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 ■[ 雑記 ] 2007/02/03 [ Sat ]



あーちょっとだけしんどい。ウォシュレットで尻を洗うときに水をかけながら手で直接尻をワシワシ洗う親を持つアイバですこんにちわ。手で直接洗うなよオイ。そんなわけでちょっと仕事が行き詰まり気味でしんどい今日この頃ですがみなさんいかがお過ごしでしょうか。

前の会社でもしんどい時はあったけど、それは数が多かったりスケジュールが物理的にキツかったり、慣れない現場に不安があるのにロクに準備する時間が無くてワタワタしていっぱいいっぱいだったりという感じだったんだけど、今現在の感じは質がまたちょっと違うしんどなんだよね。忙しいとか不慣れなために不安だとかそういうんじゃなく普通に行き詰ってしまっている。

図面がね。CADで設計変更の図面を書いてるんだけども、一箇所直すと他の部分がおかしくなって、そこを直すと今度はこっちの材料が付けられない構造になってしまうから部材を改造しなくちゃいけなくなって、そこを変えると今度はこっちがおかしくなって・・・・というのをエンドレスで続けている感じ。5箇所分の構造物の図面を書いていて、3箇所はもう終わってるんだけどあと2箇所分にかなり苦戦してそこでずっと足踏み状態なのです。

昨日はそこでずっとハマッていてさ。結局終電間際までいたけど終わんなかった。というか、まだ全然先が見えてない。やればやるほど問題点が増えていき、どんどんわけがわからなくなってくる。そこに追い討ちをかけるように役所がくれた標準図が豪快に間違ってることに気がついて思いっきりやり直さないといけない箇所が増えてしまったりしてかなりグッタリ。つーか、そんな標準図がいままでずっと普通に使われていたってすげーよなぁ。

とりあえず何とかしなくちゃいけないんだけど、本当にどうにもこうにも行き詰っているので、それは後回しにして出来ることを先に進めちゃおうと気分を切り替えて今は気持ちが落ち着いてます。来週はそろそろ動かさなきゃいけない現場の段取りや下請け手配、あと他の出来る書類をやっちゃおうかなと思ってます。とにかく足踏みの原因になってることに盲目的に拘りすぎて何もかもが止まってしまうのはマズイからな。

単純に忙しいというよりも自分の能力の問題で『やべぇ・・・どうにもならねぇ・・・』みたいな感じになってしまったことのある人は少なくないと思うけど、そういう時は皆どうやって気持ちを切り替えているんでしょう。そゆ気持ちのコントロールをウマくできないとただひたすら苦しさだけが増して行って、肝心の仕事は全く進まないというドツボにハマってしまうから、何とかウマいこと自分の心ってヤツをコントロールできるようにならなきゃね。

前の会社ではこういうタイプのしんどさはほぼゼロだったからこういう状況に不慣れなんです俺。前の会社は理屈よりも行動力重視だったからね。行動力があるのはスゴイことだと思うけど、それだけだとある程度以上複雑なことになると対応できなくなるんだよね。けど前の会社は分数とかルートだとかがよくわかってない人が普通に会社を引っ張ってたからなぁ・・・。

しかもそれを大して恥ずかしいことだと思ってないのな。それはマズいと思うけどな。だからすべて『大体こんな感じ』で仕事を進めてた。分数の掛け算割り算のことを質問されたときはどうしようかと思ったよ。けど、そこではそれだけでも何とかなる仕事しかなかった。というか、そういう仕事しか引き受けられない会社だった。

だからとにかく無茶をしてでも現場を叩く、行動力あるのみ!って感じだった。それはそれでちゃんと商売になればいいと思うんだけど、実際は会社の経営自体がマズい感じになってたからあの会社の場合全然良くなかったんだと思うよ。だからやめたんだけどさ。

自分が置かれた環境によって求められるものは違ってくるよね。前の会社のように理屈よりも行動力が重視される環境があるのはちっともおかしくないと思うよ。それをしっかりこなすことだって、それはそれで大変なことだと思うし立派なことだと思う。けど、それはちゃんと利益が出てればの話。

一昔前まではそれでも十分役所が金を出してくれて、かなり利益が出たらしい。道路の白線を引くだけでボロ儲けだった時代もある。けど今は違う。CADもロクに出来ない、数学・・・いや、算数レベルの計算もあやしいなんて状況で出来る仕事だけじゃとてもじゃないけど食っていけない。その程度の仕事では役所は大した金を出さなくなってる。実際、一昔前のノリのまま今まで来てしまった小さい業者はバタバタ潰れてるからね。

多分、世間全体で見たら俺の今いる会社もそんなにレベルの高いことをやってる会社ではないと思う。大手ゼネコンの何十億の現場で頑張ってる人と比べりゃ求められる知識や能力はかなり少なくても良いところだと思う。けど、今まで下の下の会社にいた俺にとっては今の会社の仕事でも十分苦しいんだよね。何年間もまともに就職しないでブラブラしていた代償が現在見事に自分へ降りかかっている感じ。

けど、焦っても仕方ない。出来ることから着実にやってくしかないんだよね。俺が一人前になるにはまだまだ何年もかかるなぁ・・・・。とりあえず今日はあんまりクヨクヨ考えても意味が無いので奥さんと一緒に映画でも見る予定。
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 ■[ 雑記 ] 2007/02/18 [ Sun ]



ああ。どうも。

『パチン』という音の出るオナラが出るアイバですけど。多分それは、オナラのガス圧でお尻の肉が局部的に押しのけられて元に戻る瞬間に出る音なんだなと俺は分析しているわけですけど、明日からの仕事が憂鬱な今日この頃です。

ところで、高速道路とかを走ってると『静かに』って書いてある看板があるのを知ってますか。これなんだけど。



静かに

あと、家の近くの高速道路と並走してる普通道路にはこれじゃなくて赤ちゃんが描かれいてるバージョンもあります。俺はこの看板を夜にひとりで車を走らせているときに見ると、モノすげぇ寂しい気分になるんです。すっごく独特の気分。世の中の人々が全部寝静まっていて、起きているのは自分だけ、みたいな孤独な感じっつーかさ。

子供のときにも何となくこういう感覚を持ったことがある気がするんだよね。俺は小学校低学年くらいまでは夜9時半くらいまでには確実に寝てたんだけど、たまーに寝るのが遅れて10時近くになってしまうことがあってさ。そういう時はいつも見ないテレビ番組が始まったりして、ものすごく焦るというか、自分が踏み入ってはいけない未知の領域に迷い込んでしまったような感じがしていたのを覚えてる。

もちろん親なんかはまだ全然起きているわけだけど、子供である自分が本来は踏み入ってはいけない時間帯に起きているという事実を、当時の自分の感覚は、『子供はみんな寝ている筈の時間に起きている今の自分はとても孤独な存在』として捉えていたというのかな。ウマく言えないけど、今起きている子供は自分ひとりなんじゃないか、という孤独感と焦りっつーのかな。

それと似たような感覚をこの看板を見ると今でも思い出すんですよね。子供のときの『夜』の存在って今よりもずっとずっと神秘的で不思議な存在だった気がします。
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 ■[ 雑記 ] 2007/02/21 [ Wed ]



現在、隣の部屋で既にケイコさんと和尚は寝ている深夜2時10分。

今、ケイコさんが寝言で。

『のりくん、新庄!!』

って言った。

あの元野球選手新庄?
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■雑記

  2007年2月




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