間にすぐ投げ出してしまうのではなくあえて乗り越えてやろうっていう気になれるかもしれないじゃん。それを乗り越えたら、もっともっとそれが自分にとって大切なものになるかもしれないじゃん。
それでね。ここからが重要。
ここまでで何度も書いている『壁にぶつかる』ってのは、ただ単に物事が上手くいかなくなるというコトを指すだけじゃないと思うのよ。つまり、ここでいってる『壁』ってのは『いくら頑張っても上手くいかない状態』とか『外部からの不快な妨害』って意味に置き換わるものとは少し違うの。
何よりも自分自身が『自ら』呼び起こしてしまう『自暴自棄』。
これがここで俺が言ってる『壁』なの。
頑張っても上手く行かなくなる時や外部からの妨害があったその先にやってくるのが『自暴自棄』なのよね。自暴自棄は『やってくる』というよりも自分自身が自ら呼び起こすと言ったほうがいいな。その『自暴自棄』がここで俺が言っている『壁』なわけです。それは元々自分で呼び起こしたモノなのだから自分で必ず乗り越える事が出来るはずなのよ。
確かに『いくら頑張っても上手くいかない状態』や『外部の不快な妨害』ってのは乗り越えるのが非常に困難な『壁』を直接的に作り出すこともあるけどもね。だけど、多くの場合は単に『自暴自棄』に陥るキッカケを作っただけで、それ自体は勝手に消えて無くなっているような、直接的には、さほど大きな障害になる部類のものではないと思うのよ。
さっきのサイト運営の話でいうとさ。『外部からの不快な妨害』に当るのが、無礼で馴れ馴れしいメールの増加や批判メールの増加などですよ。そして『いくら頑張っても上手くいかない状態』に当るものといえば書きたい衝動はあるのにどうしても文章が書けなくなってしまう瞬間や、一生懸命書いても言いたい事が相手に全然わかって貰えない時とかだよね。
だけど大概はそれって一時的なもんじゃん? つまり、直接的に『壁』となって立ちはだかるほど太刀の悪いモノじゃない事が多いんだよ。問題はそれをキッカケとして自ら呼び起こしてしまう『自暴自棄』ってわけ。
もし今。何かの『壁』にぶつかっている人がいたならば。
その壁は本当にどうしようもないモノなのかな。それは『いくら頑張っても上手くいかない状態』や『外部の不快な妨害』が直接的に産み出した恐ろしい『壁』なのかな。大概はそうじゃないんじゃない?
それら自体が壁になってるんじゃなくて、それをキッカケとして自分が勝手に呼び起こした『自暴自棄』が目の前の壁になっているんじゃない?
もしそうだとしたら。
少し立ち止まって考えてみるとイイかもよ。
だってそれは絶対に乗り越えられるモノなんだから。
普段なら判り切っていることが見えなくなっている時がまさに自暴自棄の時なわけじゃん。自分が自暴自棄になっているという自覚を持て無くなっているから乗り切ろうという意欲も忘れてしまうわけじゃん。
だからまずは。
自分がただ勝手に自暴自棄になっているだけであるという自覚を持つこと。
その為に少しだけ立ち止まること。
そしてそれに気づくこと。
だってね。
自暴自棄な自分に自覚を持てないとさ。
同じトコロをグルグル廻った挙句に、ヤケになって出してしまった結論を。
『一生懸命考えて出した結論』だと思い込んでしまうんだよ。
だから、自分が自暴自棄になっているというコトを。
まずは自分で認めなくちゃいけない。
それが出来たら次は自暴自棄の原因が何かを探る。
そしたらもう目の前に立ちはだかるその壁の上に登ったってこと。
あとはそこから先を見渡せばきっと何かが見えるはず。
何かが見えたらそれに向かって壁の向こうに飛び出すだけだよ。
あなたの目の前に立ちはだかっている『壁』が、『いくら頑張っても上手くいかない状態』や『外部からの不快な妨害』が直接的に作り出した『壁』だとしたら、それは確かに必ず乗り越えられるモノであるとは限らないってのも絶対覚えておいた方がいい。
どんなに足掻いてもそのまま潰されてしまう可能性はあるよ。あなたの才能が無いからいくら頑張ってもダメなのかもしれないし、あなたがダメなヤツだから外部が妨害してくるのかもしれないよ。そんなときは全力でやった挙句に敗北するかもしれないよ。現実は甘くないのだからね。
だけど。
自分が自ら作ってしまった『自暴自棄』という壁は、一見凄く高いように見えるけど、必ず何処かに乗り越える為の糸口がある。その糸口が見つけられない時はがむしゃらに突進してもダメ。むしろ変に突進するとそれこそ立ち直れなくなる。だから一度立ち止まって深呼吸をする。そうすると、意外と簡単に乗り越えられちゃうものなんじゃないかな。
そんな風に世の中ってのは、自分ではどうすることも出来ない恐ろしい『壁』よりも、必ず乗り越えられる筈の『自暴自棄』が作り出す『壁』の方が圧倒的に多いんだよね。前者と後者を同じ物として混同してしまうから、乗り越えられるはずの後者の壁までもを乗り越え損ねてしまうんじゃないかな。
冷静になれば後者は必ず乗り越えられるんだよね。
自分の気持ちの持っていきようで、必ず何とかなるんだよね。
そう。
必ずね。 |
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