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『自分語り』についてシリーズ


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■まずはじめに

このシリーズは日記の方で書かれた『文章サイトにおける自分語り』についての記述をまとめたものです。最初は『自分語りは読み物として成立しない理由になるん?』という素朴な疑問から始まって、その後話を広げていったという流れになってます。線で区切られているトコロで日記一個分です。


尚、ここに掲載した文章は日記で書かれたものに少しだけ手を加えてありますのでよろしく。内容は変わらないけど日記の流れで書いちゃっている部分を単独で読んでも意味がわかるようなものに直してります。例えば『あの日記で俺が〜』という記述を『その1で俺が〜』という記述に直したりとかね。ではどうぞ。




■その1『自分語りって読み物じゃないの?』


やあ。みんな、今日も元気に個人サイト批評してるかい?


サイト批評してるサイトの文章を前にちょっと読んだのだけど、そこでやたら目に付いたのが『結局自分語りになってしまっていて読み物として成立していない』という感じの物。


そーなん? それが読み物として成立しない理由になるん?


じゃあ俺のサイトなんて超0点っすね。





俺が! 俺が!  俺が!  俺が!




お・れ・が!!




・・・って勢いよく挙手するのが大好きだからこんなサイトやってる俺にしてみれば、ものスゴ理解に苦しむ理由付けでちた。もしそれが読み物として成立しない理由に成りえるのだったら日記という形態を使って他人に向けた文章なんか書かないっつうの。自分語りをしないヤツの文章の方がよっぽど読む気しない俺はやっぱり文学好きではなく、単に人間好きなんだろーなと思いました。


ということで俺は今日も元気に。





俺が! 俺が!  俺が!  俺が!



お・れ・が!!



■その2『その1のフォロー的文章』


そもそも、『その1』で挙げた批評サイトの言いたかった事は『自分語りになってて尚且つ独りよがりで本人を知らない人が読んでも面白くないだろーこれは』ということだと思うのよ。それはわかるの俺も。けども、それで0点をつけられてたサイトの文章を実際読んでみたら確かに自分語りにはなってるけど、それなりに読み手に話し掛けるような文体で書いてあって、誰かが見ているというのを意識している文章だったのね。完全な独り言ってわけじゃなかった。


俺の感覚だと『読み手に話し掛けるような』形で書かれている時点でもうそれは読み物なのよ。それが面白かどうかは全く別問題でね。んで、俺はそういう風に捉えてるから『結局自分語りになっていて読み物ではない』という風な書き方になってたのを見て『そーなん?』って思ったということ。ただそれだけの話。読み物では無いと言い切ることに疑問を感じたというね。


ただ単に『これでは読み物として面白くない』という風に書かれていたなら逆に普通に納得してただろうな。つまり0点として批評されたサイトを俺自身が面白いと感じたか否かは別として『ああ、この人はこのサイトを面白くないと思ったのね』と普通に読み流したと思うってこと。けども『読み物であるということ自体』を否定してたもんで『そうなん??』と。


かと言って『読み物』という言葉の定義について議論したいわけでもないのよ。ただ単に『そういうもんなの?』という素朴な疑問を書いただけ。その後に俺の定義が正しいんだとかいうコトを主張する気は無いの。そんなんどっちでもいいですよ、ハッキリ言って。


俺が『その1』で書いたことを簡略に書くと、『読み物という言葉の定義をその批評サイトに従った場合は俺のサイトもきっと0点っつうことになるんだろーけど、それはそれで全然構わないし、それが俺のやりたいことなのだから仕方ないよね』ということ。もっとわかり易く書けば自分がやりたいことを大事にしたいということですよ。


そのサイトが人様のサイトに0点をつけるということに文句を言ってるわけじゃないですよ。そこは強調しておくよ。そのサイトって元々依頼を受けたサイトの批評をするというスタンスだったので、依頼した側がなんか文句を言うのはむしろおかしいもん。自分から望んで点数をつけてもらってるわけだからね。


だけどなあ・・・。その低い点数を付けられたサイトの後の対応は見ていて『なんだかなあ』とは思った。っていうかそれが一番首をかしげたことかもしれない。低い点数をつけられたサイトの多くがあとで自分の日記に言い訳というかフォローみたいなことを書いてんのよね。なんかそれがすげえ見苦しいつうかなんつうか。


『批評して頂いてありがとうございました』とか言いながらもなんかこう0点や1点をつけられた事実をムリして納得しようとしてる風に見えたんよ。で、中には『これからはその批評を参考にしてサイト運営の方針を変えて・・・』とか言ってる人までいるの。本当にそれでいいのか?ってすげえ思ったんだけど。


前にも書いたけど、そういう人はなんの為にサイトをやってるかもう一度考えた方が良いんじゃないのかな。自分が何を表現したいのか考えるのが先であって、見てる人から評価されるのはその後のことなんじゃないの? 一番に『人に評価されるモノにしよう』と漠然と狙って書いたモノって何処か不自然だし、人の目を引こうとするあまりに取り繕いをしている言い訳がましい文章になることが多いですよ。そんなの見てて楽しいですか?


実際に批評後に方向転換をするって宣言したサイトを見たけどハッキリ言って前より面白くなったとは思わないです。っていうかむしろ以前のほうが自然に書かれていたからすんなり読めたのに変に狙った感じがするようになってしまってすごい残念に感じたんですけど。そういう罠にはまってしまう人がいるから先ほども書いたように俺は『自分のやりたいこと』を大事にするっていうのを改めて確認して、『その1』を書いたわけね。


で、これだけ書いても理屈っぽい反論をしてくる人の中には『「自分がやりたいコト(望むこと)=他人に評価されること」なんだから仕方ねえじゃねえか』、なんていう人もいるかもしれない。うわー、いそう。俺のこの文章読んでて実際いるだろこういう考え持ったヤツ。


だ・か・ら・さー。その場合だってさ。


『自分のやろうとしてることのどういう部分を評価して欲しいのか』が作り手がわかってない状態で漠然と『評価されるのが目的だ』と主張したってなんの意味も無いんじゃないんですかね。つまりたとえ他人に評価されるのがサイトをやる目的だったとしたって、やっぱり自分が何を訴えたいのかをまず先に考えて明確にしておかなければ評価する側だって作り手のコンセプトが全く見えなくなるから評価しようが無いということだよ。


そこを忘れて漠然と『人に気に入られよう』とだけ考えたって意味が無いという話。実際そうなってる人が多いように思えるから言ってんの。さっきの批評サイトのスタンスってのは『読み手を楽しませるのを最優先した文章が読み物であり自分語りはもっとその後にするものである』という感じなんだけど、そういうスタンスで批評するのは別にいいと思うの。俺と見方が違うのは確かだけど、それはそれでひとつの視点なわけだからね。


そうなのよ。あくまでもひとつの視点なの。俺の見方も、その批評サイトの見方も。そのひとつの視点に振り回されて自分のやりたいことを見失ってるんじゃないんですかね。


一応言っとくけど俺自身の方針は『まずは自分語りをして、それを見て結果的に共感を覚える人、何かを感じる人がいれば嬉しい』ってものです。だから先ほどの批評サイトに仮に0点をつけられたとしても自分語りをやめたりはしないよっていうね。それが俺のサイトのコンセプトなのよ。その批評サイトの斬り口では評価されないであろう部分にコンセプトがあるんで、0点であっても一向に構わないわけ。


だけどもその自分なりのコンセプトが自分でわかってない状態では、批評サイトに自分のサイト批評を依頼したってそれを参考にしていい方向にサイトを改善していけるとはちっとも思わない。俺がそのサイトに0点をつけられても別に良いやと割り切れる理由は『この斬り口で0点をつけられるのは致し方ない』と思えるからですよ。それは自分で自分のサイトのコンセプトがわかってるからです。その批評サイトでは俺の重視したい『自分語り』がマイナス要素として認識されていたから『だったら仮に0点をつけられても仕方ねえや』と思えるわけね。


そのコンセプトってのが自分でわかってないのに批評してもらって漠然と凹んで漠然と参考にしてその都度漠然と方向転換をしていたらそれこそどうしようもないサイトになっていくのではないでしょうか。それは批評を参考にしているのではなく『無数にある見方にその都度振り回されている』だけっすよ。本当に批評サイトの評価を参考にするんだったら点数ではなく『どういう意図で0点がつけられているか』というのを把握しないとだめなわけね。超あたりまえの話のはずなんだけどなこれは。それすらわかってないんだったら批評なんか依頼すんなよ、マジで。


俺自身はそもそも他人の批評を参考にしようという気が無いんで(いや、たとえ的を得たことを言われても批判されると普通にムカついちゃうというお子様な自分はよくわかってるんで、自分から好き好んで批判されるかもしれない批評を申し込んだりしないの)、俺が批評サイトをそういう風に利用してると言ってるわけじゃないっすよ。もし批評を参考にしようって人がいるのなら・・・って話ね。


本来批評を参考にするって行為は結果としてつけられた点数ではなく、自分のやろうとするコンセプトとその批評の『斬り口』とを比較して0点をつけられた理由を見つけることでしょ。それが自分のコンセプトとして0点をつけられても仕方ないと思えるなら別にサイトの方針をムリして変更する必要なんて無いし、凹む必要も無いし言い訳する必要も無いんですよ。


なのに『0点』である事実だけに振り回されてる人が多すぎやしませんか?


なんかさ。『俺が正解! お前ら不正解!』みたいな態度で『サイト論』を語る大きなサイトがいるせいで様々な方向性やコンセプトがあって良いはずの『自由に出来るからこそ楽しい個人サイト』ってヤツが何時の間にかおかしな制限みたいのをもってる感じがするのは俺だけですかね? で、しかもなんでそんなもんに自分から好んで縛られてんの?


大きなサイトのいうサイト論ってのが『俺が正解! お前ら不正解!』という態度じゃ無い場合だって、それを見て鵜呑みにしている人もいるでしょう。それってすごい大きな落とし穴にはまってると思うよ。サイト論ってのだってあくまでもひとつの視点に過ぎないんだからさ。これって超当たり前の話なんだけど、アクセス数の多いサイトの意見を見て条件反射的に『あ、俺が間違ってた』と思っちゃう人がいるんじゃないの? そこはマジ気づいた方がいいよ。間違ってるとか間違ってないとかそういうレベルの話じゃないからこれ。


エンターテイメント性の重視っていうのもひとつの方向性です。そうです。あくまでもひとつの方向性なの。だから同じ日記、テキストサイトだっていくつもの方向性があっていいの。だけど日記、テキストサイトはエンターテイメント性が無いとダメなのかって思い込んでる人が多すぎないか?


本来そういう方向性でやろうとしてたはずじゃない人までもがそれに翻弄されてそれに向かって自分から狭い方狭い方に進んでる部分があるよ。それってすげえ勿体無い。自分から見えない何かに縛られに行ってるっつうかさ。


以前書いたWho Are You?っていうテキスト。あれも今日書いたようなことをひっくるめて書いてるんですよ。単純に面白いものを作ろうとするのをイケナイと言ってるわけじゃない。数多くあるはずの方向性を見ようとしないで『エンターテイメント性の重視』という視点ばっかりに何故自分から縛られてんだ? というのをシニカルに書いたつもりなんだけどどれだけ伝わってたんだろうな。


という話なんですが、言いたいことは伝わったかしら。




■その3『その2への補足1』


『その2』の話はアクセス至上主義の持つ落とし穴の話でもあるのよ。そこでくどいほど書いている『他人に評価されるのを漠然と目指す』っていう趣旨を含む部分を『アクセス数を伸ばすというコトを漠然と目指す』ってのに置き換えて読めばそのまんま同じコトが言えるわけで。


要するにやっぱり以上のようなこと以外の自分なりのコンセプトを見出さないと結局はロクなもんにならないじゃ? ってことですね。うん。




■その4『その2への補足2』


もっと言えば、批評サイト自身も『どういう視点からの斬り口でサイト批評をしているか』ってのを最初に明確にしないとあんまり意味をなさないよね。その方針が明確じゃないと批評内容を参考にしようがないもん。


だから、『今話題の批評サイトを自分も始めて一躍有名に!』というのを漠然と考えて始めた人はきっと痛い目を見ることでしょうね。そんな人はやっぱり自分の批評の明確な方向性が見えてないからその批評の視点も斬り口もハッキリしない。だから周囲から叩かれて『ハイ、自滅』というね。


そんな安易な考えの人はもう既にいっぱいいるだろーけどな。




■その5『アルバム型、楽曲型、双方型』


今回は以前ニュースサイトからリンクされて爆発的にアクセスが一瞬増えた時に思ったことを書いてみようかと。そのリンク先から訪れた殆どの人が目当ての記事だけを読んで去っていってるのは明白だったんですよ。つまり俺のサイトを見に来ているという感覚じゃなく記事を単体で見に来ていたと。だってその記事が載っていたトップページ以外のコンテンツのアクセスが普段とさほど変わらないんだもん。


それって俺としてはあんまり嬉しくないんですね。そりゃ自分の書いたものを読みに来てくれる人がいっぱいいたわけだからイヤなわけじゃないし、だからリンクすんな!なんて文句を言う気は無いですよ。リンクフリーを詠ってるわけだから。ただ『特別飛び上がって喜ぶような嬉しいって感情はなかったな』というだけの話ね。で、それは何故なんだろうってちょっと考えてみたのです。それで多分こういうことだろうなと自己分析結果が出ました。


それは! (ジャジャーン)←効果音


マダファカ!!はアルバム型サイトだからである!(ドドーン)←効果音


だーっはっはっは。今俺上手い事言ったよ?


聞いた? みんな聞いた?


スゴイ上手いこと言ったよ?


とにかくマダファカ!!はアルバム型サイトなんすよっ。つまりこのサイト全体を音楽のアルバム作品に喩えているわけよ。そして個々の記事である日記やテキストを楽曲だと考えてみるわけ。


で、先日はその楽曲をニュースサイトで紹介していただいたと。その1曲の楽曲だけを聴きにこのサイトにいっぱいの人が来たと。だけれども俺のサイトってのはひとつの楽曲だけ聴いてもらっても、マダファカ!!というアルバムに収録された楽曲を単独の楽曲として聴いてもらおうとあんまり考えてない俺としてはそんなに喜びに繋がらないと。


やっぱアルバム型のサイトだとそこに収録されている1曲だけ聴いても本当のコンセプトみたいなもんは伝わらないわけです。だからアルバム全体を通して聴いてみて始めてどんなモノかわかるわけですよ。そしてそのアルバム全体が持つ雰囲気、つまり活字として書かれたモノだけではなく全体が放つニュアンスを読み手が気に入ってくれたのが分かると嬉しくなると。


だってさー。上の文でも書いたようにここは『自分語りサイト』なわけじゃん。言い換えりゃ『壮大な自己紹介サイト』なわけ。それ以上のモンは俺自身があんまり求めてないのよ。趣味のコンテンツだって同じ。『俺はこういうのが好きです』と言ってる感じだし。基本は全部『俺』からスタートしてるのね。そんな部分を気に入ってくれた人と交流をもてたら楽しいじゃん?っていうサイトなの。


だからこのサイトでの個々の文章のクオリティーがどうだとかっていうのよりも、俺の全ての言動、つまり全体の流れの中で俺のダメな感じとか、嫌いなモノとか、好きなものとか、そーいうのをひっくるめて見て、はじめて意味をなすような気がすんのよね。結局その全体がかもし出すモノに興味を惹かれた人が繰り返し見に来てるんじゃないかなと思うのよ。


その興味の持ち方が好意的か否かってのは全く別だよ。嫌いだって興味を持って見ちゃうって場合だってあるわけだから。その辺のことは既にこのテキストで書いてるけどさ。とにかく『興味を持っている』という点では双方とも同じなわけだ。


さっき書いたように俺はそもそも『独立した作品』と呼べるようなレベルの高い文章を書いているとは思ってないです。つまりシングルカット出来るような楽曲はここには無いってことよ。マジでそう思うな(シングルカットってのは管理者の手を離れても単独で魅力を保持出来るようなレベルの高い文章って意味で捉えてください)。


だからサイトというアルバムに収録された1曲だけ聴いてもらったところで俺がどういうニュアンスでそれを作っているかそれほど伝わらないだろうなって思ってます。だって個々のテキストや日記に高度な文章を書けるわけでもない上にすごい事内容を書ける程の出来た人間でもないもん俺。


なのにここには普段の日は何百かの人が来てくれる。それはやはり個々の楽曲のクオリティーがどうっていうよりもアルバムとしての存在なんだろうなと。全部ひっくるめた存在。


で、サイト批評なんかではどっちかというとアルバム収録の個々の楽曲のクオリティーをも重視して評価がつけられることが多いみたいなので、俺のサイトはきっと大した評価はもらえないだろうと思ってます。個々の楽曲はマジたいしたもんじゃないもの。そりゃ個々の楽曲としてもアルバム全体としても楽しめりゃ一番いいのかもしれないけど俺にはそんなもん作れないしな。


日記やテキストを載せるサイトでは、アルバム型、楽曲型、そして双方型って3パターンがある気がするよ。それを整理してみると・・・。


★アルバム型
一個読んだだけじゃ面白くも何ともないけど全体を見た結果、管理者のキャラが気になって来て思わず見てしまうサイト。その代わりシングルカット出来る楽曲はあんまり無いの。シングルカットしちゃうと魅力が激減しちゃうのね。


★楽曲型
書き手のキャラを考慮に入れなくても個々の文章が『独立した作品』と言えるような高いクオリティーを持っている為にシングルカットをしても充分に魅力が伝えられるサイト。


★双方型
名前の通り両方兼ね備えてるスゴイサイト。全曲シングルカットしても全てが『作品』として独立した存在になり得て、尚且つアルバムとしてのトータルバランスも優れている(つまり管理者のキャラにも興味を惹かれる)というサイトだね。


そう考えるとマダファカ!!はやっぱりアルバム型だな。どう見たってマダファカ!!にはシングルカット出来るようなモノなんてないのに人が来るってコトは、やっぱアルバム型だという自己分析結果にたどり着く。この型は管理者のキャラを考慮に入れながらじゃないと成り立たないのね。だから書き手を離れた『独立した作品』にもなり得ない。そんなだからきっと他人にここを批評されるとムカツクんだな。俺という人間を批評されてるみたいな気がして。


まあこのサイトがアルバム型になったってのはあくまでも結果的にそうなったってだけなんだけどね。俺がアルバム型だなって自分で思うまでの流れは以下の様な感じですね。


1.自分が書きたいことを書いて自分がやりたいようにやってきた。


2.その結果俺のキャラがモロに反映されたサイトになった。


3.でも実際個々の文章は大したもんじゃない。


4.でも見に来る人がいる



という流れを考えてみると、やっぱアルバムとしてならそれなりに興味を持つ人がいるんだろうな、だからアルバム型なんだな、という。ここを見てる人も自分のサイトがどういう感じになってるか考えてみるとちょっと面白いかもね。


でもこれはサイト論なんつう仰々しいもんじゃないのは言っておきましょう。アイバっち個人の自己分析結果の話ですので。あくまでも『アイバがそう言っている』だけっすからね。こんなの当たり前なんだけど言っておかないと『さも一般論かのようなニュアンスでこの文章が書かれた』と思い込む人がいる世の中なのでね。何度もしつこいようだけどここにはシングルカット出来るようなハイクオリティーの楽曲は無いんですってば。


このサイトの基本は『俺が!俺が!』ですからね。



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